昨日のブログ記事に、共鳴してくださった同志のxc909119さんが、下記の曲をご紹介してくださいました。
そう言えば、どこかで話題になっていたのを聴いたことあったかも。
Youtubeの動画が続きます。
手紙 親愛なる子供たちへ - 樋口了一 -
感じ方はそれぞれだと思います。
個人的には、親になることがないかもしれないのですが、親が与えてくれたものをひとつひとつ思い出しては、やっぱりうるっときますね。
こうして皆さんと泣ける時間を共にできているのも何かのご縁です。
エリクソンは老年期を様々な喪失の時期と言っています
老年期は、心身の健康、経済的基盤、社会的役割、生きがい、子どもの独立、友人・配偶者との別れ、そして死など。
そんな折、母から何やら気になるメールが届いており、若干の物憂さを感じつつも、しっかり反応することにしました。
たまにお願いいたします。
↓
そう言えば、どこかで話題になっていたのを聴いたことあったかも。
Youtubeの動画が続きます。
手紙 親愛なる子供たちへ - 樋口了一 -
感じ方はそれぞれだと思います。
個人的には、親になることがないかもしれないのですが、親が与えてくれたものをひとつひとつ思い出しては、やっぱりうるっときますね。
こうして皆さんと泣ける時間を共にできているのも何かのご縁です。
エリクソンは老年期を様々な喪失の時期と言っています
老年期は、心身の健康、経済的基盤、社会的役割、生きがい、子どもの独立、友人・配偶者との別れ、そして死など。
そんな折、母から何やら気になるメールが届いており、若干の物憂さを感じつつも、しっかり反応することにしました。
たまにお願いいたします。
↓
曲のご紹介ありがとうございました。
悲しい事件の大半が、苦しいと言えず、または助けを求めても行政のサービスではカバーできないサービス体制のもろさがあると思います。
昔に比べてお隣さんの顔が見えない今、核家族化が進んだ今、つながり不足って深刻ですよね。
でも、助け合いが必要なことに気づき始めていることも事実。
捨てたもんじゃないと思える社会の一員でいたいと思います。
唄にするとなんとなくロマンチックにも感じることはできますが、やはり現実は厳しいものがあるのだと思います。
看病疲れの果ての、自殺や心中そして殺人事件など現実には悲しい話題があとを絶ちません。
でも、このような現象は昔からこんな日常茶飯事のごとくあったのでしょうか?
介護にせよ、その他にせよ、今は余りにも個人に背負わされているようでなりません。
人と人との繋がりが余りにも希薄になり、自分のことで精一杯になっている現代!
それ故、この曲を聴くと何となく現代人が忘れている心の琴線触れる気がします。
人を思いやる気持ちが心の片隅にあれば、悲惨な事件の一歩手前で立ち止まれるようにも思いうのですが・・・。
どうもです。
介護を1人で背負いすぎて結局押しつぶされてしまわないかみたいな懸念があると、動画にはコメントされていました。
自分の親がそうなった時には、やはり負担を感じながら介護に関わろうかと思います。
その時に歌詞の中にあるような「励ましてほしい」と言う思いがあるのかないのか、あったとして、汲み取れるか汲み取れないか。
訊けば始まるのか?
訊けば応えてくれるのか?
深いテーマであり、現状の私には謎ばかり。
介護という機能に、どんなつながりと意味を見いだして臨むかおぼろげに考えるこの頃です。
反対に歳を重ね、人生の最終章が近づいてきている老年期、訪問先の高齢者の切ない心持ちに圧倒されることがあります。
「年寄りが長生きし過ぎだ」とよく聞きます。
一面本当だなあとも思いますが、人生の始まりも終わりも大切にされたいのが私たち人、ですよね。
完璧な親も完璧な介護もあり得ないんですけれど、その行為だけでなく、そこにこめる心を大切にしていきたいものです。
奥の深いテーマですね・・・