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番外編・17~リュウゼツラン葉

 キジカクシ科(←リュウゼッツラン科)リュウゼツラン属の「リュウゼツラン(竜舌蘭)」。その多肉質の葉を竜の舌に喩えている。葉の1片の長さは1~1.5メートルになりその縁には黄色い斑が入る。そもそも葉に黄色い斑が入らないアオノリュウゼツランが基本種であり本種は観葉植物として栽培されていたが、日本に最初に入ったものが斑入り種でそれをリュウゼツランと呼んだために後から入ってきた基本種のほうにやむなく“アオノ”の名を冠することになった。写真は千代田区の日比谷公園のもので後方には葉に斑が無いアオノリュウゼツランが開花している。

♪♪夾竹桃の花は 紅い花
  私の涙は 銀の鈴
  お諏訪の森の風は
  日見の峠を越えて来る
  親の便りをのせながら
  あの人の面影を しのばせて
  龍舌蘭の夢は 白い夢
  私の心は 灰神楽
  寺町通りの風は
  銅座の川から吹いて来る
  夢を見るには 醒め過ぎて
  見返り柳を ふるわせる
(『女郎花』
作詞・作曲:さだまさし 歌:グレープ 昭和50年)
(JASRAC許諾第J210129422号)
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番外編・16~夏富士

 日本人にとって富士山はかけがえのない存在であり、太古から信仰の対象としてだけでなく文化芸術の世界でも富士山を対象としたものは数えきれない。関東平野からはどこからでも富士山を見ることができる。私が子供の頃は高い建物はほとんど無く、近所の空き地から遠くに富士山が見えていた。今はどこに行っても富士山が見えるかどうかを確認するのが身についてしまっている。もう半世紀ほど前になるが、私が勤めていた会社の東京本社ビルが千代田区大手町にありその高層階からは100キロ先の富士山が綺麗に見えていた。夕陽の方向なので“赤富士”がとても美しかったが昭和55年に2~3キロ先に赤坂プリンスホテルが完成するとその姿が半分隠れてしまい。ガッカリしたのを覚えている。
 国立市で建設中の分譲マンションが“富士見通り”から富士山が見えなくなるとして周辺住民がかねて建設計画に反対していたが、先日、施工者は引き渡し直前のビルを解体することに決めた。この問題に対しては色々な意見があるが、そもそも計画当初の段階でもっとしっかりと議論しておけばこんな結果にはならなかったとは思う。
 写真は数年前、サラリーマン時代に出張の際に飛行機から“夏富士”を撮ったものだが、お蔵入りにするのはもったいないので載せることにした。上空から見る富士山もまた美しい。ちなみに“春富士”“秋富士”“冬富士”はこちら。
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番外編・15~アオノリュウゼツラン花

 キジカクシ科(←リュウゼツラン科)リュウゼツラン属の「アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)」。日本では数十年に一度開花して一生を終える一捻性(一回結実性)多年草で発芽してからの“栄養成長期”に多肉質の葉を次々に出して栄養を蓄え、数十年後の開花期になると“生殖成長”に切り替わり養分が葉から花茎へ移って急激に伸びる。花は下方の花序から咲き始め2週間ほどで最上部の花序まで咲き進む。花は雄性先熟で雄蕊が良く目立ち雄蕊が枯れ始めると雌蕊が成長する。
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番外編・14~アオノリュウゼツラン草姿

 キジカクシ科(←リュウゼツラン科)リュウゼツラン属の「アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)」。メキシコの熱帯地帯原産で発芽してから開花するまで数十年掛かりその後は枯れてしまう一稔多年性植物。原産地では10~20年で開花するが、日本では数十年に一度開花するので“幻の花”とも呼ばれている。
 しかし今年は日本各地でリュウゼツランの開花情報が届いている。ここ千代田区の日比谷公園のほか、横浜市港南区、愛知県知多市、兵庫県伊丹市、兵庫県加古川市、鳥取県米子市、長崎県平戸市などで開花し、珍しいところでは東京ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの敷地内でも咲いたようだ。
 専門家によるとこの一斉開花の理由のひとつは、昭和30年代以降のサボテンブームで各地の公園や緑地に植えられたものが60~70年経って開花期を迎えたというもの。もうひとつは近年の温暖化によるものだ。今夏は昨年よりも更に暑さが厳しく夜の気温も25℃を下回らない熱帯夜の日が多い。この日本列島の亜熱帯化がリュウゼツランの生育に適した環境になったと考えられる。
 日比谷公園のアオノリュウゼツランはそれまではせいぜい3メートルほどだったが、公園職員が5月17日に真ん中の茎が伸び始めたのに気づいた。その後1日10~20センチずつ伸び見る見るうちに高くなって7月10日の開花時には草丈は7.7メートルまで伸びた。茎の伸びは開花直前にはほぼ止まったという。
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番外編・13~アオノリュウゼツラン開花

 千代田区の日比谷公園で開花した「アオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)」。キジカクシ科(←リュウゼツラン科)リュウゼツラン属の常緑多年草で“100年に一度咲く花”とも言われている。公園職員が5月17日に真ん中の茎が伸び始めているのに気付き、見る見るうちに7メートルを超え7月10日に開花したという。花は下方の花序から咲き始めこの日は最上部の花序まで咲き進んでいた。公園資料によるとこの株は1960年頃の写真に写っておりそれ以前に植えられたとみられる。以前当地で咲いた株はせいぜい2メートルほどだったが今回はかなり高い。
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番外編・12~多摩川羽村堰

 多摩川河口から約54キロ遡ったところに“羽村堰”がある。写真の上方が多摩川上流で本流は左側から下流に向かう。中央の取水口から玉川上水が始まり右下に向かって流れていく。この取水口と玉川上水は江戸時代に建設され1653年(承応2年)に完成した。玉川上水は当時爆発的に人口増加した江戸の住民のための上水道で羽村堰から取水して四谷大木戸までの全長約43キロになる。高低差はわずか92.3メートルしかなく、これは100メートル進むと21センチ下るという極めて緩い勾配になる。現在とは比べものにならないほど測量技術が低かった時代にここまで緻密に設計されたのは驚きではある。
 この日は猛暑日予想だったが、午前8時に自転車で自宅を出発。国道16号線を北上し拝島橋を渡ってから多摩川沿いのサイクリング道路を遡る。水鳥公園、福生南公園などを通過して羽村堰に到着。自宅からは約22キロになる。この後狙いのカワラニガナを撮るためにもう800メートルほど進み花を撮ってから帰路についた。午前11時には自宅に戻り往復約45キロのサイクリングだったがしっかり日焼けした。ちなみに八王子市の最高気温は37.2℃だった。

♪♪みどりの風も さわやかに
  にぎるハンドル 心も軽く
  サイクリング サイクリング
  ヤッホー ヤッホー
  青い峠も 花咲く丘も
  ちょいとペダルで 一越えすれば
  旅のつばめも ついてくる ついてくる
  ヤッホー ヤッホヤッホー ヤッホー
  行こうよ君と どこまでも
  はずむ銀輪 リズムに乗って
  サイクリング サイクリング
  ヤッホー ヤッホー
  波もささやく 浜辺の道を
  若い歌声 合わせて走りゃ
  潮のかおりが 夢を呼ぶ 夢を呼ぶ
  ヤッホー ヤッホヤッホー ヤッホー
(『青春サイクリング』 作詞:田中喜久子 作曲:古賀政男 歌:小坂一也
(JASRAC許諾第J210129422号)
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番外編・11~ヤモリ

 我が家の洗面所の窓に張り付いている「ヤモリ(家守)」。ヤモリ科ヤモリ属の爬虫類で秋田県以南や中国東部、朝鮮半島に分布している。「ニホンヤモリ(日本家守)」とも呼ばれるが日本固有種ではなく平安時代以降に大陸から渡来したと考えられている。体長は12~13センチで淡褐色の身体に斑がある。
 写真は家の中から窓を撮ったものでこの後外から撮ろうと思ったが残念ながら逃げられてしまった。以前、雨戸を開けた拍子に張り付いていたヤモリが中の畳に落ちたことがあった。トカゲと違って動きは遅いのでそっとつまんで外に出してあげた。ヤモリは昆虫やクモを捕食し人間に対して嚙みつくことはない。“家守”の字の通り家を守るものとして大事にする風習がある。
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番外編・10~ニホンザル2

 都内で今年初の真夏日になった昨日、初夏の花を求めて奥高尾を歩いてきた。標高392mの大垂水峠から標高670mの小仏城山まで登り下りは日影林道をバス停まで歩いた。その日影林道で頭上の電線をスルスルと動く物体に気付き見上げると電柱に「ニホンザル(日本猿)」がしがみついていた。以前、多摩森林科学園で野生のサルを見たことがあったが奥高尾では初めてだった。ニホンザルはオナガザル科マカク属の霊長類で体長は50~70センチ。群れで生活するがここでは1匹しか見えなかった。一瞬のことでやや逆光になってしまったがご容赦頂きたい。クマでなくて良かった。ところで、この日ホトトギスの初鳴きを聞いた。
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番外編・9~チューリップ50周年

 1972年6月にビートルズに憧れて福岡から上京し『魔法の黄色い靴』でデビューしたフォークグループ『チューリップ』。昨年4月から全国各地で50周年コンサートツアーを開催し先月全日程を終了した。秋から追加公演でもう一踏ん張りされるようだ。残念ながら私はコンサートには行けなかったがチューリップの曲はいつもウォークマンで聴いておりたまにLPでも聴いている。
 私はチューリップと浅からぬ縁があると個人的に思っている。大学生時代に経営学のクラブに所属しており、その年間活動費約100万円を捻出するために毎年コンサートを企画していた。私が2年生の時は『アリス&高木麻早コンサート』を日比谷公会堂で開催し、幹事年次の3年生時、1976年6月19日に神田共立講堂で『チューリップ』コンサートを開催した。2年生時のノルマは1枚1,500円のチケットをせいぜい30~40枚だったのでほとんど友人に買ってもらって捌いたが、幹事年次のノルマは120枚以上で、女子大を訪問したりチラシに自宅の電話番号を書いて電柱に貼り連絡があるとする購入希望者のところまで届けたりした。
 チューリップはデビュー後はなかなかヒット曲がなかったが1973年『心の旅』がジワジワと売れ始め、1974年に『銀の指輪』『青春の影』、1975年『サボテンの花』がヒットし漸く世に認知されるグループになった。当時私達はプロデュース会社とコンサートの出演者を誰にするかという議論を重ね将来性があるという判断で『チューリップ』に決定した。コンサートは2,000席満席の大成功でクラブの運営費を何とか確保できた。コンサートの始めにはステージでクラブの幹事長(彼はその後私と同じ会社に就職し生涯の友になる)が緊張しまくって挨拶をし、開演後にその挨拶を財津和夫さんがいじったのを覚えている。
 音楽好きの私は就職後もチューリップを応援しており、1977年『ブルースカイ』、1979年『虹とスニーカーの頃』などのヒットを喜んだがグループは1989年に解散した。1995年にビートルズの亡きジョン・レノンの未完成曲を、残りの3人のメンバーが手を加えて完成させ1995年に"Free as a Bird”でリリースすると、メンバーの姫野達也さんが元メンバーに声を掛けてチューリップは1997年に再結成した。財津さんは1989年の解散ツアー京都公演時に『1999年9月9日午前9時9分9秒に金閣寺で会おう』と約束し10年後に元メンバーはその通り金閣寺に集結した。
 写真はチューリップの1973年渋谷公会堂コンサートのLPで若い財津さんが一番上にいる。財津さんは2017年の全国ツアー中に大腸がんが判明したがその後復活されてコンサート活動を続けられている。アリスの谷村新司さんは今年3月に急性腸炎で手術を受けられて現在は療養中と聞く。二人とも昭和23年生まれであり是非病気を克服され音楽活動を長く続けて欲しい。

♪♪あーだから今夜だけは 君を抱いていたい
  あー明日の今頃は 僕は汽車の中
  旅立つ僕の心を 知っていたのか
  遠く離れてしまえば 愛は終わると言った
  もしも許されるならば 眠りについた君を
  ポケットに詰め込んでそのまま連れ去りたい
  あーだから今夜だけは君を抱いていたい
  あー明日の今頃は 僕は汽車の中
(『心の旅』
作詞・作曲:財津和夫 歌:チューリップ 昭和48年)
(JASRAC許諾第J210129422号)
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番外編・8~ニホンザル1

 多摩森林科学園“第3樹木園”で見掛けた「ニホンザル(日本猿)」。オナガザル科マカク属の霊長類で園内にはサル出没の注意看板がある。まさか実際に野生のサルが見られるとは知らず散策路を進んでいると遠くで何か動いたものがあった。野鳥かなと思ったがしばらく進むとサルが遠くに見えた。写真のロープと白札は観察路沿いのものでそこは人が普通に歩く道になる。すぐ近くにも数匹のサルがいる。ここは樹木園の一番奥で私以外には人はいない。サルが集団で襲ってこないかと少し不安になったが山道を進むうちにその姿は皆消えてしまった。
 さて多摩ニュータウンの南大沢(旧由木村)から北野や八王子中心部に向かう丘陵地に標高160メートルの“野猿峠(やえんとうげ)”がありそこを通る都道160号線は“野猿街道”と呼ばれている(野猿街道の八王子市下柚木交差点から東の国立市青果市場東交差点までは国道20号府中相模原線)。“野猿峠”は古くは“猿丸峠”や“猿山通り”と呼ばれ峠で馬や牛を休憩させる水飲み場があった。昔はその辺りにも野生のサルがいたのだろうと思っていたらさにあらず。野猿峠の名の由来には諸説あるようだが、戦国時代の滝山城城主・大石定久が亡くなった後、現在の下柚木辺りに葬られた。大石家に由来するものは由木城跡、殿ヶ谷戸、御嶽神社、大石やかた公園などいくつかある。その墓が武甲山(埼玉県)を遥かに望む峠にあったためそこを武甲山の名を冠して“甲山”と呼ぶようになった。そしていつしか“甲”の字が“申”と読み誤られ“申山”となりその後“猿山”→“猿丸峠”→“野猿峠”となったという。京王線北野駅付近の打越交差点では地元の不動産屋の大きな看板があり『“野猿”を“のざる”と読むべからず』とある。野猿峠にサルはいなかった。 
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