もうすぐ開幕する
ピョンチャンオリンピック。
という報道に合わせて、
長野オリンピックから20年、という言葉が良く聞かれます。
そのような報道を耳にするたびに、もう20年も経つんだな、と懐かしいやらさびいしいやら。そして、当時のことが思い出されます。
また、テレビのインタビューに答えたりしている20才の若者は、長野オリンピックの事はリアルタイムでは知らないんだな、と不思議な気分になってしまいます。
それまでは本当に田舎だった長野県も、オリンピック期間中は長野市を中心に大勢の外国人の方や日本人の方、そしてマスコミ関係などが訪れていて、とても活気に満ちていました。
当時、ピンバッチの購入、交換が流行っていて、多くのお店が出ていたことが思い出されます。
また、なんて言ったって、新幹線が長野市まで開通した、ということが私達長野県民の生活を大きく変えてくれました。新幹線が長野に来るぞ〜!ということには本当にワクワクしました。当時の新聞で、「新幹線がいよいよ県内に」という言葉が踊っていたのが思い出されます。(新幹線の試験運転を受けて)
その新幹線が開通したのは、その前年の10月1日。当時、さよならあさまというようなタイトルで、東京行きあさまの最終戦に乗ってレポートするような番組もあって、それも良く思い出されます。あさまにはもう乗れないんだと、チョッピリ寂しい気分にも、、。
長野オリンピックを契機に、県内の交通網も激変し、生活自体も変わりました。
田舎もんが急に第一線に躍り出たような気分です。
その後には軽井沢にはアウトレットが出来、佐久平は新幹線の駅がたった1個出来ただけなのに大変貌を遂げています。
長野オリンピックは素晴らしい大会の一つだったと思いますが、この20年の変化を、地元の方はどう思っているのでしょう。
軽井沢で行われたカーリング。20年経ってSC軽井沢クラブが代表に選ばれたり、小平奈緒さんや渡部暁斗さんや多くのメダルを期待される長野県選手の皆さんの存在が、この長野オリンピックの遺産かもしれませんね。
賛否両論あった開会式。
アメリカのテレビ局の強い要請で昼間の開催となってしまったのは残念。その内容はというと、日本というより長野県の紹介です。御柱なんて言っても知らない人は知らないので、スクリーンに実際のお祭りの様子でも流巣ような演出もあってよかったのではと思いますが、そういう技術はあの頃にはなかったのかしら?また、昼間のため、光の演出もできず、派手さが全くありませんが、近年の開会式でよくみる、訳のわからないダンスとかよく知らない歌手の歌をダラダラと聞くよりはいいかと。
お相撲さんが出たのは、雷電の影響?
[HD] 1998 Nagano Olympics - Opening Ceremony Part 1/4 - Artistic program 長野五輪開会式