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奮闘記・6~2024総括

 2001年に都心の社宅から多摩ニュータウンに移り住んだ。ここの自然の多さからウォーキングついでの植物観察が始まり、2008年夏頃からウォーキングがジョギングに変化していった。カメラはコンデジからミラーレス一眼になり水筒とカメラをウェストポーチに入れて走りその距離は1~2キロから次第に5キロ、7キロ、10キロと伸びっていった。
 2009年2月の青梅マラソン10キロが人生初めての公式レースで、公道の真ん中を大勢の声援を浴びながら走るのにすっかり嵌り、その年の11月には府中多摩川ハーフマラソンにチャレンジ、翌2010年2月には東京マラソンを完走した。それ以降、毎シーズン、10キロ、ハーフマラソンを6~7レース出場し、2015年3月には横浜マラソン還暦記念では2016年12月にホノルルを息子と走った。公式レースは5キロ駅伝6回、10キロレース40回、ハーフマラソン14回、フルマラソン4回となり、その他、個人的には箱根駅伝10区間(217.9キロ)、鶴見川(43キロ)、境川(52キロ)、多摩川(87キロ)、相模川(60キロ)、玉川上水(46.5キロ)や“24時間テレビ”のチャリティマラソンコースなどもチャレンジした。
 サラリーマン時代の週末の植物観察&ランニングで2009年から2020年まで年間1,000キロランを続けていたが、2020年のコロナ禍最中のトレイルランで右膝の半月板を損傷しランニングはドクターストップ。2021年からは整形外科医の勧めでサイクリング(電動自転車だが)を始め今は年間3,000〜4,000キロを走破している。
 右膝には月1回のヒアルロン酸注射をしているが、整形外科医から『少しならランニングもOK』との許可が下りたので、膝と相談しながら今年6月からジムのトレッドミル(ランニングマシン)で1回2~3キロのランニングを再開し合計336キロ走った。トレッドミルには毎回5%傾斜の負荷を掛け3キロ走ると150メートル登る設定にしている。膝には登り坂は負担にならず、下り坂は楽に思えるが膝への衝撃は大きい。
 ちなみに昨日開催された富士山女子駅伝の最終7区では3キロ過ぎから厳しい登り坂が始まり4.6キロで169メートル登るので傾斜は約3.6%になる。また正月の箱根駅伝5区では小田原中継所(標高36メートル)から16.2キロ先の1号線最高地点(標高874メートル)まで駆け登るがその平均傾斜は5.2%。15キロ過ぎからは最大傾斜13%が2キロ続く。
 
 定期的に計測している今月の数値は下記の通り。
(カッコ内は2023年12月←2022年12月←2021年12月←2014年12月←2008年6月)
体重61.5kg(←61.7←61.4←62.6←63.9←63.0)
骨格筋量29.2kg(←29.2←28.7←29.2←30.5←30.0)
体脂肪量9.1kg(←9.3←8.9←10.1←9.4←9.1)
体脂肪率14.8%(←15.1←14.6←16.0←14.7←14.4)
基礎代謝量1,501kcal(←1,501←1,485←1,505←1,544←1,534)
両脚筋肉量17.5kg(←17.3←17.1←17.2←17.7←17.9)
 
 16年前、10年前と比べて体形や筋肉量など何とか維持できている。来年もサイクリングで年間4,000キロ、ジムのランニングで年間500キロを目指したい。写真は堀之内沖ノ谷戸公園から見える富士山。
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奮闘記・5〜カレンダー写真

 唐突だがこれはハワイオアフ島のダイヤモンドヘッドのカレンダー写真。私は還暦の時に息子とホノルルマラソンに出場したがあれからもう8年。それ以降ハワイカレンダーを毎年リビングルームに掲げているが、月が替わり5月の写真にはダイヤモンドヘッドが現れた。観光写真で良く見るのはワイキキ方面から見るものが多く、写真はダイヤモンドヘッドを南東側から見たものでこのアングルは珍しい。山の向こう側のビル群がワイキキ方面になるが、これを見ているとあの時の思い出が鮮明に蘇る。
 レースは午前5時にワイキキの向こう側のアラモアナをスタートワイキキのホテル街を抜けてダイヤモンドヘッドの裏側を右方向に進む。写真の右横を走る頃に夜が明けその先は単調な高速道路のカラニアナオレ・ハイウェイ(Kalanianaole Hwy.)を進む。ハワイカイ(Hawaii Kai)で折り返して再び高速道路を戻り37キロ付近で写真のダイヤモンドヘッドの左下に見える海沿いの登り坂のダイヤモンドヘッド通り(Diamond Head Rd.)になる。ゴールはダイヤモンドヘッドの向こう側の濃い緑色の部分のカピオラニ公園私は午前11時前にたどり着いた
 ダイヤモンドヘッドを上から見ると大きなお鉢状のクレーターになっている。オアフ島を形成したコオラウ火山が260万年前に活動開始してその後休眠し50万年前に再活動。そしてダイヤモンドヘッドは古くても15万年前以降にできたという。標高は232メートルで火口の内側までは自動車で行くことができ、そこから頂上までは1時間ほどの登山道がある。前回のホノルルマラソンではダイヤモンドヘッド登山ができなかったが、もし次の機会があるならここに登ってみたい。
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奮闘記・4~ランニング再開

 2020年7月、コロナ禍の最中にトレイルランをしていて右膝の半月板を損傷し、それ以降ランニングは控え医者の勧めで自転車を漕ぎ始めた。膝は日常生活には全く支障はなくあえて手術する必要は無いがそれでも月に一度、ヒアルロン酸を注射している。先日、医者から『軽いランニング程度ならOK』との許可が出たので、この日、久し振りにランニングシューズを履いた。
 2月だというのに気温は4月下旬の暖かさになり走り出すとすぐに汗が出てくる。サイクリングでは味わえない発汗だ。自宅から別所やまざくら公園、蓮生寺公園、別所公園、長池公園、大平公園、清水入緑地をぐるりと回ってトータル8キロ。途中で植物観察で立ち止まることが多く本格的なランニングには程遠いがまずはジョギングが再開できた。走った後の太ももの軽い筋肉痛が心地良い。これからはランニングとサイクリングと植物観察を上手く組み合わせていこう。
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奮闘記・3〜国立競技場ラン

 今日は国立競技場でのランニングフェスタ。42キロを複数人で走る襷リレーで前の会社の連中から誘いがあり合計8人で走ることになった。公式レースは2020年青梅マラソン10キロが最後でコロナ禍や右膝半月板損傷で走れなくなったが今年の正月にこの連中と久し振りに多摩川土手を走った。建て替え前の国立競技場では4回10キロレースを走ったことがあり、新競技場建設中にはその周りの10キロレースを3回走った。新競技場になってからは今日が初めて。コースは競技場のトラックからスタートした後、観客席の下の通路を1周しまたトラックに戻る1.4キロでこれを30周する。8人で走るには1人当たり4〜5周になるが私は2周の2.8キロだけ(14分40秒で1キロ当たり5分14秒)であとは若い連中に任せた。写真には2頭の恐竜が走っているのが見える。生憎冷たい雨になってしまったが正月ラン以来の快汗だった。これからレース後の打ち上げで美味しいビールが待っている。やはりランニングは楽しい。
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奮闘記・2~府中多摩川かぜのみち

 今日の“第76回びわ湖毎日マラソン”で鈴木健吾選手が2時間4分56秒の日本新記録を打ち立てた。昨年2月の東京マラソンで大迫傑選手が出した2時間5分29秒を33秒上回り日本人選手史上初の2時間4分台となった。びわ湖で開催されるのは今回が最後で来年からは大阪マラソンに統合されることになっている。その最後の大会で日本新、大会新の記録を残せたことは素晴らしい。さらに日本人の2時間6分台が4人、7分台が9人も出るなど選手層の底上げが出来た大会になった。川内優輝選手は2時間7分27秒で10位に食い込み、23歳の時に記録した2時間8分台を10年掛かって109回目のマラソンで7分台に到達した。
 第1回大会は1946年(昭和21年)に大阪市で開催されたが、1962年(昭和37年)の第17回大会でびわ湖コースとなり、1965年(昭和40年)の第20回大会からびわ湖コースが定着した。歴代優勝者には、君原健二、アベベ・ビキラ、宇佐美彰朗、宗猛、宗茂、瀬古俊彦など錚々たるランナーが名を連ねている。2002年(平成14年)の武井隆次を最後に日本人選手の優勝が途切れていたが、今日の鈴木選手の優勝は19年振りになる。
 “びわ湖毎日マラソン”と言えば1973年(昭和48年)のフランク・ショーターが忘れられない。前年のミュンヘンオリンピックで優勝し絶好調のショーターは10キロ過ぎまで快走していたがお腹に異変が生じた。そこで沿道の観客が持っていた小旗を数本取りそのまま脇道に逸れて草むらに消えた。そして用を済ますと再びレースに戻り先を走っていた選手を次々に抜かして最後は独走でゴールイン。ロスタイムはわずか20秒という早業だった。
 余談だが、マラソンではコースによって条件が異なるため、従来の記録を破っても“新記録”ではなく“最高記録”とされていた。しかし2004年(平成16年)、国際陸上競技連盟(IAAF)は記録公認諸条件を整備し“新記録”と表現するようにした。それ以降、日本でも“日本最高記録”を“日本新記録”と称している。
 写真は毎年11月にハーフマラソンが開催されている“府中多摩川かぜのみち”。私は2010年(平成22年)から毎年出場していたが、一昨年は台風によるコース損壊、昨年は新型コロナで中止になってしまった。現在右膝治療中のため今日はeバイクを漕いで懐かしい道を走ってきた。走行距離は38キロ。
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奮闘記・1~eバイク

 今年から“元”サラリーマンとなり時間はたっぷりあるが、昨年夏に右膝の半月板を損傷し長距離ランニングは医者から止められている。ウォーキングは全く支障が無いがランニングでは着地する際に全体重が膝に掛かるのが悪く、平地や軽いジョギングなら良いが下り坂は厳禁。とは言え運動不足で膝周りの筋肉が落ちないようにジムでレッグエクステンションなどの筋トレを行っている。医者からは膝に負担を掛けず足の筋力を増強するには自転車漕ぎがお勧めとのアドバイスがあった。
 私の自転車歴は大学1年の夏休みに友人と東海道、山陰道を1,300キロ走り、翌年は北海道を函館から帯広までグルっと700キロほど走ったが、社会人になってからはマイカー利用が多くなり自転車に乗ることはほとんど無くなった。数年前に“eバイク”登場のニュースを見て『リタイア後はこれかな?』と思っていたが、今回、良い機会なので早速“eバイク”を購入した。スポーツタイプの自転車を持つのは何と43年振り。
 “eバイク”のルーツとなる電動アシスト自転車登場は1993年まで遡るが、2010年頃から欧米諸国でスポーツサイクル用の“eバイク”がブームになり、2015年頃からは国内メーカー各社が競って販売し始めた。当然オートバイとは異なり走るのは人力だが、急坂ではギアを軽くせず“立ち漕ぎ”もしないで楽に登ることができる。多摩ニュータウンは丘陵地のため坂道が多く、1時間、20キロほど走ってくればアシストがあっても太腿はパンパンに張りかなりの筋力強化になる。
 当面は筋力維持・向上のために5キロ程度のジョギング、10キロ程度のウォーキング、20キロ程度のサイクリングなどその日の膝の状態を見ながら選んでいこうと考えている。
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