Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

「とんかつ弁当」(1/2) 東京駅にて・・・

2007-02-15 23:24:10 | 食彩+酒の肴

 参りましたよ、突然に忙しすぎて・・・

 急遽!『日帰り東京出張』になってしまった。

 「・・・?」

 「何しに行ったの!と、ご質問ですか?」

 「・・・!」
 
 「ちょいと人様とお会いして打合せして、、。ま、仕事と言えば仕事だし、仕事以外に東京にわざわざ出向く気分でもないし、、」

 とにかく久しぶりに、往復とも新幹線で日帰りしたのです。

 まともに昼食とる暇なかったので、東京駅から新幹線に飛び乗る前に、ホームの売店でお弁当を「ふたつ」買いました・・・

 一つは『とんかつ弁当』!
                  もう一つは『深川めし』?

 「深川めし」の大好きな我輩、でも何故か「とんかつ」も食べたくなって、新幹線が出発し次第、すぐさま!「とんかつ弁当」を平らげて一眠りしたい!と、思っている矢先に、眠ってしまったのです。
 目が覚めたら、ナ!何と!すでに新大阪駅を発車したところではないか!
 よく眠りました、、、。
 なにしろ一昨日の夜は書類作成にて忙しく、しっかりと夜更かしし、午前5時前に起床。もって睡眠時間は約2時間30分であるか。とにかく6時30分過ぎの新幹線に間に合うよう段取りした、、、。平素怠けているから、少し緊張気味の神経集中的行動をとると、その後にドッと疲れが出るから、
あらためて、
「もう若くないのであるぞ・・・」
と、あらためて我が年齢と身体能力の比較論的「実力の低下」?その現実を悟る!この寝惚けた反省態度のバカバカしさ、、、。

 かくして大阪から、再度元気を取り戻す。
 問題の視力及び頭脳解析機能は正常に戻る。猛烈に読みかけの読みたい本を開いたら、結局郷里の駅に到着する寸前まで、その本を読み続けていた。
 つまり、東京駅で買った「2つの駅弁」は、自宅に帰って頂いたのである。先に、「とんかつ弁当」!その後直ちに続けて「深川めし」を平らげること可能か?・・・

「・・・!」

「ま、まァ、ハイ!」

「いましばらくお待ち下さい・・・ 今直ぐに!「えきべんのふた」を開けますから・・・」 


  <・続く!すぐ、この後です・・

シリーズ「ダンディズム研究」:たぐいまれなる二枚目俳優・グレゴリーペックの巻き・・

2007-02-13 12:18:58 | 研究:「ダンディズム」
<添付画像>:"Mr. Gregory Peck"(from Wikipedia Encyclopedia)

「・・・!?」(なんですって?)

 二枚目!

 男前(おとこまえ)!

 伊達男(いたちおとこ?否、だておとこ)!

 「???・・・」

 「ナヌ?」

 「・・・!」

 「不肖・エセ男爵ブログ読者の中、上述の単語の意味をご存じない諸兄妹がおられるか?」

 「・・・?」

 「お、恐れ入りました!二枚目?男前?以外にも、handsomeの日本語は在る!との仰せか?」

 「XXX? OO? XX・・・!」

 「ならば、きょうび流儀の『イケメン』と申し上げれば、お解かりか?」

 「・・・!XXX!」

 イケメンという単語そのもの、我輩はイケスカナイ!

 「!!!OO?」

 「そう、そうなんです。実は我輩勉強不足にて、伝統的なる日本語に於いてして同義且つ同意なる『ハンサムと同じ意味』の日本語表記方法&単語をご存知の諸兄にお願い申し上げる。どうか、この際、他の同義語単語をお教え下さい!」


 ま、、
 せめて「ハンサム」という時代モノなる輸入和製英語言葉に留め於き願いたい・・・

 「xxxxxxx」・・・・
           ・・しばし沈黙・・・・

 今添付画像の紳士、何処の誰だかご存じない日本の若者や子女も数多く居られるのではないか?と、懸念するのは、我輩の早とちりか、、、。

 ご存知、洋の東西を問わず、古今20世紀の地球が輩出した「天下の二枚目俳優」ぞよ、、、。

 称して、グレゴリーペック大兄なり!

ローマの休日(字)

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 グレゴリーペック大兄は、数多くのハリウッド映画に出演。
 中でも、永遠なる清純派女優「大鳥居・屁津貼番」との共演『ローマの休日』(上記amazon.comにてご紹介の映画)は、歴史に残るローマ市観光局(お墨付きかどうか定かではないが)準公式観光的恋愛映画でもって、広く日本国諸兄弟姉妹の間に周知徹底されたる「御仁」はグレゴリイペック大兄。ペック大兄なくして、ヘップバーンの清純派的女性の魅力は、引き出せなかったであろう。
 一時期、「ショウユ顔」or「ソース顔」なる流行語を耳にしていた。
 今は?「濃い顔」and/or「薄くち味?の顔」と云うか?流行語はよく解せない。けれども、ペック大兄の「おもて」は、欧米人にしてかなりの薄口醤油味とみるが、いかが?黒髪長身痩型なる典型的ダンディズムを醸し出す「英国風米国人紳士」にて永遠の二枚目俳優を語るは、不肖エセ男爵ブログのテーマ「研究-ダンディズム」シリーズの復帰にふさわしい御仁なり。少しばかり(3~4回投稿にて)、ハリウッド大御所の「ダンディズム加減と按配」を紐解き、暫くは連続記事投稿にてご紹介いたしたく、次回記事投稿は、我輩の大好きな映画「ナバロンの要塞」とするが、如何?、、、。
 


 《・続く・・》
続編記事掲載済(3月8日投稿)は、こちらから入れます


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付録:
(出処:ウイキペディア百科事典)グレゴリー・ペック(Gregory Peck、 1916年4月5日 - 2003年6月12日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の俳優。

『プロフィール』
ネイバーフッド・プレイハウスで演技を学び、1944年に映画デビュー。1962年に『アラバマ物語』でアカデミー主演男優賞を受賞した。また、チャールトン・ヘストンを向こうに回し、東西の大スター対決と銘打っていたウエスタン(西部劇)の名作『大いなる西部』での紳士的な主人公としても知られる。だが日本の映画ファンでは、まず『ローマの休日』の新聞記者役を想像するほうが多い。こうした初期のころからのイメージそのままに、1960年代後半から1970年代初頭までは、理知的で紳士な風貌が似合う役柄が大半を占めていたが、1976年のオカルト大作『オーメン』以降は売って代わって性格俳優的な雰囲気が漂うようになり、1978年『ブラジルから来た少年』では、マッドサイエンティストを怪演するなど変貌を遂げ、カルト映画ファンからも一目置かれる存在になった。1996年に一度現役引退を表明したが、2年後にはTV映画作品『モビー・ディック』に出演、テレビを中心に活躍した。
政治に関してはリベラルな発言が多かったため、リチャード・ニクソン大統領からは政敵リストに載せられるほど警戒されていたという。 人望を買われて政界進出の噂が周囲から出たが、本人は「すでに自分は大統領役や歴史上の偉人をもう何人も演じている。もうこれだけで充分ではないか?」と答え完全否定。あくまで俳優として職を全うすることを公言したエピソードが知られる。
2003年には、「アメリカ映画協会」(AFI) (American Film Institude)が選んだ「映画の登場人物ヒーローベスト50」の第1位に『アラバマ物語』のフィンチ弁護士が選ばれており、誠実で正義感にあふれる彼のキャラクターは現在でも人々に愛されている。
「アカデミー協会」の会長や「ハリウッド俳優組合」の会長など各種映画団体の会長や理事、「アメリカ癌協会」などでも理事を務めた。ダブリン大学のフイルム・スクールの後援者でもあった。2度の結婚で5人の子供がいる。

『主な出演作品』
栄光の日々 Days of Glory (1944)
王国の鍵 The Keys of the Kingdom (1944)
愛の決断 The Valley of Decision (1945)
白い恐怖 Spellbound (1945)
白昼の決闘 Duel in the Sun (1946)
パラダイン夫人の恋 The Paradine Case (1947)
子鹿物語 The Yearling (1947)
紳士協定 Gentleman's Agreement (1947)
頭上の敵機 Twelve O'Clock High (1949)
拳銃王 The Gunfighter (1950)
キリマンジャロの雪 The Snows of Killimanjaro (1952)
ローマの休日 Roman Holiday (1953)
白鯨 Moby Dick (1956)
バラの肌着 Designing Woman (1957)
大いなる西部 The Big Country (1958)
渚にて  On the Beach (1959)
ナバロンの要塞 The Guns of Navarone (1961)
恐怖の岬 Cape Fair (1962)
アラバマ物語 To kill a Mockingbird (1962)
西部開拓史 How the West Was Won (1962)
日曜日には鼠を殺せ Behold a Pale Horse (1964)
蜃気楼 Mirage (1965)
アラベスク Arabesque (1966)
マッケンナの黄金 Mackenna's Gold (1969)
新・ガンヒルの決闘 Shoot Out (1971)
荒野のガンマン無宿 Billy Two Hats (1974)
オーメン The Omen (1976)
マッカーサー MacArthur (1977)
ブラジルから来た少年 The Boys from Brazil (1978)
シーウルフ The Sea Wolves (1980)
サイレント・ボイス/愛は虹にのせて Amazing Grace and Chuck (1987)
私が愛したグリンゴ Old Gringo (1989)
ケープ・フィアー Cape Fair (1991)
アザー・ピープルズ・マネー Other People's Money (1992)

ビバ!「楽農大学」参加体験記(2): 牡蠣パーティーへの参加宣言!

2007-02-11 11:32:15 | つれずれ紀行

 久しぶりに高校の同級生N君に電話した。

 来る2月18日(日曜日)に開催される楽農大学主催の「牡蠣パーティー」に参加申し込みしたい旨の意思表示、すなわち予約をするためである。ご承知の通り、長年にわたり郷里を離れて股旅者風活動形態ひたすら続き、かの同級生連中とは久しくご無沙汰続きなれど、突然なる参加希望については快(こころよ)く承諾してくれた。
 「わかった!さっそく学長のHMに報告しておく・・・」
 との事、、、。
(これを快諾という・・・)
 万事、これで参加可能となる。
 念のため、HP管理者のYY君にもメールしておいた。めったに返信してこないYY君から、珍しくも返信メールを受け取った。「久しぶりに自分も参加する!」と云う。これを聞いた我輩、事のほか喜んだ。YY君は、元我輩の大親友(yy君本人の認識はさだかでなく「親友の定義」は我輩の一方的な認定に拠る・・・)。今現在は赤の他人なれど、いかにも懐かしく、牡蠣パーティー会場で再会可能(たぶん45年ぶりか?)なるを、今から心待ちにしているのである。まるっきり「ガキの時代」に戻れるのが何よりも「うれしい!」のである。
 メールには、僅か1行ほど「別記」あった。別記とは、「楽農大学も最近は全国区になった」・・・
と、、、。
 最初に目を通した時、意味不明であった。少し考えた。
A)我輩のブログが「双葉会」(楽農大学の母体にて、メンバーは全国に散らばっている)に対して、認知認識行き届いた!?との、意味合いか?
 はたまた、
B)拙ブログにて過去にたった一度の「楽農大学参加体験記事」を発表したから、エセ男爵ブログから「関係者以外」のアクセスが増えたという意味か?
 全国区の意味とは、たぶん、後者(B)であろう。
 ならば、わけのわからぬトラックバックの洪水にて「ご迷惑」をおかけしているは、拙ブログにて紹介した事が迷惑の原因であるか。此処は一つ、直接HP管理者(YY君)に会って、まずは一言、詫びを入れなければならぬ。

 かくして、
 我輩の場合は特に「平素の行き来」は無いけれど、何故か?この歳になると理路不整然にて無性に懐かしく理屈抜きにして、やはり幼馴染との再会は、何故か?好日! まことに良いものだ。


 さて、
 肝心の「牡蠣パーティー」?!
 しかも広島県江田島市沖美町にて開催の事・・・
 何と!もともと沖美町は広島県内に於いてしても牡蠣養殖に関しては伝統と実績のあるところというから驚いた。県内の牡蠣養殖といえば、おおむね宮島(厳島神社のある島)の対岸(本州サイド?)にある大野町?廿日市市?地御前?あたりが本場と思い込んでいた。広島市内から西に向い、旧2号線の沿線をこの界隈(上述の地域)まで走って行くと、辺りの牡蠣打場から排出されたと想われる真白き「牡蠣殻」の小山なるもの、海岸沿いに積み上げられていた記憶あり。つまり、広島市内から旧2号線を瀬戸内海海岸線沿いに走れば、左手に宮島の大鳥居の見えはじめる辺りから多くの牡蠣筏の連なる風景を自分の眼で数百回?目撃している。すでに十二分なる脳内刷り込みにて、脳内画像枚数は満載且つ溢れんばかりに長年の認識として意識定着していたからだ。

 楽農大学の聴講生参加は、これで二度目となる。

 もっと頻繁に参加したいと思っているけれど、それがなかなか叶わない。

 海に隣接しない長野県の片田舎にて長逗留する事この数ヶ月間の片鱗は、すでに「酔狂風軽井沢・超バカ逗留記」に御披露中、、、。今は(なぜか)郷里に帰っている。
 ならば、厳寒の軽井沢山荘生活とは打って変わり、久しぶりに懐かしい瀬戸内海の「潮の香り」たなびく穏やかな海風を、身体全体で受け止め心地よく和やかに、久しく会っていない中学高校時代の仲間と歓談できるのだ。大好物の牡蠣。こうなったらメ一杯に食し味わい堪能つつ、ついでにビールも!真っ昼間から好きに飲んでやるぞォ~・・・

 本日は予告編にて、あらためて牡蠣パーティー体験記なるもの、記事投稿いたしますぞ~・・・!



PS:
1)「楽農大学」ホームページは、こちらから入れます・・・

2)広島県江田島市沖美町の位置確認は、こちらから入れます。(Yahoo全国地図より)・・・

また偏調?NHKネボケ番組「日中戦争はなぜ長期化したか?」を不愉快に想いつつ、、

2007-02-10 13:55:00 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:from wikipedia;ご紹介「キャンディスバーゲン女史」母上と共に・・

 「・・・?」

 不愉快な番組であった・・・

 これまた、観なければ良かったのだが、全部、観てしまった、、、。

 昨夜(2月9日)NHK通常番組にて「日中戦争は何故拡大したか?」とか何とかのタイトルにて、延々1時間30分?(記憶はすでに不正確なり!)の長編収録にて、日支事変(日中戦争)の始まりを「盧溝橋事件」勃発から?と(断定?)し、さらに「上海上陸」から「南京陥落」までの経緯を、旧式アナウンサー(男性)の語る陰鬱雰囲気のナレーションと、当時の日本軍上海攻撃並びに南京攻略に従軍参戦した、生き残り「招集兵」のインタヴューと、現シナ共産主義国家に住居する当時の蒋介石率いる国民党陸軍将兵のインタヴューを交えつつ、日本政府と軍部の関わった「支那事変の推移」を平々凡々坦々と、時間系列的に推進めた番組が放映された。
 捏造極まりない「南京大虐殺」を、あたかも事実と思わせぶるよう元陸軍兵士のコメントを挿入しつつ、最後の駄目押しにて、日中戦争の長期化と泥沼化こそ、米英を中心とした連合国との全面戦争すなわち第二次世界大戦に日本国民を巻き込み、歴史上前例を見ない悲惨な結末になった。と、締め括るから始末が悪い。

 日支事変(日中戦争)に参戦したのは、何も赤紙招集兵や下士官且つカチ頭の陸軍将校ばかりではない。日本の経済発展と一般国民の幸せを想う(そうでないガラクタもいるけれど)政治家絡み、当時の日本の財界が絡み、大陸進出にて一山当てて商売で稼ごうとするあまたの普通の日本国民とその家族達、貧農の次男坊にて餓えに苦しむ若者も子女も、都会の失業者もその家族も、文化人も教育者も官僚も、挙って支那大陸(満州も含む)に渡り住み活動していたのであるから、各階層各ジャンルの日本人のインタヴューを交えなくて、「本当の取材報道」をしたと云えるであろうか。

 この際だから、はっきり物申うそう!
 例えば、信玄と謙信の「川中島の決戦」や、天下分け目の「関が原の戦い」を、足軽や下級武士から見た場合、いやいや戦に駆り出され、一刻も早く命辛々(いのちからがら)戦場から逃去りたい脱走したい気分の輩ばかりにインタヴューしても、その戦の背景となる戦略や歴史を包括的に判断できっこないではないか?ならば、総大将とはいわないまでも、直下直参の高級士族はたまた戦を背景に商売した豪商にもインタヴューしなければ、当時の歴史を総合判断するは不可能と見るけれど、如何?
 何も農家出身の生き残り招集兵を軽蔑するわけではないし、当時の支那大陸で参戦され、ご苦労され、ご立派な経歴の持ち主であることに変わりなく、畏敬の念をもって元日本帝国陸軍兵士に対し、あらためて最敬礼する。しかし、かの元兵士の感性や視点のみで、番組編成し、日支事変の全貌を想像創造するは、いかにも偽りの報道ではないか。。。

 暗く、陰湿で、お涙ちょうだい的で、悲惨さのみを強調し自虐的。当時の日本国と軍部を悪者にする手法のみで「昭和史」を語る番組編成は時代錯誤甚だしく、もう止めてほしいのである。
 どうしてこうなるのか?
 何故に、こうも近視眼的になるか?もっと高所高見に立ち、鳥瞰図的視野に於いての「日支戦史」を語れないのであろうか。当時も、今も、日本の知識人は凛々と正々堂々と近代史を直視せず、黙して語らないから始末が悪い。なぜにこうも我国の知識人は「軟弱且つ現実逃避的」なのか? 軟弱腰抜けは「知識人」にあらず!それとも軟弱風現実回避的人間集団の代名詞を「知識人」と称するのか? 否、かくなる我国知識人の中、包括的に昭和戦史として研究し、もっと広い視野に立脚した深い造詣をお持ちの先生方も多いはず、、、。
 かくなる常識的知識人の取材と報道を拒むは、NHKの所業か・・・? やはりどこか狂っている。

 若し、若しこの番組が、英国国営放送BBCの手にかかれば、もっと変わった視点視野にて「番組全体」の描き方が違っているはず。もっとクールに、視野を広げ、当時の世界全体の動きを包括的に捉えるならば、国家運営に携わった政治家や軍幹部に対する非難批判ばかりに終わらないであろうし、それこそ公正公平な「番組作り」をするであろう。
 こんな番組しか作れない「有料番組NHK」に、視聴料は払いたくない。
 と云いつつ、我家は今も真面目に?NHKの視聴料金は(遅滞無く)銀行引き去り「され続け」ている、、、。いや、真面目に払い続けているのだ、、、。



 この番組を見終わって気分を損ねた。
 本日、酒を断つ日。なれど、
 予定外にて、急遽、スコッチのロックを飲む、、、。
 グラスに1~2杯?酒精分入ると陽気になり気分爽快となりつつ、ふと思いつき、昔のVTRを引っ張り出した。気分転換目的にて映画鑑賞した。

 「何も日本だけじゃないよ!欧米諸国一億総列強も挙って支那大陸目指し、活動していた時代があったのだ。支那大陸で活動している自国民を守る目的から端を発したのが日支事変ではなかったのか?・・・」
等と、
 嘯(うそぶ)きつつ、、、

 かくなるVTRとは、、
 中国大陸を舞台にした延々3時間にわたる長編映画。特に長江(揚子江)流域を舞台背景にした近代歴史映画名作「砲艦サンパブロ」!たぶん、製作当事(1966年度か?)、現地中国大陸奥地深くに入り、長期ロケを敢行したはず・・・
砲艦サンパブロ

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我輩の(数少なき好きな女優)キャンディス・バーゲン女史の御姿を、演技を、知的なアメリカ女性の典型を、鑑賞するのだ。なぜかいつも(ショーンコネリー卿との共演、「風とライオン」の時も、然り)女性一人にて外国で必死にがんばり、目的を持って活躍する米国人女性の役柄、キラり光るものがある。そこがキャンディス・バーゲン女史の最大の魅力なのだ!
 そう、この頃のキャンディスバーゲン女史は、未だ十分に若い。勿論いかにも、かなり米国人女性風知的美形にて、いと見目麗しい
 もちろん、スティーヴ・マクイーン兄貴も張り切っており、十分元気溌剌にて、がんばる映画なのだ・・・
 皆、アメリカ合衆国の国家を愛し、我が身を国の為に捧げる、アメリカ国民が頑張り、同胞の士を助け我が命を落とす"not happy-end"で幕を閉じる映画なのだ・・
 史実(おそらく第一次世界大戦勃発の頃か?ようわかりません・・・)に残っている「歴史長編映画」の大作か。一見の価値あり・・・



<参考URL>
[Yahoo映画:砲艦サンパブロ]は、こちらから入れます
ウイキペディア百科事典「キャンディスバーゲン」項目あり。得と、ご覧あれ・・・/a>

やはり、二度みてしまった!「硫黄島からの手紙」・・

2007-02-08 14:45:35 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:映画「硫黄島からの手紙」、映画解説パンフレット表紙より・・


  実は、その日は絶対に「武士の一分」を観に行くつもりで自宅を出たけれど、市内に辿りついたら突如として気が変った。行きつけの喫茶店でモーニングを注文し新聞に目を通しつつ時間調整の後、朝の第一回目上映時間(午前10時30分)に間に合うよう、何か得体の知れない4次元世界のモノノケにとり付かれたかのごとく、さりとて平常心にて粛々と我が心臓の鼓動高まるを抑えつつ、前々日と同じ映画館に入ってしまった。先日(1月30日付)投稿記事「映画・硫黄島からの手紙を見終って」から、わずかに一日の間を置いてのち、今月2月1日のこと、かくして2時間21分間、性懲りもなく2回、「同じ映画」を観てしまった、、、。



(以下、本日記事の本文・・)
 
 何故に2度も同じ映画を観に行ったのか? 理由あり・・・

 栗林中将役の渡辺健さんのセリフの数箇所、どうしても確認しておきたい個所があったのだ。

 それらの確認は?

 完全に出来た!

 解った・・・

 先の記事投稿には、多くのコメントをお寄せ頂いている。

 先週金曜日2月2日から本日まで、書こうと思い思い続けてきた「硫黄島からの手紙」レヴュー記事・・・
 
 やはり書けない。
 
 そして、書きたくない。

 先記事にコメント頂いたTSさん始め、読者各位とのお約束をたがえるけれども、やはりココは、

 「この映画を、2度も観てしまった・・・」

 という『ご報告』だけに留め、本日投稿を終えたい・・・



 そこで一言、

     いや、どうしても、二言?付け加えて「締め括り」たい!!!

1)
 もう一度、我輩自身の問題として、近代史としての昭和史を「歴史の事実」として関連文献を読みこなしたい。もって「近代日本経済発展の歴史的考察」に切り口を求め、昭和史を考察したい。

 要点としては、明治維新以降の「日本近代経済発展の歴史」に焦点をあて、日清戦争日露戦争会戦に始まり、さらに日中戦争から大東亜戦争に至った経緯と戦争史歴史の稜線と谷間の「影の部分」を、国際経済の視点観点から紐解いてみたくなった。この日本国近代史の考察に欠かせないものは、第二次世界大戦における、日中戦争と大東亜戦争の仔細なる事実を見つめることか。日本帝国海軍に関わる著作はある程度満足のいく資料あれど、あまりにも日本帝国陸軍の史実を取り上げた著作が少なすぎる。その意味からすれば「硫黄島からの手紙」は、数少ない「陸軍将校」の観点視点からの史実を、思想的な偏りなく語った叙述誌的映画作品か。このあたりがクリントイーストウッド的である。
 我国近代史を「近代経済の発展史」の切り口にて捉えると、おのずと戦争の歴史を直視せざるを得ない。なぜならば、当時の戦争は、国家と国家の経済戦争のぶつかった極限であるからだ。すなわち、史実としての日中戦争と太平洋戦争から、論点視点を外すと、後は何も見えなくなり、近代史考察はその時点で感情と思想の彼方に追いやられるから始末が悪い。戦後60年間或いはそれ以上、近代史研究は封印されたままだから、この先我国の進路方針は今もって定まらない。歴史を無視する国家と民族は、非文化的にしてアイデンティティーすら持ち得ない「非発展的国家国民民族」と定義可能か。ならば我々日本民族は、将来の夢も希望も持とうとしない一哺乳類動物に逆戻りするを望むのか?感情論抜きに我国近代史を直視できず、国家観を無視し、さりとて持とうと自覚しない行為たるは、あまりにも馬鹿げているではないのか?
 かくして明治維新以降の我国日本に於いて、我国と我国を取巻く各国の経済的関りから切り込む「近代経済発展史と昭和戦争史」の考察!
 もって、お涙ちょうだい的感情の拘りなく、左右の思想介入なく、真っ当な日本近代史を考察を継続したい、、、。

 たぶん、これは我輩のライフワークになるであろう・・・

そして、
上述考察のための、大切な枝葉に及ぶと、

2)
 昨年の夏から始めた「東京裁判史観」分析を継続したい。引いては戦後憲法(現行憲法)の不合理性について、今以上に突っ込んで考察したい。

すなわち、
 第二次世界大戦戦勝国群(当時の連合国)の一方的な判断で、敗戦国日本の責任を片手落ちに「結論付け」した東京裁判判決の過去の現実と、今尚続く不条理な「結論付け」の踏襲こそが大問題なのだ。サンフランシスコ条約調印後も、何故か我国は自虐的に東京裁判判決の結果を受け、今尚それを周到しているから不合理である。東京裁判の判決を丸呑みした結果、昭和の歴史と戦前戦中戦後の歴史を日本国民自ら封じ込め、日本国の近代史観を自虐的に捻じ曲げているからたまらない・・・
 とにもかくにも、日本近代史分析の為に、戦前戦後の政治経済史に踏み込みたくなった。
 政治と思想の問題を突っつくと底知れぬ泥沼に嵌るから止めておくけれども、戦後政治のもっとも重大な問題で今も奥歯にモノの引っかかった様相を呈して止まない問題は、敗戦直後、当時のマッカーサー率いる占領軍指導のもと、にわかに制定された昭和憲法(現行憲法)の存在であり、戦後60数年経過した今も尚、存続していることから生ずる各種の不都合である。かくして、時代にそぐわなくなった現行憲法の不整備こそが、21世紀の我国社会発展と飛躍に及ぼす多大なる負の要因根源に他ならないか。引いては日本国の衰退国民の消滅に繋がることの証明、否、警報警告警鐘は、現実社会の不都合是正の為の必須条項か、、。法律や憲法を論ずるは、専門外ではあるけれど、引いては戦後制定された「憲法」の「改正」の是非を、今一度自問自答?問い質しつつ、早急なる「新憲法制定」の必要性を論立ててみたくなった・・・

 またもや、映画の感想文からほど遠い、五里霧中的記事になってしまった・・・



*「武士の一分」(山田洋次監督、藤沢周平原作)<Yahoo映画解説は、こちらから入れます>


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<追記>(2月9日 10:00a.m.)
なんと!
気高く、強く、美しくあれ―日本の復活は憲法改正からはじまる

小学館

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幸いにも、上記掲載紹介なる櫻井よしこ女史の著作あり、、、。
昨夜2月8日『ysBlog』にて発見!
是非にも一両日中に入手して縷々通読したい。読書感想はまた、あらためて後日記事投稿する。

PentiumIII+RAM(384MB)+ISDN64Kbps?=時代遅れ的「超遅」?・・

2007-02-04 23:29:15 | Weblog
???
 「困った、困った・・ 嗚呼、困った・・・」

 このところPC環境に関する「重大な悩み事」あり・・・

 昔は「ピュんピュんまる」だった我が愛機「SONY・BAIO」・・・
 このところ、あまりにも酷過ぎる開店?展開?速度の低下により、とてもじゃないがブログ更新やコメント返信に膨大なる時間を掛けつつも、けっして満足な結果は得られず、もってコメント返信の遅れやリンク先諸兄姉へのコメント付けに多大なる不義理(どうか、ひらにお許し下さい!)しつつ、加えてパソコン操作のための無駄な時間浪費に対する苛立ちもって、いよいよ鬱憤は頂点に達しつつある・・・

 まずは「添付画像」をご覧頂きたい。

 これは現在使用中、SONY VAIO,,,
           コンピューターの基本画面ですぞ。 

仕様を見れば、

 A) Intel Pentium III プロセッサ
 B) 993MHz, 384 MB RAM
  (1年半前にRAMを増設。約三分の五倍(5/3)にパワーアップしている数値である。その時点は少し処理能力早くなったと感じたけれど、いまや焼け石に水?
  C) Hard Disc≒40GB?

 購入してからかれこれ6年経過?
 一生使えるとは決して思っていなかったけれど、おおよそ10年は十分使用に耐えうるものか?と、当初は考えていた。
 5年前には、想像だにしていなかった画像や音声や動画の処理を要求され、このマシーンではすでに時代遅れ、もうダメだ。ドッグイヤー(Dog Year≒約10年)とはよく言ったものだ。犬は10年でお陀仏になるので、今の時代をドッグイヤーというらしいが、5年サイクルでマシーンは完全に時代遅れとなってしまう。
 
 マシーンの状態とは、まず、
1)パソコン立上げには約6~8分かかり、
2)最近はブログ記事更新するのになんだかんだで10分近くかかるのだ。

 とにかく重くて遅い。

 その理由として、RAMが少なすぎるのと同時に、ハードディスク容量に対し、資料が多すぎるのである。軽四輪用小排気量エンジンで、大型トラックを走らせているようなもの?
 さらにバカバカしい重荷を背負っているからこれがまずい。
その重荷とは?
1)"Lotus Super Office"を、全項目搭載しているのだ。その内頻繁に使用しているのは「スケジュール」と「メモ帳」だけであり、ロータスのインターネットソフトははなっから使用せず、もっまらマイクロソフトのInternet Explorer単独にて十分。ワープロ時代にはずいぶんお世話になったロータス仕様ワープロ機能&計算機能はこれまた全ったく使用せず、マイクロソフトのワードとエクセルしか使っていない。
2)すでに搭載して久しい(購入当初6年前から)ノートンのシステムワークスはそうとう重いとの事。最新版に更新したのは今年1月中旬である。バカみたいに数万円かけて更新たら、びっくりするほどチェック能力を発揮してくれている。この各種ガードマン的存在が、手厳しく各種ウイルスから守ってくれているとは云うものの、超安全にしてチェックの不必要な書類を開く時も逐一チェックするから時間掛かってどうしもうもない。

 加えて、我家の立地条件はいかにも通信環境に適していない。政令指定都市H市といえども手落ち在り、もって我家の立地は、まるでチベット的環境か、、、。いまもってADSL回線使用ならず、未だにISDN回線使用しつつ、僅か64Kbpsの速度しか発揮せず。こうして帰郷していると、日々苛立ちつつ、くやしくて泣いている。あの人口密度の低い軽井沢「八風の郷」でも、ADSL回線は常識である!何故に我家我が団地で不可能なのか?過去1年前になるけれど、当時NTTに問い合わせてみたところ、あまりにもIT通信人口の低い団地(特に、云丁目?!)にて「お宅」だけの為にADSL回線を引くわけにはいかないのである。と、ノタマウ。ならば、我が団地の云丁目に一体全体何軒程の希望があれば配線可能か?と訪ねたところ、おおむね5軒は必要!と返事が来た。

 「・・・?」 (なんたるちあ?・・)

 かくして我が耳を疑った、、、。

 このご町内はお年より多く(自分も既に中高年であるけれど、それ以上に?)インターネットを自宅でやっている人はほとんど居ないのであるか?いや、我輩の年代にてブログをやっている人口は、全国的に見ても非常に少ないとの事。たぶん、0.001%程度か?先日のNHKTV番組で、ブログの話を取り上げていたけれど、50才台以上の年齢層のブログ利用者は、ほとんど1%に満たないとの統計的数値を発表していた、、、。
ならば、60歳縺れの年代となると、云うまでも無くさらにそのパーセンテージは急激に低下、激減する。このようなシニア世代のITC環境不適合なる年代層の人間の近未来や、如何に?(ま、他人様は如何でもよいけれど・・・)

 やはり我輩、ご近所の人々から観れば、海外長期滞在ボケ?はたまたヤクザな旅人ボケ!、ただの変人の一人と視ているかも?

 そんな周囲は如何でもよい!他人様は如何でもよい!我輩は自宅での宜しきネット通信環境に収まって居たいだけの事、、、。
 
 イザ我往かん、「ワァ~レハ、ユクゥ~」にて、ただひたすらに我道を往くのみ・・・
    我輩、ずうゥ~と以前から、かの天才作曲家兼名歌手「垂れ目ちょび髭禿男爵」による作詞作曲自演なるニュー演歌にして名曲「すばる」の詩歌世界を右往左往。決して走らず歩き往く不良人生の「股旅者」なり・・・

 友人曰く、
「Yahooなら早くなるよ!」
(なんだか、ヤフーの方が先に進出しているらしいが、定かでない!)
はたまた、
「有線放送テレビ回線使ってるんだろう?地元の優先TV放送局と契約したら、安いよ。そして早くなるんじゃない?」
 もう、勘弁してほしい、、、。
 上記いずれを選択しても、どの道、新たにプロバダー契約が必要なんだろう!我輩は生来旅人であるからして、常に移動や移住に適合するプロバイダーを好しとし、もって全国共通?否、万国共通通信ネットを使用したく、したがって当時の国際電話通信会社元祖KDDの運営するプロバイダーを選択した経緯あり。その後、KDDはKDDIとなり、今はDIONと名乗っているから何が何だかどうなっているのだか、さっぱりわからない・・・
 こうなったら自分でサテライトを打ち上げ、自分でプロバイダー運営し、たとえヒマラヤ山脈でもアンデス山脈の頂上?でも、南極でも北極でも、自由自在に通信できる環境を作らねば解決方法は見当たらない。けれど、人工衛星打ち上げなど、それは我輩にはできない。 

 「・・・?」
話、戻って、

 「え?軽井沢はどうしているか?って、ご質問ですね・・・」

 「そう、軽井沢にはADSL回線設置していますよ。インターネット通信するには例の軽井沢の山荘か?そして市内の事務所のADSL回線ですな・・・」

 「・・・?」

 「いやその、きょうびの事、いちいち出先のオフィスに通わなくても宜しい所謂SOHO世界の構築できる利便性を享受できるからこそITC時代というのじゃないのでしょうか・・・」

 通信速度云々あれこれ御託並べているものの、

 結論的には、やはり、

A)より処理能力のあるプロセッサ機能は必要であり、
B)今よりも10倍の容量を持つハードディスクの設定されているモノも必要で、
C)今流「新型マシーン」の購入以外に、
D)この解決策はなさそうです・・・

 面白くない結論です。新しいパソコン購入すれば、また一から環境設定しなくてはならず、あまりにも面倒なのだぁ~・・・

 さあ、どうしよう?・・・
 参った参った・・・
 (「買い物」は大好きですけれど、ココで簡単に買ってしまったら終わり。今少し、考えます・・・) 

語彙展開の魔術師?尊敬する作家・開高健作品「最後の晩餐」を、紐解く・・・

2007-02-02 20:36:45 | 趣味の話&本と雑学メモ
<添付画像>:397ページの長編エッセイ?!文字数にして、29万文字を上回る長編作品「最後の晩餐」を読み終え、ホッと一息、、、。デジカメ画像に収めた・・・


 このところ2~3年間、あまり本を読む時間無いけれど、頑張ってむさぼって意識して読もうとしている作家の作品集あり。

 その作家とは?
 読み進めれば進む程に、ますます尊敬に値してやまない小説家。世界を渡り歩く紀行文の達人、玄人はだしの素人釣り道楽の人、猥談から高所高見より鳥瞰する古今東西の文献紐解きつつピンキリ談義を、かくも迷わず飾らずさりげなく、文筆表現できる人物逸者。奇想天外なる作風を展開なさる気骨なエッセイスト!
 マジシャンの如く自在変化(ジザイヘンゲ)に"Kaikou流"語彙をあやつり読者を魅了して止まず、ますます尊敬して止まない、文体雰囲気を真似をしたくても仕切れない「モノカキ名人」は、すなわち開高健先生なのである。

 一体全体、何が面白いか?・・・
 かくなる作家の何を?何処を?尊敬できるか?・・・

 尊敬できるポイントは、随所にある、色々ある。
 まずは、エセ男爵好み!限定?なる博識加減は頃合にてメッポウ博学。単に机上の博学的知識としてのみならず、世界を股に架けて御自ら身体張って徘徊され、ご自身の知識学識博識を実地現場検証されつつ格調高き文字系列に認(シタタ)められているからして、印刷物となった一連の文章は新鮮にして陳腐さ老醜漂わず錆付かず、今も尚、輝き続けるから、尊敬に値するのである。氏の広い見識と波乱万丈なる人生体験を以って著作創作すれば、狭き書斎でのみ思考を燻らした天才文豪!かの「芥川龍之介」も自らのフィールドワークの少なさ過ぎを反省しつつも取り返しつかず、あの世の天国から開高流展開を眺め、歯軋りして止まず・・・
(あ、そうか!開高先生も若死ににて、すでに天国に召されておられのであるか!)

 「最後の晩餐」を読み始めたのは、至極最近になってから、、、。 先週、軽井沢から帰省する新幹線の中で読み耽った。時には早くすらすらと、時には前頁に立ち戻り読み直し、食彩談話中心なれど、食座に臨席する登場人物の立ち居振る舞い表現はまさにkaikou的森羅万象網羅されつつ微細流麗、綿々縷々書き下ろされ、あまりにも面白すぎて笑い転げ、笑い過ぎては読み進めること叶わず緩急一呼吸。これだけの長編エッセイを、新幹線道中にて完全読破は無理、、、。かくして帰省し、自宅書斎に立て篭もり、外出したりしなかったり、マイペースにてのんべんだらりと継読且つ続読す。時には漢字熟語意味解せず、めったに目を通さない漢和辞典と取っ組み合いの大格闘にて、早くも?かれこれ!一週間は経過する。以外や以外、とっくに読み終えねばならぬものを、手こずり巻くって七転八倒、心地よき悪戦苦闘しつつも善戦する。かくして昨夜、ようやく最後のページにたどり着き、読破!読了した・・・

 新幹線の車中にて読見始めた当初、
 「難解なるエッセイか?」
と、思いきや、
読み進めていて面白いから、思わず一人笑いが噴出す、、、。隣に座っていた乗客は、さぞかし我輩の笑いに「驚き」、我輩を変人扱いしたに違いない!

 まぁ、本日を皮切りに、読書感想文を書くというよりも、このエッセイ集にちりばめられている滑稽且つ知的な表現のバランスよき組合せを再度解読分析し、自分流儀の発想展開に発展させてみたい。と、思い立つ。その理由は、単純にして明瞭。開高先生見識のさりげない知識放流などなど、我輩自身真似をしたくても仕切れない「名句名言、鋭利的語彙」などなど、文芸春秋社にお叱りを受ける事覚悟にて、拙ブログに引き抜き引用し、読者諸兄姉に「不定期的連載記事」にてご披露申し上げたく、以後、時に折に触れ、我が尊敬してやまない開高作品引用とその話題、非連続的に記事投稿致したい。

 ご退屈召されぬよう切磋琢磨工夫を凝らし表現展開いたしたく、万事万障乗り越えますからに、エセ男爵ブログの読者諸兄姉に於かれましては是非ご声援下さるようあらためてお願い申し上げます、、、。

 (はてさて本日のこの勢い、何処まで続くやら・・・)



PS:「最後の晩餐」の掲載誌は「諸君!」にて。昭和52年1月号~54年1月号まで。我輩通読した単行本は1979年5月文芸春秋刊。と、なっているから、ずいぶんと古い本なのだ。実はこの本、Book-Offにて探し求めたもの。もっと早く、この本を読んでいれば「我輩の人生」は少し変わっていたかもしれないし、少なくとももっと食通になったかも知れない。よく解らない。はっきり云えることは、我輩にして、もっと文章が巧くなっていたはず・・・
 尚、以下ご紹介の同著は下記の通り表紙や装丁などは刷新され、今尚刊行されているとの事!
 嗚呼、
 我輩にとって「偉大なるモノカキ」、語彙駆使の魔術師、開高健先生は今もって健在なり!

最後の晩餐

光文社

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