紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

美しきながれ

2007-05-31 00:03:36 | ノンジャンル
 先日、奈良に『特別展・神仏習合』を見に行ったというブログを書いた後、実は廃仏毀釈についてふと気になったので、調べてみた。そのことについては、浅学のため、ほとんど知らなかったからだ。

 調べてみて、びっくりだった。

 聖徳太子や蘇我馬子の時代から江戸時代までは国家と仏教は深い関係にあったので、神道と仏教とは様々な確執もあったのだろうが、明治になり国家神道として権力を握ったとたんに、これほどの仏教排斥運動が起こっていたとは。廃寺が相次ぎ仏像や石仏が破壊され、山岳信仰や民間信仰までもが追われていたとは。久々に頭を殴られたようなショックで言葉もなかった。

 このショックから立ち直りつつあるときに、『若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会』に行ったので、とても腑に落ちるものがあった。廃仏毀釈が原因で、離ればなれになった『釈迦三尊蔵』と『動植綵絵』だったのである。知識が流れるようにつながっていくのは、なんだかちょっとうれしい。

 ところで、今日の夜、たまたまNHK・BS2でしていた『奥様は魔女』にチャンネルを合わせたとたん、ふいにダチョウがアップで登場し、驚愕した。思わず「ダチョウや!ダチョウや!」と騒いで、H氏の失笑を買ってしまった。
 だって、昨日ダチョウについての記事を書いたばかりだったんだもん。

 偶然の流れに遭遇するのも、人生の味わいだと思う、今日この頃である。

ダチョウ大作戦

2007-05-30 22:46:26 | 新聞
 昨年の9月、農作物を食い荒らす猿対策として、ダチョウを助っ人に頼み、放し飼いにする作戦を展開した新聞記事を紹介した。我が家で大変話題になった記事である。

 本日、その新聞記事の「その後の結果」と「今年の改訂版ダチョウ・プロジェクト」が掲載されていたので、ぜひ報告したい。中日新聞の見出しは『ダチョウ今度こそ、サル撃退を』『ブドウ園に4羽放す』

 まず見出しからわかる通り、昨年の「ダチョウ大作戦」は失敗だったことを正直に告白されている。
 そもそもダチョウに白羽の矢がたったのは、目にしたものを追いかけ、羽を広げて威嚇する習性を利用しようという目論みだった。が、いかんせん、ダチョウたちは新しい環境に慣れずおとなしいままで、その間、みすみす葡萄4千房がサルたちの略奪のほしいままになったそうなのだ。

 ところでこれは単なる獣害被害対策ではない。獣害に家畜を利用する研究の一環であり、実験であり、プロジェクトなのである。研究者たちは歯噛みして悔しがったことだろうが、研究者たるもの、失敗から多くを学ぶものなのである。失敗から学んだ成果は今年、「秘策」となり結実する、はずなのである。

 まず、作戦は昨年より1ヶ月早めた。ブドウが実るまでに、ダチョウを新しい環境に慣れさせるためである。さらに飼育面積を2倍にし、ダチョウの行動範囲を広げ、サルの警戒心を高める効果を狙った。

 一番のコダワリは、オスとメスの割合である。オス1羽に対し、メスは3羽の「一夫多妻制」を導入し、野生の状態に近づけたのである。
 これによって、オスはメスを守るために奮起し、メスも「正妻の座」を争って興奮し大奥状態になるそうだ。人為的に確執を作られてしまうダチョウたちなのである。

 しかも「卵を産めば、昼夜交替で見守り続けるのでは」という守銭奴のようなガメツい期待までされているのだ。ダチョウたちには、少々可哀想な気もする。しかしこれはあくまで机上の理論なのだ。
 現に研究取りまとめの方は「先は読めない」と、昨年の皮算用を踏まえて、実に用心深い発言をされているではないか。

 ダチョウはすでに観光農園に連れ込まれているが、正式な研究開始は7月より。ビデオカメラで定点観測し、最適な羽数や柵の形状なども探るらしい。研究は地道な作業よりなるのである。

 しかし、ダチョウの活用はサル退治のみにあらず! 人間は「食肉や卵、工剣iへの活用も目指している」のである。ダチョウにとっては、なんと悪辣な人間どもであろうか!
「人間のためにブドウを盗み食いするサルを追っ払ってやる(かもしれない)恩人(鳥)に向かって、なんたることを!」とダチョウたちが怒るのは時間の問題であろう。彼らが人間の悪だくみを漏れ聞いていないことを、ひたすら祈っている。

 あ、もしかしたら、昨年の失敗は人間の悪だくみをしっかりお見通しだったダチョウたちの嫌がらせだったのかも?

若冲の祈り

2007-05-29 21:30:06 | アート
 もうすっかり巷でも大人気者となってしまった伊藤若冲さま。私が京都市美術館で一目惚れしてからかれこれ四半世紀が経ち、その間、何度か若冲展に遭遇する機会に恵まれた。何回観ても「かっこいい! 面白い! キュート!」とムネの中で叫んでしまう。ほとんど(昔のテレビドラマの比喩で申し訳ないが)、『寺内貫太郎一家』のばあちゃん(樹木希林)が沢田研二のャXターの前で身悶えするようなもんである。

 今回の場所は相国寺の承天閣美術館で、金閣寺の襖絵、それに「釈迦三尊蔵」と「動植綵絵」の再会である。これは見逃すわけにはいかない。たんに若冲の絵を観る、という意味にとどまらないはず、と予感した。

 この展覧会タイトルは

 開基足利義満公600年遠忌記念
『若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会』

なのである。この展覧会のWEB頁を参考にしつつ、このタイトルの意味合いを説明したい。

 伊藤若冲は相国寺の大典禅師と親交のあった江戸時代の画家で、近年奇想の画家として注目を集めているのは周知の通り。
 彼は、父母永代の供養を願って釈迦、文殊、普賢の仏画三幅対と、三十幅の動植綵絵を描き、明和七年(1770)、相国寺に寄進した。これら33幅は相国寺方丈に於いて行われる伝統的な儀式である観音懺法において方丈の周りにかけられたと伝えられており、最高の仏画として描かれ、儀式に使用されてきた。

 しかし明治時代、廃仏毀釈による財政の危機に瀕した相国寺を立て直すために、当時の初代管長荻野獨園禅師は伊藤若沖の描いた動植綵絵三十幅を宮内省に献じて金壱万円の下賜金を得、それを資金に境内地一万八千坪を買い戻し現在の相国寺の面目を取り戻したという。以来動植綵絵三十幅は相国寺の手を離れ宮内庁の御物となってしまった。

 ところが折しも今年は、相国寺の開基、足利義満の没後六百年にあたる。この記念すべき年に、「動植綵絵」全幅を宮内庁三の丸尚蔵館より拝借し、「釈迦三尊像」と、そして相国寺とのおよそ120年ぶりの「再会」がかなった。

 承天閣美術館は、昭和59年(1984)に、相国寺創建600年を記念して設立された。このときの展示室は設計段階から「いつの日か『動植綵絵』の里帰りが叶ったときに一室で展示が出来るように」と配慮して建築されたものだという。「釈迦三尊像」「動植綵絵」のための特別な空間なのである。
 
東側の展示ケースには「釈迦三尊像」が、南北面の展示ケースにはそれぞれ左右に「動植綵絵」15幅ずつが鰍ッられるようになっている。今回、この展示室内にはパーテーションや独立ケースなどを一切使用せず、全作品が視界に入る形での展示が行われていた。

 この部屋では、むろん一枚一枚の絵をつぶさに観ても、それはそれで素晴らしいが、せっかくの機会なので、33幅を一堂に目にする意味を重視したい。

 「動植綵絵」は、海の生き物たち(貝、魚、ハンマーヘッドシャークから子連れの蛸までいた!)、池の生き物たち(蓮、カエル、オタマジャクシ、イモリなど)、鳥たち(鶏、雁、鴛鴦、雉子、ガチョウ、鸚鵡、鳳凰など)の他、草木、虫たち、ヘビ、トカゲ、蜘蛛に至るまで、鮮やかに緻密に描かれている。

 それらの中央に深みのある赤を基調色にした釈迦、文殊、普賢の仏画三幅が、モナリザのような不思議な表情で立っていらっしゃる。

 中央に立ち会場を見渡すと目眩がしそうだった。大変混み合っていたので、絵の下半分は黒山の人だかりで観られないけれど、それでさえ「み仏は生きとし生けるもの全てを救う」というか「もうすでに救われているのだ」という若冲からのメッセージが、ど~んと伝わるようだった。33幅すべてのピースが揃う意味を感じて、鳥肌が立ちそうな感動に打たれた。やはり予感は当たったのだ。  
 
 どうかこの33幅、たびたび再会させてあげて欲しい、と心から望んでいる。もともとはすべて相国寺のものだったのだから。

乱歩ファンに脱帽

2007-05-28 19:49:09 | 読書
 先日谷崎潤一郎のことを調べていて、彼が探偵小説を書いていたこと、あの江戸川乱歩にも影響を与えていたことを知った。

 今日はもう少し「谷崎が乱歩に与えた影響」に付いて知りたい!と思い、ネットであちこち訪問してみた。そして私は思い知った。江戸川乱歩のファンは、やたらマニアックだということを。ついで、市井のマニアの素晴らしさをも思い知ったのだった。皆さん、スゴい、スゴ過ぎます!

 その話は、ここではひとまず置くとして、以前集英社の文庫で、谷崎の犯罪をテーマにした短編集『犯罪小説集』が出ていた。残念ながら現在は入手不可だが、古本として出回ってはいるようだ。谷崎の「探偵小説」は乱歩が絶讃し、少なからず彼の初期作品に影響を与えたそうである。著者名を伏せてそれらの短編を読んだら、乱歩の作品と思われても不思議はないほどだということだ。

 そういえば『陰影礼讃』でも、熱っぽく和の陰影に富む美意識の素晴らしさを語るうち、情熱が爆発するかのように、いきなり「諸君」と読者に語りかけるあの感じは、乱歩の少年探偵団シリーズのドキドキするような語りかけに直結しているような気もする。少年愛や人形愛に近いものも、ふたりして共通しているかもしれない。

 ところで「二十面相の隠れ家」というサイトがあまりに面白かったので、というか私好みだったので、ここで随分時間を費やしてしまった。

 例えば、二十面相は最初の頃は、華麗な盗みで集めたお宝で、自分のアジトに7つの美術室を作った(「青銅の魔人」より)ものの、「後に一つに統合された模様です」と管理人さまがお書きになっている。それは「集めるたびに明智さんに(お宝を)持っていかれ、7つも部屋が必要でなくなったのでしょうか」と考察されているのもツボにはまったのだが、ほんと実によく調べられている。

 また名張市図書館員さんの私設「名張人外境」も情報が網羅してあり、乱歩ファンには欠かせない、常時必見の手帖のようなサイトである。
 
 おそるべしミステリーファン、ことに乱歩ファンはあなどるべからず! 

柿の木のある家

2007-05-27 22:47:17 | 季節
 ついに麦秋到来で、麦畑がはちみつ色に波打ち出して、うっとりするような初夏の風景である。それにともない柿の花も、柚子の花も咲き出した。

item1こちらは柚子の花。いかにも柑橘系な爽やかな香り→


 柿の木は、この辺の田舎の家には、なぜかたいていあるャsュラーな樹木である。もちろん実家にも2本有り、実がなったら長い窒フ先を割り、それを使って高い枝の実も折り取った。小さい時から付き合いのある木なので、旧友のようなものである。

 春の芽吹き、若葉の柔らかさ、花の落ちる初夏、ヤツガシラがすずなりになる夏、秋の収穫、かさばる落葉、裸ですっくと立つ冬など、四季折々の変化がダイナミックな木なのだ。

 柿の花は四角いガクのような、なんとも色気のない花ではあるが、季節のャCントとして、がっちり楔を打ち込んでいる気がする。花らしくない花だが、咲いてまもなくそのままのカタチでぽろぽろと地面に落ちる。そのとき初めて「柿の花や!」と気がつくくらい、地味な花なのだ。

 小学生の高学年の頃、壷井栄を夢中になって読んだ。『二十四の瞳』ではなく『柿の木のある家』や『母のない子と子のない母と』に心酔した。これらを読んでいる間は心地よく物語の中に入り込み、現実の方がいっそ夢心地みたいな感じだった。光る風が心を通り抜けて行くような、爽やかな快感に酔いしれていたのだ。

 内容はほぼ憶えていないのに、読書中の心地よさだけは、その時の光や空気までも伴って、鮮烈に憶えている。日本のちょっとした景色や心情のいいところがいっぱい詰まった、柔らかでリリカルな小説である。(感覚だけの記憶で、ごめんなさい)

  item1柿の花。地味です。