なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

‘いつか’は無い

2008年11月07日 | 志織のあしあと
ちょうど一ヶ月程前だったかな。
外来で見かけて、
「あれ?似てるけど違うかな?」って。

病院で知っている顔に出会うと戸惑うことがある。
病院に通っていることを
知られたくない人もいるはずだし。

考える間もなく思わず声をかけてしまったり。
向こうから気づいてくれたり。
同時に目があってしまったり。

そんな時は
「診察?お大事に~(^^)/~~」程度で。
何で病院にいるのかとか、ドコが悪いのかなんて
一切聞くことはしないけど。

あのときも一方的に見かけただけなので
声をかけるのに躊躇したわけで。

たいていの患者は1ヶ月クールで外来に通うので
今週あたりに来るだろうと予想はしていたから。
先日、予約患者一覧にその名前を見つけて
「あ。やっぱりそうかも。今度は声かけみようかな」
なんて思ったばかりだったのに。

今日の朝、その恩師の名を
新聞の訃報欄で目にしてしまいましたyellow4

σ(・・)は先生の教師生活最後の生徒の一人。
早期退職して「第二の人生として小料理屋を開くから(^^)」と。
オシャレでいつも若々しい先生の第2の人生の出発を
クラスのみんなで祝ったのはσ(・・)が高校生の頃。

「お酒が飲めるようになったら行くから」
交わした約束を守ることは出来ませんでした(ーー)

体育教師だった先生は
運動に制限があった私のことを知っていました。

時には参加したり、時には見学したり。
我がままに授業に参加する私を
「出来そうなことだけやればいい」と、
ただ優しく見守っていてくれました。

先生が退職した年齢と
一月前に診察を待っていた診療科。

今思えばホントにその‘第二の人生’を
歩むために教師という職を退いたのか。
もしかしたら健康上の理由だったんじゃないかと。

「高校の頃はお世話になりました。
 ありがとうございました(^^)」
と。
あの時、声をかけていればよかった。

σ(・・)は小児科時代の元主治医に
元気な姿を見せられたことが嬉しかった。

元気になれた報告をしたいと思っていたけど、
もう会う機会なんてないだろうし。
σ(・・)の方から会いにいかない限りは
言葉を交わすことも無いだろうと思っていたから。

先生がホントにσ(・・)の足の先から頭のてっぺんまで見回して
「よかったね~(^^)」とヒトコト言ってくれたときは
それだけで私の気持ちも伝わったようで軽くなった。

σ(・・)が働けるまで回復できていなかったら。
先生がこの病院に来ることが無かったら。
σ(・・)が同じ場所で働かなかったら。
先生がこの時間のこの検査室に来ることがなかったら。

いろんな偶然が重なって起きたこと。

それは奇跡に近い出来事だったわけで
でもそんなこと何度も起こるわけじゃない。

いつかは会えるとか、いつでも言えるなんて
思ってちゃダメなんだね。