前回の予告を変更し、前回の結論が正解(正確)であると判断できる見逃せない事実を先にご紹介します。
実は、1995年、国立国会図書館にて、50年前の日本国憲法成立過程に関する機密文書が公開されました。
その中に、衆議院を通過した「憲法改正草案」の中の9条を、極東委員会がどう読んだかが書かれています。(ネット検索可)
時系列でみてみましょう。なお、文民条項も絡んできます。
1946.4.17 GHQの憲法草案をもとに作成した日本側の「憲法改正草案」を公表。この中での第9条は「国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては永久にこれを抛棄する。 陸海空軍その他の戦力の保持は許されない。国の交戦権は、認められない。」です。
1946.8.19 また、国務大臣は文民でなければならないとする原則が盛り込まれていたので、日本側は、第9条第2項が軍隊保持を禁じている以上、軍人の存在を前提とした規定を置くのは無意味であると主張し、文民条項は置かないことでマッカーサーの了解を得た。
1946.8.24 衆議院本会議にて「憲法改正草案」(芦田修正済)可決成立
1946.8.25 極東委員会に英訳を送る。が、「前項の目的を達するため」を読んだ各国委員から批判が出た。
1946.9.21 極東委員会議において、各国を代表して中国代表が、『日本が「前項の目的」以外、たとえば「自衛という口実」で、実質的に軍隊をもつ可能性がある』と指摘した。
1946.9.24 マッカーサーは、ホイットニーとケーディスを吉田首相のもとに送り、交渉の結果、「文民条項が復活」することになった。極東委員会は、これで軍の暴走を止められると判断したのであった。
上記の如く、極東委員会がそう読んだということは、裏を返せばそう書いてある(持てる)、ということであり、9条は、「侵略の場合の戦争と戦力を否定しただけで、自衛の場合のことは何も書いていない。」と読んだのである、ということがわかります。だからこそ、文民条項が復活したのである。
<無視し続ける学者たち>
ところが、公開から20年以上も経ているのに、憲法学者は、そのこと(極東委員会がどう読んだか、「文民条項が復活であること」)を無視しつづけている。このことに対し、U教授(上智大学憲法学)は、怒っています。
確認のため、書店の関連新刊本をめくってみましたが、やはり、これらのことに関して、記述はありませんでした。
ところで、1995年とは、どういう年だったでしょうか?
実は、1月に阪神淡路大震災が発生しました。折しも村山政権のとき・・・国内は大混乱。
「9条守れ」派の人たちには、そのことを隠しておくには都合の良い状況です。「9条」を食い扶持にしている学者、言論人は、ひたすら黙認していたことでしょう。自説(全面放棄説)の変更は、学者にとっては自殺行為(?)ですから・・・
それで、それを読む限り、中国代表は確かに芦田修正論的解釈を「常識」とまで言っていましたが、その「常識」を共有しているのはカナダ代表だけで、またカナダもそれだけを理由とはせず将来9条が削除される時日本国民が文民条項の是非という問題に直面するのは良いことだという理由も持ち、アメリカは見解を留保して修正理由を最高司令官に確認することを主張し、オランダはそれに同調、イギリスは表現の曖昧さ(と翻訳の悪さ)を批判してこれも最高司令官に尋ねることを主張、オーストラリアは9条が改正される可能性は高いということを主な理由とした上でそこに自国政府が入手した正文では軍隊の保持の是非が曖昧であることも加わって文民条項が必要と主張、ソ連は日本がある種の軍隊を持ちながらこれは合憲だと連合国と日本国民を欺く可能性があるから文民条項を入れるのが良いと主張、ニュージーランドは元々委員会が定めた条件では文民条項があったではないかというそもそも論を展開しました。
こうして見ると、芦田修正論を当然のことと認めたのは中国とカナダのみ、芦田修正論が成立し得るとはっきり考えた国まで加えても中国、カナダ、オーストラリアだけです。他の国は別の理由で文民条項を主張したり、まずは最高司令官に尋ねてみようと言ったりしていて、とてもではないが「極東委員会は芦田修正論を認めた」と言える状態ではないと思います。さらに、彼らは「In order to〜」と「land, sea, air forces〜」を入れ替えるだけで芦田修正論が成立する英文で議論していたわけです。日本語成文に比べれば芦田修正論が成立しやすい英文ですら多くの国は芦田修正論を当然のことと受け入れはしなかった、と考えると極東委員会によって芦田修正論の正当性はより確かなものになったとは到底言えないと考えます。