フェルト手撃ヘ花のブローチやペンギンのマスコットなどを作ってもらい、私は無邪気に大喜びした。もしかすると、これで火がついたのかもしれない。
が、木目込み人形は、指導書と実際の作業に大変な溝が横たわっていたらしく、金襴の布を人形に嵌め込んでいくのは、傍目にも膨大な忍耐力と微妙なテクニックが必要とされるのが見て取れた。それでも何とか完成の陽の目をみたが、人形は1体より増える事はなかった。
同様に布花も、一見シンプルで簡単そうなのだが、緑のテープを茎になるハリガネに巻き付けたり、花びらを止めていったりのハリガネワークは、初心者には手強い根気とテクニックが要求されたようだ。
優雅で上品な手づくりより、子どものマスコットよ!と初心に戻ったのかは定かではないが、編みぐるみの通信教育にシフトを変更。かぎ針編みで人形型をくるんでいく作業なのだが、この「かぎ針編み」というのはとんでもない喰わせものだと、今でも私は思う。
例えばアタマの部分を編むにはとぐろを巻くように円形に目数を増やしていくのだが、何かずれ込んでしまうのだ。どんなにやり直しても、ダリの絵のようにグニョリとしただらしない円形にしかならない。もしかすると「かぎ針編み」というのは、几帳面でキチンとした性格の人でないと向いてないのかも。母はわりかしアバウトな人だったし、私はそれに輪をかけてアバウトなので、入口でギブアップしてしまった。
こっそり言えば夫の母も、かぎ針編みは苦手だといっていたが、そういえば彼女も随分アバウトだ。だからこそ、家庭内が平和なんだと思うんだけどね。
その後、母は通信教育をきっぱりとあきらめ、代わりにテレビの各種プレゼント応募を生涯の趣味に定めた。ここで彼女は「適度なくじ運の強さ」という自分の才能に目覚めたのだ。
私の中学入学の半年前に高級反物をせしめ、それを自分で仕立てて入学式に着ていった。お洒落用の高そうなカツラを貰った事もある。本来の目的には一度も使用されず、ほぼ私がふざけてかぶった。学校でコメディの出し物をする時におばさん役の人が使用したのが、当のカツラにとっては最大の檜舞台だったろう。
いまだに実家にいくと、コーヒー店にあるような陶器でできた大きめのコーヒー豆収穫人形?とか、高級だけど着て行く場所の無いような洋服とか、無用の長物としかいいようのないものを目にするのだ。いや、でもこれでいいのだと思う。大金が転がり込むようなくじ運はいらない。
母の運の強さを遺伝しているのは、私の息子、Tくんである。小学生の頃、スーパーのガラャ唐ナお米10キロを当てたときに、彼女のDNAが受け継がれているらしいことを直感した。彼もまた適度に幸多き人生になるだろう、と安心している。