神奈川・川崎市川崎区大師町
大本山 川崎大師平間寺
その昔、無実の罪で尾張の国を追われ、川崎に住み着いた
平間兼乗が夢枕に立った高僧のお告げにより、海の中から
弘法大師像を引き上げ、海辺の小庵を建てて祀ったのが
始まりと言われます。
後に、高野山高僧の尊賢上人と出会い「大師像」の神の恵みの
不思議な力に感泣し、2人で力を合わせて寺を建立しました。
ご本尊が厄除けなのは、夢枕に立った高僧が「これを供養し、功徳を
諸人に及ばさば、汝が災厄変じて福徳となり、所願もまた満足すべし」
と告げたからとされています。
徳川11代将軍・家斉が41歳の前厄に当たり、厄除けの目的で
公式参拝しました。これにより、江戸の人々に広まり爆発的に
信仰が高まったと言われます。
遍路大師像には、巡礼された足腰の健脚にあやかり
わらじに水をかける参拝者が大勢いました。
仲見世通りには、音百選にも選ばれている飴切りの
包丁の音が「とんとこ」と聞こえていました。
「家内安全」をお願いし、葛餅をお土産にして
帰りました。
大本山 川崎大師平間寺
その昔、無実の罪で尾張の国を追われ、川崎に住み着いた
平間兼乗が夢枕に立った高僧のお告げにより、海の中から
弘法大師像を引き上げ、海辺の小庵を建てて祀ったのが
始まりと言われます。
後に、高野山高僧の尊賢上人と出会い「大師像」の神の恵みの
不思議な力に感泣し、2人で力を合わせて寺を建立しました。
ご本尊が厄除けなのは、夢枕に立った高僧が「これを供養し、功徳を
諸人に及ばさば、汝が災厄変じて福徳となり、所願もまた満足すべし」
と告げたからとされています。
徳川11代将軍・家斉が41歳の前厄に当たり、厄除けの目的で
公式参拝しました。これにより、江戸の人々に広まり爆発的に
信仰が高まったと言われます。
遍路大師像には、巡礼された足腰の健脚にあやかり
わらじに水をかける参拝者が大勢いました。
仲見世通りには、音百選にも選ばれている飴切りの
包丁の音が「とんとこ」と聞こえていました。
「家内安全」をお願いし、葛餅をお土産にして
帰りました。