今から2000年以上の昔、北アフリカ沿岸都市国家の一つで、地中海世界で有数な国家として栄えていたカルタゴは、紀元前200年頃、軍事大国ローマと第2次ポエニ戦争を戦い敗れて無条件降伏した。その時の講和条約の内容は次のとおりであった。
(1)独立は認めるが、本国以外の海外領土は全て放棄すること、
(2)専守防衛に限り自衛軍の存続を認めるが海外派兵は認めない、
(3)カルタゴ駐留のローマ軍の経費は全てカルタゴが負担すること、
(4)賠償金を支払うこと、等である。
戦後、カルタゴは経済活動のみに専念し、奇跡の経済復興を成し遂げた。
勝ったローマの方は表面的には華やいでいたものの、勝者としての国際的責任と義務をかかえこみ、逆に財政赤字に苦しむ国家となっていった。
発展をつづけるカルタゴを苦々しい思いでみていたのはローマの元老院(議会)ばかりでなく、他の地中海諸国も同様であった。このままの状態がつづけば、世界の富は全てカルタゴに支配されてしまうと恐れをいだいた軍事大国ローマは、いろいろな無理難題をカルタゴにおしつけ、それを拒否したカルタゴに一方的に宣戦を布告し大軍を送った。
カルタゴは、仲介をたのむ国もなく、孤立無援の戦いをつづけ、紀元前145年、ついに全国民玉砕し、カルタゴは地球上から完全に抹殺されてしまったのである
カルタゴは、ローマとの関係を重視し、約束を守り、友好関係をつづけてきたつもりでいたにもかかわらず、ローマ国内にカルタゴに対する嫉妬、憎しみ、いらだちが充ちあふれていたことに気づかなかった。
既にローマの属国となっていたギリシアは、そのヘレニズム文明がローマ人に敬意をもって受け入れられていたために、国家としても安泰であった。
カルタゴには、ローマが敬意を払うような文化もなく、十分な軍事力もなく、また、外交の稚拙さゆえに友好国家を作ることもなく、ただただその自国の経済力のみを頼りにしてきたのであるが、その経済力があだとなり、ローマの憎しみの前には何の力も持つことなく、地球上から消えていった。
強力な軍事力をもたないカルタゴは、その巨大な経済力で近隣諸国との友好関係を築いておくべきだった。
我々も“歴史を学ぶ”のではなく、“歴史に学ぶ”べきであろう。 (政府ODA関連記事より)