放送大学の試験でした。
科目は「国際ボランティアの世紀」
σ(^_^)ボランティア大嫌い人間です。
ボランティア活動をしたがために
身体の調子を崩して仕事を休んだり。
ボランティア活動と銘打って
家族が何らかの我慢をせざるを得ないなど。
そんなボランティア活動をする人達もいるから。
大学では福祉専攻だったので
夏休みにボランティア活動をするという課題がありました。
もちろん活動しないと単位が貰えなくて。
自らボランティア先を探さなくてはいけなくて。
友達と筋ジスの方が入院している療養病院と児童館に
オファーの電話をしたのですが。
…なんだか迷惑そうだったのを覚えてます(^^;;
そりゃそうよね。
実習で事前準備して来るのとは違って
どこの馬の骨かわからない人達を
事前の打ち合わせなく受け入れるなんてね。
偽善心の押し売りでしなかない。
しかも無理いって調整してもらった日程の時
σ(^_^)あまり体調も良くなくて(ー ー;)
なんでこんな嫌々やらなきゃいけなんだろう。。
と思ったものです。
この強制的ナボランティアに反感を抱いて
卒論では学生のボランティア意識について書いたくらい。
ただ、そんな私も大人になりました(笑)
この「国際ボランティアの世紀」の講義の中で
「ボランティア学習」の構成要素として
①ボランティア活動のための学習
(目的としてのボランティア活動)
②ボランティア活動についての学習
(対象としてのボランティア活動)
③ボランティア活動による学習
(手段としてのボランティア活動)
に大別される。…とありました。
さしずめ大学生の頃の夏休みのボランティアは
「③手段としてのボランティア活動」だったのかなぁと。
ただ、①も②もすっ飛ばしてますけどねw
そうあくまで「学習」だったわけで。
卒論で、学習の場でボランティア活動を強制することに
ああだこうだ反論したのが恥ずかしくなりまして(^^;;
浅い知識で論じた卒論でしたね。
ま…卒論では「学習の場ではあくまで体験でしかない」と
結論をだして提出して卒業できたけど
学生の頃に私が経験した(経験させられた?)のは
あくまで学習であり、学習して
私は「ボランティアは嫌い」と結論を出したわけですね。
ボランティアは自分自身に余裕が無いとできません。
ボランティアを学習してみて私のように
「嫌い」とか「苦手」とか感じたのなら
無理に活動しなくてもイイと思ってます。
募金も同じです。
ただ学生の頃のこのボランティア体験で
筋ジスの方たちとの出会いは衝撃でした。
首から上しか動けなくて。
食事はもちろん、水を飲むことも排泄も入浴も
何もかも人の手を借りなければいけない。
テレビのチャンネルすら変えられない。
それでもみんな明るくて。
恋話をしたり。将来の夢を語ったり。
作曲して音楽活動をしている人もいました。
(「niy-s」というグループです。
私が関わった方は今は活動していません)
「この人たちに比べれば私は恵まれてる方なんだ」
なんて思ってしまったものですから![ase](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase.png)
病気でツライことがあると
時々彼らのことを思い出します。
だから私にとっては
イイ勉強になったと思っています。
Blogで何度か書いたこともあるけど、
ボランティアに関して私が一番ココロに響いた言葉は
アジアチャイルドサメ[トの池間さんの言葉です。
「最も大切なボランティアは
自分自身が一生懸命に生きること」
モンゴルのマンホールチルドレンに関する講演で
池間さんのこの言葉を聞いたとき、
強い感銘を受けて目が覚める思いでした。
ホントそうですよね。
自分の命の重さも忘れちゃいけないです。
なんの因果か知らないけれど
アジアチャイルドサメ[トの事務所の近くに
全く知らずに引っ越してきてしまった私ですが![yellow25](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/yellow25.png)
宝くじでも当たったら
私は迷いなくソコに寄付するでしょうねw
ちなみに試験はというと。
択一式と記述式の試験でした。
記述式の問は「フェアトレードの商品について」
少し値段が高めのフェアトレード商品。
一般ピープルの私はその背景を知っていても
買い物カゴにその商品を入れることはありません。
その辺も論じてしまいました。。。
合格するかしら(^^;
科目は「国際ボランティアの世紀」
σ(^_^)ボランティア大嫌い人間です。
ボランティア活動をしたがために
身体の調子を崩して仕事を休んだり。
ボランティア活動と銘打って
家族が何らかの我慢をせざるを得ないなど。
そんなボランティア活動をする人達もいるから。
大学では福祉専攻だったので
夏休みにボランティア活動をするという課題がありました。
もちろん活動しないと単位が貰えなくて。
自らボランティア先を探さなくてはいけなくて。
友達と筋ジスの方が入院している療養病院と児童館に
オファーの電話をしたのですが。
…なんだか迷惑そうだったのを覚えてます(^^;;
そりゃそうよね。
実習で事前準備して来るのとは違って
どこの馬の骨かわからない人達を
事前の打ち合わせなく受け入れるなんてね。
偽善心の押し売りでしなかない。
しかも無理いって調整してもらった日程の時
σ(^_^)あまり体調も良くなくて(ー ー;)
なんでこんな嫌々やらなきゃいけなんだろう。。
と思ったものです。
この強制的ナボランティアに反感を抱いて
卒論では学生のボランティア意識について書いたくらい。
ただ、そんな私も大人になりました(笑)
この「国際ボランティアの世紀」の講義の中で
「ボランティア学習」の構成要素として
①ボランティア活動のための学習
(目的としてのボランティア活動)
②ボランティア活動についての学習
(対象としてのボランティア活動)
③ボランティア活動による学習
(手段としてのボランティア活動)
に大別される。…とありました。
さしずめ大学生の頃の夏休みのボランティアは
「③手段としてのボランティア活動」だったのかなぁと。
ただ、①も②もすっ飛ばしてますけどねw
そうあくまで「学習」だったわけで。
卒論で、学習の場でボランティア活動を強制することに
ああだこうだ反論したのが恥ずかしくなりまして(^^;;
浅い知識で論じた卒論でしたね。
ま…卒論では「学習の場ではあくまで体験でしかない」と
結論をだして提出して卒業できたけど
学生の頃に私が経験した(経験させられた?)のは
あくまで学習であり、学習して
私は「ボランティアは嫌い」と結論を出したわけですね。
ボランティアは自分自身に余裕が無いとできません。
ボランティアを学習してみて私のように
「嫌い」とか「苦手」とか感じたのなら
無理に活動しなくてもイイと思ってます。
募金も同じです。
ただ学生の頃のこのボランティア体験で
筋ジスの方たちとの出会いは衝撃でした。
首から上しか動けなくて。
食事はもちろん、水を飲むことも排泄も入浴も
何もかも人の手を借りなければいけない。
テレビのチャンネルすら変えられない。
それでもみんな明るくて。
恋話をしたり。将来の夢を語ったり。
作曲して音楽活動をしている人もいました。
(「niy-s」というグループです。
私が関わった方は今は活動していません)
「この人たちに比べれば私は恵まれてる方なんだ」
なんて思ってしまったものですから
![ase](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase.png)
病気でツライことがあると
時々彼らのことを思い出します。
だから私にとっては
イイ勉強になったと思っています。
Blogで何度か書いたこともあるけど、
ボランティアに関して私が一番ココロに響いた言葉は
アジアチャイルドサメ[トの池間さんの言葉です。
「最も大切なボランティアは
自分自身が一生懸命に生きること」
モンゴルのマンホールチルドレンに関する講演で
池間さんのこの言葉を聞いたとき、
強い感銘を受けて目が覚める思いでした。
ホントそうですよね。
自分の命の重さも忘れちゃいけないです。
なんの因果か知らないけれど
アジアチャイルドサメ[トの事務所の近くに
全く知らずに引っ越してきてしまった私ですが
![yellow25](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/yellow25.png)
宝くじでも当たったら
私は迷いなくソコに寄付するでしょうねw
ちなみに試験はというと。
択一式と記述式の試験でした。
記述式の問は「フェアトレードの商品について」
少し値段が高めのフェアトレード商品。
一般ピープルの私はその背景を知っていても
買い物カゴにその商品を入れることはありません。
その辺も論じてしまいました。。。
合格するかしら(^^;