紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ガセネッタ&シモネッタ

2006-05-31 23:58:30 | 読書
 「ガセネッタ&シモネッタ」(文件t秋)。
 
 この本のタイトルを初めて目にした時には、驚いた。一体何が書いてあるのか? 作者は女性だけど、どんな人なのか? 興味は尽きないので図書館で借りてみた。

 これが私と米原万里さんとの出会いである。米原さんは、国際感覚豊かなエッセイストであり、エリツィン元ロシア大統領が来日したときの通訳を務めたロシア語同時通訳者であり、そして作家でもある。「ガセネッタ・・・」の他に「パンツの面目ふんどしの沽券(こけん)」という姉妹(兄弟?)編もある。

 一方「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」(1995)で読売文学賞(随筆・紀行賞)、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2002)大宅壮一ノンフィクション賞、「オリガ・モリソヴナの反語法」(2003)ドゥマゴ文学賞などの輝かしい受賞歴を持つ実力者である。

 30日に新聞を見ると、死亡欄に彼女の名前がある。思わず「えっ!」と声がでる。晴天の霹靂だった。今日仕事に行くと、30日、31日のどの新聞にも、彼女の追悼記事が大きく掲載されていた。どの新聞社のも、力の入った記事だった。本気で、たいそう惜しまれて亡くなった方なのだ。それがひしひしと解る。

 しかも彼女が生前好きだったロシアの小話を紹介したり、「終生ヒトのオスは飼わ」なかった彼女の洒落っ気のある人柄を忍んだりして、湿っぽいのがお嫌いだろう米原さんに気を遣いながらの?筆致なので、ものによっては追悼文とはいえ、明るく和やかですらある。米原さんにとっては、本望かもしれない。

 卵巣癌のため56歳で死去。昨年末に「必笑小咄(こばなし)のテクニック」(集英社新書)を出されたそうである。自分らしく生き、自分らしく往った人だったんだと、しみじみと思った一日だった。

(おまけ)
テレビで青山二郎の顔をみて、「何かに似ている・・・」と二日間、気になり続け、やっとわかった。「小豆洗い」だよ~。http://images-jp.amazon.com/images/P/458292087X.09.LZZZZZZZ.jpg


 

人妻のときめき

2006-05-30 21:23:17 | おでかけ
 京都国立博物館の「大絵巻展」http://daiemaki.exh.jp/が今週で会期を終えてしまうので、もう行ける日は今日しかない!と朝てきぱきと家事を済ませて、京都にお出かけ。だってチケットを友達Rさんよりいただいているので、いかないとね。MOTTAINAIもん。

 「新日曜美術館」で「大絵巻展」を放映されたときには、不覚にも途中で眠ってしまった。「絵巻」というものに、あんまりピンとこなかったのだと思う。自分で思っているほどには、すごく観たい!というわけでもなかったのかも。有名どころが展示されるので、とりあえず押さえとこうか、くらいの「観たさ」だったのか?

 京都駅に着いた頃には、まだ前途に苦難が待ち構えているとも知らず、のんびりと「時間があれば隣の三十三間堂もいってみようかなー」なんてのどかな事を考えていた。

 だから、京都国立博物館の入口で「90分待ちですー」「2時間待ちですー」と係員の方々が叫んでいるのを聞いたときには、思わず「三十三間堂だけにしとこーか?」と78%考えてしまった。

 以前「フェルメール」観たさに大阪まで行って「2時間待ちですー」と云われ、計算すると娘の幼稚園のお迎えに到底間に合わなくて、泣く泣く引き返した悪夢が甦った。
 今回は幸いタイムリミットは無い。遅くとも夕方までに帰宅できれば大丈夫だ。幸か不幸か今週行われる読書会の課題本も100ページ以上残っている。列に並びながら二宮金次郎のように読書三昧できるじゃない。いこう、そして本物の絵巻を観ようじゃないの! MOTTAINAIことはしちゃいけない。

 列に並びながら二宮金次郎の真似をするのは、予想以上に辛い物があった。行為自体は子どもの頃からやり慣れている。が、後ろについた年配のご婦人グループがかしましくて、いちじるしく集中力をそがれてしまうのだ。

「歩きながら本読んではるで」なんもせんとひとりで列並ぶの辛すぎるわ!「私やったら目眩するわ」なんもせんかった方が目眩するわ。
「やっぱり若いんやなー」びみょーな若さやけどな。
「車の中とかでも、あかんやんなー。動きながらとっても本はよめへんわー」。車の中は私だって辛いわー!
 と、ついつい心の中でつっこんでしまい、もう一度、開いたページの最初から読むはめに。あー、進まないったら! 

 読んでいたのは白洲正子/著「近江山河抄」。いにしえよりの歴史が眠る滋賀県に住んでいて、本当によかったー!!と、つくづくうれしくなる内容である。古典の素養が深く、揺るぎない美意識をお持ちなだけでなく、洒落のわかる人でもある白洲さんの文章は、そんな雑音!の中でもどきどきするほどの人となりを身近に感じられた。

 いつ果てるとも解らなかった列がようやっと終わり、入館したとたん、列が動かなくなる。いらいら。

 ・・・あかん、こんな気持で「本物の絵巻」を観たって、全然意味ない。前列で見るのはあきらめて、人垣の後ろからちょこちょこと覗いて行く。あれだけの列の割に、空いてる所は空いている。そんな風にしながらも、十分に鑑賞できた。

 それにしても、侮っていました、ごめんなさい絵巻さん。本物の絵巻のパワーに、どきどきとときめいてしまいました! 
 平安、鎌倉、室町のものなのに、鮮やかで透明感のある色彩がきちんと残っていて、それだけでも驚き。
 レプリカや図録で飽きるほどみた「鳥獣戯画」の本物を初めてみたけど、ちがうわー、やっぱり。どきどきするもんな、観てると不思議に。
 めぼしい絵巻が片端からみられて、そのどれもこれも個性的で、まるで絵本を観ているよう。
 発色の素晴らしさに、隣でみていた女性は舌を巻いていらした。モノクロの絵も、白黒のバランスが際立って洗練されていたし。群像シーンのある絵の大勢の登場人物たちも、それぞれに違う表情があるのでひとりひとりを丹念に見て楽しめた。
 
 行ってよかったですー! 絵巻の素晴らしさに触れられたこともだけれど、私が展覧会に行きたいのは、新鮮なときめきを探しに行ってるんだ、ということにも気づかされました。Rさん、チケット、ありがとう! 

おへそで口笛?

2006-05-29 21:23:16 | テレビ
 おとといの夜、家族でなにげなくテレビをみていた。CMだったので、家族の誰もが集中力を欠いた状態だった。だから記憶が定かではなくて申し訳ないんだけれど。

 突如、画面におへそを中心としたハダカのおなかがクローズアップされ、それがずーっと続くCMだった。始めはぽかんとあっけにとられ、口笛が3フレーズ目に突入した頃、あまりの破天荒さに爆笑してしまう。 

 だってだって、おへそがクチビル!?を尖らせながら、口笛ふいてるんだもん!(というか、おへそ自体を口にみたてているんだけれどね)

 ごくシンプルなのにCGのシュールさを存分に使ったクリーンヒット、いえホームランともいうべきCM。「広告批評」の天野祐吉さんはなんて言うんだろう? 私には、えもいわれず面白かった!

 またそれが、けっこう長い。CMの時間枠をいっぱいいっぱいに使って、おへそが口笛をひたすら吹き続ける。音の高低で微妙におへその形が変わるのが、さらに面白い。その絵だけで押し切り、小賢しさのない淡々とした気配が、清々しくも可笑しい。

 うーん、CMでこんなに笑うのって、最近なかったなあ。でもこれを面白がるって、もしかしたらわが家だけなのかなあ。

 たぶんナショナルの浄水器のCMだった。なぜおへそなのか? へそさえも口笛を吹きたくなるほどに、キレイな水ですといいたいのだろうか。

 でも、そういう理屈はこのさい抜きにして、ここは素直に笑っちゃおう、と思えるようなストレートに絵だけで勝負したCM。参りました! 

民藝館へいらっしゃい

2006-05-28 13:24:50 | テレビ
 ほとんど縁のない東京だけれど、東京に行ったら、ぜひ行ってみたい場所がある。去年の夏、『件p新潮』2005年7月号「特集/生活デザインの素・日本民藝館へいこう」を見て、ぜひ「日本民藝館」へいってみたい!と思ってしまった。展示品云々以前に、入口と大階段の姿に一目惚れだったから。

 今日は久々の日曜休日、珍しい日曜日オフで、朝食づくり、洗濯物干しの後、夫に呼びかけて一緒に「新日曜美術館」を観た。子どもたちはとうに朝食を終えて居間から消えている。土日に静かにテレビが見られるなんて、めったにないから「僥倖」という言葉すら浮かんで来る。

 新日曜美術館は「柳宗悦の家」。午前9時からの放送で、今年5月より一般公開されたという「柳宗悦の私邸」を静かにじっくりと観る事ができた。というか私があまりの素晴らしさにはしゃいでしまったので、夫にとっては「静かにじっくり」ではなかったかも。許せ、H氏。すまんかった。

 柳邸の黒田辰秋の家具が素晴らしい。シンプルだけど見たり触れたり(触った事はないけれど、たぶん)するだけで、なぜか幸せを感じるような質感がある。H氏は「テーブルのあのタイプのもので、あれだけの厚みがあるのって知らんなー」と感心する。もちろん椅子もシンプルかつ優しい。二人でぞっこん惚れ込んでしまう。「行きたいねー、日本民藝館! (もちろん出来れば柳邸も!)」

 書斎も壁3方が作り付けの本棚になっており、しかも角は斜めに棚空間を作るという小憎らしいほどのうまい作り方。入口側が、それも入口の上の部分もびっしりと本棚っていうのが凄い。窓は下方がくもりガラスで、外から部屋が見えない程度の上部のみ透明ガラスになっており、グッドアイディアにうなる。なるほどなー。

 そして夫婦でウケまくったのが、獅子頭が肘鰍ッについた木製の椅子。なんだかファンキーなシーサーのように陽気な獅子頭なのだ。こんな椅子を日々愛用していた人なんだー、と(迷惑だろうけど)柳宗悦さんに友達になれそうな親しみを感じてしまう。きっと、私達って気が合うよ! なんて実は密かに思っている。

 そんな風だから、この日テレビに出て来たすべての物について、「これ、ええな!」の連発で、「柳宗悦って、ものすごく趣味のええ人やったんやねー」と自明のことなのに(笑)改めて感心してしまった。柳宗悦さんが趣味のええ人っていうの、誰でもわかってるって! 要するに彼の趣味に私達が思いっきり共感してしまった、というだけのことなんだよね。5年前に信楽のMIHOミュージアムで「白洲正子展」に行ったとき以来の(工剣iに対する)感動と共感。 

 最後に晩年からだが不自由になった柳宗悦さんが、棟方志功さんとコラボレートした屏風をみると、しみじみ心温まるものがある。
 柳さんの「民藝」の定義は『生活をあたためる物』というナレーションが入ったように記憶している。あるとなんだか嬉しくなるようなものって、日常生活には、是非とも必要やん!と心で固い握手をした気分だった。

「坊ちゃん」のすべて

2006-05-27 21:08:05 | 読書
今日のお昼休みに、発売されたばかりの『件p新潮 6月号』の表紙があんまり可愛いくて思わず手に取り、そのまま底なし沼のように、ずぶずぶとはまり込んでしまった。
 
 もちろん最初は特集の『芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ』が目当てだったのに、どこに何が潜んでいるかわからないのが『件p新潮』である。油断はならないので、じっくりとページを繰る。・・・ほらー、やっぱり、油断ならないんだ。しょっぱなから思わず立ち止まって、ページをしげしげと凝視。

「100年を蒐める」 祖父江慎

祖父江慎さんといえば、ユニークな本づくりをする装丁家さん。
ぎっしりと詰め込まれた彼の本箱の写真は、いきなりの圧巻である。100年分の何を蒐めたかといえば、オンリー『坊ちゃん』! 言わずと知れた夏目漱石だ。さまざまなタイプの『坊ちゃん』が本箱に詰まっている図って、ほんと、間違いなく感動しますよ~。

 今すぐ手に入る『坊ちゃん』から復刻版、児童書から、マンガから、ビデオもあった気がするな、とにかく、ありとあらゆる『坊ちゃん』が並んでいる。「本棚拝見」みたいなのも読んだ事があるけれど、あまりに意表を突く本箱の出現に、「ああ~この手があったか~」と思わず膝を打ちそうになった。・・・でも、なんや「この手」って?

 私も小学生の頃から『坊ちゃん』は大好きで、たぶん著e無我が演じていたテレビドラマの『坊ちゃん』をうっとりと観た覚えもある。そのドラマのテーマソングのメロディまで、いまだに覚えているくらい好きだった。

 小説も出だしの「親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている」からもうわくわくで、この頃から「無鉄砲」って素敵なことだと刷り込まれてしまったくらいである。
 もっとも「観てる(読んでる)」だけだからハートマークを飛ばすのであって、実際隣にいたら別の感想を言うような気もする。その辺は、あまり自信が無い。

 『件p新潮』のインタビューによれば祖父江さん、『坊ちゃん』の漱石の手による原稿の複製もお持ちだとか。生半可な「好き」だけでは、ここまで出来ない。「至上の愛」である。
 漱石の『坊ちゃん』にひれ伏し、執事のように尽くす彼の究極の夢は「漱石の『原稿の勢い』で字を組んで、字体もそれにあったものを考えたい」

 祖父江氏、恐るべし。これほどの情熱があれば、いつの日か必ず実現されるであろう。健闘を祈る。そして私は本棚からぼたもちとばかり、「究極の『坊ちゃん』」が落ちてくるのを、あんぐりと口をあけ待つことにするのである。