紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

久々出勤!

2007-01-31 20:40:18 | おしごと
 中5日ほどお休みしていて、久しぶりの出勤。

 もっとも出勤しているほうが落ち着いて集中でき、休憩もきっちりとれるので、むしろほっとする時間だったりして。緊張感はあるけど、よっぽど仕事が好きで自信があるのか?(まあ、少なくともキャリアは15年以上だから)顔が自然と上を向いて背筋も伸びているような気さえする。

 で、久々に来てみたら、発注した本が3、4箱ほど届いていた。半分はほぼ処理済、半分は未処理という状態だった。しかも、うっとりするような濃い内容の本が並んでいて、あれも、これも、読みたい!!とうわずる気持。これほど粒ぞろいでくることは、稀よ!まれ、・・・って私のかなり個人的な好みですけどね。

 地道に受入れ作業を進め、済んだそばから新刊の面展示架へ。今日来たお客さんは、ラッキーでっせー! どんどん借りていっておくれやす~と、心で叫んでいるのに、いつもより若干は多いかな?という程度で、非常に残念。でもさすが新刊である。お客さんの「掴み」はなかなかのもの。

 私も客として掴まれてしまったので、佐野洋子さんの新刊エッセイ『覚えていない』(マガジンハウス)と、33人の女性建築家が少女の頃(昭和20~50年)の「家」にまつわる思い出を綴る『アルバムの家』(女性建築技術者の会/編・著 三省堂/刊)を借りてみる。

 『アルバムの家』の間取りや古い写真にどきどきする。ああ、こーゆー横縞が二、三本入ったセーター着た友達が写ってる写真、実家にあったな~。懐かしい井戸の水汲みや五右衛門風呂のイラストも挿入されている。

 お食事中の方には大変申し訳ないが、なかで、私が一番膝を打った懐かしいものは・・・和式トイレのカバーでした。掲載されていたものは、ハエの繁殖を防ぐため穴だけ塞ぐタイプだったが、実家にあった物は便器ごと穴を塞ぐ白いプラスチックの覆い。ちょっと見には、イースター島のモアイ像のような風貌だった。

 実家のトイレは最初戸外にあった。夜にトイレにいくには、懐中電灯を持ち、ゆらゆらする自分の影におびえた。しかも懐中電灯をもっているため、必然的に片手での遅々とした作業になるので、はやる気持と遅い動作のギャップが、よりいっそう恐武Sを募らせたものである。

 しかも当時少女マンガはホラー全盛。こともあろうに、人面瘡ネタ、人形ネタをそんなシチュエーションで鮮やかに甦らせてしまうのだ。よりによってこんなところで、そんな不適切な記憶を甦らせなくても・・・。たぶん私のホラー・トラウマはこの辺にルーツがあるのかも。

 とまあ、古いトラウマのルーツまでも遡れたりする、たいへんに懐かしくも心温まる一冊です。

懐かしのクイズ番組

2007-01-30 21:23:02 | テレビ
 『むかつく二人』の中で三谷さんが「クイズタイムショック」で、家中が盛り上がった、という子どもの頃の話をおっしゃっていた。

 どれくらいエキサイトしたかといえば、まず回答が出て来る箇所を隠す目隠しボードを作ったそうである。本格的なのは、机の上に椅子を置き(くるくる回るタイプ?)、家族が順番に実際に椅子に座って回答した、というくらいの熱中ぶりなのだ。どんなにエキサイトしても、普通そこまではしない。やはり才能を産む家族はやることが本格的やな、と感心しきりであった。

 70年代は、我家(実家)でもクイズに熱狂した時代だった。我家でも、といっても父と私だけだが。
 横は「券\/音楽」「文学/歴史」などのジャンル別に、縦は10~50点の番号が書かれたパネルを選び、ひっくりかえすと問題が書いてあるという趣向の『クイズグランプリ』が主なクイズ合戦の場だった。あろうことか母親が出場者応募のハガキを私の名前で出していて、大阪までペーパー予選に行ったこともあった。もちろん予選落ちである。中学生か高校生の頃である。
 
 中でも手に汗握ってエキサイトしたのは、『ダイビングクイズ』だった。静かでやや物悲しい(休日が終わりに近づきつつある)日曜の昼下がりに放映されていた。色とりどりの風船の海に、見事に磨かれハゲ頭のような光沢のある滑り台が二体佇んでおり、回答者はより情勢が不利になりそうな薄く白い手袋を嵌め、クイズに答える。

 クイズに答えられないか不正解だったとき、滑り台の角度はわずかずつ上がって行く。険しくなる角度に耐えきれなくなり、風船の海にどちらかの回答者が旅立つまで、クイズは続いて行く。

 力尽きたときの、回答者の身の振り方を見るのが、大変興味深かった。あっさりと無抵抗にあきらめ遊ぶように滑る人、中程まで滑ってしまうといさぎよく万歳して身を投げる人、身を捩って抵抗に抵抗を重ねる人、滑り台の後少しでダイブ!!というところで踏みとどまる人、千差万別な人生を見る思いだった。

 かなりの傾斜があるのに、腕の力だけで身体を支え、問題を聞いている途中でずるずると力尽きる人もいた。力のこもった腕が、ぶるぶると休む事なく震えるのを見て「がんばれ!がんばれ!」という応援と「もう充分がんばった、もう楽になって」というアキラメが交錯する私の心中。千々に乱れる思いである。人ごとなのに、なぜこんなに熱くなるのか??と疑問に思うくらいの感情移入であった。

 知力だけでなく、体力も使うクイズ。体力を消耗させつつ、それでもだからこそ集中力を総動員させて知識を競う番組は、シンプルながら「総合力」というものを試したモデルではなかったかと、いまさらながら考えていたりもしている。

サラリーマン山田、ふたたび

2007-01-29 23:42:00 | 
 NHKのアナウンサーを見ながらH氏がいった。
「みてみて、あのひと、ねずみ男と一緒に出て来る人間にそっくりや! サラリーマン山田やったっけ? ほら、メガネかけたら、もう・・・」
「あっ! ほんまや! のっぺりした顔と鼻の穴の感じが、瓜二つやん」
「そういえば、今日、職場でサラリーマン山田の話をしたんや」

 夫・H氏の職場での会話である。

「Hさん、ディズニーランド行かはった事ありますか?」
「ないなあ~」
「(テーマパークや遊園地は)どっこもいってはらへんのですか?」
「昔、境港へ妖怪ロード見に行ったなあ」
「あ、水木しげる記念館とかあるとこですね?」
「まだ、行ったときには、そんなん出来てなかったんや。妖怪のブロンズ像とか妖怪神社とかはあったけどな」
「へええ~、そんなマイナーな時に行かはったんですか。さすがマニアックですねえ」

「ところで水木しげるのまんがにでてくる人間で、ねずみ男と組んどるやつおるやろ?あいつ、名前があるねんで。サラリーマン山田、ちゅうねん」
「へええ~。ちゃんと名前があるんですねえ」
(去年の4月に私が流した情報である)

「そや、土日に境港に行くと、妖怪ロードに着ぐるみ着た水木キャラがうろうろしてるらしいねん。その中にサラリーマン山田もおってな、名刺交換してくれるらしいで」
「そうなんですかー」
「サラリーマン山田の名刺欲しいなあ。名刺もらうためだけに、境港に行ってもええ気がするねんけど」
「ええ~~?! そんなん欲しいないですよ~」
「変わってんな、そんなん欲しいに決まってるやけ」
「そんなん欲しがる人の方が、変わってますよ」

 この話を終えてから、「サラリーマン山田の名刺、欲しいやんなあ?」と聞くので
「欲しい欲しい! もらったら額に入れて、『たぬき亭』に飾っとこうよ」
こういう話題になると、一も二もなく意見が一致する。

 しかし、昨年4月16日のブログで私が見抜いた通りのH氏の思惑である。してやったりと思いつつも、微笑ましい。


むかつく二人

2007-01-28 20:21:32 | 読書
 昨日西友となりの本屋さんで、岸本佐知子さんの『ねにもつタイプ』を探してみた。いかに新刊とはいえ、きっとないだろうな、とあきらめ半分だったが、やはり案の定だった。大型書店か、都会の本屋さんでないとだめみたい。この辺では、まず注文入れないと無理なタイプの本なのかも。予想はしていたけど。

 でもこの本屋さんはお兄ちゃんのお気に入りで、最近よく出入りするようになった。「思想的に公平で、品揃えがいい」とのこと。なるほど、確かに。入ると必ず「これは!」という本があるのだ。サブカル系も、癒し系イラストエッセイ(まんが)も、郷土資料系もなかなか充実。
 
 店内の平積み最後の1冊だった三谷幸喜VS清水ミチコさんの対談、『むかつく二人』を見つけ、ばらばら活字の流れを見てみる。中程で二人が「ワンダースリー」や「クイズタイムショック」の話題で盛り上がっている箇所を発見し、立ち読みするまでもなく、購入決定!

 三谷さんとは、ほぼ同世代(私の方が学年が一個上)、清水さんとも、およそ同世代(私の方が学年が一個下)なので、当然のように世代的にグッと来る話が聞ける事になる。

 でもまあ、頭の回転の早い人の会話は、ほんまに面白い! 三谷さんと清水さんの、こうきたら、こう返す、というひねりを瞬時に思いつく鋭さには、脱帽です。うらやましい。
 夫とはたまになら、できるんだけどなあ。彼には、ずいぶん御指南してもらっているし。やっと彼から笑いをとれるようにもなった。長い道のりだった。

 だがKちゃんと夫の会話は、親子漫才みたい。日常的にナマで漫才が見られて、実に幸せ。卓球のスマッシュの応戦みたいなときもあり、笑い転げてしまう。やはり持って生まれた才能&育つ環境は大きい。
 
 Kちゃんの中学の面接練習用に「こうきたら、こう答える」シュミレーションの宿題があった。「どんな仕事をしたいですか?」と聞かれたら「お笑い関係」と書いていたKちゃん。「周りのひとを幸せな気持にしてあげたいから」という、至ってまっとうな理由であるが、幸か不幸か、この質問はされなかったようである。

 合格通知後、彼女は学習発表会(学潔?jの練習に打ち込む日々である。日常的な家庭内(学校でも!?)パフォーマーなだけあり、身体を使う表現力はお手の物である。

 話を戻して。『むかつく二人』には「どうして『ジュンク堂』は『ジュンク堂』と名付けられたのか」という謎の解明(しかし、ほんまやろか、この話?)も、杉田玄白についてのトリビアな話も載っています。小林秀雄風にいえば、「疾走する笑い」をご体験ください。 

アウトドア読書

2007-01-27 22:06:46 | 読書
 昨日のブログを書いていて思い出したが、私は子ども時代からアウトドアで読書するのが大好きだった。

 私立の幼稚園から公立の小学校へ上がり、1年生の間はほとんど同級生と口をきかなかった。公立の幼稚園から同じメンバーで隣にある小学校に入学するというのがおきまりだったので、クラスメイトからは「このひと、だれ?」状態だったのだ。悪意ではなく、すでに「友達」や「グループ」は幼稚園児代に形成済だったので、私は突如現れた異端者だったのだ。

 その上、入学式の日に教室に入ると、椅子も机も用意されてなくて、ひとり呆然としていたりした。学校からも先生からも、なぜか忘れられた存在だったのだ。先生があわてふためいて椅子だけは確保してくださった。なにしろまだ小さかったので、びっくりしたが「そういうこともあるんだろうな・・・」という理解の仕方をしていて、特に憤慨したり悲しんだりはしなかったように記憶している。いまもそういうのんびりした思考回路は健全である。

 小学校では朝、昼にはグラウンドに出て、自由に遊ぶ事になっていた。一緒に遊ぶ友達がいなかった低学年の頃は、戸外の朝礼で校長先生が立つステップ付きの鉄の台の横に渡した支えに座り、熱心に読書していた。なぜわざわざ戸外なのか? なにしろ教室に残っている子どもなんか誰一人いなかったので、仕方なく学級文庫を抱えて戸外で読書をしていた。アウトドア読書のあけぼのである。

 ウチでは、ほぼごろごろしながら本を読んでいたが、今日はお天気がいいからお寺の本堂の縁側で廣介童話を、とか、ひろびろした本堂で仏さまを目前に仏教童話を、とか、ウチがお寺である事をずいぶん活用させていただいた。

 用済みになった乳母車の中で身体を縮めながら「オズの魔法使い」を読んだこともあるし、庭にゴザを敷いて母親が干した蒲団の上でぽかぽか読書という、今から考えれば叱責ものの読書をしたこともあった。よくも叱られなかったものだと、太っ腹な母親に感謝したい。裏山の天辺で大岩に座って、松風の音を聴きながらの読書もしたな。アウトドアで読書することのヨロコビを堪能した子どもだったのだ。

 友達の家に出向いて彼女らが不在のときも、ちゃんと心得ていた親御さんは「紙魚子ちゃん、もうちょっとしたら帰ってくるから、本でも読んで待っててや」と言ってくれる声に甘え、学年の違う小学館の「小学◯年生」を読めるヨロコビでいっぱいだった。友達の不在をヨロコビさえした(笑) 納屋や農機具置き場の小屋でも何かしら読んでいたのは、昨日書いた通りである。

 二宮金次郎のように、学校帰りに歩きながら読書していたこともある。背負っていたのは薪ではなくランドセルだったが。読んでいたのはファージョンの「ガラスの靴」だったことまで憶えている。

 バスや電車で読書するのも大好きだった。乗り物酔いに強かったのだ。(新幹線は別。あれは「乗り物」じゃないと思う)しかし、まれに読書に熱中しすぎて乗り過ごしてしまうこともあった。大学生の頃のお気に入りのアウトドア読書の場所は、京都府立植物園ベンチと京都・東本願寺の縁側だった。

 いまでは、仕事の休み時間か就寝前の一瞬プラス何かの待ち時間が、ほぼ読書時間として当てられているが、昨日の自分のブログで、どわっと思い出してしまいました、「アウトドア読書」の至福の時間を。