北朝鮮のミサイル騒動がありました。
その後にインドのミサイル実験が4/19にあったようです。アグニ(炎)5という核弾頭搭載可能なミサイルで射程が5000キロで日本も射程に収まるそうです。
インド政府の態度は『米露中などとともに「ミサイル大国」になったと認識(産経新聞)』。一方で中国は『発射実験影響を表面上は否定した(AP通信)』とあります。
先日、ある共産党後援会の花見の席で、「なぜ、日本共産党は軍隊を認めないのか?」と私より古い支持者の方がそのようなことを言われていました。私は、現在の日本共産党の方針はすぐに自衛隊をなくすことは言っていないことと軍事力より外交力をもっと重視すべきだということをお話しさせて頂きました。しかし、「外交力何ぞ期待していたらやられてしまう。」という話になっていました。
また、別の場所で自衛隊と関わりのある保守の方とこれもお酒の席でしたがお話をする機会がありました。その方は「何よりも外交力が大事だ。その裏付けにどうしても軍事力が必要なんだ。」という話をされました。
※私は議員になってちょうど1年になるのですが、明確にイデオロギーの違う、保守の方が日本共産党に対して誤解や偏見ももちつつ、それでも「この時代に共産党がもっと頑張らなアカン!」と激励頂く場面が手で数えられないくらいありました。
今回のインドのミサイルの件は自国の防衛と他国の脅威、そして各国の打算的な軍縮論がまかり通っていることをあらためて考えさせられました。
恥ずかしいことですが、インドのミサイルの件は今日初めて赤旗しんぶんの主張欄で知ったわけですが、北朝鮮のミサイルの時は耳をふさいでいても聞こえてきました。
インターネットに疑問の書き込みの中で「なぜ、今度のインドのミサイルは北朝鮮の時ほど騒がないのか?」同趣旨の書き込みが3件あり、その回答として「アメリカの外交の立ち位置がインドと北朝鮮で違う」という趣旨が主のようです。私も同様の疑問を感じたからいまこのブログを書いているわけです。
その趣旨の回答は妥当なものだと思います。しかし、それでいいのかという疑問が私には湧いてきます。アメリカが認める国の軍拡・核保有は認めて、アメリカが認めない国の軍拡・核保有は認めない。
軍事大国となればアメリカとの力関係も平等になる。そのあたりで保守の方も軍事力が必要だと主張されているようです。
しかし、日本という『一国』で見ると『正当な主張』ですが、その『正当な主張』を認めてしまえば他国も軍拡が必要となるわけで、北朝鮮だけ軍拡するなという主張はおかしくなります。
やはり、軍事大国が軍縮を協調して行い、外交を大事にする気運を高める以外に『人類』の平和への道はないのではないかと思います。
マスコミや国民がこの度のインドのミサイルの件を『一国』として見るのか、それとも『人類』の問題として見るのかで、違ってくる気がします。
いま世界には国際連合という世界組織があります。哲学者であるカントが提唱した組織だったと思いますが、当時、国民は『一国』のことしか考えられなかった中で、カントがとんでもない計画を示したのだと思います。
現在では戦争するのに国際法を遵守するのは当たり前ですが、『戦争法』の考え方もこのカントだったと思います。余談ですが、以前私は純粋な戦争反対論者でしたが、「戦争を認める法律を作るって何なんだ!」と考えていたことがありました。
これらはカントの著書の『永遠平和のために』で書かれたものですが、『一国』から『人類』へと考え方を変える必要性を訴えているのだと思います。
そして、国際社会はこの考え方を多く採用して現在の国際社会があります。『永遠平和のために』の中でうたわれている『常備軍はいずれ、全廃すべき』という実現はまだ先のようですが、それでも我々は自分で思っている以上に『一国』だけの考え方でなく『人類』的な視点で物事を考えています。
『一国』的な見方で立ち止まるのか、『人類』的な見方で『常備軍はいずれ、全廃すべき』理想を実現させる方向を向くのかが、マスコミも国民も問われている気がします。
※資料を見て書いていませんので、記述に間違いがあるかも知れません。間違いを見つけられたらご指摘下さい。また間違いが分かれば書き直しますのでご了承ください。
その後にインドのミサイル実験が4/19にあったようです。アグニ(炎)5という核弾頭搭載可能なミサイルで射程が5000キロで日本も射程に収まるそうです。
インド政府の態度は『米露中などとともに「ミサイル大国」になったと認識(産経新聞)』。一方で中国は『発射実験影響を表面上は否定した(AP通信)』とあります。
先日、ある共産党後援会の花見の席で、「なぜ、日本共産党は軍隊を認めないのか?」と私より古い支持者の方がそのようなことを言われていました。私は、現在の日本共産党の方針はすぐに自衛隊をなくすことは言っていないことと軍事力より外交力をもっと重視すべきだということをお話しさせて頂きました。しかし、「外交力何ぞ期待していたらやられてしまう。」という話になっていました。
また、別の場所で自衛隊と関わりのある保守の方とこれもお酒の席でしたがお話をする機会がありました。その方は「何よりも外交力が大事だ。その裏付けにどうしても軍事力が必要なんだ。」という話をされました。
※私は議員になってちょうど1年になるのですが、明確にイデオロギーの違う、保守の方が日本共産党に対して誤解や偏見ももちつつ、それでも「この時代に共産党がもっと頑張らなアカン!」と激励頂く場面が手で数えられないくらいありました。
今回のインドのミサイルの件は自国の防衛と他国の脅威、そして各国の打算的な軍縮論がまかり通っていることをあらためて考えさせられました。
恥ずかしいことですが、インドのミサイルの件は今日初めて赤旗しんぶんの主張欄で知ったわけですが、北朝鮮のミサイルの時は耳をふさいでいても聞こえてきました。
インターネットに疑問の書き込みの中で「なぜ、今度のインドのミサイルは北朝鮮の時ほど騒がないのか?」同趣旨の書き込みが3件あり、その回答として「アメリカの外交の立ち位置がインドと北朝鮮で違う」という趣旨が主のようです。私も同様の疑問を感じたからいまこのブログを書いているわけです。
その趣旨の回答は妥当なものだと思います。しかし、それでいいのかという疑問が私には湧いてきます。アメリカが認める国の軍拡・核保有は認めて、アメリカが認めない国の軍拡・核保有は認めない。
軍事大国となればアメリカとの力関係も平等になる。そのあたりで保守の方も軍事力が必要だと主張されているようです。
しかし、日本という『一国』で見ると『正当な主張』ですが、その『正当な主張』を認めてしまえば他国も軍拡が必要となるわけで、北朝鮮だけ軍拡するなという主張はおかしくなります。
やはり、軍事大国が軍縮を協調して行い、外交を大事にする気運を高める以外に『人類』の平和への道はないのではないかと思います。
マスコミや国民がこの度のインドのミサイルの件を『一国』として見るのか、それとも『人類』の問題として見るのかで、違ってくる気がします。
いま世界には国際連合という世界組織があります。哲学者であるカントが提唱した組織だったと思いますが、当時、国民は『一国』のことしか考えられなかった中で、カントがとんでもない計画を示したのだと思います。
現在では戦争するのに国際法を遵守するのは当たり前ですが、『戦争法』の考え方もこのカントだったと思います。余談ですが、以前私は純粋な戦争反対論者でしたが、「戦争を認める法律を作るって何なんだ!」と考えていたことがありました。
これらはカントの著書の『永遠平和のために』で書かれたものですが、『一国』から『人類』へと考え方を変える必要性を訴えているのだと思います。
そして、国際社会はこの考え方を多く採用して現在の国際社会があります。『永遠平和のために』の中でうたわれている『常備軍はいずれ、全廃すべき』という実現はまだ先のようですが、それでも我々は自分で思っている以上に『一国』だけの考え方でなく『人類』的な視点で物事を考えています。
『一国』的な見方で立ち止まるのか、『人類』的な見方で『常備軍はいずれ、全廃すべき』理想を実現させる方向を向くのかが、マスコミも国民も問われている気がします。
※資料を見て書いていませんので、記述に間違いがあるかも知れません。間違いを見つけられたらご指摘下さい。また間違いが分かれば書き直しますのでご了承ください。
自分は保守派(というよりは、ただの保守ファン)ですが、共産党に対しては、ネガティブなイメージの他に、「確かな野党」という役割を果たしている真面目で硬派な印象から、同時に好感も持っています。
保守側は、色々気兼ねをしなければならない事もあってか、硬派な人が少なくて・・・。
人前での話はまだ不慣れで下手ですが、色々と刺激を受けたので、試しに見栄を張りつつこのブログに書き込んでみます。
因みに現在、胃が痛くなっております(笑)
外交力の裏付けで軍事力が必要という事に関して、自分もそう考えています。
覇権主義的な軍事力には反対ですが、軍事力の均衡によって調和を生み、平和の確保が出来るものと信じています。
そしてその軍事力を背景に、外交での過度な制限は無くなると思います。
加えて、支那中共の軍拡、未だ続く侵略的拡張を防ぐ役割を日本が持つことが可能となり、アジアの安定やウイグルなどの人権問題も改善するかと考えています。
日本の軍拡に関しては、必要量はと考えています。
ただし、やはり支那も侵略的拡大を諦めてくれれば良いですが、軍拡して対抗する可能性もありますね。
それには支那包囲網を形成すれば諦める可能性も出てきますが、逆の可能性も出てくる。
そこで外交も合わせて、軍拡は得にはならない状況を作る事が必要と考えています。
けどここには多くの課題があるのも事実で、朝鮮半島や支那中共が反日で成り立っている国である事や、エネルギーの効率化、自然環境の改善、砂漠化の阻止などを行い、とりあえず一つの国で国家の運営が成り立たないと駄目だと思います。
しかし悪徳によって社会が成り立っている社会を伝統に持っている国であるから、これらの改善はとても難しいですが・・・。
支那分断論に活路があるかも知れません。
とはいえ、自分は保守派にも疑問を持っていて、急に対応出来るか否か、
現実を前に、使い物になる保守はいるのか、
日本の正常化へと向かって、その余裕が生まれたら失速しないかなどを懸念しています。
更に、外交力を回復するには、外務省の体質も充分なレベルに改善しなければなりません。
多くの自称保守派が未だに冷戦構造を引き摺っており、あくまで反・非共産主義程度の、甘えた烏合の衆で結成された自民党が残り、政界再編が行われない限り、問題の改善に至るかと懸念があります。
保守派にも、共産党の様な気骨のある態度があればと思っております。
インドと北朝鮮の核ミサイルの違いに関しては、やはり価値観でしょうね。
例えば、国際社会へ出る資格があるか、この事が世界的な基準ではないかと思います。
国交のある国へは、他国への渡航や移住が可能だったりしますが、どうしてもその相手国の社会を蹂躙したりする民族性を持った者たちもいます。
同じ様に、世界の場で調和を乱す国もあります。
グローバル化という物がアメリカの戦略として行われていますが、世界の中に迷惑な国も当然存在します。
グローバル化は、そういった国が無い、または対処出来る事を前提としている理想論の様に思えます。
実際にヨーロッパ諸国では、グローバリズムの失敗の兆候が出てきて、問題になっています。
日本の場合も、逆に役割を担わず、弱くて付け入る隙を与えている事で、調和を乱し、支那中共の軍拡の一因にもなっていると考えています。
世界の現段階では、平和は調和の取れた時だけのものと考えていますが、各国がそれぞれある程度普通の国になると、なかなか調和の乱れは起きないと思います。
支那や北朝鮮の様に、たった一国で周辺諸国に高圧的な外交が出来る悪質な国のミサイルは、どうしても脅威に感じるものと思います。
「キチガイに刃物」を防ぐ事、それも調和だと思います。
そして、各国の文明が一定の所まで進み、調和が全体的に整った上で、軍縮も可能ではないかと、随分遠い未来の話になりますが、そう思います。
しかし、それでもまだまだ問題が。
調和を乱すのは、何も軍事力だけには留まりませんから、とても厄介です。
宗教、経済戦争、サイバー戦争、大量移民、地球環境の変化による飢餓や病気の流行など、軍事以外でも調和を乱す要因は多々あります。
こうなると、流石に人類の限界を感じざるを得ません。
すると、それでもやらなければならないといった考えや、人類なんて所詮その程度のものと結論を付けるのが限界でしょうか。
結局、何が正しいのかは自分にも分かりません。
『一国』から『人類』へと考え方を変える必要性。やはり人類の発展には、いつでも滅亡と隣り合わせですね・・・・。
辛うじて反論するなら、それでも国家は国民の為に~云々だとか、時事的な狭い範囲か、人類はどうせ滅ぶものだから~云々という、時間の広い範囲でしか言えませんね。
間を取って、支那包囲網だとか、自由と繁栄の弧だとか、アジアの安定だとか、
今を生きている我々にはこれしかないとは思います。
国家の長い歴史と統治は、必然的に普遍性を身に着けて行き、考え方の違いはあっても、他国も理解し易い形になっていくものだと考えています。
各国がそれぞれの文化の中にある美学を持ち、良い意味でらしくなる事で、世界の安定になっていくのだと。
日本も「日本らしさ」を取り戻す事が重要で、
神代より2672年続いている歴史の、改善と改良の連続性によって培われた、日本にとっての普遍性を元にする事でしか、
日本は力を発揮できず、幸福を作る事も出来ないものと考えています。
まずは正常な土台が出来た上で、大衆がおおよそ認めるであろう魅力的な未来を定める事が出来、幸福を生み、他国にも幸福を示す事が可能ではないかと思っています。
しかし日本では、戦後という時代が何故か今でも続いていますので、まずは戦後体制からの脱却が急務と考えております。
結局、それぞれの文化圏では、歴史に目を向け、そこから知恵を借りるしか無いと思います。
その事で、価値観の過剰な広がりを押さえ、共通の価値観を共有し、社会にも活力が出るかも知れません。
自治体においても同じ様に思います。
小野市などの独自の文化レベルが羨ましいです・・・。
すぐに返信をと議会が始まるまでに内容を考えていましたがなかなかまとまりません。
議会後に何らかの形でコメントに対しての返信をさせてもらいます。
今日は胃が痛くなりながらコメント頂いたことに対して感謝申し上げたくてコメントさせていただきました。本当にありがとうございました。