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光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

富津市の上総湊港を訪ねて

2021年06月16日 | 日記
 
  6/10(木)鋸南町の鋸山と日本寺を訪問した帰り、富津市の上総湊港を訪ねました。この港はツレとよく撮影に来たのですが、ここ1年はご無沙汰でした。上総湊は江戸時代、東京湾を航行する船の避難場所でもあり荷物の集積地として栄えた港。嘉永6年(1853年)には防波堤が築かれ、明治25年(1892年)には東京湾汽船の寄港が始まっていました。



 そして港に隣接する上総湊海浜公園は3.6ヘクタールの海水浴場を兼ねた公園。ハマヒルガオの群生地です。このハマヒルガオを見に来たのですが、5月いっぱいで花は終わっていました。残念です。替わりに白い夾竹桃が満開で、綺麗でした。





  現在の上総湊港は、房総半島の中南部の湊川河口に位置する港です。主として当地域で活動する小型船(釣り船やプレジャーボート)の船溜まりとして利用されています。



 上総湊港の右横は湊川が海に流れ込み、内房線の湊川鉄橋が架かっています。時々内房線が通過して行きます。鉄橋の外側には煉瓦造りの旧い橋脚が残っています。これは大正12年(1923年)の関東大震災で川底が隆起して使えなくなったもので、現在の鉄橋は大正14年に建造されました。低い山々と青い塗装の湊川鉄橋、沢山の釣り船が係留された小さな港、房総らしい景観の上総湊港でした。


鋸山・日本寺を行く②-日本一の大仏様

2021年06月15日 | 日記
 
6/10(木)ツレと鋸南町の鋸山・日本寺を巡ってきました。鋸山は江戸時代から1986年(昭和61年)頃まで房州石と言われる石材を切り出していた場所。その石切り場跡や百尺観音、そして日本最大の大仏の巨大なスケールに圧倒されました。



 またジブリのアニメ「天空の城ラピュタ」を思わせる場所にイワタバコの花が咲いていました。ツレの話によると日の当たらない湿った岩場等に生え、タバコの形によく似た葉をつけるそうです。花は紅紫色の星型で下向きに咲きます。





  百尺観音等を見た後、西口管理所に戻り車で有料道路を下り大仏口管理所に向かいました。ここにも駐車場があり、車を停めて中に入ると徒歩5~6分で大仏広場に行くことが出来ます。通路は舗装され山側には沢山の紫陽花の花が咲いていました。





 突き当たりの広場に日本一の大仏様が鎮座しています。この大仏の原型は天明3年(1783年)に3年を費やして完成した物。江戸時代末期に著しい崩壊があり、昭和41年(1966年)に至るまで荒廃に任されていました。しかし昭和44年6月、4年にわたる復旧工事によって再現された高さ31.05m、日本一の座像の石仏です。鎌倉の大仏の約2倍の大きさを誇っています。

 側にはお願い地蔵尊があります。願う人の名を書き、願いを唱えながら小さな地蔵様を納めると願いが叶うというパワースポットです。





 大仏を参拝した後来た道を戻りました。左手には保田の町並みが見え、時折涼しい風が吹いてとても良い気分です。



 大仏口管理所の駐車場から車で木更津に戻りましたが、鋸山と日本寺には深い感銘を受けました。日本寺は今から約1300年前の神亀2年(西暦725年)に高僧行基上人によって開かれた関東最古の勅願所との由。秋には再度訪問したいと思います。


鋸山・日本寺を行く①-百尺観音と地獄のぞき

2021年06月14日 | 日記
 
6/10(木)ツレと千葉県安房郡鋸南町の鋸山を車で訪問しました。通常なら梅雨に入ってもおかしくない時期、それなのに気温は30度近くまで上がり快晴の天気でした。木更津を午前9時半頃出発、国道127号内房なぎさラインを1時間10分程走りました。

 127号を富津市と鋸南町の境まで進むと、左側に鋸山登山有料自動車道の入り口。事務所で通行料と駐車料金1000円を払いました。登山道はかなり急ですが、その分景色は最高、10分位で、日本寺の西口管理所です。そこで拝観料1人700円を支払い、日本寺に入りました。



 一番上の写真は以前浜金谷港から出港する東京湾フェリーから撮影した鋸山。標高329.4mで正式名称は乾坤山(けんこんざん)。日本百低山に選定されています。





 西口管理所横の道をゆっくり登りました。途中から山頂展望台・地獄めぐり方面と百尺観音方面に進む道に分かれます。私たちは緩やかな登りの百尺観音への道を進みました。道は隙間の空いたでこぼこ道、何度か転びそうになりました。



 暫く進むと石組の建造物を思わせる場所が出現してきます。ジブリのアニメ「天空の城ラピュタ」を思わせる景観です。そしてグーグルマップもここを「ラピュタの壁」と表示しているとの由。





 そして百尺観音。大きですね、ビックリしました。昭和41年(1966年)に6年の歳月を費やして完成した磨崖仏。高さが100尺(約30m)ある事からこの名が付けられたそうです。







 百尺観音の少し先から上空を見上げると、地獄のぞきが目に入ります。高さ100mの崖から突き出した展望台。思わず足が竦む程のスリルが味わえます。キャー!怖い!という声が下にいても聞こえてきました。


木更津市郊外の野鳥たち-子カルガモや、セキレイ、鵜もいました。

2021年06月11日 | 日記
  
6/6漸く2回目のワクチン接種が終わり、少し安心をしている今日この頃。巣籠生活で自宅近くの木更津市郊外を、早朝ツレと散歩をしています。しかし最近野鳥の姿が少なくなり心配しています。

 そんな中成長した稲の間を通り過ぎてゆく、カルガモのヒナたちを見かけました。親よりは大分小さくヒヨコのような感じでした。親が誘導して直ぐに姿が見えなくなりましたが、10羽位いたようです。6/8の午前5時半頃の事でした。







 子カルガモの周りには雄が何羽かいて、天敵のカラス等から雛鳥を守っていました。



農道にはセキレイが、軽快に歩いていました。人が近づいても逃げません。





  農業用水の近くでは鵜が飛び回っていました。時々電線に止まり、羽を広げて乾かしています。


木更津市郊外の野鳥たち-やっとセイタカシギのヒナを目撃。

2021年06月10日 | 日記
 
  6/7(月)ツレと木更津市長須賀の蓮田にセイタカシギを見に行きました。これで5回目ですが、漸くセイタカシギのヒナの元気な姿を見る事が出来ました。以前から親鳥が抱卵していた巣を見に行ったのですがカラッポでした。





農道を内房線方面に進むと広い蓮田があります。そこの葦が茂った小山のような場所にセイタカシギの親鳥が1羽いました。周りを気にしていました。周囲を捜してみると茶色い産毛のヒナが1羽餌を捜していたのです。可愛らしいですね。こんな姿を見るのは1年ぶりです。





 ヒナは徐々に親鳥の方に戻って行きました。親鳥をよく見ると、白い胸毛の辺りにもう1羽のヒナ鳥を抱えています。





 セイタカシギの抱卵は26~27日位で、雄と雌が共同で抱卵をするそうです。私たちが初めて抱卵を見たのは4/27、あれから40日以上も経っています。色々条件の違いもあるので一様にはいかないようです。



 ヒナは2羽いたのですが、暫く見ていると2羽とも親の羽に隠れてしまいました。あまり刺激をしない様に見ていたのですが、私たちを気にしていたようです。


袖ヶ浦公園の花菖蒲②-不思議なネコとスイレンのツボミ

2021年06月09日 | 日記
 
6/5袖ヶ浦公園にツレと花菖蒲を見に出かけました。広大な菖蒲園に咲く花菖蒲は満開、少し花ガラが目立ちます。そういえば今年もコロナで花菖蒲まつりは中止だそうです。

 遊漁池の東屋に大きくて白いネコが座っていました。神秘的な眼差しで私たちを見ています、綺麗なネコでした。





  上池との境の菖蒲園には朽ちたボートが置かれています。その側にも花菖蒲が咲き、ネコの姿が見られました。





  菖蒲園には園路が作られています。木目調の日本的な園路です。薄いブルーの花菖蒲、左の花弁にタンポポの綿毛のような物が付いていました。





 園路の脇にはスイレンが沢山ツボミを付けています。もう少したつと花菖蒲とスイレンの共演も見られそうです。


袖ヶ浦公園の花菖蒲①‐水鏡が素敵です

2021年06月08日 | 日記
 
6/5(土)前日雨が降っていたので花に水滴が残っているのではと、今見頃の袖ヶ浦公園の菖蒲園にツレと行って来ました。午前5時20分頃訪問したのですが、雨が少なかったせいか花に水滴は残っていませんでした。しかし風がなく池に映る花菖蒲の水鏡は、万華鏡の様で神秘的な美しさです。





 一年を通して四季の花が楽しめる袖ヶ浦公園。5月中頃から6月中旬は花菖蒲が見頃です。花テラス側の菖蒲園は3600平方メートルの広さを誇り、1万5千株の花菖蒲が咲き揃います。



  いろいろな色の花菖蒲がありましたが、特に紫や黄色、白、ピンクが見頃です。





 朝早い時間なので、殆ど来園者はいません。見かけたのはジョギングや犬の散歩に来た5~6人。土曜日なので人出が多いかと思ったのですが、三密には程遠く良かったです。



  右奥の花のテラスと花菖蒲の景観も味わい深く、良いコラボを演じていました。


ブラタモリ・木更津の放映場所を訪ねて②

2021年06月07日 | 日記
 
5/29に放送されたNHKの番組ブラタモリ・木更津篇の放送場所をツレと6/2、訪ねてみました。今回はその2回目です。タモリ一行は證誠寺近くの海岸跡の石垣を見た後、弁天通りに戻り芸者の見番・木更津会館に入りました。

 私たちは江戸時代の道しるべを復元した物がある通りを光明寺まで戻りました。そこで「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の主人公与三郎の墓を見てきました。





 その後木更津会館に戻りました。会館横の細い通りにはスナックや飲み屋がひしめき合っています。この辺は昔木更津の花街でした。タモリたちはこの木更津会館の中で、芸者2人の三味線と歌を聞いていました。与三郎とお富さんが主人公の歌謡曲で、春日八郎が唄って大ヒットした「お富さん」です。





 木更津会館を出た後、タモリ一行は南片町大通りをさかんだな通りに向かいました。老舗の佃煮・干物店岩崎物産を通りこし、魚屋や干物店が軒を並べていた、さかんだな通りに入りました。通りの入り口には大正7年(1918年)創業の和菓子店岡埜栄泉堂。そして反対側には木更津を代表する看板建築の安室薬局(休業中)があります。





 さかんだな通りの中程にはヤマニ綱島商店がレトロな雰囲気を醸し出しています。国登録有形文化財に指定され、創業は慶応2年(1866年)との由。横から見ると高さの違う蔵が3つ重なったような形の珍しい建物です。





  綱島店の前、鈴木肉店の間には浜に降りる路地が残っています。昔はこのような路地が至る所に在ったそうです。そしてこの路地を下り左に行くと人参湯。現在は休業中で、中では木更津焼きそば店が営業しています。タモリたちはこの後山砂の採掘場に行きますが、一般人は入れませんので、ここで、ブラタモリ木更津篇の追跡を終わります。


ブラタモリ・木更津の放映場所を訪ねて①

2021年06月04日 | 日記

 5/29(土)NHKで放送されたブラタモリは、我が町木更津が舞台。粋人・タモリが木更津をどんなふうに紹介するのか興味深く見させてもらいました。そして番組で紹介された場所をツレと6/2(水)散歩がてら回って見ました。

 ブラタモリ最初はアクアラインの海ほたるでしたが、私たちはそこは飛ばして木更津駅西口近くの八剱八幡神社を訪問しました。また駅前の木更津市役所駅前庁舎の右の壁には歌川広重の浮世絵「不二三十六景・上総木更津海上」が設置され、江戸時代の木更津港の賑わいを感じさせています。





 タモリ一行は海ほたるの後、八剱八幡神社に現れます。この神社は創建が鎌倉時代初期・木更津の総鎮守。「八幡さま」と呼ばれ親しまれていました。木更津港は江戸日本橋の木更津河岸からの木更津船・五大力船(ごだいりきせん)で賑わい、この神社の狛犬の台座には船名や漕ぎ手の名が刻まれていました。





 八剱八幡神社の鳥居の先は現在の鳥居崎公園、もう海です。そして神社の前の路は木更津銀座と呼ばれ賑わっていました。





  神社を出て40~50m行くと弁財天。江戸時代からある弁天様で亀に縁のある神社らしく、池には沢山の亀がいてタモリたちも感心して見ていました。





 弁財天から鳥居崎通りを暫く進み、細い路地を證誠寺方面に進むと塀の土台が石垣の家が現れます。海の側だった痕跡と言う説明を「房総の地域文化を学ぶ会」の会長さんがしていました。


木更津市郊外の野鳥たち-バンの抱卵

2021年06月03日 | 日記

 5/25にセイタカシギの抱卵を撮影した際、近くにバンと言う黒い鳥も巣をつくり抱卵をしているのを見付けました。6/1にも木更津市長須賀の蓮田を訪問したのですが、バンは同じ状態で抱卵中でした。ツレも私もバンのこんな姿を見るのは初めてです。



 バンはツル目クイナ科バン属に分類される鳥。蓮田のアチコチで見かけます。鳴くのは聞いたことがありませんが「クルルッ」と大きな声で鳴き、水田を外敵から守る「番」をする事からこのバンと言う名前になったと言う事です。





 足をあげて水際や水草の上を歩きまわっていました。泳ぐことも水に潜る事も出来るそうですが、足に水かきは無いとの由。ユーモラスで可愛い鳥でした。出来ればヒナの姿も見たいものです。



 6/1の蓮田は前日降った雨が蓮の葉の上で水玉になり、それが陽の光を浴びてとても綺麗でした。