主人が今月の観音寺寺報に幽霊の話を書いていました。
人吉の永国寺には幽霊の掛け軸があり、ゆうれい寺としても有名ですが、この幽霊の姿は長い髪をうしろになびかせ、手は胸の前でだらりと垂らし、足がありません。
その姿には意味があり、長い髪は過去を引きずっている様子、手は先のことをあれこれ心配してどうしていいかわからなくなった様子、足がないのは現実をしっかりみないで地に足が着いていない様子だというのです。
だとしたら、死んで幽霊になるのではなく、今の自分を仏様の鏡を通して見てみると、そんな姿が浮かび上がるかもしれません。
よく学校には幽霊が出る、といいますが、最近、教師の間で「モンスターが出た」「うちにも出た」という話がささやかれるそうです。
大阪大学院小野田教授の研究では、1980年代後半頃から、親と学校の距離感が変わってきていて、保護者からの「無理難題要求」が増え、学校はその対応に苦慮しているということです。
バブル経済が破綻した後、生活不安や職場のストレス、対人不信と孤立化。それにより社会全体が苛立ち、余裕を失っていて、その中でとりわけ間口が広く、文句を言いやすい学校がターゲットになっているというのです。
「けんか相手の子どもを転校させろ」「子どもの成績が悪いのは、教師の教え方が悪いからだ」など、長時間抗議したり、担任の携帯電話に夜間や休日にまで電話をかけてきたりする親がいるのです。
テレビの報道でも、給食費を払わない親が問題になっていましたね。
こういう親のことを「モンスター・ペアレント」と呼ぶのだそうです。
そういう親の姿を見て、子どもの方が「申し訳ありません」というあやまってくる例もあるそうですが、一般に子どもは親の背中をみて育ちます。
今の子どもたちに、善いこと、悪いことを教えるのもたいへんみたいです。
知り合いの先生から、隣の席の子どもの持ち物を勝手に取り、返してっていうと、その証拠がどこにある!とくってかかる子がいると聞いたことがあります。
自分が悪いことをしても、他人のせいにしたり、人を傷つけても、傷つく方が悪いとうそぶく子。
そんな子どもたちが大人になったら、この日本はどうなるのでしょう。
自分が幽霊やモンスターになっていないか、たまには自分の姿を仏様の鏡に映してみないといけませんね。
人吉の永国寺には幽霊の掛け軸があり、ゆうれい寺としても有名ですが、この幽霊の姿は長い髪をうしろになびかせ、手は胸の前でだらりと垂らし、足がありません。
その姿には意味があり、長い髪は過去を引きずっている様子、手は先のことをあれこれ心配してどうしていいかわからなくなった様子、足がないのは現実をしっかりみないで地に足が着いていない様子だというのです。
だとしたら、死んで幽霊になるのではなく、今の自分を仏様の鏡を通して見てみると、そんな姿が浮かび上がるかもしれません。
よく学校には幽霊が出る、といいますが、最近、教師の間で「モンスターが出た」「うちにも出た」という話がささやかれるそうです。
大阪大学院小野田教授の研究では、1980年代後半頃から、親と学校の距離感が変わってきていて、保護者からの「無理難題要求」が増え、学校はその対応に苦慮しているということです。
バブル経済が破綻した後、生活不安や職場のストレス、対人不信と孤立化。それにより社会全体が苛立ち、余裕を失っていて、その中でとりわけ間口が広く、文句を言いやすい学校がターゲットになっているというのです。
「けんか相手の子どもを転校させろ」「子どもの成績が悪いのは、教師の教え方が悪いからだ」など、長時間抗議したり、担任の携帯電話に夜間や休日にまで電話をかけてきたりする親がいるのです。
テレビの報道でも、給食費を払わない親が問題になっていましたね。
こういう親のことを「モンスター・ペアレント」と呼ぶのだそうです。
そういう親の姿を見て、子どもの方が「申し訳ありません」というあやまってくる例もあるそうですが、一般に子どもは親の背中をみて育ちます。
今の子どもたちに、善いこと、悪いことを教えるのもたいへんみたいです。
知り合いの先生から、隣の席の子どもの持ち物を勝手に取り、返してっていうと、その証拠がどこにある!とくってかかる子がいると聞いたことがあります。
自分が悪いことをしても、他人のせいにしたり、人を傷つけても、傷つく方が悪いとうそぶく子。
そんな子どもたちが大人になったら、この日本はどうなるのでしょう。
自分が幽霊やモンスターになっていないか、たまには自分の姿を仏様の鏡に映してみないといけませんね。