コキュートスの記憶

日々の出来事とか戦果(買い物)とか。
主にガンダムを中心にしています。

ザクレロのこと その4

2007年10月23日 | MS & MA
ザクレロのこと、最終回でございます。
今回はこれまでのモノをまとめて、
ザクレロってこんな機体だよっていうのの焼き直しを書いていきましょう。

ザクレロの開発は、メガ粒子砲の開発後、0073年から始まっています。
拡散ビーム砲の提唱者であるセム・モンターグ教授がラインメタル社の援助の下、
ビームを収束させずに広範囲の敵に攻撃を行う兵器(収束させる技術が未熟だった
という見解もあります)として、一応0078年に完成させています。
しかし、当時の技術では安定したビームを発射させる主機がなく、一年戦争が開始
されると、開発を担当していたラインメタル社も艦砲などの開発で忙しくなり、
0079年2月の段階で計画は中断してしまいます…。

その後、連邦軍のGアーマーや、MSの登場により、機動力と拡散ビーム発射機能
を持つザクレロが再び注目されるようになります。この時点で開発はコーダ社へと
移され、拡散メガ粒子砲を持つMAとして計画されています。
この辺りで、ヨッフム家が援助をしているのではないでしょうか?
また、『MS ERA』の写真は10月下旬なので、競作されたビグロとのお披露目?
機体色が真っ白(銀色)なのは試作段階だからではないでしょうか?

0079年11月下旬に完成した機体は、それぞれ試験が行われたのですが、
2号機は試射実験中に爆発して消失、パイロットのグレッテマーク少佐も死亡して
しまうという大きな事故を起こしてしまいます。このことが原因となり、試作機の
3機に続いて発注されていた30機もキャンセルとなり、残った2機の試作機も
各線戦へと送られています。
『バニシングマシン』での試験はこの辺りのことでしょうね。
「ミステール1」と呼ばれていたので1号機なのかも知れません。

残りの1号機は、キャリフォルニア・ベースでの試射後にデミトリー曹長によって
実戦に参加、3号機は、リッツ大佐指揮下へと届けられています。もしかしたら、
ア・バオア・クー宙域にいた「メデューサ隊」というのはリッツ大佐の麾下かも?

で。残りがバチザードなのですが、発注されてた機体を流用したのか、部品用を
流用したのかはよく判りません。建造されたようなことが書かれてましたけど…。


というわけで、まとまりも何にもないのですが、
劇中での扱いに較べて色々な媒体で扱われていたり、商品化されてるザクレロを
紹介してみました。いかがでしたでしょうか??

それと、もしよろしければどのコンテンツを目的にお越しいただいているのか
教えていただければ幸いでございます。下のアドレスからお願いします。
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