1/26(金)ツレと袖ケ浦公園の野鳥を見た帰りに、袖ケ浦市の三黒地区にある吾妻神社を訪ねました。ここは比較的新しい鳥居と小さな社殿そして境内の南西に円形の塚があり、祭神は弟橘媛。
古事記と日本書紀に登場するヤマトタケル尊。実在の人物ではないと言われていますが、いろいろな場所に詳細な記述があります。この伝説もその一つです。
浦賀水道を尊と航行していた弟橘媛が嵐に遭遇した際に人柱になり、海に飛び込み一命を捧げました。その後木更津の畔戸(くろと)海岸に媛の亡骸が流れ着き、そのご遺体を埋葬する為に長生郡本納(現在の茂原市本納)の橘樹神社に、陸路を運んだと伝えられています。
しかしその途中亡骸を運んでいる御車がこの地で止まってしまったので、亡骸をこの地に埋葬する事になり、本納には首飾りだけを運ぶようになったとの由。
この御陵が神社の南西にある塚、臂松古墳です。弟橘媛を埋葬する際、墓標に松の木を植えたところ、その枝振りが臂(ひじ)の形に似ていた事から臂松古墳と呼ばれました。(上の写真)
しかし寛文年間(1661~73年)にこの松は枯れてしまったと伝えられています。またこの地は、弟橘媛の遺骸を納めるのに御骸(みくろ)と称されされ、それが三黒(みくろ)に転じ現在に至っています。
この後木更津市大寺の熊野神社を訪問しました。
この寺院周辺には奈良時代に上総大寺廃寺(かずさおおでらはいじ)があったと言われ、木製の層塔に使用された石製の露盤が置かれています。
また出羽三山信仰が盛んだったようで、鳥居の横にはその石碑が建てられています。
この熊野神社の歴史も古く、千葉県君津郡中郷村の村社だったようです。
この神社の社殿前には左右に不思議な形の石灯籠?が置かれています。上が左の物で、下が右側に置かれた物です。明りを入れるところがないので灯籠ではないのかも知れませんが、あまり見たことのない形をしています。
また境内には石を並べたストンサークルのような物も在りました。この周辺は奈良時代から古代文化が栄えていた場所です。不思議な物があってもおかしくない聖域なのかも知れません。