昨夜は、seiさんと渋谷を後にして、新宿3丁目でhiro1さんと合流して、再び親交のひととき。
3人とも、TAインストラクターという共通点があり、TA言語で「自律」」について話がサクサクと進むのは気持ちよいのでした。
解散してから、12時間も経たないうちに、本日、私はまた新宿3丁目を訪れていました。
映画「禅-ZEN-」を見るために。
原作はコレ↓
それにしても、朝10:30の上映を狙っていったのに、小さい劇場だからか、到着した時は既に立ち見状態。
しょうがないから、13:30の上映まで、歌舞伎町のマックで明日の研修の準備をしながら待ってました。
1時間前に、整理券をもらいに立ち寄ったのですが、その時にはもう既に160番目で、休日のレディースデイだからか(?)すごい混んでました。
場内はダントツ50歳代以上の観客で満たされていまして、大人っぽい雰囲気です。
映画の内容は、激しく感動したってことはないんですが、なんか、泣けました・・・・。
結構、泣いてる人いたっぽいです。
昨年から、自分の中で「禅」がプチ・マイブームになっており、禅の言葉で、楽になったり、自分の調整ができるようになったりもしていたので、目新しさはない分、
映画が静かに進んでいくので、映画を見ながら、自分を振り返ったり、味わったりする時間が結構あったんです。
映画の内容をひとことで言うなら、清廉なひとときをくれる、そんな感じ。
中村勘太郎演じる道元は、暖かく受容に満ち、そして気高く。
内田有紀演じる遊女のおりんが出家するに至るのも、私はかなり共感できたりしました。
藤原竜也演じる、狂気に満ちた役も、進化を続ける若き才能で貫禄十分。
蜷川作品で磨かれてるだけあり、迫力満点でホントはまり役。
僧侶の世界なので、言葉少ないんですが、若き役者の皆さんにも存在感があり清々しい映画でした。
ところどころCGが入るのが、違和感あるんだけど、誰が見てもわかるところが良かったように思えます。
そして、映画の中で何度も描かれる救われることを待ち、施しを受ける無力な民衆。
あーっ、自分にもこんな時期あったっけ・・・・
私自身は、決して自分の中に佛を見出している訳ではないです。
でも、欲にまみれ、囚われを手放そうともせず、本当に大事にしなければならない自分を知ろうともせず、ないがしろにし、何かに執着することで自分を保っていた過去を思い出せば、今は、少しは浄化されたかとも思います。
「あるがまま」を認められず、「こんなはずじゃない」って思っていたあの頃。
その時に、私につきまとっていたの痛みは、
他人と比較して、もっともっとと欲深く、人や組織に求めすぎて生きていた自分や、保身にあがく自分が作り出した邪悪なものに因るもの。
たまに思い出すことはあるものの、そんなことも忘れて、今をあるがままに生きていけたら・・・と控えめに願った2時間でした。
おすすめします。
あなたと私の勇気と希望のために。
↓
3人とも、TAインストラクターという共通点があり、TA言語で「自律」」について話がサクサクと進むのは気持ちよいのでした。
解散してから、12時間も経たないうちに、本日、私はまた新宿3丁目を訪れていました。
映画「禅-ZEN-」を見るために。
原作はコレ↓
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それにしても、朝10:30の上映を狙っていったのに、小さい劇場だからか、到着した時は既に立ち見状態。
しょうがないから、13:30の上映まで、歌舞伎町のマックで明日の研修の準備をしながら待ってました。
1時間前に、整理券をもらいに立ち寄ったのですが、その時にはもう既に160番目で、休日のレディースデイだからか(?)すごい混んでました。
場内はダントツ50歳代以上の観客で満たされていまして、大人っぽい雰囲気です。
映画の内容は、激しく感動したってことはないんですが、なんか、泣けました・・・・。
結構、泣いてる人いたっぽいです。
昨年から、自分の中で「禅」がプチ・マイブームになっており、禅の言葉で、楽になったり、自分の調整ができるようになったりもしていたので、目新しさはない分、
映画が静かに進んでいくので、映画を見ながら、自分を振り返ったり、味わったりする時間が結構あったんです。
映画の内容をひとことで言うなら、清廉なひとときをくれる、そんな感じ。
中村勘太郎演じる道元は、暖かく受容に満ち、そして気高く。
内田有紀演じる遊女のおりんが出家するに至るのも、私はかなり共感できたりしました。
藤原竜也演じる、狂気に満ちた役も、進化を続ける若き才能で貫禄十分。
蜷川作品で磨かれてるだけあり、迫力満点でホントはまり役。
僧侶の世界なので、言葉少ないんですが、若き役者の皆さんにも存在感があり清々しい映画でした。
ところどころCGが入るのが、違和感あるんだけど、誰が見てもわかるところが良かったように思えます。
そして、映画の中で何度も描かれる救われることを待ち、施しを受ける無力な民衆。
あーっ、自分にもこんな時期あったっけ・・・・
私自身は、決して自分の中に佛を見出している訳ではないです。
でも、欲にまみれ、囚われを手放そうともせず、本当に大事にしなければならない自分を知ろうともせず、ないがしろにし、何かに執着することで自分を保っていた過去を思い出せば、今は、少しは浄化されたかとも思います。
「あるがまま」を認められず、「こんなはずじゃない」って思っていたあの頃。
その時に、私につきまとっていたの痛みは、
他人と比較して、もっともっとと欲深く、人や組織に求めすぎて生きていた自分や、保身にあがく自分が作り出した邪悪なものに因るもの。
たまに思い出すことはあるものの、そんなことも忘れて、今をあるがままに生きていけたら・・・と控えめに願った2時間でした。
おすすめします。
あなたと私の勇気と希望のために。
↓
その際、修行僧の方に御話を聞いたそうですが、
禅の修業は想像以上に厳しいようです。
「あきらめる」、「手放す」、「あるがまま」
という境地、
高校時代の「倫理」の授業の時は何だかわからなかったですけど、
今は、ほんの少し理解できる気がします。
大学時代の教官は、クリスチャンでした。
卒業時、聖書を頂いた記憶があります。
その先生は、「愛」とか、「祈り」とか、
そういうものの、「実用性」も説いていましたが、
単に、口から出ている言葉では無くて、
体から出ている感じがして、
ある種の説得力がありましたね。
そういう境地に達していたのかもしれませんね。
どうも、昨週末はありがとうございました。
有意義な時間になりました!
成仏する・・・、確かに私はxc909119さんと話す時に「あっ、あれはすでに成仏しました」とかって口にしていますよね(笑)
無意識でしたが、自分の感覚を文字にしてみるならば
「ネガティブな感情が整理され無痛になること。そして自分で選んだ明るい方向に歩き出していること」
そんな感じですかね・・・・
万事、感覚的に生きているので、xc909119さんに言われるまで曖昧なままでしたが、そんな気がします。
元来、宗教や哲学のようなじっくりしたものに向き合うのが苦手なので、エッセンスのみの理解で止まっています。
走りながら、出会った先人の叡智から施しを受けているような私です。
コメントありがとうございます。
私自身は全然境地に達しようとか思ってないんですけど(笑)
自分を助けたいと思った時に、自分の中に光を見出せるかは自分次第だと思っています。現状は、「実用」を目的に、宗教や哲学を学ぶのは、多くの関係性の中で生きていく上では必要なのかなって思っています。
私は、悟りを得ようとかより、自分と対話をしながら人との間で気づき続けることや実践・行動できればと思います。
自分の動機がそうあらしめるのですが、現状上手くいっているので、この考え方で機能不全に
なったら、その時また見直したいと思います。
単純なので、上手くいっていることは変えなくていいと思っているので。