うさぴょん

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宣伝のためだった(;一_一)

2016-11-08 08:19:59 | 日記

布川敏和、元妻つちやかおりの共演理由にぼう然

 14年6月に離婚したタレントの布川敏和(51)と、つちやかおり(52)元夫妻が、離婚後初めてテレビで共演を果たした。

【写真】12年7月、イベントに登場した布川敏和とつちやかおり

 つちやは7日放送のTBS系「7時にあいましょう」に出演。布川がスタジオに登場し対面すると、2人はよそよそしくお辞儀をかわした。離婚後もたまに会ってはいるが「ドライブスルーよりもしゃべらない」らしく、面と向かってしっかりと会話をするのは「5年ぶりくらいかな」と布川。会っても食事をすることはないそうで、布川は「ご飯は(一緒に)食べない。特に割烹料理はね」と、当時つちやが割烹料理店店主との不倫を報じられた件をにおわせてチクリと刺した。

 布川は「正直、まさか離婚するとは思ってなかった」と当時の思いを明かし、「別居する前にギクシャクなってから俺は気づいた。(つちやが自分と)一緒の空間に居たくないくらいの状況になってしまって、車で2人でどっか行かなきゃいけないときは、それまで助手席に乗ってたのが、後部座席に乗るようになって。それで『あれ?』って思った」と振り返った。

 2人は離婚当時を回想しながらしばらくトークしたが、つちやは今回、元夫との共演にOKを出した理由を最後にネタばらし。自著「つちやかおりの元気な毎日 腸美人!」の宣伝のためだったことを明かし、本を手にPRすると、何も知らされていなかった布川はぼう然としながらも「これ、電車の中で読みにくくない?」と元妻の本を苦笑いを浮かべてアピールした。

話題作りで本を売ろうと・・・・・別れてまで・・・・・

仕事場に眠る遺稿

2016-11-08 08:14:44 | 日記

手塚治虫「秘蔵」のエロス 仕事場に眠る遺稿を初公開

2014年に仕事場のロッカーから見つかった手塚治虫の遺稿

 1989年に60歳で亡くなったマンガ家・手塚治虫が仕事場に「秘蔵」していたイラスト29点が、7日発売の「新潮」(新潮社)12月号で「手塚治虫のエロティカ」と題して初公開される。2年前、長女るみ子さんが「開かず」状態の机の引き出しとロッカーから約25年ぶりに見つけた遺稿約200点のうち、手塚作品の重要な要素の一つ「エロス」をテーマに選んだ。

【写真】初公開されるグラマラスなネズミ

 初公開されるのは、グラマラスなネズミが体をくねらす絵や、裸の女性がコイや白馬に変身する絵など。「動物や昆虫までが色っぽく、命の変容する様がエロスを放つのが父の作品の特徴。それを描くのを楽しんでいたことが伝わる。エロスは手塚マンガの“毒”でもあり魅力でもある」とるみ子さんは話す。

 絵柄から60~70年代のものと推定され、淡く彩色までされているが、何のために描いたかは不明。「新潮」では、巻頭カラーグラビアで25点、特集記事の中にモノクロで4点を載せる。手塚プロダクションによると、今回公表した遺稿の出版予定はないという。


“見たことない”自然現象

2016-11-08 08:05:28 | 日記
不思議な大量の雪の塊 “見たことない”自然現象
 
 
 
Movie

シベリアの海岸線に大量の氷のかたまり 直径1mほどのものも

大量の「球体」が出現した。
あたり一面に広がる雪景色。
よく見ると、それは大量の丸いかたまり。

足を置いてみると、雪だるまが作れるぐらいの大きさのものもあることがわかる。
これは、ロシア北部、シベリアのヤマル半島に位置する海岸線で撮影された珍しい自然現象で、小さな氷の破片が、風や水の流れによって転がされ、大きな球体になるというもの。
この風景は、海岸沿いおよそ18kmにも続いていたということで、テニスボールぐらいの大きさのものから、中には、直径1メートルほどのものまであったという。

 我が目を疑う光景です。謎の「雪だるま」が大量発生しました。

 辺り一面の銀世界に出現したのは、頭だけひょっこり飛び出した無数の雪だるまです。泡のようにも見えますが、足で踏んでみても壊れません。断面をのぞいてみると、やっぱり雪の塊でした。これは、ロシアのヤマル半島で2週間ほど前から自然にできたもので、海岸線沿いに18キロにわたって見つかったということです。地元の人によりますと、これまで見たことがない現象だということです。

やっぱり異常気象

 


救急搬送されていた

2016-11-08 07:58:26 | 日記

北島三郎 『芸道55周年記念パーティー』直後に救急搬送されていた! 現在も入院中

 10月5日に都内のホテルで行われた北島三郎の『芸道55周年記念パーティー』。芸能界だけでなくスポーツ界や政財界などから約700人を集め盛大に行われた。

 挨拶に立った安倍晋三総理大臣も、冒頭のようにサブちゃんへ最大級の賛辞を送った。

「とにかく、パーティーは豪華のひと言で、本当に著名人だらけという感じでした。

 ただ、北島さんが入場の際に、お孫さんの手を借りて歩いていらっしゃった。やはり、ケガが思わしくないんだなあと思いましたね」(スポーツ紙記者)

 北島といえば、今年8月下旬に自宅で転倒。頸椎症性脊髄症で9月11日から都内の病院に入院していた。

「パーティーは“自分が歌うより、集まってくれた方々と話したい”という北島さんの意向で、歌はありませんでした。ですが、壇上で挨拶を受ける北島さんは、演台のようなもので支えて立ったり、椅子に座ったりと、かなりつらそうでした。

 3時間半という長丁場でしたから歌唱なしとはいえ、かなり体力を消耗したのではないでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)

 今回のパーティー出席のため、入院中は精力的にリハビリを重ねていたという。だが、体調は思ったほど回復しなかったようだ。

演歌界の面々がお祝いにグランドプリンスホテル新高輪に駆けつけた

「実は事務所スタッフなどは、北島さんの体調面を重視してパーティーの延期も検討していたんです。ですが、北島さんは“俺の大切な日だから”と言って、頑として受けつけなかった。

 それ以上に、招待したゲストの方々に迷惑をかけるわけにはいかないという思いが強かったのでしょう」(レコード会社関係者)

 まさに満身創痍で臨んだパーティー。さすがに、会が終わった直後、彼の身体に異変が起こった。

「パーティー終了後、マスコミを集めての囲み取材が行われる予定だったのです。ですが、北島さんの疲労のために急きょ取材が中止になってしまったのです」(ワイドショー関係者)

 その舞台裏では、やはり大変な事態が起こっていたという。

「緊張の糸が切れたのか、パーティーが終わった直後に北島さんが倒れてしまったのです。さすがにスタッフもびっくりして、救急車を呼んで入院していた病院へ搬送したんです。大事には至らなかったようですが、かなり体調は悪かったようですね」

 だが、翌日6日には同じ会場でファンのためのイベントが用意されていた。さすがにこの会は中止かと思われたのだが……。

「北島さんは何としてもファンの集いに行くと言ってきかなかったそうです。病院で泊まって、そのまま会場へ駆けつけた。本当は歌を披露する予定だったのですが、それはなしになってしまった。

 ファンへ向けて北島さんご本人が“こういう状態なので申し訳ないです”と謝っていました。代わりに北島ファミリーの方々が盛り上げていましたが、北島さんは歌えずに無念そうでしたね。でも、はたから見たら、舞台に立つだけでもすごいと思いましたよ」