2024年は、とんでもない始まり方でした。
令和6年能登半島地震、あれから1ヶ月が経過しました。
私の住む金沢は、能登に比べれば被害は少ないですが、私の住む地区は、いわゆる液状化地区です。
16時10分、パソコンに向かっている背後からただならぬ揺れと「ゴーゴゴゴーー」という、今思えば地響きのような音に、見舞われました。
家から出てみて近所の様子を見てみると、電柱が傾き、道路に割れ目が、傾いた家、これはヤバイ規模だ。。と直感。
(地区の様子は、プライバシー保護の観点からブログにはアップしません)
津波がうちの前の川に入って来れば、道に水が上がると判断して(いかんせんハザードマップで赤く色がつく地域)
防災用のリュックを持って、いわゆる高い所(金沢市ものづくり会館)に車を移動させました。
我が家の地区の避難所は、粟崎公民館だったのですが、駐車場に車を入れられない可能性があると判断し、別の避難所へ。
まだ避難者はいない中、車だけ置いてそこを離れることなど、人としてできる訳もなく💧
12月に防災士になったばかりとはいえ、しかも元々この地区で育った訳ではないので、地域には防災士の知り合いはおらず、
そんな中で、金沢市ものづくり会館の避難所開設に関わることになりました。
椅子を出したり、毛布を運んだりしているうちに、
「いやちょっと待てよ、断水してたらトイレがやばいことになる」と気づき、そこからはトイレの使用について1人、脳内対策会議です。
悩んだのは、もうすでに使用された形跡があり、トイレットペーパーが便器の中に。
そんな中、災害時の簡易トイレを使ってもらっても、黒い袋が濡れて便器周りが汚れるんじゃないかと考えて、
トイレットペーパーだけをゴミ袋に回収する方法をホワイトボードに書いて周知をすることにした。
王道の簡易トイレを使った方がよかったのかどうか、その判断は良かったかどうかは、今でもわからない。
結局、20時〜21時に、市の給水車が到着して、バケツで便器に水を入れて、紙詰まりも起こさず、
容易に紙を流すことができたことを思えばそれで良かったのかもしれない。
しばらく、私の地区も断水が続き、長く続いたお宅もありましたが、3週間ほどで復旧したとのことでした。
給水車が来て、そしてそれぞれが自宅へと戻っていく間、炊き込みご飯風のアルファ米を、
避難されてきた方と駐車場にて避難されている方全員にお配りして、私も帰り際に1ついただき食べました。
しみじみ、おいしい。。。
地域の防災訓練にも参加しないまま防災士になってしまい、いきなり避難所の開設とか運営に関わることになってしまった私としては
こんな短い時間でもドキドキ・ハラハラな避難でした。
自宅に戻ると、2階のタンスが倒れ、ファンヒーターを直撃していましたが、どちらも損傷はなく、水も出ていました。
翌朝、30センチの高さまでは車庫に水が上がってきており、車庫の掃除と流されたものが近所で発見されてその引き取りなど。
あらためて近所のお宅の被害に驚きながら、しばらくはヘリコプターが飛ぶ音と、救急車のサイレンなどが鳴り止まない中、
血圧の上昇(どうやら平時の10%ぐらいは上昇するらしい)を感じました。
そして、2月3日・4日に控えた精神保健福祉士の国家試験の勉強を再開させなければならず、
心がなかなか整わない日々を送ることになりました。
令和6年能登半島地震、あれから1ヶ月が経過しました。
私の住む金沢は、能登に比べれば被害は少ないですが、私の住む地区は、いわゆる液状化地区です。
16時10分、パソコンに向かっている背後からただならぬ揺れと「ゴーゴゴゴーー」という、今思えば地響きのような音に、見舞われました。
家から出てみて近所の様子を見てみると、電柱が傾き、道路に割れ目が、傾いた家、これはヤバイ規模だ。。と直感。
(地区の様子は、プライバシー保護の観点からブログにはアップしません)
津波がうちの前の川に入って来れば、道に水が上がると判断して(いかんせんハザードマップで赤く色がつく地域)
防災用のリュックを持って、いわゆる高い所(金沢市ものづくり会館)に車を移動させました。
我が家の地区の避難所は、粟崎公民館だったのですが、駐車場に車を入れられない可能性があると判断し、別の避難所へ。
まだ避難者はいない中、車だけ置いてそこを離れることなど、人としてできる訳もなく💧
12月に防災士になったばかりとはいえ、しかも元々この地区で育った訳ではないので、地域には防災士の知り合いはおらず、
そんな中で、金沢市ものづくり会館の避難所開設に関わることになりました。
椅子を出したり、毛布を運んだりしているうちに、
「いやちょっと待てよ、断水してたらトイレがやばいことになる」と気づき、そこからはトイレの使用について1人、脳内対策会議です。
悩んだのは、もうすでに使用された形跡があり、トイレットペーパーが便器の中に。
そんな中、災害時の簡易トイレを使ってもらっても、黒い袋が濡れて便器周りが汚れるんじゃないかと考えて、
トイレットペーパーだけをゴミ袋に回収する方法をホワイトボードに書いて周知をすることにした。
王道の簡易トイレを使った方がよかったのかどうか、その判断は良かったかどうかは、今でもわからない。
結局、20時〜21時に、市の給水車が到着して、バケツで便器に水を入れて、紙詰まりも起こさず、
容易に紙を流すことができたことを思えばそれで良かったのかもしれない。
しばらく、私の地区も断水が続き、長く続いたお宅もありましたが、3週間ほどで復旧したとのことでした。
給水車が来て、そしてそれぞれが自宅へと戻っていく間、炊き込みご飯風のアルファ米を、
避難されてきた方と駐車場にて避難されている方全員にお配りして、私も帰り際に1ついただき食べました。
しみじみ、おいしい。。。
地域の防災訓練にも参加しないまま防災士になってしまい、いきなり避難所の開設とか運営に関わることになってしまった私としては
こんな短い時間でもドキドキ・ハラハラな避難でした。
自宅に戻ると、2階のタンスが倒れ、ファンヒーターを直撃していましたが、どちらも損傷はなく、水も出ていました。
翌朝、30センチの高さまでは車庫に水が上がってきており、車庫の掃除と流されたものが近所で発見されてその引き取りなど。
あらためて近所のお宅の被害に驚きながら、しばらくはヘリコプターが飛ぶ音と、救急車のサイレンなどが鳴り止まない中、
血圧の上昇(どうやら平時の10%ぐらいは上昇するらしい)を感じました。
そして、2月3日・4日に控えた精神保健福祉士の国家試験の勉強を再開させなければならず、
心がなかなか整わない日々を送ることになりました。
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