国営昭和記念公園の西側には進駐軍から返還されてまだ利用していない広い土地があります。
残堀川の調整池、刑務所、そしてゴミ処理場、道路などができるとか。
今までは入ることは出来ない雑木林で、サクラの木も多くありましたがどんどん伐採されています。
数年後には景色がかわってしまいます。
街の中の雑木林、タヌキや野鳥も住んでいてそれなりに良かったのですけど。
これも国営昭和記念公園の西側、東中神駅の北側にある都営住宅です。
順に高層の建物に建て替えるそうで、写っている建物群はすでにみんな引越し、解体待ちです。
未利用の返還地、都営住宅、国営昭和記念公園の西エリアの景色は数年で違ったもの
になります。
グーグルで住んでいた田舎を見ると50年前とほとんど変わっていないところが多いです。
反対に都会はめまぐるしく景色が変わります。
隣りの立川の町並も全く昔を思い出すことなど出来ないくらい変わりました。
こういうところで生まれた子供たちは「故郷」と言う感覚は持てないなと思いました。
うさぎおいし かのやま こぶなつりし かのかわ ・・・・・・・。
子供の頃を過ごした故郷をしばらくぶりに訪れると、遠かった場所が近かったり、広かった場所が狭かったりします。
生まれて小学2年生の終わりまで過ごしたのは今原発のある伊方ですけど、
中学何年だったか、父方の祖父が亡くなった時に行ったら、広いと思っていた村役場の広場がすごく狭かったり、海岸から延々と奥の方に歩いたお寺が意外と近かったりしたので驚きました。
自分が大きくなったせいですけど、こちらのようにこんなにめまぐるしく変化してはそういう感覚も解りませんね。
めまぐるしく移ろう都会に「故郷」を感じる事が出来る かわらない場所 意識的に作ることを考えるべきです。
小学3年生から高校卒業まで暮らした宇和町をグーグルのストリートビューで見たら友人の家がそのままありました。
その頃も宿場町を感じさせる建物でしたから、かなり前に建てられたのだと思います。
それから50年たってそのまま残っている、こちらと流れている時間の違いを思わざるを得ません。
ただ、住んでいたところは幹線沿いで道はその当時からバイパスとして整備されはじめていたので、見るとりっぱな道になり、家のあったところはガソリンスタンドになっていました。
しかし、その場所だった事は周りの状況から解ります。
今住んでいる家、再開発でもされたらここに住んだ形跡も無く全く景色が変わることでしょう。
もう故郷を訪れる事はありませんが子供時代田舎で過ごしたのは良かったなと思います。