不安定な空模様の白沢天狗岳を歩いて下山する頃には、安曇野の空は梅雨らしからぬ乾いた空気に覆われた。それはまるで過ぎ去った五月の空のようで、グングン勢いを増す緑は淀みない光の下でことの他鮮やかに見えた。家に帰る途中お気に入りの場所に行って見る。五月に青い空を映していた田圃は稲の分株が進み、水面はその条の合間からわずか見えるだけとなって、季節は鏡の季節から緑の季節へと移行していく。
畦の草を刈る人々。収穫への期待を込めて、農家の人達の気持ちが一番充実している季節。整然と植えられた稲、几帳面に刈り込まれた畦。日本の国土の美しさは、なんと言ってもこの田の持つ美しさに尽きるのだと思う。そしてそれを支えているのは紛れもなく、それをこまめに手入れする農家の人々の努力だ。無意識の造園家たちが至る所で、それぞれの庭を手入れする。
「先祖の土地を荒らしちゃいけねえ」
「草ボウボウじゃみっともねえ」
そんな恥の文化が日本の国土を作り上げているだと思う。
山間地では耕作放棄地が目立つようになった。その理由は小さく、日当たりが悪く、機械化も出来ぬ田圃では効率の悪い採算が合わなと言うことだろう。谷間にぽっかり作られた田圃は先人達の英知の結晶だ。先祖の努力を思えば、それを放棄すると言うことは並大抵の決断では無いはずだ。だが、今、それらは捨て去られようとしている。
麦秋はもう間近だ。