紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

人体改造と渾名

2007-04-30 20:39:26 | 70’s
 なんとか起床して仕事に行く。気の毒がって夫・H氏が、車で職場まで送ってくれた。ありがたき幸せ。

 パソコンの前に座ると、せっかく薄れて来た頭痛がぶり返しそうだったので、書庫にこもり雑誌の整理をして棚のスペース作りにいそしむ。『件p新潮』の棚を整理していたら、バーコード管理される以前の号で古田織部の特集があり、いそいそと借りる。内心ほくほく。

 迎えに来てくれたH氏は、友だちHちゃんの家に勉強を教えてもらいに行ったKちゃんをも迎えに行く。Hちゃんはバリバリに勉強のできる少女であるが、Kちゃんと話の合う(私と性格が似ているというウワサも!)「へうげもの」でもある。

 Hちゃんの家まで行く途中、今日仕事中に考えた事などをH氏に披露する。
「あのねえ、妊娠したらつわりとかで体質も変わるやろ、更年期になったら体調崩して体質かわるやろ? これってなんか、仮面ライダーの改造場面(in手術室)みたいなんやなー、自然発生的な。オンナは人体改造を繰り返すんやねえ」

「そういや『人造人間キカイダー』とか、『はじめ人間ゴン』とか、おったなー。『人間もどき』(『マグマ大使』)ゆうのもいたでー」という話から、

「同級生にマグマ大使にでてきた『ゴアさま』にそっくりな女の子がいてなー、自己紹介の時に、私は昔から(マグマ大使の)ゴアって呼ばれていたので、怒りませんからゴアと呼んでください、っていうてたわ。ほんまにゴアさま、そっくりやってん。ほいで、女の子は『ゴア~♪』って可愛らしく呼ぶんやけどな、ちょかな男は『ゴアさま、今日のゴキゲンはいかがでございましょうか?』って、ものすご丁寧に言いよるねん。『いいよ~』っていわはったら、『さようでございますかー』って」

 「それで思い出した、中学校のときの1年先輩ですごいコワい顔の女の人がいて、みんなから「オニ」って呼ばれてはったわ。『オニー』って呼ばれると、にこにこして『なにー?』って振り向かはるねん。バスケット部の人やったから応援の人らが『オニ~!ナイス!』とかゆーてはったし、友だちは『オニ先輩!』って慕ってはった。ものすご性格のいい優しい気さくな人やったねん」

 70年代は、本当に牧歌的な時代だったんだなあ。いまはちょっと変わった渾名がつくと、先生が気を遣って本人に「嫌じゃない?」ってわざわざ聞いてくださるもん。でも私は中学時代の1年上の人の顔なんて全然憶えていないのに、唯一『オニ先輩』の笑顔だけは、いまだに憶えている。

春の平和

2007-04-28 22:09:58 | ファミリー
 朝、夫とふたりで新聞を見ていた。
 
 裁判の後、原告の人が「不当判決」と大書した紙を広げている写真をみて、
「これを用意してある、ということは『全面勝訴』とか他にもいろんなパターンで作って来てはったんやろなー。この紙だけで、何パターンもギャグができそう。4コママンガがいっぱいできそうやな~」と思いつくまま言ってみた。

「筆文字がいいやろかプリントしたのがええやろか、と悩んだりね」

「すごいレタリングの飾り文字やったりとか」

「笑える誤字脱字があったりして」

「漢字がわからへんし、ミョーに一部分ひらがなとか」

「負けたのに、出し間違えて『全面勝訴!』を開いちゃったとか」

「いしいひさいちに裁判ネタで4コマ描いてもろたら、絶対面白いと思う」

ということで、よろしく、いしいさま(オジギビト)

 一方Kちゃんと諺(ことわざ)話題になったとき、
「『飛び降りゾンのくたびれ儲け』やなー」というので、
「なにそれー!?」と聞くと
「あ、間違えた『骨折り損のくたびれ儲け』やったっけ」
と言い直したので、「意味は何やの?」とつっこんでみた。

「いや、スタントマンの仕事は、屋根から飛び降りたりしてホネが折れる程キツいし、くたびれるけれど、儲かるっていう意味やろ?」 リアルなイメージの諺解釈であることは認めつつも、訂正を入れる。

 我家の平和な春の一日である。

おすすめ。

2007-04-27 22:41:33 | 読書
 今年度最初の読書会は、各自おすすめの本を紹介しあう。三者三様というか、十人十色というか見事にかぶらず、「へええ~?」「そうそう!」と発見と共感のひとときだった。

 最近は5本の指で数えられる程のメンバーなので、新しい方がひとり来られても、感動的ですらある。しかも彼女はかなりの読書家で、お子様への読み聞かせも、きっちり選書されている様子。

 もしかすると子どもより、オトナの読書離れを心配するべきでは?? オトナが読んでさえいれば、子どもも何らかのカタチでは読むようになる。

 それにしても、今回ブログの過去ログが大活躍だった。カテゴリー別に分類されて取り出せるので、過去1年間に読んだ本の自分の感想をまとめて読んで「あ、これをおすすめの本として持って行こう!」と準備がコンパクトにすすめられた。ほとんど一夜漬けみたいなものである。

 読書日記を立て続けに読んで、自分の感想に「おおお~そんなことを考えていたとは!?」「なんとこの本にはそんなスゴい事が書いていたのか?!」と、唖然とする。何ヶ月も経つと、どんな感想も忘却の彼方なのだった。よかった、記録していて! たった1年の間に、こんなに記憶が消去されているのかー、という驚きも含めて、ブログの読書日記のお役立ち度に、感謝感激の一日だった。

 そして読書会終了直前には、いつものようにおすすめ本の貸し借り大会になるのだった。自分の好きな本を読んでもらえるというのは、私にとってもそうだが、本にとっても嬉しい限りだろうと思う。複数の人に読んでもらえる本はきっと幸せ、と思う。

遊んでいる?

2007-04-26 23:55:03 | 読書
 先頃ついに完結した橋本治さんの『ひらがな日本美術史』を『件p新潮』の連載時、溺れるように読んでいた時期があった。私は室町時代あたりから、こつこつと休憩時間に読んでいたのだが、あまりに感動したもの(例えば『大津絵』)や度肝を抜かれたもの(例えば『南蛮屏風』)の章のときには、思わず注文してしまっていた。後でよく考えれば、まとめて本になったとき買えばよかったのに、逆上してしまったのだ。

 安土桃山の美術は、なんだか突拍子もないものがあって、ぞくぞくする。南蛮風「世界地図の屏風」とかは、大のお気に入りの逸品である。

 そんなへんてこりんな時代は、世に言う戦国時代でもある、というのがすごい不思議。戦乱に明け暮れていながら、南蛮渡来のものがバンバン入って来て、茶の湯が大名の間で大流行している。戦争と文化が激しく同時進行しているなんて、やっぱりおかしな時代なのだ。しかも贅沢し放題、婆娑羅というパンク?も流行する不思議な時代でもある。

 『ひらがな日本美術史』は、『枕草子』の章立てのように「~のようなもの」「~なもの」とその印象でひとくくりにまとめてある。その中で、ひとしきり笑ったのが『遊んでいるようなもの』というタイトルで、戦国時代の『変り兜』が紹介されている(『ひらがな日本美術史』第3巻/新潮社)。これはもう、写真だけでも一見の価値有り。

 猿の顔で顔面を覆う兜は、動物コスプレみたいだし、天台密教の仏具・金剛杵(こんごうしょ)を握りしめる腕付き兜は、仏のご加護を狙ったものだろう。
 縁起でもないような五輪塔を付けた兜だってある。しかも五輪塔には「南無阿弥陀仏」と書かれており、梵字の型抜きまでしてある凝り様だ。まったくもって、何を考えているんだか・・・。しかしまあ、こんな兜の敵と対面したら、どうしたって一瞬の隙ができるだろう。それを狙ったのか? まさかねえ?

 なぜか丼を伏せたカタチで頭に乗せてみたり、伊勢エビと貝をデザインしてみたり、キンキラキンのサザエをかぶって戦った武将もいたのだ。

 戦国の世で命を賭けて戦う武人たち。でも兜は命懸けに精魂傾けたギャグ。昨日の『件p新潮07/4月号』紙上で、「織部は茶席でギャグを狙っていたと思う」と『へうげもの』の作者、山田芳裕は語っていたが、うーん、安土桃山時代の人は、なんとエネルギッシュなギャグを放つのであろうか。降伏でござる。