ちょうど2週間ぶりの研修のお仕事でした。
8月は、お仕事が少ない時期なのでこういうこともありなんです。
お盆は5泊6日で帰省して、体を休めていました。
7月に調子を崩していたというのも、講師として独立して3年目となり、どうやら私の仕事は、4月から7月までが1つの繁忙期と言えるためます。
7月は、息切れしていたと言うのが適切な表現のようです。
4月は新人研修で連日登壇に始まり、月10本以上の研修が続いていたことに加えて、7月は、中長距離の移動が多く、
今振り返れば、体が弱っている中で、公私ともにどうしても納得がいかないことに囚われていたことが不調の原因です。
が、
その頃の自分とは決別し、めでたく成仏していただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
セミサンノヨウニダッピシタツモリ・・・
今日以降は、それなりのスケジュールで、このまま、また秋の繁忙期に突入していきます。
私は、もともと接遇講師としてのトレーニングを受けて、いわゆる模範的(?)な講師スタイルを叩きこまれています。
しかし、今は、基本はもちろん踏まえつつも、模範的であることから自由になり、「受講者の方が熱中できる研修」を何よりも理想と考えています。
デキテイルカハヌキニシテネ
参加動機が主体的であってもなくても、可能な限りの関心を引き出し、受講者の方自身が貪欲にインプットし、貪欲にアウトプットしようとする環境や雰囲気作りを作ること、
これは自分自身が健康体で、感覚的に冴えていて、受講者の方々に集中していなければできないし、
一時的な昂揚感で自他をあおることなどあっていいはずなどない。
研修の効果は、受講する前と後の行動の変化があること。
無論、その変化が長く続き、習慣化すれば最高ですが、そうでなくても、いつも自分の行動を振り返る基準を持ち続けてさえいれば、行動の修正力のカギになっていくと考えています。
若手の皆さんには、常に期待しています。
吸収力があり、柔軟で、素直な人ほど、気づきが多く、表情や頭上に閃きが見える。
無責任な期待ではなく、本当に期待しています。
40を過ぎ、公私ともにやりきれない経験を繰り返し、失望、諦め、妥協、惰性で過ごした時期もあったけれど、いつもどこかで諦めきれない自分もいます。
現実として受け入れることは必要だけれど、それは諦めや妥協、惰性で過ごすこととは意味が違う。
だから諦めきれない人を応援したくなる。
執着すると苦しいけど、諦めないでいるからこその成長ってあるし、私自身、何歳になっても成長している実感を持っていたいと真剣に思っています。
自分の成長に期待できなくなったら、その時は、今の仕事は止めようと思っています。
自分には人財育成に関わってはいけないと言い聞かせても、決して言い過ぎではないかと。
何を持って成長とするかは、その時の自分の感じ方に任せればいいように感じています。
それに、成長したかどうかなんて、実際は自分ではいかようにでも評価はできますしね。
書きながら、成長に囚われすぎるのもなんかちょっと違う感じもしてきた(苦笑)
ただ、変化する時の中で、どこかで誰かの役に立ちながら成長実感を得たい自分にとっては、自分自身が柔軟に変化していく必要があり、場合によっては自分自身、流されながら気づかない可能性もある。
今に集中していれば、そんなこともあってしかり。
さあ、またシーズンが近づいてきます。
今に集中できる自分を作り、可能な限り、受講者の皆さんのお役に立って行きます。
充実した今日1日に感謝(合掌)
プチっとお願いします。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e6/abb857b17d94466e0bb06837c0c1f439.png)
8月は、お仕事が少ない時期なのでこういうこともありなんです。
お盆は5泊6日で帰省して、体を休めていました。
7月に調子を崩していたというのも、講師として独立して3年目となり、どうやら私の仕事は、4月から7月までが1つの繁忙期と言えるためます。
7月は、息切れしていたと言うのが適切な表現のようです。
4月は新人研修で連日登壇に始まり、月10本以上の研修が続いていたことに加えて、7月は、中長距離の移動が多く、
今振り返れば、体が弱っている中で、公私ともにどうしても納得がいかないことに囚われていたことが不調の原因です。
が、
その頃の自分とは決別し、めでたく成仏していただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
セミサンノヨウニダッピシタツモリ・・・
今日以降は、それなりのスケジュールで、このまま、また秋の繁忙期に突入していきます。
私は、もともと接遇講師としてのトレーニングを受けて、いわゆる模範的(?)な講師スタイルを叩きこまれています。
しかし、今は、基本はもちろん踏まえつつも、模範的であることから自由になり、「受講者の方が熱中できる研修」を何よりも理想と考えています。
デキテイルカハヌキニシテネ
参加動機が主体的であってもなくても、可能な限りの関心を引き出し、受講者の方自身が貪欲にインプットし、貪欲にアウトプットしようとする環境や雰囲気作りを作ること、
これは自分自身が健康体で、感覚的に冴えていて、受講者の方々に集中していなければできないし、
一時的な昂揚感で自他をあおることなどあっていいはずなどない。
研修の効果は、受講する前と後の行動の変化があること。
無論、その変化が長く続き、習慣化すれば最高ですが、そうでなくても、いつも自分の行動を振り返る基準を持ち続けてさえいれば、行動の修正力のカギになっていくと考えています。
若手の皆さんには、常に期待しています。
吸収力があり、柔軟で、素直な人ほど、気づきが多く、表情や頭上に閃きが見える。
無責任な期待ではなく、本当に期待しています。
40を過ぎ、公私ともにやりきれない経験を繰り返し、失望、諦め、妥協、惰性で過ごした時期もあったけれど、いつもどこかで諦めきれない自分もいます。
現実として受け入れることは必要だけれど、それは諦めや妥協、惰性で過ごすこととは意味が違う。
だから諦めきれない人を応援したくなる。
執着すると苦しいけど、諦めないでいるからこその成長ってあるし、私自身、何歳になっても成長している実感を持っていたいと真剣に思っています。
自分の成長に期待できなくなったら、その時は、今の仕事は止めようと思っています。
自分には人財育成に関わってはいけないと言い聞かせても、決して言い過ぎではないかと。
何を持って成長とするかは、その時の自分の感じ方に任せればいいように感じています。
それに、成長したかどうかなんて、実際は自分ではいかようにでも評価はできますしね。
書きながら、成長に囚われすぎるのもなんかちょっと違う感じもしてきた(苦笑)
ただ、変化する時の中で、どこかで誰かの役に立ちながら成長実感を得たい自分にとっては、自分自身が柔軟に変化していく必要があり、場合によっては自分自身、流されながら気づかない可能性もある。
今に集中していれば、そんなこともあってしかり。
さあ、またシーズンが近づいてきます。
今に集中できる自分を作り、可能な限り、受講者の皆さんのお役に立って行きます。
充実した今日1日に感謝(合掌)
プチっとお願いします。
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