
日光市・湯元温泉にある温泉寺に立ち寄りました。


参道を進むと、正面に社務所があります。右手奥には本堂があり、お参りを済ませました。
社務所入り口で、呼び鈴を押し、入浴を申し出て入浴料500円/1人支払いました。
浴槽は3~4人で一杯の感じです。お湯は乳白色の硫黄泉で熱かったです。
多少の狭さを感じますが、温泉の良さを実感できました。


温泉寺由来の掲示がありました。

近くには、湯元温泉の源泉があり、旅館や、ホテルの名前が源泉の建物に
標示してありました。温泉街には足湯もあり、多くの人が利用していました。
「入浴者」??の多くは足を真っ赤にしていたのが目に付きました。
温泉に入り旅の疲れを取ることができました。



群馬・沼田ICより国道120号線で丸沼高原~金精峠~日光方面に出かけてきました。
丸沼高原からロープウエーで「シラネアオイ」を見てきました。


ロープウエー山頂(標高2000m)からの白根山は身近に感じられ、日本百名山の威厳を
感じました。山頂には2006年8月に天空の足湯がオープンしてましたが、今回は6月から
営業とのこと、利用することができず残念でした。(無料)


山頂駅前には、ロックガーデンがあり、貴重な高山植物があります。
やっと、「シラネアオイ」を見ることができました。淡い紫の色をした気品のある花でした。
1科1属1種で白根山の名が付いた日本特産種だそうです。
時期が早かったので、花の咲いている数は少なかったです。
丸沼高原では、高山植物に対する保護育成に一生懸命取り組まれている姿が感じられました。


帰りはスキー場を徒歩で約1時間をかけて下山しました。
スキー滑走では頂上から10分もかからないコースですが、急な斜面があり、
ゴロゴロ石があり、途中には雪渓もあり、苦労しながら無事に下山できました。
ロープウエー往復:1800円 片道:1000円


埼玉・比企郡川島町 遠山記念館に出かけました。

遠山元一は、日興証券の創設者。明治23年(1890~1972)この地に生まれました。
生家没落のため、16歳で東京兜町で就職。大正7年に独立。川島屋商店を創設。
(川島屋の名前は生家の地名を付けた)昭和13年川島屋証券会社を創設。
その後、旧日興証券と合併し、日興証券を設立社長となりました。
昭和39年会長を退くまでの間、証券連合会長などを歴任しました。

元一は、苦労した母のために、家を建てました。全国からすぐれた建築材料を取り寄せ、
時間をかけて(約3年弱)立派な家を造りました。

母没後、元一の接客用に使用。その後、財団法人となり一般公開されるようになりました。
有形文化財に指定。入館料:700円

昭和46年、元一は川島名誉町民となりました。
記念館の周辺は田圃に囲まれ、のどかな田舎風景が感じられます。
純日本式建物や庭園はこれからも残してほしいものです。

気になっていた「電力王の生誕地」福沢桃介の地を散策しました。
我が家から東松山の高速道に行く途中に、その標識があります。

場所は埼玉・吉見町。県道から100メートル入ったところに墓地がありましたが、岩崎家の墓の
隣にNHK大河ドラマ「波の波涛」の記念碑がありました。これが唯一の面影でした。


桃助は、明治元年、現在の吉見町の岩崎家に生まれたが、明治7年、一家は川越に移住。
その後、慶応義塾に学び、望まれて福沢家の養子となり明治20年には米国に留学した。
帰国後は財界に入り、殊に株式で多額の資を得て、木曽川水資源開発を企て、更に
外債募集にも成功して、大井ダムを始め、多くの電源を開発して、名古屋をはじめ
関西方面に送電したので、電源王の名を以て呼ばれた言う。
昭和13年70歳で他界されました。
埼玉にもこんな立派な人がいるとは知りませんでした。
機会を見て、記念館にも(長野・南木曽町)足を延ばしたいと思います。
我が家から東松山の高速道に行く途中に、その標識があります。


場所は埼玉・吉見町。県道から100メートル入ったところに墓地がありましたが、岩崎家の墓の
隣にNHK大河ドラマ「波の波涛」の記念碑がありました。これが唯一の面影でした。


桃助は、明治元年、現在の吉見町の岩崎家に生まれたが、明治7年、一家は川越に移住。
その後、慶応義塾に学び、望まれて福沢家の養子となり明治20年には米国に留学した。
帰国後は財界に入り、殊に株式で多額の資を得て、木曽川水資源開発を企て、更に
外債募集にも成功して、大井ダムを始め、多くの電源を開発して、名古屋をはじめ
関西方面に送電したので、電源王の名を以て呼ばれた言う。
昭和13年70歳で他界されました。
埼玉にもこんな立派な人がいるとは知りませんでした。
機会を見て、記念館にも(長野・南木曽町)足を延ばしたいと思います。


加賀藩前田家の祈願所として建立された妙立寺。
複雑な建て方をしたお寺がありました。外観は2階に見えるが、
内部は4階建てというものでした。その仕掛けは中2階、中中2階など複雑な
構造で部屋数が23、階段数が29もあります。
最上階の物見台は各方面を遠望でき、金沢城への逃げ道と言われる大井戸など
色々な工夫が施されていました。堂内はあちらこちら迷路になっていることから
「忍者寺」とも呼ばれているようです。
忍者の寺として建立されたのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむく
ために、建てられたものです。



明かり取り階段の蹴込のところに障子を張って明かりを取り、外敵の足の影を見て、
槍などで刺し倒すことができるようになっています。
内部の写真が撮れなく、外から撮った貴重な写真です。
※仕掛け賽銭箱=本堂入り口に埋め込まれている細工が仕掛けられて、落とし穴と
しても利用できる。
※落とし穴階段=渡り廊下に見せた階段で、床板をはずすと落とし穴となっている。
※井 戸 =建物の中心にあり、深さ25メートル茶水に利用されたが、水面上には
横穴があり、金沢城まで続き逃げ道にもなっていたとも言われています。
見学には事前予約が必要。拝観料:800円

百万石道路を貸し自転車で走りながら考えました。
昔の人々はすばらしい知恵があったんですね~
1泊2日、金沢の街に触れる900キロの旅でした。



重要文化財に指定されている石川門は天明8年に再建されました。金沢城
裏口門にあたり枡形門となっています。
金沢城の石垣めぐりもできます。
*石積み技法:野面積みは加工のない石を積み上げる技法。
*打ち込みハギ積み:形や大きさを揃えた割石を積み上げる技法。
*切り込みハギ積み技法:石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる技法です。

石川門の石垣は、右が切り込みハギ、左側は打ち込みハギの技法で作られています。
石垣もこんなに違った種類があるとは知りませんでした。

昔は中級武士の住まいであったそうです。敵に狙われないために迷路を装い、
袋小路や丁字路が随所にありました。現在も生活を維持しながら、保存されて
いるのは驚き、昔の姿を見られたのは素晴らしい感動を受けました。


長町武家屋敷の西を流れる大野庄用水。江戸時代は金沢城の防火に利用されたそうです。
鞍月用水などあり、現在も重要な農業用水として利用されています。
金沢での昼食は「百万石御膳」を食べて殿様気分にしたることが出来ました。

