元サラリーマンの植物ウォッチング第5弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part5
ホドイモ・5~復活
今年7月に初めて花を見た「ホドイモ(塊芋)」。その後、果実を楽しみにしていたら公園の草刈り業者に一掃され、私は“憮然として”その場を離れた。来年までその姿は見られないと思っていたが、再びその辺りを通ったら特徴ある奇数羽状複葉がいくつも見える。葉は少し黄色くなり掛けているがこれはホドイモに違いない。花を見た時は1株だけだと思っていたが周りにも数株ある。葉に隠れて果実が出来ていないかと確認したが、残念ながら結実した様子は無かった。やはり花の構造が複雑すぎて決まったポリネーターがいないと結実しないのかも知れない。
さて上記の“憮然として”だが、先日、文化庁が行った『国語に関する世論調査』で国民の5割超が本来の意味とは異なった理解をしているという発表があった。“憮然”とは腹を立てている様子ではなく、失望してぼんやりとしている様子が本来の意味であり、これを正しく理解しているのは全体の28.1%だった。“ぶ”という語感が“ぶつぶつ”とか“ブーイング”という否定的な文句を感じさせるのだろう。ちなみに類義語の“悄然”は、元気が無いとかしょんぼりしているという意味で、“呆然”は、気が抜けてぼんやりしているさまを表している。
今回の調査ではそのほか、“砂をかむよう”の意味を、悔しくてたまらない様子(本来は、無味乾燥でつまらない様子)としたり、“御の字”を、一応納得できる(本来は、大いに有り難い)とする理解が多くなっているとしている。
また誤用としては“天地天命に誓って(正しくは、天地神明に誓って)”や“論戦を張る(正しくは、論陣を張る)”が挙げられている。
一方、文語表現離れも進んでおり“古き良き”“行きつ戻りつ”“招かざる客”“知る人ぞ知る”“えも言われぬ”“言わずもがな”などの表現への馴染みが薄れているとしている。言葉の意味が時代とともに変化するのは止むを得ないが、できれば正しい使い方による美しい日本語が後世に伝わって欲しい。
ここまで書き終えたところで、今日の読売新聞夕刊を読むとたまたま“観光、書き入れ時”の記事があり、私は“掻き入れ時”の間違いではないかと思った。商売繁盛で熊手でお金を掻き集めるという光景を思い浮かべるが、これは品物の売れ行きが良く、お金がたくさん入ってくると、帳簿に書き入れるのが忙しくなるという意味。つまり利益が多い時を書き入れ時ということで新聞が正しかった。
さて上記の“憮然として”だが、先日、文化庁が行った『国語に関する世論調査』で国民の5割超が本来の意味とは異なった理解をしているという発表があった。“憮然”とは腹を立てている様子ではなく、失望してぼんやりとしている様子が本来の意味であり、これを正しく理解しているのは全体の28.1%だった。“ぶ”という語感が“ぶつぶつ”とか“ブーイング”という否定的な文句を感じさせるのだろう。ちなみに類義語の“悄然”は、元気が無いとかしょんぼりしているという意味で、“呆然”は、気が抜けてぼんやりしているさまを表している。
今回の調査ではそのほか、“砂をかむよう”の意味を、悔しくてたまらない様子(本来は、無味乾燥でつまらない様子)としたり、“御の字”を、一応納得できる(本来は、大いに有り難い)とする理解が多くなっているとしている。
また誤用としては“天地天命に誓って(正しくは、天地神明に誓って)”や“論戦を張る(正しくは、論陣を張る)”が挙げられている。
一方、文語表現離れも進んでおり“古き良き”“行きつ戻りつ”“招かざる客”“知る人ぞ知る”“えも言われぬ”“言わずもがな”などの表現への馴染みが薄れているとしている。言葉の意味が時代とともに変化するのは止むを得ないが、できれば正しい使い方による美しい日本語が後世に伝わって欲しい。
ここまで書き終えたところで、今日の読売新聞夕刊を読むとたまたま“観光、書き入れ時”の記事があり、私は“掻き入れ時”の間違いではないかと思った。商売繁盛で熊手でお金を掻き集めるという光景を思い浮かべるが、これは品物の売れ行きが良く、お金がたくさん入ってくると、帳簿に書き入れるのが忙しくなるという意味。つまり利益が多い時を書き入れ時ということで新聞が正しかった。
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アオミズ・2~雌花
蓮生寺公園の水辺で見られる「アオミズ(青みず)」。イラクサ科ミズ属の一年草で、湿った野原などに生育し日本全国に分布している。雌雄異花で写真は雌花。花径は1.5ミリほどで3本の花被片の間に半透明の雌蕊があるが小さ過ぎて良くわからない。その横には結実した若い果実が見える。
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