最近、この言葉が気になる。
「表面上は従うように装うが、内心は反抗すること。」という意味。
表面上は従っているように見えても、承認している訳ではないので、そのコメントは全く具体性を欠き、考えに深みはない。
その代わりに、批判は詳細すぎるほど具体的であり、自分は何ら変容の必要性を感じていないかのように、状況を好転させることを他者に委ねている。
どちらかに非があるわけではなく、両者の間のコミュニケーションに問題がある。
対立する両者のうち、どちらかを変えようとするのではなく、両者が変わる第3の道を歩むことが、激流の中を生き抜くために組織において不可欠だと思う。
こんな時代に、個人の変容が大きく求められていることに気づいているかいないかは大きな問題だと思う。
誰が見ても変わる必要がある時に、変わるか変わらないかを選択するのも本人。
人は日々、少しづつ変わるでしょ。
細胞レベルで、間違いなく変化しているし。
川の流れに合わせて、流されるのは案外悪くない。
むしろ、流されないように、一箇所にしがみついているからしんどいのではないか?
流されることに怯えているんだったら、いっそのこと流されてしまうのも悪くない。
最近、仕事の中でそんなことを考えるのでした。
そろそろ救済が必要か?
↓
「表面上は従うように装うが、内心は反抗すること。」という意味。
表面上は従っているように見えても、承認している訳ではないので、そのコメントは全く具体性を欠き、考えに深みはない。
その代わりに、批判は詳細すぎるほど具体的であり、自分は何ら変容の必要性を感じていないかのように、状況を好転させることを他者に委ねている。
どちらかに非があるわけではなく、両者の間のコミュニケーションに問題がある。
対立する両者のうち、どちらかを変えようとするのではなく、両者が変わる第3の道を歩むことが、激流の中を生き抜くために組織において不可欠だと思う。
こんな時代に、個人の変容が大きく求められていることに気づいているかいないかは大きな問題だと思う。
誰が見ても変わる必要がある時に、変わるか変わらないかを選択するのも本人。
人は日々、少しづつ変わるでしょ。
細胞レベルで、間違いなく変化しているし。
川の流れに合わせて、流されるのは案外悪くない。
むしろ、流されないように、一箇所にしがみついているからしんどいのではないか?
流されることに怯えているんだったら、いっそのこと流されてしまうのも悪くない。
最近、仕事の中でそんなことを考えるのでした。
そろそろ救済が必要か?
↓
現在進行形で面従腹背の自分に苦笑してます。
ねじれきった組織の中の硬直感というのは
どやったら抜けるんでしょうね~
もうその組織の変化など期待せず
私自身がそこを抜ける日を指折り数えてしまうのですが
それまで面従腹背で行こうと決めてしまった
私って卑怯なのかしらとちょいと後ろめたく思っております。
私も、独立する前の会社でそうだったですよね。それで、組織から独立するって「自分を置く環境の変化」を選んだってのが実際です。
問題なのは、そこに居続ける場合だと思うんです。自分のお客様から、感動したことがあります。「自分が変われば、相手が変わる」このことを実際に信じて、チームで努力したことで、本当に周囲を変えてしまったこと。
会社を変えるには、一人では難しいけど、チームが変わると、地殻変動が起こる可能性大。
ホントは皆、今のままじゃ嫌なんだと思うから。
本当です。
ホントに皆、今のままじゃ嫌な訳なのですよ。
「そこに居続ける場合」には
そこでチームごと地殻変動を起こし・・・て行くのか
機能しない部分へのため息で健康を害していくか
そのどちらかしか無いような気がします。
そっか。
残る人たちには残る人たちの課題があり
去ることを決めた人にはその人の・・・別の課題があるんですよね。
私はやっぱり
縁あって共に一時期を働かせていただいたこの職場の祝福を心から祈って合掌・・・だな
私、実はその気持ちわかるんですよ。
私自身が、残るか去るかの選択を過去に2回繰り返した時に似たようなことをやっぱり感じたんですもん。
私の持論は、組織の中では、特定の誰かに原因があるのではなく、その人と他の人とのコミュニケーションに問題があるということ。
耐えられない上司や環境があって潔く辞めたこともあったのですが、自分のコミュニケーションの癖って、残念なことに辞めても付き纏うんですよね。
私には、野蛮なコントローラーと、ラテン系が細かいところに囚われて絡んでくる時に、めんどくさくて立ち向かえないということが多くあります。
でも、これって転職した会社にもまた同じような上司がいたり、同僚がいるんですよ。
その時に、根本的に、相手に合わせて自分のコミュニケーションのスタイルを変える他、そこに居続けるのは困難と痛感しました。
そんな時に、もともと独立の意志があった私は、能力に不安を抱えたまま、退職。
何度も問い直しました。
この組織の環境が嫌だから辞めるのか、本当に自分のやりたい仕事で、全て自己責任で生きていくことを選ぶから辞めるのか。
後者であることを見出すのに実は少し時間がかかりました。理由は複数ありました。
今は、苦手な相手に「パシッ」と多少は言い返せるようになっているように思います。
そうじゃないと自分を守れないし、自分がカワイソウだから。
それが決して自己中心的でないことかとも考えるのですが、そうやって「迷惑がられるかどうかも行動を起こしてから確かめりゃいいか・・・」みたいな感じです。
上手く行かない中に、いろんな学びがありますね。
渦中にいる時は、「学び」どころじゃないってのが本音ですけど。
状況が好転することを願っています。
なんとただ今8年ぶりのおめでたなんですよ。まだあんまり人に言っていないのだけど。
それで8月までとさせてもらったのですが、
自分の中では当初、体さえ続けば2013年まで働ければ良いなあと考えていた職場
とっとと大義名分見っけて去れるっていうのが
とても気が楽になってしまっていて
そんな自分に、ずいぶんだなあ・・・と苦笑いしているのです。
この職場に長い人もいます。
その人は自分で程よい距離を仕事に対してばちっと持っていて
熱くなりすぎることもなく淡々とでも確実に
仕事をしているなあと思います。
それで見ていると、まだ短い人が
こうしたらどうかとか熱意があって、
その熱意が上や周りと空回りして苦しそう・・・。
熱意を静かに持ちつつ
状況に振り回されすぎることなくかつ自分を保っていられる
そんな人が長続きするみたいですね。
なかなかしちめんどくさいなあと思うことも多々あるのですが
それでも。
こういう多種多様な人がひとつの組織に属して
揉まれあって刺激されあって行けるというのは
やはり面白いところだとも思います。
私は既に「渦中」から一抜けたという気分でおるのですが
今後の状況の変化を見れなくなるのは残念だなと思っています。
産休明けにもう戻るということは無いだろうなあ・・・(^^;
はるさんのおっしゃる様に
自分のパターンというものはどこに行っても付き物ですよね。
さてさて私の不器用なパターンと
今後どんなお付き合いが待っているのか
生活の変化と共にちょっぴり想像を絶する世界でございます。
mixiの日記では、どっちなんだろうと思いつつ静観していた私でございます。
次に、お会いした時に改めてお祝いを。
理由は違えど、次のことが明確であるほど、退職決めた後、2ヶ月間の仕事って気持ちとしてはスッキリしていて、仕事も生産的だったように思います。
まきねえは、しばらくお仕事お休みなんですから、今の職場のまどろっこしさも含めて、冷静に味わって8月を迎えても全然卑怯じゃない。
自分の不器用パターンなんて、誰でもあるし、どうやって人間関係の機微を知ることが、難しくもあり楽しいことのように思います。
そうやって成長していくことが想像される私でございます。
大事に、そして大事にもしてもらってください。