生れながらの素質
起業成功率のデータにもいろいろあるが、ざっくり言えば10年経って起業家が生き残る確率は1割だ。
ベンチャーの場合は、よくて千に3つと言われ、現実はおそらく万に3つか十万に3つだろう。
それに比べ身の丈起業では十に3つだ。
すぐそこにある幸せをつかもう。
やるべきことは、遠くにぼんやり見えるものを見ることではなく、 手近にはっきり見えるものを行うことである(トーマス・カーライル:19世紀イギリスの歴史家・評論家)。
実際に目に見える物事や感じられるものは、工夫改良の手も見出しやすい。
参入市場と顧客のインサイト(人の隠れた本質、欲求)は実際に会って聞くことにより明確になる。
これをITを使ってやるから遠くにぼんやりと存在するものに感じられてしまう。
すぐデータを持ち出して理論づけするからイシュー(本当に考えるべきこと、話し合うべきこと)を外す。
ズレまくり、が世の中に散見されるのはこの流行のためである。
データーと論理に裏打ちされたとは、データーに振り回されることではなく、データーをうまく使うところに妙味がある。
馬鹿と鋏は使いよう。
そのようなまともに見えるノウハウ論より前に、自分の素質や何らかの才能、特徴を生かすことからスタートしたほうが早く効果的だ。
そして動くこと。
人に会う事。
話し教えてもらう事。
考え込むことに没頭するのは充分に動いてからである。
出来る限りの情報を集めよ。
それからじっくり熟慮と論理を積み重ねたらよい。
あなたが自分の仕事を現実に行う場合には、だ。
こう言うと、データ数字の重要性だの解析した数字がどうのこうのというが、そんな上っ面の事を言っても問題の核心には迫れない。
大企業の数字が伸びないのはそのためでもある(一種の流行である)。
また、上司に説明するには便利だが、我々に上司はいない。
自分を生かし相手に喜ばれる点はどこに生ずるか。
この一点に絞り歩き回るだけでも、何倍ものヒントを自ら得ることが出来る。
学んで、学んで、学びぬいてもそれは一種の病だよ、と老子は言った。
誰でも一度はその病にかかるがね、とも。
そしてその病に侵されていると悟ればすぐ直ると教えた。
学んで、学んで、角を矯めて牛を殺しては元も子もない。
それより試行錯誤を重ね、世間という時代にもまれながら自らの素質を見出すこと。
それに磨きをかける事だ。
人間は本気で集中することにより、思わぬ力を発揮する。
ただ簡単だ、とは言わない。
しかしそのプロセスで本来の自分を育てていく。
そのときは充分な経済力も自然についてくる。
これが本来の成功の姿であろう。