叔父の葬儀に参列してきました。
行く道すがら、国道と指宿枕崎線が併走している平川~瀬々串間の海沿いで車内より撮影したのが添付の写真です。
平川から中名まで、ちょうどナノハナ号と併走することになりました。
さて、親族の葬儀は18年ぶりです。
遺族ですから、収骨から納骨までのフルコースでした。
とても疲れました。
叔父62歳の死は突然でした。
ちょうど倒れた頃に妙な胸騒ぎがし、深夜に亡くなり、私は明け方に誰かが死ぬ夢で目が覚めました。そして、朝食を食べた直後もどしました。
なんだろう、この嫌な感覚はと思っていると、母からの電話。
予感・夢が現実のものになった時、娘が言った言葉「2週間ぐらい前に、お父さんは『身内の誰かが死ぬ』って言っていたよね」。
私はすっかり忘れていましたが、娘の言葉に「また」の思い。
これで何人目でしょう。
最近、とみに、その感覚が鋭敏になっているように感じられます。
ちなみに、私自身に対する死期の予感も、この間、出てきました。
定年を迎えられないようです(生命線はとても長いのですが)。
それがいつなのかはまだ分かりません。
ただ、とても苦しい死ではないようです。光に包まれるような感じを覚えています。
行く道すがら、国道と指宿枕崎線が併走している平川~瀬々串間の海沿いで車内より撮影したのが添付の写真です。
平川から中名まで、ちょうどナノハナ号と併走することになりました。
さて、親族の葬儀は18年ぶりです。
遺族ですから、収骨から納骨までのフルコースでした。
とても疲れました。
叔父62歳の死は突然でした。
ちょうど倒れた頃に妙な胸騒ぎがし、深夜に亡くなり、私は明け方に誰かが死ぬ夢で目が覚めました。そして、朝食を食べた直後もどしました。
なんだろう、この嫌な感覚はと思っていると、母からの電話。
予感・夢が現実のものになった時、娘が言った言葉「2週間ぐらい前に、お父さんは『身内の誰かが死ぬ』って言っていたよね」。
私はすっかり忘れていましたが、娘の言葉に「また」の思い。
これで何人目でしょう。
最近、とみに、その感覚が鋭敏になっているように感じられます。
ちなみに、私自身に対する死期の予感も、この間、出てきました。
定年を迎えられないようです(生命線はとても長いのですが)。
それがいつなのかはまだ分かりません。
ただ、とても苦しい死ではないようです。光に包まれるような感じを覚えています。