奥沢・東玉川のヨガ教室

Vanda Scaravellli に学ぶヨガ
奥沢・田園調布・東玉川・雪が谷大塚・石川台・洗足池・自由が丘

へび年

2025-01-06 05:45:49 | ヨガ

へびは、脱皮と再生をくり返して生きていきます。

東京の下町にもかつてはへびが生息していましたし、

多摩川付近には、いまでもたまに見かけます。

多摩川支流の丸子川を大きな白いへびが踊るように泳いでいるのを見たことがあります。

通行人がおもわずおぅ、と声をあげて自転車を止め、眺めていました。

へびは、丸子川を下流へと泳いでいきました。

再生はめでたい。

ならば死はどうでしょう?

今年72になる自分は、この世の生を六周したことになります。

この世とあの世を半分こで生きる、というこの四年間のモットーは、この世の魅惑的すぎてか、あっちへ行く頻度をもう少し増やそう、と思う正月であります。


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魂づくり

2024-12-16 11:36:27 | ヨガ

魂・こころを主語にしてみましょう。

魂・こころが飢える。

魂・こころが求める。

魂・こころがながめる。

魂・こころが反応する。

魂・こころが満足する。

 

魂の迷いやすい時代の物質主義とエビデンス中心主義を見直します。

ほんとうのことは目に見えない、

証明することもできない、

と考えるとき、

むしろ自己の傷つきと他者の傷つきの実質が浮かんでくるような気がします。


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瞑想について

2024-12-08 17:28:39 | ヨガ

瞑想とは「空け渡し」であり、わたしたちにはどうすることもできない、ということを知ること、と言われます。

仏国寺の和尚・当時原田湛玄老師は、禅堂に向かうとき「手も足も出ない」ダルマ和尚を思え、と言ったものです。

「一瞬先は闇」とも。

2013年に20年ぶりで小浜の仏国寺訪れたとき、老師様はすでに別室で寝たきりの状態でいらしたのでした。

お寺は閑散として、大勢のお坊さんと海外から修行に来たひとびとの読経のものすごさも消え、数人のお坊さんのみのお寺となっていました。

そのとき、禅堂のお掃除を申しつかって、丸座布を積み上げ、すべの窓を開け放し、仕切り板を除き、30代の始め懸命に「祈った」場所の現実の姿を目の当たりにしました。

ただ座り、ただ呼吸に意識を集めることに集中しようとしましたが、思いや考えを脇に置いておくなんてできません。

身体の動きは「止まれ」と命令すれば止めることができますが、思いや感情の動きは、命令しても止めることはできないのです。

ただ流しておけ、ただ眺めろ、と老師は言ったものです。

指導者によってさまざまだと思いますが、仏国寺の和尚の指導は「止めろ」ではありませんでした。


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シャーマンズ・ボディ

2024-11-26 19:06:27 | ヨガ

ミンデル著【シャーマンズボディ】より抜粋

‥第二のシグナルは、非合理的な体験に焦点を当てる自覚である。

無意識な偶然の動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった四六時中生じている自発的なプロセスへ向けられたものだが、それこそが夢見の世界の鍵なのである。

それが普段の生活の邪魔になる場合、

それがあるいは社会文化的に疾患であると解釈され、

消去され、抑圧され、癒されなければない病理とされた場合、

しかしそれらは特別な意識状態にある時、瞑想状態、昏睡状態ダンスを踊る時、スポーツやセックスをしている時、あなたは第二の注意力が中心となる状態に入り、ドリーミングボディを生き始める。

戦士としての、あなたの仕事は、そうした感覚を感じ取り、ドリーミングボディの体験によって全体性や創造性を感じることである。

ドリーミングボディを生きるとき、あなたは目覚めているのでなければ夢を見ているのでもなく、

体の内側に入るのでもなければ外側にいるのでもない。

あなたを外から見ているひとにあなたのドリーミングボディの体験は理解できないかもしれない。

それがあなたに予測不可能なことをさせるため、あなたはドラッグをやっているか、

あるいは至高体験を体験していると考えるだろう。

しかしあなたの内面では、馴染み深いけれども、

やはり自分でも理解しがたい感覚や働きが体験されている。

あなたは根源的な何かと結びつき、そして時空間や世界から独立した自己の全体性を体験するのである。

こちらのブログも参照していただけると幸いです。

https://somatic-healing--shaman-marie-da.webnode.jp/


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一般常識という催眠

2024-11-21 06:07:07 | ヨガ

瞑想していないとき、わたしたちは「一般常識という催眠」にかかっています。

常識の催眠下におかれると、目標や到達すべき地点、合理的とか効率とか、道がはっきり見える、と錯覚します。

ヒトとしてとかニンゲンとしてとか言いながら、自分ではないだれかになれ、とこだまします。

エリート感はシンプルで甘く、その感覚は手強いです。

息苦しくなったら、離れましょう。

自分の内側を感じるののです。

ミュージック・セラピーや瞑想朗読など簡単にスマホから手に入ります。

自分にむかって言うのですが、もたもたしいないで、逃げるのが一番!

あるいはいったん横に置いておきましょう。

わたしは散歩がすきです。

多摩川沿いは宇宙につながる気で満ちています。

そこに立つことがすでに瞑想です。

空と海に向かう流れをいっぱいに吸い込みます。


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