鋭利な鋸刃状の岩稜を持つ槍ヶ岳の北鎌尾根は、あまりにも有名なバリエーションルートである。大正11年の学習院大と早稲田大の初登攀争いも興味深い日本山岳史である。そして稀代の単独行者加藤文太郎が目指した冬季初登攀・・・・そして彼の死。数々のドラマがそこにはある、それが北鎌尾根だ。
北鎌尾根、このコースの性格は岩登りルートというよりはルートファインディングルートという性格が強い。様々存在するルートを自分自身で見極め、もっとも合理的でしかも満足の得られるルートを選んで登って行くのが、このルートの最大の楽しさだ。
十年ほど前になるが、このルートに忽然とペンキマークがつけられたことがあった。北鎌沢の出会いには巨大なケルンとカラフルな籏。北鎌沢のコルには「これからここにペンキマーク付けていきますね、途中でペンキ無くなってしまったらご免なさい、7月某日」の表示。唖然としたが、ここから先、岩という岩に無粋な赤ペンキが吹き付けられ、石ころには赤テープが巻かれて至る所マーキングだらけの状態になっていた。しかもその道はことごとく岩稜を巻く様に付けられ、僕に言わせれば間違ったルートに導かれていた。人は岩峰の前に立つと恐怖を感じ、ついつい巻き道を探す。しかしそんな道は急な斜面のトラバースであり、不安定極まりないルートである。そのマーキングはそんな危険な道に登山者を誘っていた。
北鎌沢のコルで見かけたマーキングのその日付からすると、それはその時僕らが登った日の二日ほど前に付けられ、僕らがその第一発見者だったのかも知れない。それを槍ヶ岳山荘に通報してその後、この件がちょっとした問題となった。僕は読んでいないが山岳雑誌紙上でも話題となったらしい。
果たして、ルートファインディングルートにペンキマークはすべきだったのか?
答えはNOに決まっている。自分でルートを見つける楽しさを奪うマーキングという行為は、先人達が通い見いだしてきたルートや、それを繋いでゆく楽しさを奪ってしまう行為だ。立ちはだかる岩峰を目の前にし、我々登山者は恐れおののきそして考える。必死にその弱点を見極めようとする。時にはガラガラのガレ場を巻き、時には勇敢に正面突破を試みる。その、全てを決定するのは自分たち自身であって、それを決めるのは、誰かの付けたペンキマークではないのだ。
このペンキマークを施した登山者はその後特定された。警察から注意を受けたと言う話も聞いた。北岳バットレスや、前穂北尾根などにもマーキングしてた常習者だった。だが、これは犯罪行為とはならず注意ぐらいしか出来ないのが、現在の法的現状だと言うことだ。国立公園内にペンキマークを施すこと、それは厳密に言えば犯罪にあたる。だがしかし、一般の登山道にあるペンキマークも実は許可を得て施されているわけでもないというのが実際のところなのだ。よって、北鎌尾根にペンキマークを付けた人物を犯罪者とすれば、一般登山道にペンキマークを付けた者も犯罪者としなければならない。だれがそれを管理しているのかは解らないが、一般登山道に関しては行政は「大目に見ている」というのが現実なのだと思う。
だがこの北鎌尾根の問題は、そこを登ろうとする者達の想像力や自由を奪う行為となるわけで、「マーキングをしない」という先人達の歴史の住み上げをぶち壊してしまう思慮を欠いた行為であったと思う。この後大天井ヒュッテのK池さんらが北鎌に通い、ハンマーで岩をこつこつ叩いてペンキマークを消してくれたのである。お陰で今ではその痕跡を見いだすことは殆ど無い。
北鎌尾根独標
大豊作の予感 クロウスゴ
第1日目は北鎌沢の出会いにテントを張り寝た。今年は、雨が多いから、普段は枯れてしまっているこの辺りの沢には水がじゃんじゃん流れている。何年もここに通っているが珍しいことだ。今年の夏は山全体が濡れている、そんな印象だ。ひとたび雨が降れば沢筋はあっという間に増水する。沢での行動は気をつけなければいけないなと考えた。
急峻な北鎌沢右俣を登り上げると、猛烈なブヨのい攻撃にあった。ここはいつもそうだが、それは恐怖を感じるほどで我々の廻りにはひとりあたま数百匹~千匹のブヨが群がっている。払っても払ってもやってくる。虫除けスプレーをしこたま振りかけるが、殆ど効く気がしない。耳辺りが一番やられるので手ぬぐいを巻いて耳を隠し、とにかく、あまり立ち止まらないよう歩き続けるしかない。立ち止まる者は彼らの格好の餌食となる。
コルから北鎌尾根をなぞる。天狗の腰掛け、独標、北鎌平への岩稜・・・・・ルートは様々ある。「ここは危ないよね」と思う所にも、はっきりとした踏み後があって、殆どの人がそっちに向かって居るようにも推察される。人は恐いと思うとつい巻き道を選択をすることが多い。その結果、更に恐い思いをし、独標の山頂にも登れず、終始北鎌尾根を巻いて終わると言う人も結構いるのだ。
不安定な今年の夏ではあるが、この日は快適な登攀となった。テント泊をしているから時間に余裕もあるし、好天が僕らに心の余裕を与えてくれた。危険な場所はロープを使い万全を期して、一つ一つの岩場をこなしていく。人間ズレしていない北鎌の雷鳥にもじっくりと遊んでもらった。そしてそれを狙う猛禽の影。
「だめだよ、こんなところに居たんじゃ、早く隠れなよ」
クゥクゥ心配そうな親鳥の声、ピヨピヨ呑気な雛たちは、意外と物怖じせずに至近距離まで僕のカメラが近づくことを許してくれた。
北鎌平を過ぎると、そこは草木の一本も無い岩だらけの世界となる。累々と積み上げられた黒い岩の積み木。乾いた岩の感触はザラッとしてフリクションはバツグンだ。巨石の森を、もっとも合理的に歩こうと考え道を見極める。この何とも言えない楽しさ。時々、大きな岩が動いてゴトッと音を立てる。でもそれは崩れるようなものでは無い。それはゴーロ独特の音、その音が心地いい。
槍ヶ岳山頂直下のチムニーをロープで登り、僕らは山頂に達した。思わずガッチリと固い握手。お客さんのその手には喜びの力が漲っていた。山頂には一般道から登ってきた10人ほどの登山者が居て「凄いですね、北鎌ですか?」「格好いい!!」と僕らを労ってくれた。そんな歓迎は北鎌尾根を登って来た怖さと苦労を溶かし、僕らに至福の時を与えてくれる。だから僕はこのルートはテント泊をする。夕方の誰も居ない山頂はドラマに欠けるからね。
ずっと晴れない今年の北アルプスだが、この時ばかりは素晴らしい表情を見せてくれた。祝宴の後の夕日が僕らを再び高揚させた。翌日の下山日、上高地までの道すがら、湧水には目が痛くなるような青空が映る。そしてそれは森の中に深い影を作っていた。
ミヤマモジズリ
14至福の岩稜 槍ヶ岳北鎌尾根