他人の持つ「恐れ」という感情には、「それは、実際には起こるかどうか不確かなことなんだし、怖がって、やらないという選択にかける時間やじっとしている時間がもったいない」と感じてしまう。
恐れというのは、過去に起きた失敗や辛い出来事が再度起こることが嫌だと思う時に得てして沸いて来るのだと思う。
もちろん、私にも「もし~だったらどうしよう・・・・」という類の不安は人並みにあります。でもその感情をあまり味わうこともなく、すぐに忘却の彼方に消えるのか、それとも見てみぬふりなのか??何かそんな感じです。
そんな私でも、背後から来る原付バイクにひったくりにあった過去の恐ろしい経験から、防犯には気をつけるようになり、肌がぼろぼろになるまで働き倦怠感が充満し、何をやっても辛かった経験から、体を休めるようになったりもし、恐れという感情があるおかげで、ベストなコンディションに自分を置くこともできているようなんですが。。。
少し話はそれますが、
「こんな風に言ったら、変だと思われるんじゃないか?」
「こんなこと言ったら、気分悪くされるんじゃないか?・気まずい雰囲気になるんじゃないか?」
なんて「恐れ」や「不安」が脳裏をよぎり、本来あるべきコミュニケーションが阻害されている場合ってありません?
特に苦手な人や、どこか後ろめたさや引け目を感じる人との接点においては・・・
相手の反応で自分の自尊感情が傷つくことを恐れたり、気まずい雰囲気に耐えられない自分がかわいそうだったり(苦笑)
接点を持とうという勇気が必要な場合は、ほんの少しそれを振り絞り、それから、耐え難い状況を迎えなくても済むように、「伝え方」や「話し方」を工夫を施したり、「受け止め方」を変えていく。
そんなことで、人と人とのコミュニケーションはもう少し面白くなると思うのです。
気まずい雰囲気になるかはその時になってみないとわかりません。恐れという感情は、あくまで推測に基づくものでしかないですし、それが原因でいろんな機会を損ねるのはもったいないことですから。
他人を見てそんな風に思うことを、自分に置き換えてみると、意外と自分が可愛くて傷つくのが嫌で、温存している意思があることに気づきます。
そういったものをアウトプットしないことが、空想に耽らせる時間を増やしたり、真実の世界でのコミュニケーションを阻むのであれば、もっと現実の中で親密になることにエネルギーを割いた方が良いのではないかと思ったりします。
人を見ていて思ったことを、何だか自分に言い聞かせているような今日はそんな夜です。
私だけなんでしょうか?こんな風に感じるのって。
何か感じることがあったらぽちっとお願いします。
↓
恐れというのは、過去に起きた失敗や辛い出来事が再度起こることが嫌だと思う時に得てして沸いて来るのだと思う。
もちろん、私にも「もし~だったらどうしよう・・・・」という類の不安は人並みにあります。でもその感情をあまり味わうこともなく、すぐに忘却の彼方に消えるのか、それとも見てみぬふりなのか??何かそんな感じです。
そんな私でも、背後から来る原付バイクにひったくりにあった過去の恐ろしい経験から、防犯には気をつけるようになり、肌がぼろぼろになるまで働き倦怠感が充満し、何をやっても辛かった経験から、体を休めるようになったりもし、恐れという感情があるおかげで、ベストなコンディションに自分を置くこともできているようなんですが。。。
少し話はそれますが、
「こんな風に言ったら、変だと思われるんじゃないか?」
「こんなこと言ったら、気分悪くされるんじゃないか?・気まずい雰囲気になるんじゃないか?」
なんて「恐れ」や「不安」が脳裏をよぎり、本来あるべきコミュニケーションが阻害されている場合ってありません?
特に苦手な人や、どこか後ろめたさや引け目を感じる人との接点においては・・・
相手の反応で自分の自尊感情が傷つくことを恐れたり、気まずい雰囲気に耐えられない自分がかわいそうだったり(苦笑)
接点を持とうという勇気が必要な場合は、ほんの少しそれを振り絞り、それから、耐え難い状況を迎えなくても済むように、「伝え方」や「話し方」を工夫を施したり、「受け止め方」を変えていく。
そんなことで、人と人とのコミュニケーションはもう少し面白くなると思うのです。
気まずい雰囲気になるかはその時になってみないとわかりません。恐れという感情は、あくまで推測に基づくものでしかないですし、それが原因でいろんな機会を損ねるのはもったいないことですから。
他人を見てそんな風に思うことを、自分に置き換えてみると、意外と自分が可愛くて傷つくのが嫌で、温存している意思があることに気づきます。
そういったものをアウトプットしないことが、空想に耽らせる時間を増やしたり、真実の世界でのコミュニケーションを阻むのであれば、もっと現実の中で親密になることにエネルギーを割いた方が良いのではないかと思ったりします。
人を見ていて思ったことを、何だか自分に言い聞かせているような今日はそんな夜です。
私だけなんでしょうか?こんな風に感じるのって。
何か感じることがあったらぽちっとお願いします。
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こうして、調子が悪そうな時にリアルタイムでフォローしてくださりありがとうございます。
もったいない恐れ多い言葉が並び、受け入れていいのかどうか迷う数日でした。
しかし、「バランス感覚」は自分の中でも大切に考えることであり、それを認められることは大きな自信につながります。
こうしてhiro1さんをはじめ「あなたはOK」だと言ってくれる人が「私はOKでない」というお決まりのポジションに向かおうとする「迷える牛」を助けてくれるのです。
心を沈め、新しい自分へと変わっていくそんな力を養い、また立ち上がりつつあります。
あなたは私にとってもOKです!
交流分析を学んで以来、お互いに地殻変動が続きますが、hiro1さんも肩の力を抜いてください。
お互いが、それぞれの立場で「親密・親交」の時間を持つことができますように!
よーし、また頑張るかっ。
あなたは相手に働きかける力を持っている。
相手の気持ちを感じ取る感性を持っている。
相手を含めた状況を変えていくエネルギーを持っている。
時としてそれは、相手にとっては脅威になるかもしれない。
相手はあなたのエネルギーを恐れ、反発し、あなたに対抗しようと必死になる。
あなたの能力ゆえにです。
しかし、距離を縮めることが出来るのは、やはりあなたの方からですね。
バランス感覚の持ち主の方からしか、この仕事はできません。
より大きな負荷がかかる方は、もちろんあなたの方ですね。
(人生脚本の全く違う人との距離を埋める作業は、なみたいていではありませんね。)
疲れたら、いちばんこころ休まる処で、休んで下さい。
ゆっくり休んで、またスタートしましょ!