( 写真は春分の日のものです )
登山用のトレッキングポールは各種幾つも持っていますけど、シニア用の杖にも興味あり。
昔父が鉱山の社長が杖をつきだしたら終わりと言っていました。
一緒に山を登る時も、ま、その頃は今の様なトレッキングポールはありませんでしたが杖はつきませんでした。
私はハイキングの時はTハンドルの1本ポールを使っていますし、ちょっときついところではレキのカーボン2本ポールを使います。
母には母の好きな色の杖を買ってあげました。
シニア用の杖もカーボンの折り畳み、カーボンの1本杖、木製の一本杖、をすでに用意しています。
一番高価なのはカーボンの折り畳みです。
超軽量オールカーボンコンパクト折りたたみ伸縮杖/ダークワインPC04
パナステッキ
パナステッキ
軽くコンパクトになるので良いのですけど、なんか味気ない。
竹の一本杖が面白いなと思うのですけど実用と軽さを考えるとやはりカーボンかな。
グッズ好きの私、年齢とともに年相応なものに興味が出ます。
そのうち骨壺とか興味が出るのかな。
「 母の19日間 」
母の自宅介護をし、自宅で看取りました。
自宅で看取る前短期間でしたが入院してもらったのですけどその時ガンが見つかりました。
母は93歳。
その時意識レベルはかなり低く多くの人が参加してカンファレンスが行われ、ソーシャルワーカーの方が 自宅に帰りましょう と提案。
母もずっと私といたいと言う希望でしたので自宅に帰ることにしました。
その前に痰の吸引を習ったり酸素の扱い、点滴の交換や調整を習いダイニングキッチンが一番作業しやすいので食器棚を処分し、廊下に付けていて邪魔になる手すりを撤去、上がり框の段差を解消するリフトを設置介護ベッドをダイニングキッチンの窓辺に置き、酸素吸入と痰の吸引器具を入れました。
退院の当日はヘルパーさんが来てくれました。
母を運ぶための車いすを病院に運んでもらっていましたので小型の酸素ボンベを使い母を家に運びました。
病院の玄関から数十メートルなので助かりました。
母を介護ベッドに寝て貰ってひと段落。
訪問のお医者さんが翌日になるのでそれまでに急変したら救急に連絡しなけれbならなかったのですが、翌日お医者さんが来てくれました。
自宅で看取るには訪問のお医者さん、訪問の看護師さんが必須なのです、
そうでないと警察が介入するのです。
それから毎日看護師さんとヘルパーさんが毎日来てくれました。
私は母のベッドの下に布団を敷いて寝ましたが、定期的にバイタルのチェックや痰の吸引をするので熟睡は出来ませんでした。
おむつの交換は毎日2度ヘルパーさんが来てくれて大変助けられました。
亡くなる2日くらい前から手首の血圧計や指に付けるパルスオキシメーターが使えなくなったので抹消の血流が止まったのかなと思いました。
退院して19日目の深夜3時頃、母の呼吸音が聞こえないのに気が付きました。
すぐ看護師さんに電話して来てもらい、心肺停止を確認してもらいました。
妹には慌てないで夜が明けてからでいいよ、と連絡し、朝お医者さんが来てくれるのを待ちました。
朝お医者さんが来て、看護師さんがエンゼルケアをしてくれて私の介護は終わりました。
在宅介護在宅看取りは母の希望通り、でも私はけっこう消耗しました。
これはやった人でないと解りません。
100日後に死ぬワニ の本が来ました。
内容はネットで見ていましたが生き物は生まれた瞬間から確実に持ち時間は減っています。
数時間の人もいるでしょうし100年を超える人もいるでしょう。
それは誰にも解りません。
病気でなくても事故もあるのでいきなりその人の時間が絶たれるのも珍しくありません。
若い頃は明日も普通の日常が来ると疑いませんが歳を取ると来年もお花見が出来るかなとか趣味でもまた出来るかななどと思いますがそれは最後の〇〇を意識していると言う事。
自分の残り時間、一日過ぎると確実に1日少なくなっています。
カウントダウンですね。
時間は年齢とともにどんどん短くなるので私は70歳過ぎたら幾つまででも同じかなと思いました。
70までは生きたいものです。
人生と言うテーマパークを一応一通り見ることが出来るのはその年齢かなと思います。