日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

日大豊山を知ろう その8 「充実期」

2020-04-13 07:43:47 | トピックス

昭和48(1973)年、第7代金子義夫氏が校長に就任、日大豊山は新たな発展の時期を迎えました。

生徒へは文武両道を掲げ「正しく強くおおらかな人間になれ」という姿勢を示し、これがのちに校訓の基礎となりました。

昭和49(1974)年までは都電を利用して生徒は登校していましたが、昭和51(1976)年に地下鉄有楽町線が開通し、護国寺駅を利用するようになりました。

駅の鈴木さんという方からのインタビューがありました。

駅の開通当初から生徒は迷惑をかけていたようです…。

その頃、日大豊山高校の隣には「音羽市場」がありました(上の写真)。

生徒はパン屋のおばさんと交流が深く、『つどい』13号にはおばさんからのインタビューも掲載されています。

質問とおばさんの答えが面白いです。

卒業文集に音羽市場の思い出を書いている生徒もいるほどで、注文したパンと袋に入っているパンが一致することはめったになかったそうです。

ときにはタマゴパンだけが4つも入っていたという話もあります。

昭和52(1977)年には生徒数の増加に伴い5号館が竣工されました。

竹村知洋

 

 

 

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