河瀬ビジネスサロン ライフワークを育てよう!

コーディネイター河瀬謙一@SOHO CITY みたかからの発信。
お金をかけない起業と経営で豊かな人生を!

実行へのヒント-602

2012年12月23日 | Weblog
身の丈起業と堅実成長に向けて-6


・社長は確固たる未来をつくるために存在する。
・しかし時代は不確定で、経済環境は常に激しく動いている。
・それにもかかわらず、我々は不確実なものに向かって起業し経営の道を選び取った。
・が、「何かを売ればいい」だけで経営は続かない。

これらはすべて正にその通り、なのだが、明らかに大きなギャップがある。
どうしよう。

では、対応のヒントを大胆に3ステップで表現してみよう。

1.何かを得ようと行動を始める。
2.実験室に入る。
3.成果が出る。

そう、もちろん知りたいのは実験室の中で何が起こっているかだ。

実行へのヒント-601

2012年12月22日 | Weblog
身の丈起業と堅実成長に向けて-5

大切なことは「全体像をつかもうと努力する」という点にある。
「つかむ」とか「つかめる」とは言っていない。

つまりこういうことだ。
起業モデルは星の数ほどあるが、両極端は2つに絞られる。

・ひとつは、マーケットを熟知しており、そこで新しい自分の事業アイディア
を活かしたいと起業するモデル。

・もうひとつは、まだよくわからない不確実なところに向かって、「自分は
起業したいんだ」と挑む形で起業するモデルの2つだ。

事業計画書は前者では比較的書きやすいが、後者は書きにくい。
しかし起業希望者の多くは後者である。
では、なぜ書きにくい事業計画書を書くのか。
何故「わからない」と切り捨てないのか。

それは自分自身にとって新しく大切な習慣をモノにするためだ。

その習慣とは、事業の全体像をつかもうと努力を続ける習慣。
事業を数値でとらえる習慣。
同時に、その数値は何をどうすれば成し遂げられるかを熟考し、あるいは試行
錯誤する習慣のこと。

不確実な未来に向かって、計画的に歩み続けること。
これこそが社長の姿勢である。

実行へのヒント-600 

2012年12月18日 | Weblog
身の丈起業と堅実成長に向けて-4

ここでは2つのことを書く。
大変重要なので、覚えておいてほしい。

ひとつは、沢山の経験を積み重ねる、その意味。
もっとわかりやすく言うと、失敗の連続の意味のこと。

それは本気で対象に取り組むようになること。
人生と仕事の両方について本気になる。

失敗して、痛い目にあって、恥ずかしい思い、悔しい思いをして、それで
目覚める。
初めてのことをスルリと成功すさせるほど、人間は賢くはない。
自分に足りないものを思い知ることが重要である。

これが大切なことのひとつ。

もうひとつは、いい商品やアイディアにだけ頼っていては経営は成功しない、
と分かることだ。。

売れます、儲けます。
単発のヒットを飛ばすのは割と簡単だな。
でもこれではだめだな、とわかること。

頭の先でわかるのではなく、体全体でわかることが重要。
ではどうするか。

そこで、どうしても「事業計画書」を書かなければならない、というところへ
たどり着くはずである。
その一部であることもある。

兎に角「事業計画書」を書き、これから行う事業全体をとらえようと努力する
ことが大事になってくる。

考え、書き出し、実際にやって、だめな部分を見直すと同時に事業全体へ修正
をかけていかないとやっていけない、と気づくこと。

こうして初めて、人は経営者の入口に立つことになる。

実行へのヒント-599

2012年12月17日 | Weblog
身の丈起業と堅実成長に向けて-3

その後も印刷企画事務所としての仕事は続くが、ここでは40歳までのことを
手身近にまとめて書いてしまおう。

35歳で旗揚げをして順調に仕事をしていたが、38歳の時に知人から新しく作っ
た会社をどうしても手伝って欲しい、と頼まれた。
本業をそのまま伸ばしたい気もしたが、兼業ならということで行ってみると
欠陥だらけだ。

会社の社員は実質3人で、当時はまだ珍しかった筆文字のフォントを封筒などに
出力するサービスを行っていた。
ビジネス的には季節変動が激しく、従業員のスキルも高いとは言えない。
そこで全行程をトータルに見直し始めたが、結局株主がもめてしまい1年でこの
会社からは離れた。

1年の営業ロスは本業には痛く、売上低迷に気分も落ち込んだが、井の頭公園の
近くで偶然知り合った財界の長老に
「真面目に仕事に取り組んでいれば心配ない」
と諭されて、2年後には目標の売上、利益に回復した。

30代はいろいろなことを経験し、肉体的にも精神的にも”背骨がギシギシ言う”
状態に何度も追い詰められたが、本当に良い経験になった。

そして40才の時に仕事の目処がついたので、何気なく”公園作りのワークショッ
プ”に参加する。
これが縁となり、1998年以降にはSOHO CITY みたか構想とその実現に深くかかわる
ことになる。


■ 起業の心得-1

・社会経験は重要である。成功、失敗、それは両方とも後に生きる。
・社会人の初期には、お金より豊富な経験を選択すべきである。
・起業しても順調にいくとは限らない。
・起業した人が売上の低迷に悩んだり、数々のトラブルに出会うことは、いわば当たり前と言える。
・それが自分ひとりだと思わない事こそ賢明なのだ。
・真面目に仕事へ取り組んでいれば心配はない。心配するより工夫せよ。

実行へのヒント-598

2012年12月15日 | Weblog
身の丈起業と堅実成長に向けて-2

会社員を辞めた私は、しばし快い解放感を味わったが次に来たのは
「実際にどうすればいいのか」
という不安だった。

考えてみれば、会社員での経験はそこそこあったが、夢ばかりが大きい。
そこでまず自分に欠けた経験、つまり経理、総務、営業管理業務の仕事の
感覚をつかむために3社の転職を重ねて正式に独立した。
31歳から35歳まで。
これが私の独立準備期間。

私の経験から言えば、若い時は、金よりも多様な経験を選ぶほうが絶対に
いい。
後に事業計画(ビジネスモデル)を考えるときに、すべての経験が実感と
共に生きてくるからだ。

こうして私ははじめての自分の事務所
・ビッツ企画開発研究所
を設立した。

名前はともかく、業種は印刷の営業。
周辺にも仕事は出てくるし、自分の経験や勘はこの業界なら利く。

時は1991年、ちょうど日本のバブル経済が崩壊した年だった。
(その崩壊後も、2年ほどはバブル酔いの経済が続いていた)

幸運にも、印刷依頼やデジタル化へ向けた企画仕事が紹介でバラバラと入っ
てきた。

「さぁて、やるぞぉ」


● 解説

仕事には、受注仕事と見込みで生産する仕事の2種類がある。
前者はお客様から頼まれて行う仕事。印刷や建築がそうだ。
後者の代表は家庭電機製品の製造と販売、と考えればわかりやすい。

受注仕事は代金回収さえ安全なら、堅実な収入になる。
ただ、競争相手が多いので利幅が少ない。

見込み生産は、売れれば利益は大きいが、売れなければ在庫の山に囲まれて、
あっという間に倒産する。
もしあなたが当面何をするか、迷っているなら受注仕事はよい選択肢の一つ
である。

今、日本の電化製品は売れなくてもがいている。
しかも、一時的なものではなく構造的だから深刻なのだ。

実行へのヒント-597

2012年12月14日 | Weblog
身の丈起業と堅実成長に向けて-1

まず読者の対象は、私が実際に体験したこと、つまり身の丈で起業し、SOHO
スタイルで堅実に実績を伸ばす考え方を知りたい、という方に絞りたい。

ベンチャーで株式を公開したい、会社を高値で売りたい、などとお考えの方は、
残念ながら対象ではない。他のブログなり本を読んでほしい。

人にはそれぞれの価値観とスタイルがある、と思う。

さて、私は31歳の時に会社員生活を辞めた。
印刷会社で安定成長をしていたが、一言でいえば私にとっては物足りなかった。
自分の人生を充実させるには起業するしかないだろう、と28歳の時に腹を決めて
いた。


もちろん、会社員を止めた時の心情には複雑なものがある。
でもそれは本題とはかけ離れてるので、ここでは述べない。
ただ、今とは社会の空気が違っていた、という現実は書き残しておきたい。

当時(1980年代後半)は、今から考えると脱工業化の時代だったが、日本には
まだ大企業神話が色濃く残っており、会社を辞めるなどとはもっての他だった。

転職や起業に対しても色眼鏡で見られ、
「履歴書を汚す(転職する、起業する)ものではない」
と、面と向かって言われたこともある。
大企業で昇進するのが成功、という社会基準が当たり前だった。

だから、起業の相談をする人が周りにはほとんどいない。
友人、知人はみんな安定した会社のサラリーマンで相談の対象にはならない。
今のように、起業に関する知識や経験をを教えてくれるという仕組みも未熟で
あった。

そこで私は神田で開業していた唯一ともいえる知人で年長のコンサルタントの方を
相手に自分の考えをぶつけ、相談し、あとは独学でトライアンドエラーを重ねた。

世間の風は逆風だったが、それがいい刺激になった。
今から思えば、20代、30代は本当にいい経験をしたと思う。

会社員時代には、仕事を通して社会常識とトップの心構えについて教えてもら
った。
独立してからは忍耐を覚えた。

振り返ると30代が一番大変だったが、そのお蔭で今の自分があると思う。

以上述べたように、残念ながら当時の私には起業のノウハウは何もなかった。
だからゼロから自分の手で試し、確認し、改良するというやり方しか思いつなか
った。

その試みの失敗と成功の総和が今の私、と掴んでいただきたい。