ゴールデンウィークの幕開け。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
私は、もろもろの計画に従って1つづつ毎日を「楽しみ切る」予定です。
昨日は、『値決め食堂』⇒詳しくはコチラとコチラへ!
誘ってくださったのは、野菜ジャーナリストの篠原久仁子。さん。
毎回、毎回、私の知らない野菜の世界をディープに教えてくれる仲間です。
そして今回のシェフは料理家のたかはしよしこさん。
テーマは「芽吹く季節のオージャスごはん」
メニューは、東北・茨城の食材で
一品、一品が愛おしくあり、シェフのよしこさんの魂が物語とともに伝わってきます。
どれも、しみじみおいしかったのですが、一夜明けても忘れらぬ
ふきのとうやタラの芽の滋味
会津の馬肉のまろやかさ
岩手からきた脂の乗ったキンキン(キンメ)
到着したての元気爆発のコゴミ(←個人的にはコレに感動!)
凛としたイチゴ
こんな素敵な食材が、風評被害によって被災地に埋没してしまうのはモッタイナイ!
しかし、値決めは難しかった。。。
本来の値決め食堂はもう少しガチンコな値決めになるようなのですが、厳密にお金に換算できない、よしこさんと食材に感謝と希望を込めての値決めとなりました。
さて、
オージャスというのは、アーユルベーダ用語で生命のエネルギーのこと。
これは正しい食事で高められ、その結果、自分自身が元気でイキイキした感じになり行動にも活力がみなぎる感じになるってことらしいです。
お客様は、イベントの主旨に共感し、自分の意思で、集まってこられました。
このひと時に、この大地の恵みを受け、その恵みを最大限に引き出す料理人から「オージャス」を受け取ることができる偶然。
店内は、お客さんの笑顔に溢れ、オージャス度がすこぶる高くなっているのがわかります。
食べることへの価値観はそれぞれ違いはあるかと思うのですが、私たちは、自分の活力につながる食が、ただ単に空腹を満たすだけのものでないことがわかっているように思います。
誰がどんな思いで育て、どんなルートで調達され、誰が、どのように、どんな思いで創ったのか。
そして誰と食べたのか。
忘れられない「おいしかったーーー」という感動体験には、何かしらストーリーがあったかと思うのです。
安全宣言が出ている中で、福島県産だから、茨城県産だからなどといった認知のゆがみで、生産と調達が分断されることで、私たちはそういう経験の一部を手放すことになるとも考えられます。
しかし、こうして食材を人と人のつながりで埋没させることなく生かし切る人がいて、恩恵を受けることができる。
ホントのところ、野菜や人体への放射能汚染の有無について安全宣言については、私は懐疑的なんです。
いつまでも終息しない原発のことを考えれば、私自身も震災直後よりも今の方が目に見えない放射能についての恐怖はかすかに高まってきているように思うのです。
しかしながら、そんな中でも、
遠く離れた被災地と、共に生き、経済を動かして行く。
どうせ売れないと産地や市場で埋没していく野菜たち。
なのに、被災地応援フェアで完売する野菜たち。
・皆んな応援したくて購入している訳だよね?
・でも、いつまでもイベント用にそれなりの価格で卸す農家さんでいいはずないよね?
・そしてその応援プライスは持続可能なのでしょうか?
・被災地の方は、安全と宣言された地元の野菜を食べているのですよね?
・被災地の消費者と被災地以外の消費者の違いは何なのか?
・消費者は本当に買ってくれないのでしょうか?
・消費者こそが産地から信頼を失っているのではないのでしょうか?
自分の中に、様々な問いが溢れてきます。
「被災地のために、私たちに何ができるか」
被災県でありながらも大きなダメージを受けていない農家さん達が「以前のように本来の仕事を当たり前のようにできるようにする」のも間違いない支援です。
先日ラジオで、物資が一通り行き届き始めた避難場所の一部からは「私たちはモノもらいじゃない、自分でできることは自分でやりたいんだ」という声があるということを聴き、その活力に頭が下がりました。
「そんな気になれない」とか言う理由で、我々がボヤボヤしている場合ではない時期がきています。
よしこさんの魂のお料理で、私もいっそうのオージャスを高めることができました。
つないでくれた、野菜ジャーナリストの篠原久仁子。さん、いつもありがとう。
まだまだ若い2人の仕事からますます元気になった1日でした。
よろしければ
↓
私は、もろもろの計画に従って1つづつ毎日を「楽しみ切る」予定です。
昨日は、『値決め食堂』⇒詳しくはコチラとコチラへ!
誘ってくださったのは、野菜ジャーナリストの篠原久仁子。さん。
毎回、毎回、私の知らない野菜の世界をディープに教えてくれる仲間です。
そして今回のシェフは料理家のたかはしよしこさん。
テーマは「芽吹く季節のオージャスごはん」
メニューは、東北・茨城の食材で
一品、一品が愛おしくあり、シェフのよしこさんの魂が物語とともに伝わってきます。
どれも、しみじみおいしかったのですが、一夜明けても忘れらぬ
ふきのとうやタラの芽の滋味
会津の馬肉のまろやかさ
岩手からきた脂の乗ったキンキン(キンメ)
到着したての元気爆発のコゴミ(←個人的にはコレに感動!)
凛としたイチゴ
こんな素敵な食材が、風評被害によって被災地に埋没してしまうのはモッタイナイ!
しかし、値決めは難しかった。。。
本来の値決め食堂はもう少しガチンコな値決めになるようなのですが、厳密にお金に換算できない、よしこさんと食材に感謝と希望を込めての値決めとなりました。
さて、
オージャスというのは、アーユルベーダ用語で生命のエネルギーのこと。
これは正しい食事で高められ、その結果、自分自身が元気でイキイキした感じになり行動にも活力がみなぎる感じになるってことらしいです。
お客様は、イベントの主旨に共感し、自分の意思で、集まってこられました。
このひと時に、この大地の恵みを受け、その恵みを最大限に引き出す料理人から「オージャス」を受け取ることができる偶然。
店内は、お客さんの笑顔に溢れ、オージャス度がすこぶる高くなっているのがわかります。
食べることへの価値観はそれぞれ違いはあるかと思うのですが、私たちは、自分の活力につながる食が、ただ単に空腹を満たすだけのものでないことがわかっているように思います。
誰がどんな思いで育て、どんなルートで調達され、誰が、どのように、どんな思いで創ったのか。
そして誰と食べたのか。
忘れられない「おいしかったーーー」という感動体験には、何かしらストーリーがあったかと思うのです。
安全宣言が出ている中で、福島県産だから、茨城県産だからなどといった認知のゆがみで、生産と調達が分断されることで、私たちはそういう経験の一部を手放すことになるとも考えられます。
しかし、こうして食材を人と人のつながりで埋没させることなく生かし切る人がいて、恩恵を受けることができる。
ホントのところ、野菜や人体への放射能汚染の有無について安全宣言については、私は懐疑的なんです。
いつまでも終息しない原発のことを考えれば、私自身も震災直後よりも今の方が目に見えない放射能についての恐怖はかすかに高まってきているように思うのです。
しかしながら、そんな中でも、
遠く離れた被災地と、共に生き、経済を動かして行く。
どうせ売れないと産地や市場で埋没していく野菜たち。
なのに、被災地応援フェアで完売する野菜たち。
・皆んな応援したくて購入している訳だよね?
・でも、いつまでもイベント用にそれなりの価格で卸す農家さんでいいはずないよね?
・そしてその応援プライスは持続可能なのでしょうか?
・被災地の方は、安全と宣言された地元の野菜を食べているのですよね?
・被災地の消費者と被災地以外の消費者の違いは何なのか?
・消費者は本当に買ってくれないのでしょうか?
・消費者こそが産地から信頼を失っているのではないのでしょうか?
自分の中に、様々な問いが溢れてきます。
「被災地のために、私たちに何ができるか」
被災県でありながらも大きなダメージを受けていない農家さん達が「以前のように本来の仕事を当たり前のようにできるようにする」のも間違いない支援です。
先日ラジオで、物資が一通り行き届き始めた避難場所の一部からは「私たちはモノもらいじゃない、自分でできることは自分でやりたいんだ」という声があるということを聴き、その活力に頭が下がりました。
「そんな気になれない」とか言う理由で、我々がボヤボヤしている場合ではない時期がきています。
よしこさんの魂のお料理で、私もいっそうのオージャスを高めることができました。
つないでくれた、野菜ジャーナリストの篠原久仁子。さん、いつもありがとう。
まだまだ若い2人の仕事からますます元気になった1日でした。
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