元サラリーマンの植物ウォッチング第5弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part5
リンドウ・2~高尾山5号路
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さて最近、テレビの情報番組などで『〇〇だそうです。』というのを『〇〇だそう。』と言い切る表現が急増していると感じている。民放だけかと思っていたら、先日NHKでもそのような表現をしていた。
“様態”を表す『おいしそう。』や『外は寒そう。』などの言い切りは全く気にならないが、『このお寺は鎌倉時代に建てられたそう。』『このレストランはとても評判が良いのだそう。』などの“伝聞”を表す言い切りにはどうも違和感がある。
我々の世代は『〇〇そうだ/〇〇そうです』については、“様態”を表す場合は『〇〇そう。』と言い切っても構わないが、“伝聞”を表す場合は『〇〇そう。』という用法は使わないと教えられた。しかし『〇〇だそうです。』は丁寧で何となくよそよそしく、最近の柔らかい表現好みの『〇〇だそう。』が若い女性中心に受け入れられているのだろう。或いは“様態”表現では言い切ることが可能なので、“伝聞”表現も同様だと誤った理解をしたとも考えられる。
『食べられない。』というのを『食べれない。』と表現する、いわゆる“ラ抜き言葉”や、コンビニやファミレス店員による『1,000円からお預かりします。』『これでよろしかったでしょうか。』『コーヒーになります。』などの、いわゆる“バイト敬語”も最近では誰も何も言わなくなった。言葉は生き物であり時代とともに変化していくもので“日本語の変化”と“日本語の乱れ”の境界線は難しい。しかし何でもかんでも次から次に変わってしまうのは美しい日本語の危機ではないかと心配している。これは私だけが感じている杞憂だろうか。それとも時代に取り残されていく年寄りの戯言だろうか。
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