なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

1日の重み

2006年07月29日 | 志織のあしあと
24時間あれば人の運命なんて変わっちゃうってことよね。

σ(・・)SLEになって再燃を何度か繰り返してきたわけだけど。
安定してくると何度も母さんに聞かされる私への訓告

私がダラダラしてるから(^^;
いや。。。あの。。ちょっと休ませてもらえれば。。。。
心配されるのが嫌だから無理に平気な顔を
装ってしまうとこがあるんだけど( ̄=P;)

語るか。。。。( -_-)旦~ フゥ...オチャイル?( ̄ー ̄)_旦~~

母さんの弟(私から叔父さん)は兄ちゃんが生まれた年に
腎臓を悪くして亡くなったそうなんだけど。
沖縄海洋博覧会が始まった頃。
ってことは、ちょうど今から31年前の今頃か??

8人兄弟姉妹で戦後の典型的な沖縄貧乏一家だったという母さん家族。

おばぁ~は叔父さんが「腎臓が悪い」と医者に言われてから
腎臓にイイと聞けば貧しいながらも何でも実践していたそうで。

イロイロ自分で薬草を栽狽オては煎じたり、
食事は塩分を一切使わないとか徹底したり、
断食がいいと聞けば寺に一緒に住み込んだりもしたらしい。

どうやら叔父さんは頭が良かったらしく。
兄弟姉妹の中で唯一大学まで行ったのが叔父さんだけで。
卒業する頃には「○○さん(おばぁ)は医者になれるよ!」って
医者が驚くほど叔父さんは治ってたそうで。

卒業後は建築関係の会社に就職も決まって
海洋博記念公園にあるパビリオンの設計にも携わったとかなんとか。

結婚を前提に付き合っていた彼女もいたらしく、
「カッコよかったよ~」って言うけど、
位牌の名前だけしか知らないし。写真も見たことないんすけど(^^;

ある日、飲み会に行くことになったらしい。
その日のおばぁ~は「絶対に行ったらダメ!」って止めたらしいんだけど
本土から友達も帰ってきているとのことで
叔父さんは止めるのを聞かずに飲み会に行っちゃったらしい。

・・・・で次の日から見る見るうちに悪くなっていったとか。
兄ちゃんが生まれる時、母さんを病院に連れていったのは叔父さんで、
兄ちゃんは叔父さんに抱っこされたそうだけど。

あまりにも具合悪そうな叔父さんを
後に私もとりあげてもらった産婦人科の○○先生が診て、
他の病院へ紹介されてそのまま入院。。。

万博の開催を待たずして亡くなったらしい。

当時、同じように腎臓を悪くしてた叔父さんの同級生は
今もσ(・・)の家の近くの店で透析しながら働いている。

透析治療もまだ今ほど主流じゃなかったのか、高額だったのか。。。
それとも、もう手遅れで重症な尿毒症にでもなってたのかしらね(==)
母さんも何がなんだかわからなかったらしい。

ただ母さんが覚えている叔父さんの最期の言葉は

「お母さんの言うこと聞いておけばよかった」

病院のベットで後悔の涙を流しながら
この世を去ってしまった叔父さんの話。

たった1日の気の緩み。
1日だけ病気のことを忘れたがための後悔。
もう何度も何度も聞かされてきた話。

世間って狭いね~~その産婦人科の先生の息子は
My病院のドクターで一緒に働いてたんですけど(^^;
向こうはこっちの事情なんか全然知らないんだろうけどねぇ。

1日1日を元気に過ごせて、また朝を迎える。
ホントに幸せなことなんだぁね。

時々、夜遅くまで遊びに出てたり、
あんなサークルに入って飛ぶことを覚えたことで
どんなに心配かけているかはじゅうぶん承知(笑)

σ(・・)が遊びに行く時には必ず
「今までの苦しい思いを忘れたらダメよ!」と忠告される。

でも遊びに行って悪化したこと無いと思うんだけどね。
むしろ真面目に学校行ってたり、
一生懸命に働いてた時なわけだしぃ~( ̄3 ̄)

時には「行くな」という忠告を振り切って
出かける私は親不孝モノかもしれないけど、
時には忘れる瞬間がないと頑張れないってもんじゃぁない?(==)

私にとって、ソノ瞬間がLIVEってだけで。
カワイイもんじゃない……w(-。-) ボソッ
どぉ~~せ、どんなに忘れようが、
朝、プレを飲む度にリセットされんだし。

・・・奄美は素晴らしいほど親公認だったしな(笑)
B'zに関して最近はかなり寛大になってきたw
よっぽど私はB'zがからむと元気になるのだろう。。。(ё_ё)キャハ

それはいいとして。。。サーバー重っっ(ーー;