ひさしぶりに、ヨガのあいだじゅう、もやもやといろんなシーン、いろいろな声やことばがよぎる日でした。
妄想とまではいいませんが、週末に観たドキュメントの映像や、過去におこったシーン、むかしだれかから言われたいやなことなど、ぶよぶよと湧いてきます。
あれ?
どーした?
と思ったあと、いやいやこれってよかったんだ、と思い出しました。
「いろいろなものが出てきて、流れていくのはこころが澄んでいるからです」と書いてあったのはだれの本だったか?
「無」などということはありえない、意味不明な流れが意識にのぼることはおおいに結構、と。
シャバ・アサナのあいだ「死体」になることをこころがけました。
師走は毎年体調を崩しやすいので、とにかく動いたあとは脱力することをこころがけています。
抜いたつもりでも抜ききってない、のだと思います。
もっと抜かなくては、もっと吐かなくては、もっと捨てなくては、と思う年末です。
シャバ・アサナからはじまり、シャバ・アサナで終わるヨガ。
はじめの一歩は、最後の一歩、そのことの意味を考えます。