河瀬ビジネスサロン ライフワークを育てよう!

コーディネイター河瀬謙一@SOHO CITY みたかからの発信。
お金をかけない起業と経営で豊かな人生を!

実行へのヒント-737

2020年05月17日 | Weblog


ブリコラージュと可能性

「よくわからない、だけど何かがある」
と22年前に集まったSOHOが、今現在のSOHO CITY みたかコミュニティの核になっている。

「FAB LABには何かがありそうだ」
と宇山正幸さんとファブラボ鎌倉を見学した後に作ったのが、三鷹産業プラザ1Fにあるファブスペースみたかである。

これらの「わかわからないけど、何かがありそうだ」
という思考をフランス生まれの社会人類学者、レヴィストロースは”ブリコラージュ”と呼んだ。
レヴィストロースはブラジルの少数民族を観察し、未開の地とおもわれるところにも西洋文明ではない独自の文明があるとして構造主義としてまとめ、世に問うた人だ。

ブリコラージュ、とは彼ら少数民族がなんだかわからないが必要かもしれない物を袋に入れてとっておく動作、風習を指す。
つまり脈絡のない直感にもとづく行為のことである。
それらの物が、彼らの村ではそのうちに大切な役目を果たしたことも少なくない、という事も付け加えておこう。

レヴィストロースは晩年、物質主義に染められていく西洋社会を目の前に

「極東の国に希望があるかもしれない」
という趣旨の言葉を述べている。

さて、コロナ騒ぎで先がどうなるかわからない今、必要なものの一つはこの”ブリコラージュ”ではないか。
皆さんはもうすでにその力を日々の生活の中で発揮しているかもしれない。
コロナが将来どうなるかではない。
我々に必要なものは何か、を自分や家族や仲間のために思い自らに問う時、必要になる。

それにしても「直感」はこの100年か150年くらい恵まれなかった。
その存在を表立っては肯定されていないし、学校でも会社でも教えることはできない非科学的なものとされてきた。

ところがこのコロナ騒ぎで直感の大切さは「ポロっと」顔を出したのではないかと思う。

日本人も戦後は物質主義者になり、豊かな社会で貨幣主義者にもなってみた。
それがこの騒ぎで目が覚めた。
「なんとくだらないことを繰り返していたのだろう」

我々に必要なものは何か。
この問いは、これから必要な「新しいビジネス」を考えるときにも必須である。
ブリコラージュの力を信じてもよい時代の再度到来と合わせると楽しい。
勿論、直感だけではだめで、それを現実社会で生かすためのノウハウや参考事例も必要である。
しかしそれらは今までの経験値でかなりのものを手にしているのが現代人だと思う。
特に理論は両手両足からあふれるほどに持っている(笑)。

とすれば、我々の新しい活動への素材はおおよそ揃っている、と言ってよい。
が何かが欠けている。

我々のSOHO CITYにも「一人一人の努力」だけではなく、構造的要素が「欠落」していたのではないか。

もし構造上の欠落要素を探りあて、補足しつつ、新たなチャレンジをはじめれば将来は暗くない。
新しい物語をそこから語り始めることができる。

時代のパラダイムが変わり、今までの「量」の世界を超え、人々が「質」や「意味」を要望する時代が来る、と仮定するならば、「質」や「意味」は多様であるがゆえにSOHOや個人事業家の活躍の領域は益々広がる。
そのとき活躍するのは自らを鍛えたプロであり、一般人ではない。
一般人はプロを見習い、自らを鍛えることによりプロになる可能性を持つ。

以上の仮説を信じるか否かも「ブリコラージュ」と言える。


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実行へのヒント-736

2020年05月16日 | Weblog


不都合は良薬

一直線に成功し、素晴らしい人生を送るのは人間の変わらぬ夢なのだろう。
学生の「これからの夢」にはきらめくような言葉がつづられることが多い。
しかし社会に一歩出れば、特に仕事をするようになると大変なことの連続である。

その中で人は何度となく挫折し、再起を試みる。
「大過なく職業人生を過ごしました」、とは20代のサラリーマン時代に定年を迎えた当時の先輩社員の挨拶だが、とても違和感ががあった。

つまり、
「そんな人生があるはずがない」
と思ったし、次に頭に浮かんだのは
「この人は何も試みなかったのだ」
という理解と脱力感だった。

当時のサラリーマンは大過なく過ごす人生が素晴らしく、褒められたことだった。
「周りと仲良くやっていけばとにかくよい時代」、と評した先輩もいる。

だが、コロナショックを引き金に、世界と環境は激変した。
例えば。レナウンが破綻したのは昨日のニュースである。
ではこの時代、一般市民は途方に暮れるしかないのだろうか。

私のささやかな経験から言えば、断じてそうではない。
考えと行動で工夫の余地はマダマダある。
何事も、不都合なことが起こった時には「まいった!」と思うが、その後は逆転できる可能性が大きいのだ、と覚えてほしい。

つまりこうだ。

・失敗や挫折、不都合な状態は自分を鍛える、変える、にはよい機会である。
・失敗があるから再度成功を目指す。何かが心の中で叫ぶのは、それに向かってである。
・それでも向かっていく成功のテーマは、自分が本気になれるテーマだ。
・理に適う本気は強い。

つまり失敗よし、不都合よし。
外部環境の変化は我々の努力外のファクターである。
同時にこの時期こそは本当に貴重な時間である。



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実行へのヒント-735

2020年05月03日 | Weblog


助かった人

コロナ騒ぎが長期化を迎え一息ついた状況で、SOHO・個人事業者からの声が外に出てくるようになった。

悲鳴の方は、
・ 発注が止まった
・ 単価が下がった
・ 発注スケジュールが遅れだした
・ 発注頻度が落ちた

等で、コロナショックを考えれば当然そうなってしまう。

安心の声の方は、
・ E-learningビジネス(ストックビジネス)をやっておいてよかった
・ 営業先を増やしておいて助かった(リスク分散)
・ 受託でなく、自分で小さなビジネスを始めていたのでこれで行く

などである。

ストックビジネスとは例えばアパート経営で、資産運用型のビジネスである。

実際にアパートやマンションを持っている人は少ないので、現代用語になおすと、
・ UDEMYなどで趣味のOXOXを教える番組を提供している
・ 決算のコツをUDEMYなどで教えている

という具合で、自分の持っているノウハウを動画(という資産)にして売ること。
早く手数料が安いのでプラットフォームは既存のものを活用する。

自分で小さくビジネスを起こすとは
・ 手作りで特徴のあるぬいぐるみをネットで売る
・ ぬいぐるみのキャラクターをLINEスタンプにして売る

などで、十分収入には届かないが
・ 主体的で
・ 自分のアイディアと工夫

が生きるビジネスである。
これらが減収を補うなら素晴らしい行動力である(えらい!)。

コロナ騒ぎが終息した後、経済活動は低下し、その状態は長引くのだから、他社に頼る発注ビジネスは(たとえそれが大企業であっても)大きなリスクを抱える事になった。
一方で「自発的なビジネス」は典型的な低収入ビジネスから時代に即した有効な手段のひとつへと評価が変わる(相変わらず収入は低いが、喰えないわけではない。しかも工夫次第で収入向上、という現実的な夢とビジョンが描ける)。

加えて何かを自主的に行うと、たくさんのヒントを発見するものだ。
そのヒントを次のチャレンジに生かせば未来は明く見えてくる。
食べられるだけでもありがたい(と時代は変わるのだから)。

こうして新しいビジネスの芽が土の表面から顔を出してくる事も忘れてはならない。
休業・廃業が叫ばれる時代だが、騒いでいても事態は悪くなるばかりである。

災い転じて福となせ。
何事もやらずにできる訳がない。
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