「夢」のありか
人間は誰でも夢を見る。
子供の時代には、子供にとって目につく職業で働くのが「夢」になる。
私の場合は、電車の運転手だった。
なぜなら、家の目の前を井の頭線が走り、電車に乗ると運転手がカッコよくレバーを
調節しながら電車を走らせていたからである。
一つのレバーは真鍮の輪っかに木製の取っ手がついていた。
もうひとつ銀色の少し小さなレバー。
この二つを器用に操作して、あの大きな電車を目の前で走らせているのである。
「なんてすばらしいのだろう!」
そこで私の職業は電車の運転手に決まった。
しかししばらくして、私の目の前にはもっとカッコイイ職業が現れた。
「魚屋さん」である。
店の前に並べた魚を、包丁で見事にさばく。
私は魚屋さんになることを心に決めた。
その後も私の空想職業遍歴は続く。
小学生になると日本のディズニーになろうと思い、その次は植物学者だった。
大学に進むころには技術者をめざし、しかし最後はデザインを動かす仕事に落ち着いた。
以上、私の「夢」の職業遍歴を述べたが、そこには何の文脈もない。
ただひとつあるのは、自分が目や手で確かめられる身近なものに沿って「夢」を描いていた、という
事実である。
ということは、もし私が次の夢を描くとすれば、また身近な事を起点に「夢」を描くことになろう。
もしも職業選択の道に迷うことがあるなら、もう一度身近な事柄を再評価するつもりで、新しい「目」
でもって物事を眺めてみたらどうか。
「夢」の起点は案外身近なところにある。
私が特に強調して言いたいのはこの点である。
人間は誰でも夢を見る。
子供の時代には、子供にとって目につく職業で働くのが「夢」になる。
私の場合は、電車の運転手だった。
なぜなら、家の目の前を井の頭線が走り、電車に乗ると運転手がカッコよくレバーを
調節しながら電車を走らせていたからである。
一つのレバーは真鍮の輪っかに木製の取っ手がついていた。
もうひとつ銀色の少し小さなレバー。
この二つを器用に操作して、あの大きな電車を目の前で走らせているのである。
「なんてすばらしいのだろう!」
そこで私の職業は電車の運転手に決まった。
しかししばらくして、私の目の前にはもっとカッコイイ職業が現れた。
「魚屋さん」である。
店の前に並べた魚を、包丁で見事にさばく。
私は魚屋さんになることを心に決めた。
その後も私の空想職業遍歴は続く。
小学生になると日本のディズニーになろうと思い、その次は植物学者だった。
大学に進むころには技術者をめざし、しかし最後はデザインを動かす仕事に落ち着いた。
以上、私の「夢」の職業遍歴を述べたが、そこには何の文脈もない。
ただひとつあるのは、自分が目や手で確かめられる身近なものに沿って「夢」を描いていた、という
事実である。
ということは、もし私が次の夢を描くとすれば、また身近な事を起点に「夢」を描くことになろう。
もしも職業選択の道に迷うことがあるなら、もう一度身近な事柄を再評価するつもりで、新しい「目」
でもって物事を眺めてみたらどうか。
「夢」の起点は案外身近なところにある。
私が特に強調して言いたいのはこの点である。