1998年に開催された長野オリンピック。そのオリンピックから今年で25年、と言うことだそうです。
このオリンピック、地元で行われたオリンピックですからもちろん覚えていますが、その前の年に父親が危篤という連絡を受けて、開通したばかりの、オリンピックのロゴマークで一色になっていた長野新幹線に涙を堪えて乗車していたことや、父親が亡くなって間もないのに、家族はオリンピック会閉会式やらスキーの競技を見にいった、ということでもとっても印象的なオリンピックでした。
父親が亡くなったばかりですが、暗くなってしまう気分を奮い立たせてくれたオリンピック、と大変感謝しています。
あれから25年か、、、。
時が経つのは早いですね。スキーのジャンプ競技とか、昼間の開会式とか、今でも色々覚えています。
裏帳簿とかの問題もあったり、財政的には今でも市町村に負担があるようですが、思い出深い大会になったのではないでしょうか。
1998年2月17日、白馬ジャンプ競技場
— 手塚耕一郎 (@Koichiro_Tez) February 16, 2023
①1回目、失敗ジャンプに終わった #原田雅彦
②2回目「大ジャンプだ原田!」
③「ふなき~」
④#船木和喜 とともに表彰台へ
全てリバーサルフィルムで撮影
こちらの写真も初出しです。#長野五輪 から25年#長野オリンピック pic.twitter.com/S8tR28n5ZS
新幹線もできたし、なんて自分勝手ですみません。
今回の25周年から発展して、父親の27回忌をやろうか、と言う話が家族の中から出ています。
あのダイアナさんも、27回忌、です。なんて、、、。
20周年の時はこんな記事が。今はどうだろう。
2回目はあるのか❓
あの日、私も白馬ジャンプ台にいました。
奇遇ですね。
2021年12月8日の私のブログにその話を書きました。
長野オリンピックは、特に覚えています。
力士と一緒に入場行進 スピードスケートの清水 岡崎
そして、ジャンプの原田 船木 岡部 齊藤
何度も見て何度も泣きました。
そう言えば スピードスケート会場にわが社の製品が使用されて
何度か 修理に行きました(笑)
懐かしいです。