痛みは、16世紀の女性たちには個人に属するものではなく、世界にほころびがあるために起こる症状としてとらえられていました。
私の身体は、天候よって痛みが生じます。
痛みがあると、なんとかしようともがきます。
痛み止めを飲んで痛みの感覚はマヒしても、身体は痛みを耐えているので、消耗します。
私は、ほとんどの場合飲みません。
入浴やぬかパック、蒸しタオルでずいぶん改善します。
たいていの場合は時間がたつとよくなりますが、これ以上痛くなったらどうしよう、と恐怖に襲われ、恐怖が痛みを増幅させる感情であるとしりつつ、「なくとかなるさ」とは思えない因果な性格です。
さっさと痛みを消す方法を考えます。
痛みをなにかの警告ととらえる考えることもあります。
なにかが間違ってるから痛むのだ、とあくまでも自分の責任です。
世界に亀裂があり、紛争があり、闘争があるのはほんとうのことです。
このしつこい痛みをそのせいにする、のもおもしろいかもしれません。
台風の影響による、突然の大雨、疾風、そしてうってかわったぎんぎらの太陽とめまぐるしく天候の変わる月曜日、私たちはいつもようにヨガをします。
ケヤキの大木に、鳥の声が聴こえたかと思うと、セミのわんわんいう声も響いてきます。
それがまた、ざあーっという雨の音に変わります。
瞑想にうってつけのお天気です。
身の回りの音に集中すると。かえって内部に深く誘われます。
全身がかるくなったこの日のヨガでした。