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「社会保障番号」問題

2006年03月13日 21時36分14秒 | 社会保障問題
えー、日銀問題で滞っていた、経済財政諮問会議の議論ですけれども、私にとっては非常に有り難い朗報が含まれておりました。これはかなり重要な議題なのですけれども、報道では見かけませんでした。社会保障に関して、遂に「社会保障番号」を本格導入に向けて検討しよう、ということのようです。メディアにおいては、これって重要なテーマなんですから、きちんと報道した方がいいと思いますね。国民生活に直結している大切な議論ですよ。


第5回議事要旨


では、以下に社会保障番号に関する部分を(ちょっと長いです)。


奥田「社会保障制度は、国民の安心確保のためのもっとも基本的なインフラであり、国民の不信感、あるいは不公平感を払拭する最大限の努力が必要であると思う。将来の制度体系のあり方も展望しながら、給付と負担の規模、範囲また内容について、複数の選択肢を提示して国民的な議論を行う必要があると思う。その際、これまで取り組んできた医療改革等の上に立って、更なる合理化努力を実施することを前提とすべきであると考えている。社会保障の規模の選択肢については、財政健全化や国民負担との関係を明らかにする観点から、対GDP比等によって示すとともに、国民生活への影響をわかりやすく示す必要があると考えている。最後に、得るべき結論について、先ほど説明した改革実現に向けての重要指針に基づき、選択肢についての国民的議論を経て、改革の結論を出すべきであると考えている。」

谷垣「その中で、今後の社会保障改革における最大の問題は、(中略)現世代の受益である社会保障給付に対する負担、主に税負担が将来世代に先送りされていることだ。従って、社会保障については、国民の負担にも目を配りつつ、給付について不断の見直しを行うと同時に、必要な給付に対する負担について将来世代に先送りすることがないように安定的な財源を確保することによって、社会保障や財政の持続可能性に対する信認を高めて、国民生活の安全・安心を確保することが必要ではないかと思う。」

吉川「先ほど奥田議員から説明があった点はいずれも大切だと考えているが、具体論として、我々民間議員は昔から主張しているが、社会保障番号はやはり必要だ。それがもたらすいい意味での影響は広範囲に及ぶので、そろそろ真剣に検討していただく必要があるのではないかと考えている。」

小泉「社会保障番号は、納税者番号よりも前の段階だと思うけれども、どういうふうにやっていくのか。具体的に進めていく手順というのは。」

吉川「他の先進国で既にある国がたくさんあるので、そうした国でどのような形で運用されているのか、具体的には、米国でもどこでもいいと思うが、それに学べばいいのではないか。」

小泉「そんなに難しいことではないのか。」

本間「今、制度がばらばらになっているので、総理が言われるとおり、その番号をどういう具合につなぐかという問題は当然出てくる。」

ウシオ「アメリカがやっている。アメリカはソーシャルセキュリティーナンバー。」

奥田「SSNという名前で。」

小泉「社会保障は日本ほど充実していないでしょう。アメリカは。」

奥田「それは日本の方がはるかに充実している。」

ウシオ「重複支出が出ようがないという説もあるくらいだが、あることによって、そこからかなりの効果が出ている。それと、資料に書いたように、一体的改革と一元的管理も同時に進めることができる。要するに、年金、医療、介護、生活保護等、これを一体的に捉えて、制度の設計を総合的に簡素化して、しかも重複支出がないようにするということ。これで非常にいろんな点で問題がクリアになる。」

小泉「財務省か、厚労省か、こういうことから入ると、具体的な手順ないかね。そうじゃないとね、なかなかわかりにくい。」

竹中「いくつかの省で検討したことはあると思う。アメリカの場合は、ソーシャルセキュリティーナンバーを得るために、オフィスに行って登録する。日本の場合は、世界にあまりない住民票というものがあるので、それを使う方がいいか悪いかとか、改めてもう一回国民全員に登録に行っていただくのかとか、そういう問題は出てくると思う。ただいずれにしても、やろうと思えば、これはできると思う。」

小泉「個人情報の問題もある」

ウシオ「地方自治体がきちんとあるし、e-ガバメントも相当進んでいるので、手順を示せば、それほど複雑なことではないと思う。」

竹中「e-ガバメントに結びつけようと思ったら、やはり住基ネットをどう位置づけるが、そういう問題をクリアにしないといけなくなる。」

吉川「従来から、こういうものを入れるのは難しいという議論はたくさんあるが、諸外国でも、先進国はやっているわけであり、そろそろ、本当に前向きに検討していただく必要がある。」

小泉「納税者番号よりはやさしいだろう。」

本間「これは従来の番号に各共済や厚生年金をつなげばいいわけで、社会保障番号の延長線上でやろうとすれば、技術的にはクリアできると思う。ただ、今、竹中議員が言われたとおり、総務省では住基番号を使っており、どちらを使うかとか、いろいろな調整はしなければいけない。しかし、新規に納税者番号という形よりは、既存の番号を使った方がずっとやりやすいと思う。」

小泉「難しい方法を、みんなやれ、やれと言っているんだから。納税者番号を、民主党もやれやれと言っているし、識者もやれやれと。これはどこの省が、どのように、具体的にどのような問題があるか、わかりやすく整理して提示して。」

与謝野「整理して。はい。」

ウシオ「複数の省にまたがるから。」

与謝野「社会保障番号は誰か研究している人がいるはず。」

ウシオ「いろいろなところで研究している。」

本間「いろいろ情報はあると思う。ただ、政府のこれまでの取り組みもあり、それとのつなぎも勉強させていただく。」


このような感じでした。私は以前にも書いていますが、住基ネットを有効に活用すべき、という観点から、社会保障番号はこれ一つで十分なのではないかと思っています(過去の記事をお読み下されば幸いです。カテゴリー:社会保障問題)。で、他の健康保険も、厚生年金保険も、労働保険も全て番号で管理されていますから、これらの番号が一つのナンバーで管理されることになれば済む話ですね。統一された規格を持てば済みますね。将来的には、医療情報ネットワークに発展させることも可能なはずですね。専門的な問題点もあると思いますので、技術的なことはそれぞれの専門家の御意見も必要だろうと思いますが、今の時代で統一された社会保障番号とそのネットワークが整備できない、なんてことはないと思えますね。


吉川先生は「民間議員が前から言っているとおり」と仰っておりましたので、そうなの?と改めて知りました。検索して調べてみると、本当にそうでした。

今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針

月刊ESP2月号


今の今まで、本当に「ゴメーーーン」でした。あれこれ文句をつけていたのだけれど、吉川先生の仰せの通りでした。初めの頃の「骨太の方針」にもちゃんと書かれていました。スミマセンでした・・・。やはり賢い人々が集まれば、普通に考えて私程度が思いつくことは、大体考えられているのですね。


でもね、それならば、どうしてこれまで放置していたの?って思いますけど。何でもっと早くから真剣に取り組んでこなかったのですか?とツッコミたくもなりますよ。閣議決定までした事項でありながら、今までは問題を留保、先送りしてきたということなんだろうと思いますね。でも、優先するべき課題として考えられていたのが、例えば不良債権問題、道路公団問題、年金問題、郵政民営化、等々で、手が回らなかったのかもしれませんね。

うーむ、であれば何故に選挙対策的な「小手先の年金改革」に踏み切ったのか、甚だ疑問である。あの強硬採決は許されないよ、普通。諮問会議で通した「年金改革はこれでいいんだ」、という過ちをまずは認めるべきですね。公務員共済の問題、国民年金の問題、議員年金の問題、厚生年金隠れ脱退、社保庁問題、どれもこれも全く解決できてないでしょ?やるべきことがわかっていたのに、目先だけ国民を騙そうとした姿勢は厳しく糾弾されるべきでしょう。


きちんとやる積もりならば、もう一回社会保障を組み直さねばならないし、同時に「歳出・歳入一体改革」と平行するけれども、保険料と税とをどのようにするか、ということも一体的に検討していくべきですね。最低保障ということに重点を置くならば、年金一元化と財源問題(要するに消費税です)にまで踏み込んで議論すべきですよ。社会保障番号というのは、基本的にはシステムの問題であるけれども、社会保障の根幹部分でもあるのです。どのような「総合的行政サービス」として給付するか、というある種の商品設計でもあります。そこに辿り着けなければ、いくら番号をいじっても同じ。年金番号が別の「社会保障番号」という別な呼び名の数字列に置き換わった、というだけで終わってしまいますよ。


あの時の年金改革はもう過ぎてしまったことですし、当時の政治的な環境とか抵抗勢力の状況(笑)とか、そういう部分(要は統治システム)での違いがあって、後退戦を余儀なくされたのかもしれないが、それを勘案したとしても年金改革・社保庁改革をやったことにしたのは本当に酷いと思う。未だに年金不信の原因にもなっている。未納率が改善されないことにも表れているじゃないか。

なので、今度こそ真剣にやっていって下さいよ。基本方針だけでも、ちゃんとしたものを策定しましょうよ。大枠の議論がなされていないし、国民にも全然伝わっていないと思いますよ。


今後の進展に期待したいと思います。今度は統治システムの問題なんかじゃありませんからね。あくまで中身の問題ということです。



吉川vs権丈??

2006年02月25日 23時59分55秒 | 社会保障問題
我が家では朝日新聞をとっていないので普段は読むことはありませんが、吉川先生と権丈先生の討論が出ていたそうです。「namiメモ」さんの記事(namiメモ -  人口減で経済どうなる(朝日新聞))で知りました。両者の主張の違いが出ていて、吉川先生はどちらかと言えば「持続可能」という観点に重きがあって、それはそうなのですが、国民が考えて決めることだと思いました。「何を優先したいか」「何を最も求めるか」という部分では、国民の意思をまずは知るべきであろうな、と。


吉川先生はまるで会社の備品供給担当者(実際には見たこともないので全く知らないんですけれど)のようです(笑)。

ヒラ「ボールペンが直ぐになくなるから、買って欲しいんですが」
担当「使い過ぎです。買うお金には限りがあるので、使わないように」
ヒラ「でも、無いと困ります」
担当「少なくしか使っていない部署もありますので」
ヒラ「でも・・・、困るんですけど」
担当「自力でお願いします」
ヒラ「えーっ!?自分で買うんですか?」
担当「そうです。ない袖は振れないですから」
ヒラ「ある程度、支給してもらわないと足りないのですが」
担当「自分の好きな形のボールペンを選択出来ないですよ」
ヒラ「自由なものよりも、きちんと支給された方がいいのですが・・・」
担当「それなら来年にはもっと減らすことになりますよ」
ヒラ「・・・・・・」

ちょっと(いや、かなりかな?)無理なたとえですが、こんな感じですね(笑)

nami-aさんは「非モテの牙城、はてな」と仰っていますが、実際もそうなのでしょうか(笑)。

ご指摘のように、この前の諮問会議ではグローバル戦略関係で呼ばれていた伊藤元重先生が「婚姻20組のうち1組の割合が国際結婚です」と紹介しており、奥田さんも前から「海外の労働力導入」を主張していたので、確かに非モテ解消(男性の生涯未婚率が12%超とか言われるご時世ですので・・・)には一つの解決策でもあります。男性の方が毎年多く生まれているのですし・・・。微妙な問題ですね。


吉川先生は拙ブログ記事に最近登場回数が増えました。平ちゃんを含めた「慶応連合」が反旗を翻す、ということでもないんでしょうけれど(笑)。
何というか、面白いですね。



コトリコフと年金改革

2005年12月01日 03時09分04秒 | 社会保障問題
ちょっとネタが古いですけれども、今までにも何度か取り上げてきた読売の「地球を読む」欄の論説に関連する話です。27日付朝刊には、伊藤元重東大教授が書いておりました。その中で、コトリコフ教授の著書『破産する未来―少子高齢化と米国経済』の引用をして、米国の将来債務水準(あれこれ計算するとGDPの4倍水準)を示し、「つまり国家は”技術的には破産状態”ということになる」という強いメッセージを紹介している。これと似たような状況が日本についても言えるのであり、米国よりもむしろ日本の方が危機がすぐ目前に迫っていることに憂慮を述べていました。昨今の増税論議についても、「重要な鍵」とも述べていました。


丁度時期を同じくして、この少し前の「本のよみうり堂」では清家篤慶応大教授が、このコトリコフの著書(『破産する未来』)と小塩隆士著『人口減少時代の社会保障』について書評を書いていました。偶然同じコトリコフの著書が取り上げられていて、機会があったら読んでみようかな、とも思いました。コトリコフについては、高橋洋一氏の論文の中で登場したので、その時少し触れました(社会保障改革の文献的考察)。


余談ですが、清家教授は政府の委員などをされていて、以前にもちょっと書いた(公示後の選挙違反行為って・・・(追記あり))経産省の産構審委員とか厚労省の社会保障審議会委員などにもメンバーとして入っておられます。伊藤先生については以前に何度かご登場頂いたので、もういいですね。両先生ともに政府内の仕事をされておられますから、是非とも頑張って頂いて、政治的にも良い方向に進めるようにご発言をしていって頂ければと思います。


で、伊藤先生のご意見としては、今の改革推進という政治を評価しながらも、「問題は、こうした手法を続けていくことで、日本が直面する財政問題が解決できるわけではないということだ」と述べており、財政再建の道筋としては増税というような「辛い政策」ということを将来的に選択していけるかどうかが重要なのだ、ということです。


清家先生は、「そのポイントは、〈1〉高齢者の中でも経済力のあるひとたちにはきちんと負担をしてもらう、〈2〉現役層から高齢層への所得移転は社会保険ではなく、税、とくに消費税で行う、〈3〉その所得移転は現役層の経済力に見合った範囲に抑える、ということである。」とまとめており、同時に「給付と負担のバランスは国民の選択によるというとき、選択権のない将来の国民に負担を押し付けるという誘惑に負けてはならない。」との戒めを示していました。それと、米国独立運動時代のスローガン、「代表なくして課税なし」という言葉と、結果的に将来世代への「ツケ回し」をしようとする今の状況を重ねています。


社会保障改革としては、「まず医療改革」ということで進められていますが、これでは現実的に解決されないでしょう。社会保障改革の要諦は、やはり「年金改革」なのです。しかも国民の多くの要望も「年金改革」であるのに(優先順位的にも第一です)、全く進められようとはしていません。それは「自分達の誤りを認める」ということが出来ないからです。「既にやったじゃないか」という下らないプライドがあるからです。将来世代へ負担を「先送り」していっているだけなのです。

部分的に改革は進んでいますが、本当に必要なはずの年金改革は捨てておかれたままであり、これで「国民との約束」を果たしていると考えているならば、反対表明出来ない将来世代に負担を押し付けるだけの政治、ということなのでしょう。コトリコフの警告も理解出来ない、ということなんだろうと思います。



与党のごり押し

2005年10月14日 00時51分30秒 | 社会保障問題
議員年金の議論は平行線となって、与党は民主党との合意が得られないとしても法案提出を目論んでいるようです。いよいよ、数の論理で全てを進めようということでしょうか。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 隔たり大きく平行線 議員年金改革で協議会


先日神崎代表は「(民主党案のように給付3割カットで、議員OBが)訴訟を起こしたら敗れるだろう」と民主党を批判していた。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「民主案は哲学ない」 議員年金廃止で神崎氏


よくもこんなことをいけシャアシャアと言えるな。国民は将来の年金すらきちんと給付されるかどうか分からんのに、年金保険料を支払い続けているんだぞ。国民には給付額を約束している訳じゃないから、訴訟を起こしたって国民は負けるに決まっている。なのに何故、議員OBが訴訟を起こせば勝つんだ?年金保険料をいくら払えば、最低幾ら以上給付する、という約束によって年金保険料が納められてきたのか?企業年金の給付削減だって、給付が厳しくなれば減額することは行われてきたじゃないか。確かそういう訴訟があって、提訴した方が負けたんではなかったか?神崎代表は、いつから年金訴訟の専門家になったんだ?どの様な法律と解釈に基づいて、勝訴を導き出したんだ?是非、教えてほしいものだ。


与党の厚生年金と共済年金について先に一元化を進める、という路線に変更がない。元々公明党は、「一元化なんてしなくていい、やるとしても遠い先のことだ」と主張していたじゃないか(実態を考えない幹事長達)。冬柴幹事長は、はっきりとそう言っていただろ?去年の改革で十分なんだ、とボケたことを言っていたじゃないか。今になってコロッと手のひら返しか?


小泉さんは、国会答弁でも党首討論でも、民主党岡田代表への答弁でいつも次のように言っていたじゃないか。もうすっかり忘れたのか?
「年金一元化については、税制を含めた歳入と社会保障の一体的改革を検討する」
「年金一元化と納税者番号については、民主党が(合同協議の)テーブルに着けば検討していきます」

参考記事:国会空洞化現象


いつもこのような回答であったと思いますよ。これは、社会保障改革に着手する時には、「税制を含めた歳入と、歳出である社会保障」の一体的改革を考える、ということであり、その際には納税者番号導入についても同じく合同会議できちんと検討しなければならないはずだ。だが、今の与党のやっていることは何だ?数を取ったら、早速去年の強行採決と同じ手法なんじゃないか。全然検討なんかしていないだろ。初めに結論ありきだ。何が「党派を超えて、きちんと議論しましょう」だ。


総理大臣ともあろう者が、自分の国会での言葉に責任を持つべきだし、約束は守るべきだ。岡田代表はしぶしぶではあったが、先に譲歩してテーブルに着いたじゃないか。党首討論の時には、「年金一元化と納税者番号導入を認めなければ席には着けない」と再三主張していたが、小泉さんが「それも含めてやりますから、席に着かなければ議論できませんよ」と繰り返し言っていたから、それに応じたんだぞ。それにも関わらず、野党を席に着かせたものの、初めっから与党だけで議論を進めているじゃないか。特に選挙後には、野党の主張や意見なんて検討もしなければ、聞こうともしてないじゃないか。これは明らかな「騙まし討ち」だ。席におびき寄せておいて、挙句に「やっぱり、自分達だけで決めるから」って言うようなものだぞ?


税制を含めた歳入についても、一体的に検討します、って、何もやっていないじゃないか。それで、被用者保険だけは先に一元化、ってのはオカシイし、議員年金や国民年金も当然一元化議論に入ってくるに決まっているだろ、年金なんだから。一体的じゃないっての、これじゃ。国民を騙しているのと同じだ。



追記:

13日に行われた諮問会議では、政府系金融改革のヒアリングの予定が出たようです。しかも、公開で行われるということで、かなり透明性を意識したものとなっています。財務省の策動を抑え込む為の伏線と見てもいいかもしれません。


他の識者として、例によって「行政御用達」とも言うべき(失礼、そんなことを言ってはいけませんね。私にはそれぞれ立派な方だと思いますが、色々な評価がありますので・・・私の表現で言えば「経済マフィア」の一派の)方々でしょう。


跡田先生、宮脇先生、扇百合日本総研主席、という今までにも政府の仕事をしてこられた方々です(宮脇先生は以前参院事務局、日本総研におられたそうですね)。
お馴染みの顔ぶれです。是非頑張って改革を進めて頂ければと思っております。


これはとりあえず置いておくとして、それよりも大切なことがありました。それは、諮問会議民間議員の提案は、「経験則」と明言しておられたことです。これは意外な感じが致しましたが、何となく正直でよろしい、と思いました。そして、4つの大切な経験則という形で、その一つに「財政改善にはデフレの克服が急務」と明言されたことです。このことは、重要な意味を持ちます。以前から書いてきたように、「日本21世紀ビジョン」の文言を踏まえて、より踏み込んだ方針を明らかにしたことに大きな意味があります。ついにここまで進んだか、という気が致します。


もう一つは「国民からの信頼」を挙げ、当然とはいえ、これは評価されるものと思います。行政側の姿勢として、前回議論での「国民への説明責任」、「透明性確保」、そして今回の「信頼」、という言ってみれば3原則のような形で言及されていることが印象的でした。これは今後の政府系金融改革や財政改革においても、最も重要視されるべき事項であろうと思います。元々政治に求められるべき事柄ですが、このような進展が得られたことは、素直に良かったと思います。


気になったのは、配布資料での90年代分析で「名目GDPよりも歳出が上回って上昇」したことのグラフ説明でした。80年代では名目GDPが1.7倍程度まで拡大しましたが、90年代では1.1倍程度であった為、財政状況が苦しくなった、ということでしょう。一方、社会保障費は80年代では1.5倍程度、90年代では1.6倍程度となっており、伸び率には大幅な違いはないということです。

社会保障制度については、低成長(高齢化加速)時代に入る前に修正するべき部分であったとは思いますが、80年から90年では高齢者が425万人増(人口比では約3ポイント程度上昇)で、90年から00年では710万人増(同5.3ポイント上昇)という具合に、実数が大幅に伸びたことが大きく影響していると思います。この期間における社会保障費の伸びに最も寄与度の大きかったのは年金であろうと推測しています。この費用分析によって、寄与度の大きい部分に着手すると効果が最も大きく、物価スライドを導入したとて高齢者の実数の伸びには追いつかないだろうと予測しています。ですから、年金改革を、ということをお願い申し上げているのです。これに取り組むということは、当然税制についても改革することになるからです。


短期的には医療費の抑制策として削減をすることもある程度は必要でしょう。その意味も分かります。しかし、中長期的には社会保障制度そのものの抜本的改革を目指さなければならないと考えております。特に年金を含めた社会保障制度改革には時間がかかるのですから。税制についても、勿論そうですね。その為の基礎を、今の時点から長期的な将来展望に立って、方針を明らかにしていくことが必要だと考えます。



医療費の分析~その2

2005年10月11日 17時43分49秒 | 社会保障問題
2)過去の医療費推移について

私には珍しく、過去の統計資料から数字を拾って計算してみました。
内閣府の各年度ごとの名目、実質GDP成長率(名目は81年度から、実質は82年度からしかデータがなかったのでそれを採用)、GDP実額(80、85、90、95、00、03年)、80年度以後の医療給付費実額(厚生労働省統計)、総人口と65歳以上人口(総務省統計局の「日本の統計」データ)などを用いています。


まず、経済財政諮問会議での民間議員達の主張にあったのは、92年ベースでの物価と医療費の相対価格比較ですけれども、あれをもって医療費の方が高くなっている、という分析だけを出すのは公平ではない、と思いますよ。何故ならば、一般企業はバブル期にボーナスを沢山もらったりしていた訳ですが、医療費の上昇率はその時からそれと同等ではなかっただろうし、中・長期的な動向を計画するのであれば、やはり検討条件も中長期的な視点で比較することが必要と思いますね。以前は私も日銀統計のGDP成長率を見ましたが(95年からの分だけだった:医療費の罠)、内閣府が過去のデータ計算が間違っていたとの報道があったように、新しく計算し直してもっと古くからのデータがありましたので、そちらを参照することにしました。



大まかに書くと次のようになっています(高齢人口とは65歳以上を指します)


年度         80     85    90    95     00    03      
GDP(兆円)     246    327   450    500    513    501
医療費(兆円)   10.7   14.3   18.4   24.1   26.0   26.6
対GDP比(%)   4.36   4.36   4.08   4.81   5.06   5.31
総人口(千人)  117060 121049 123611 125570 126926 127619
高齢人口(千人)  10647  12468  14895  18261  22005  24311
高齢人口比    0.091  0.103  0.120  0.145  0.173  0.190


あまり上手く表が作れませんけれども、ご容赦願います。
(今見たら、めちゃくちゃだ。エクセルを貼り付けたんだけれど、全くヘンになるのはなんでだろう?編集画面の表示では、大丈夫なのに・・・どうしてかな・・・
うまく表を入れる方法はないのかな?)



名目・実質GDP成長率、GDP実額、医療費実額等は毎年のデータを見てみました。
81~90年度では平均GDP成長率が、名目6.22%、実質3.75%、バブル以後の91~00年度ではそれぞれ1.35%、1.43%と低成長時代となり、01~03年度では-0.77%、1.07%と更なる低迷となっていました。

80年度と03年度を比較すると、GDP実額で2.04倍、医療費は2.48倍となっています。80-03年度の平均GDP成長率は、名目3.19%、実質2.50%でした。医療費は経済成長率を上回って増加しており、平均成長率は4.06%で、対GDP比でもそれが見てとれます。しかし、これは高齢人口比増加の影響を受けるので、増大要因を少し検討してみました。


経済財政諮問会議でご提案の「高齢化修正GDP成長率」がどの程度なのかを調べました。これは次の計算式によるものです。

高齢化修正GDP成長率=名目成長率+(高齢人口増加数÷2)/前年総人口

何故、「2で割る」のかというと、年金改革で物価スライドを取り入れたので、高齢者層への社会保障給付の半分は年金によって修正されているから(?)、ということらしいです。これはどういう数学的意味があるのか、全く判りませんけれども、一応年金で半分、医療で残り半分、という意味らしいです(本当かよ?)。03年度までは年金改革は行われていませんでしたから、この指標を以前の数字に当てはめる意味がないと思いましたので、単に高齢人口増加数/全人口で計算してみました。中期目標ということだろうと解釈しましたので、5年毎の次の計算式に変えてみました(5年間の平均増加数)。

名目成長率+高齢人口増加数(例えば85年度高齢人口-80年度高齢人口)/5/(例えば85年度総人口)

この指標を5年毎に算出すると、下表の左のようになり、右には医療費成長率をどれだけ上回っているか(指標との差)を示しました。


85年度  7.01   1.72
90年度  8.90   4.04
95年度  2.34  -2.84
00年度  1.60   3.07  
03年度  1.41   0.11  (この年度だけ3年平均で求めています)

医療費成長率との差を見ると、指標を上回った期間は95年度だけです。つまり、それまでの医療費成長率は、高齢化要因を除けば、いつも経済規模よりも不利な成長となっており、これは経済的利益を医療が求める必要がない、ということに起因しているかもしれません。逆の見方をすれば、世間の多くの人々が経済成長による利益を享受していた期間に、医療分野では利益を受けることなく過ぎてきた期間がかなりある、ということですね。諮問会議が出した高齢化修正GDP成長率にあったように、高齢人口増加数を2分の1にしたとしても、べらぼうに違ったりはしません。大体経済成長を上回る医療費の伸びとなったのは、90年代前半だけで、それ以外はほとんど経済成長の方が上回っているでしょう。これは「直ぐには消費支出が削減出来ない」というラチェット効果と似ているかもしれません。景気悪化でも、「予算は直ぐに削減出来ない」。バブル崩壊後だったので、かえって財政出動が求められていたという面もあったかもしれませんね。


次に、高齢人口の増加による医療費増大の影響を考えてみました。ちょっと変な方法ですけれども、65歳以上の層が受ける1人当たり医療費が、65歳未満の層が受ける1人当たり医療費の3倍であると仮定します(フランスなどがこれくらいの水準であるとのことで、諮問会議で出されていました。現在日本では若年層の4~5倍くらいかかっているそうです)。
すると、若年者が5人、高齢者が3人いた場合には、若年者医療費単価をa 円とすれば、トータルでは5a+3*3a=14a となります。別な時期には単価b円で若年者8人、高齢者5人ならば同様に総額は23b となりますが、aとbを比べてみて、a=bであれば医療費総額の増加は単に人口増加と高齢者比率の変化による増加であると判ります。この原理で年度毎に医療費単価を比較してみました。変な方法ですけれども、人口変動による医療費単価の変遷がおおよそ判るかなと思いますので。

ある年度の医療費をA0、総人口をN0、高齢人口比をR0、とすると、
医療費=単価×65歳未満人口+単価×3×高齢人口ですから
単価0=A0/((1+2R0)×N0)
となります。順次単価1、単価2、・・・とあれば、単価1/単価0、単価2/単価0、という比が出せます。このような具合で、基準年度を80年度とし、比をとると次表左側の数値のようになります。

年度
85   1.261   0.949
90   1.544   0.845
95   1.913   0.942
00   1.961   0.941
03   1.946   0.956

80年度を1とした単価比ではこのようになるのですが、これとGDP実額の比(経済成長)を比べると右数値のような結果なのです(85年度/80年度、90年度/80年度という具合にGDP実額の比を上のそれぞれ対応する年度と比較する)。これによれば、GDP成長割合の方が常に大きく、みなし単価(以後、こう呼ぶ)の成長はGDP成長割合よりも常に下回っているということになります。勿論、基準年を90年とかにした場合には、もうちょっと違った結果がでるかもしれないですが、諮問会議の民間議員は敢えてGDP成長率の激減となっていった92年を基準としているのは、明らかに都合の良い数値処理ということになるでしょう。それ以降に医療費が経済規模をはるかに超えて増大したことを決定付ける印象を与えていますね。しかし、この国民一人当たりの「みなし単価」の成長率を見れば、人口構成と高齢者数という変動要因を考慮すると、経済成長よりも常に低成長を強いられてきた分野ということになると思われますが。


また、現在の若年層と高齢層の医療費割合が「みなし単価」で仮定した3倍という水準から大きく乖離しているということは、政策的に誤った方向へ進んできた、ということが推測されます。もしも高齢層が若年層の4倍単価であれば、高齢人口増加が医療費増加要因としてもっと強く出てくるので、「みなし単価」は計算値よりも更に低下して経済規模よりも更に低成長であったことになるでしょう。医療費の増大は主に高齢化によるものであり、人口構成の変化が大きく影響しているのです。効率性が悪くなって費用ばかりかさむ、ということとは別なのです。


高齢層に多くの医療費がかかっているのは、医療行政上で高齢層への予算配分が、不釣合いな水準となっているからでしょうね。むしろ、若年層に今まで以上に多くの予算を配分することで全体の医療費総額が変わらなくとも、今後の人口構成変化においては有利に働くはずだろうと思います。高齢層にばかり点数を貼り付けてしまったが為に、「みなし単価」は経済成長以上に増加していないが、若年層は相対的に少ない給付とされ、その分が高齢層に回されてしまったとも考えられるでしょう。諮問会議が高齢者に5倍近くもかかるのはオカシイ、というのであれば、若年層への給付を増大させる(過去の給付水準がみなし単価によると低成長であったので)ことで、5倍から3倍程度まで縮小できますよ。それが本当の意味では正しいのではないかと思ったりしますけれども。


厚生行政の誤りによって、老人保健法が制定されて、これによって逆に若年層と高齢層への医療給付バランスが悪化した、とも考えられるでしょう。しかもその負担のしわ寄せは、保険料値上げや自己負担率上昇という形で殆どが現役世代に回されてしまったのです。その為に年金給付ばかりではなく、医療保険においても世代間格差がより一層強まったのですよ。それを今になって、給付を減らせば解決出来る、ということを主張される訳ですが、これは社会保障改革でも何でもないのではありませんか?


単に金の出所を絞るということだけです。小学校に通う児童に、「ウチは払えないから給食代は無いからね」なんてことを言うのと同じではありませんか。給食代を捻出できるように、子供も小遣い値下げを100円してくれ、その代わりに父さんがビールを買わずに我慢するから、って言うならまだ判る。だけどね、一方では爺ちゃんに小遣いをばら撒いておいて、だが給食費は払えない、ってのもオカシイでしょ?ってことを言っているんですよ。


医療費の分析~その1(追記あり)

2005年10月10日 18時57分28秒 | 社会保障問題
1)はじめに

医療費のマクロ指標に基づく総額管理が現状での課題となっている。今までにもいくつかの論点を提示してきましたが、経済財政諮問会議の意向としては、まず削減という方向性に変更はないようです。これはミクロ的にはある程度止むを得ない面もあります。抵抗勢力と目されている厚生労働省や族議員、医師会等の抵抗を排除したという実績が形としてもまず求められる、ということは政治的側面で見れば理解出来得ることではあります。しかしながら、見せしめ的な予算カットというのは、短期的に相当額をもって行えばそれなりの弊害も多くなってくるでしょう。


現在考慮されている5%水準のカット幅というのは、例えば小売でいえば百貨店とコンビニの合計年間売上高約15兆円を単年度で2.5%抑制するというものです。売上高経常(or純)利益率がどの程度か分りませんけれども、普通は数%以下でしょう。例えば老舗の三越さんだって売上高純利益率は僅か1.25%しかありません。イオンでは0.11%、収益力の強いとされる伊勢丹でも2.56%でしかありません。つまり、年間市場規模30兆円のうち、売上高5%カットで1.5兆円の給付削減、国庫負担レベルでは3500億円削減程度の効果しか持たなくとも、市場全体で見れば相当厳しいカットと言えます。


物販や製造業などでは、好景気などによって増益となる年も勿論有り得ますし、今の鉄鋼業界のような特需要因も発生する場合があります。しかし、医療というのは、景気が良くなったからといって、もっと病気になってみようかな、という人もいないでしょうし、景気がいいのでもっと薬代を払いますよ、とかっていうこともないのです。ボーナスが増額されるということもありません。基本的に、そういう景気動向とは無関係に運営されているのです。


前から言っていますが、もしも経営的にもっと改善の余地があり、上手く運営すれば単純に売上高を削っても運営できるんだ、というならば、まず見本を見せてくださいよ、と申し上げている訳ですが、これもおやりにならない。現実に公的病院等の全ての補助金を切って運営させてみればよいのです。勿論施設整備費とか補給金などを全部切っても、普通に運営できるはずですよね。どうしてそれをおやりにならないのですか?きちんと運営できるビジネスモデルを見せてくださいよ、と申し上げているのです。剰余利益がないということは、いずれ建物がボロくなったりしても建替費用もない、新しい医療機器も買えない、と、そういうことなのですね。



構造的問題もありますし、一部には労働集約型の産業に人員を多くとるのは労働生産性が落ちるのでよろしくない、というご意見もあるようです。確かにそういう業種に多くの人員を充てるというのは、日本全体で見ればよくない面もあるかもしれませんね。しかしながら、日本人全員が高い労働生産性だけの業種に従事しているかというと全く違いますし、能力が全員同じであればそりゃカッコイイ「カタカナ職業」とか、多額の金を右から左へと動かすような大きな取引などだけの職業に全員が就けばよいのです。やれるもんならやってみろ、と言いたいですけれども。はっきり言えば、半分以上の国民は、そんな大きな仕事はやっていないし、生産性が高い職種などに就けるほど求人需要もないだろうと思いますよ。もっと限定して、就業人口の半分以上はそんな職業になんて従事していない、ということを言っているんですよ。もっと切実な問題で、固定給がもらえるかどうかの瀬戸際の人々は沢山いるかもしれませんけれども。


労働集約型産業に雇用を増やしてそこに多くの人員が就業するのはよくない、と言った人は誰か発表して欲しいですね。どこのドイツが言ったのか、教えて欲しいものです。それならば、「お前が高い労働生産性の基幹産業を作れ。就業の需要を満たせるような環境を作ってみろ」って直接言ってあげますよ。多くの人々は、それはキレイな服を着て、手も汚れず、高い給料を貰えるクリエイティブなカッコイイ仕事に就きたいと願っていることでしょう。普通にそう思いますよ。ですがね、世の中そんなに甘くはないでしょうよ。何処にそんな仕事が余っていて、求人不足の業種がありますか?是非教えて欲しいですよ。今後、そういう仕事がごっそり余り、例えば今までフリーターやニートだった人とか結婚・出産後の女性や定年退職後の人達も生産性の高い仕事に就けるなら、そりゃもう大喜びですよ。労働集約型産業以外に、生産性の高い就業先をキッチリ用意してくれるでしょうから、そういう優秀な人には是非とも厚生労働大臣になってもらい、雇用・労働問題を解決して欲しいですね。絶対応援してあげますから。ですので、是非教えて欲しいということですね。


頭で考えたり、知識として知っていることは大切だし、理論として大事なことも沢山あるでしょうね。ですが、社会の底辺を見たことも聞いたこともなくて、多くの人々がどうやって仕事をし、生活しているかがまるで思い浮かばないか、知らないか、想像力すらない人が、政策を考える時には、こういうことをまず言うんですよ。労働集約型産業について、教科書的一般論を言うのは学生でも出来るんだっての。教科書通りで何でも解決出来るんだったら、誰も苦労はしないだろ。誰も失業しないし、失業で苦しんだりせずに済むんだっての。


医療や介護の需要は今後も大幅に減少したりはしない。人口比で65歳以上が今の20%くらいから30%超になっていく過程では、2400万人から3600万人に増加していく。疾病率が多少は減少したとしても(予防効果などで)、病気の人が半分以下などには直ぐになったりしない。つまり、同じ病気になる実人数が普通に言えば1.5倍となるけれども、うまく予防できて発病を2割削減できたとしても、1.2倍に増加する。例えば脳血管障害患者(所謂脳卒中とか)が現在毎年30万人ずつ発病(全くのいい加減な数字ですから。実情は知りませんから)だとすると、3600万人時代には今と同じに行けば年45万人に増えるが予防がうまく行って9万人減らせたとしても36万人は発病することになるのである。この36万人に対する治療やケアなどが不必要になるわけではなく、現在の医療サービス、例えば看護師1人当たりの受け持ち患者数が限界である時、必ず看護師の増員が必要となるのです。介護にしても、如何に効率化を図るといったって、1人の職員が一定限度以上のサービスを物理的に担当出来ないということです。ケアマネージャーだって、受け持ちを1人で千人とかには出来ない、ということです。結局そこには人員配置が必要になるということを言っているのですよ。


その時に、専門職の1人当たり単価の高い人員(例えば医師、看護師、薬剤師、・・・)を全部に今と同様に配置するよりも、専門性はやや劣るが単価の低い人員を配置する方が有利だ、ということを言っているのです。前にも書きましたが、専門性によって仕事の壁が作られている、これを少し弾力化して人件費抑制に作用させた方が、事故も防げるようになるかもしれないし、サービス自体は向上するかもしれないですよ、ということを言っているんです。予算の関係で総額をキャップ制にして抑制したからといって、医療サービスの総量自体を大幅に減少させられるというものでもないでしょう、と言っているんですよ。


医療・介護への予算を削減すればそこへの雇用も減らせるし、生産性の低い労働集約的産業に人口減少で貴重となるであろう人的資源を配分するべきではない、と主張するのであれば、それなりの適正化策を出せと言いたい。いっそ、全国の均等な計画的配置に変えることにしたまえ。人口当たりで担当ゾーンを設定して、圏外には受診できないようにして全医療関係従事者の仕事量を均等化するんですね。それをやっても、一人当たり仕事量にはバラツキがあるけれど、でも最大の限界仕事量に最も近づけるかもしれんぞ?


前に書いたが、団塊世代引退などで、これから10年で700万人以上退職するから空きは出来る。次の10年で500万人が労働人口(15~65歳)から減る。この時に、どれ位の需要があるか、だな。被用者保険に加入しているのは、現在でも高々4千数百万人くらいだろう。非正規雇用者などが高齢就業者に置き換わっていけば、正規の雇用は条件がよくなるかもしれないが、女性が就業を続ける環境さえ整えば、空きが大幅に増えるということもないのではないか。2025年頃では、ざっと言うと総人口1億2100万人で、うち65歳以上が3470万人くらい、15~65歳が7230万人だ。現在仕事をしているのは、6400万人くらい。15~22歳のうち学校に行く人もかなり多いので、その分ざっと800万人を引くと6230万人となるな。男女比が半分で女性の就業率が7割とする、女性労働者数が2180万人、男性3115万人の合計約5300万人となる。他に22歳以下の就業者が約3割とすると240万人だから、合計5540万人となる。65歳以上の2割が就業すると約690万人となって、合計6230万人ということになりますね。これは90年頃とか05年の第一4半期の就業者数と大体同じくらいだ。つまり過剰雇用感が大体解消されていく、女性は大体働く、という時代に入ることになるでしょうね。


長くなったので、一度載せます。


追記:

また追加で申し訳ありませんが、この数十年間平均寿命は延び続けました。これはどういう意味を持っているのか、経済学者はどのように考えているのでしょうか?


医療水準の上昇によって、国民の生命と時間を得るコストを医療費という形で支払ってきたとも考えられるのではないでしょうか。これは医療費の価値が昔と同じである時、得られた成果がそのまま資産という形で残っていることと同じと考えることは出来ないでしょうか。つまり、30年前に仮に1万円という費用がかかっていて、今それと同じサービスが2万5千円である時、30年前の経済水準と今の経済水準で比較して、同じように2.5倍になっているとしたら、30年前に60歳の寿命であれば今も60歳であってもよいわけです。これが80歳に延長されている場合には、20歳増加分について医療サービスのコストが上昇していても当然と考えられるのではないかと思いますが。この20歳延長という価値をどのように評価するかということですね。


また、寿命が延長されれば、医療費は当然のことながら増大します。1人当たりの生涯医療費は増大してしまうということです。判りやすいのは、ガンでしょうね。現在の死因で多いのは悪性新生物です。つまりはガンとかの悪性腫瘍で亡くなる方が多い、ということです。加齢によってガンの発生率は高くなることが知られています。長生きする人が増えれば増えるほど、こうしたガンの患者数は増加してしまいます。人口増加には影響されずに、ということです。ですから、仮に昭和10年生まれの人と、昭和25年生まれの人をそれぞれ100万人ずつ調べてみると、1人当たり生涯医療費を比較すれば(物価がどちらも同じで一定であるとして)後者の方が多くなってしまうでしょう。それだけ長く生きる人が多いからです。


この他、救命できる病気が増えれば、これも医療費の増大要因となり得ます。例えば結核等の感染症で死亡する人が減少すれば、昔みたいに早死にしないので、その後にガンとか心臓病で死亡したりすることになると生涯医療費は増大するでしょう。最も影響しそうなのは脳血管障害でしょうか。救命出来るようになればなるほど、大きな機能障害は残りながらもその後に生活していくことが出来る人が増えます。これによって、原疾患の医療費もそうですし、他の病気になったり、リハビリや介護の為の費用もかさむことになります。つまり助かる人が増加することによって、逆に生涯医療費は増えていくことになるのです。一生健康で過ごして、ポックリ死ぬことなど多くはないのです。産業事故などの死亡減少(炭鉱事故とか鉄道事故・・・などかな)とか若年時代の病気(例えば遺伝性疾患や先天性疾患)での死亡が減少したりとか、そういうことでも生涯医療費は増加することになります。


このようにしてみると、医療水準が向上してきたことによって1人当たりの生涯医療費が増加することになってしまいます。それは助けるということに起因しています。電卓やコンピュータの性能などに見られるように、昔よりもはるかに安くなり、品質向上もあったような産業というものは、目に見える形で(=物質的な形で)残されてきたし、大きな利益を生み出してきました。ところが医療というのは、あまり目に見える形としては残っておらず、利益もそれほど生み出してはこなかったかもしれません。それは国民の生命や健康などという判り難い形としてその成果が残されてきたということです。寿命という時間を得る為の対価として医療費コストが消費されてきたことを考えると、この経済学的評価はどのようなものなのか、私には判りません。


「その1」ということにしましたので、次の「その2」では実際の数字を挙げて検討してみたいと思います。



社会保障改革の文献的考察

2005年09月24日 15時42分59秒 | 社会保障問題
私のような経済素人が、経済学者を3人も擁する経済財政諮問会議に難癖をつけると思われても困るのですが、どうしても基本的考え方に同意できない部分があります。まず年金問題の解決を本格的に考慮するべき、ということを度々申し上げてきましたが、ここを変えなければ税制とも一体的に取り組めないのではないでしょうか。ここを棚上げした状態でありながら、医療費総額のマクロ経済指標導入に意欲を燃やす、というもの納得が行きません。解決するべき道筋は、他にもあると考えるからです。諮問会議や内閣府は十分否定できる論証を行うべきです。これは論理的政策論争ですので、単に抵抗勢力がどうのこうの、という話ではないこともご理解頂けるものと思います。


年金財源を消費税にすることの経済学的評価はどうなのか、というのは、以前にも記事に取り上げました。経済財政諮問会議の基本的考え方は、EBPM(Evidenced based policy making)でありましょうから、政策決定過程の透明性確保と合わせて、政策決定が単なるレントシーカーの影響とか行政サイドの独善的判断ではないことが明示される必要があります。その意味において、社会保障改革についても、政策決定の正当性を担保する基本理論は重要視されるべきです。諮問会議の示した基本方針に対する反論があれば、それについての反証や説得的説明が求められるのは当然であろうかと思います。


年金一元化によって、公務員の特権的受給権や制度間格差はなくなりますし、国民年金未納問題も消滅します。全く年金保険料を払わないで過してきた人々に対する将来時点での生活保護費用支給という代用年金と同等の制度による未納者と既納者との不公平をなくせます。また、未払い保険料回収費用(これは恐らく年間で何十億円かの規模で使われているはずでしょう)も無くすことができます。


紹介記事:
「破局のスパイラル」(追記後)
経済学は難しい9


ここで、上の記事中で紹介した、いくつかの文献を再び挙げてみたいと思います。これらの参考記事を書いた時には、出典を明らかに示していませんでした。何故なら、内閣府の研究所というものがどのような位置付けになっており、何の為の行政機関における研究であるのか、ということを問いたかったからです。行政担当ならば、行政機関内で行われる研究を政策へ反映するという基本的姿勢が求められるのが当然と考えましたし、ましてや行政府の「頭脳」「司令塔」の役割を果たすべく内閣府でありながら、自らの所管である経済社会総合研究所の研究成果を単に放置していることが疑問に思えたのです。そのことについても記事に書いてきました。


①ESRI DPS No.95「年金負担は誰がするべきか?」(島澤、2004)

現行制度での年金受給世代や既に年金負担を行っている世代の効用水準を低下させはするものの、経済活性化と将来世代の効用水準を増加させる、という報告です。つまり、年金財源を消費税に求めた場合には経済拡張的に作用し、既にかなり積みあがった国の債務(将来世代の負担)を考えあわせると、将来世代の年金部分での効用水準増加は世代間のバランスを大きく失するものではないと思われます。

著者も指摘している通り、このシミュレーションはあくまで思考実験的な意味合いということもあって、一概に政策決定の絶対的基準とはなり得ないでしょうけれども、逆に昨年の年金改革案についての政策決定の論拠(何かのpaperでよいでしょう)を明示するか、島澤paperを否定する論拠若しくはこれよりも明らかに有利となるような理論を提示するべきです。そうでなければ、何をもって昨年の年金改革案を決定できたのですか?旧制度を上回る有利な点が理論的に証明されないのに、全くの「勘」で決めたとでも?他のプランを選択しなかった思考過程は、どのような論理性を持っていたのでしょうか?

少なくとも経団連、経済同友会のいずれのシンクタンクのシミュレーションにおいても、一元化及び消費税財源の年金制度を支持する提言が示されているのであるから、これらを否定できる経済学的論拠を提示するのが義務であるし、昨年の年金改革の正当性を証明するべきである。証明出来ないのであれば、年金制度改革へ向けての最善策をevidenceに基づいて検討していくことが行政担当の役割でしょう。


②ESRI DPS No.121「高齢化・社会保障負担とマクロ経済」(長谷川ら、2004)

このpaperは『経済財政白書』にも採用され、掲載されていましたので、お読みになられた方々も多いかもしれません。この中では、社会保障負担の給付・負担を重い場合と、軽減した場合で比較し、両者に10兆円の差が出来るようなモデルでのシミュレーションです。結果としては、軽減策を選択する方が経済拡張的に作用すると考えられ、少子高齢社会への対応としては、給付・負担の軽減を図ることが有利であろうと思われます。白書では、この結果をもって(他の論点も示してはいましたが)「小さな政府」指向の正当性をイメージさせ、尚且つ医療費削減の論拠(年金改革は昨年済んだので、残るは医療費だと)にしようとしたのでしょう。実際に、医療保険についても本シミュレーションにおいては変動要素となっておりますが、これが年金給付・負担を軽減することを上回る効果を持つとも言えないのではないかと思います。

高齢世代への給付は、マクロ的には年金でも医療でもほぼ同等の意味を持つと思われ、単純に医療給付を削減しても若年層の負担軽減にはならないだろうと思います。年金負担の方が金額的にもはるかに重いのですから。医療給付が年金給付を上回る水準というのは、今後25~30年間は訪れることはまずありません。現行制度を維持するシミュレーションでも上回ることがないのですから、改革の重要度・影響は年金の方にあるのです。社会保障給付・負担のセットで考えるべきと思います。


③電力中研 社会経済研究所「国家破綻回避のシナリオ」(服部、2004)

これは前に書いた記事の中でも出典を示していました。このpaperの持続的成長ケースでは、年金給付水準の1割弱を削減すると共に消費税を上げるという条件になっております。給付水準を下げ、負担が徐々に増加させたとしても、経済成長を促進することが出来れば国家財政は持続可能となることが示されております。内需拡大が25年度までに70兆円規模が必要ということも条件となっています。経済財政諮問会議でのご意見のような医療費の総額規制によって、将来時点での医療費を20兆円規模でカットした場合には、大幅な内需抑制要因となって、マクロ経済に大きな影響を及ぼすと考えられます。この危惧を払拭できる理論やevidenceを示すべきです。

医療費の削減は最終的には達成するべきと考えますが(今までに医療制度改革についての記事を書いてきましたのでそちらを参照下さい)、医療制度上の問題点を放置したままでの単なる総額規制は望ましい選択とは思いません。寧ろ、地域間格差を大きくしたり、医療過疎を加速すると思われます。また、市場原理主義的な方向性を絶対的に目指すのであれば、行政からの補助金を全廃するようにしなければ、医療機関ごとに格差を生じ、イコール・フィッティングが達成されているとは言えません。元々公的病院等に大量の補助金や施設整備費等を投入してきて不採算体質を助長し、官業として介入を続けてきたのは行政です。旧国公立病院、大学病院、社会保険関係(労災、年金、共済、旧国鉄、旧電電・・・)の病院等は慢性的な赤字・不採算で、ある種の官業として過去に国民のお金を大量に飲み込んできました。それらへの補助金は当然のことながら全て止めるべきです。行政府がそういった慢性赤字の病院を次から次へと生み出し、そこへ金を流し込んできたのですよ。そういうところに漫然と予算を貼り付け続け、一方では医療費総額規制というのは、明らかにオカシイんですよ。官業を優先的に扱い、政策的に保護しているのと同じです。「民間に出来ることは民間に」「官から民へ」というスローガンは、見せかけだけのニセモノですか?とても困っている地方医療確保などに資金を配分するべきです。


④RIETI DPS 04-J-019「財政問題のストック分析:将来世代の負担の観点から」(高橋、2004)

今まで記事に出していないpaperですけれども、郵政民営化法案作成の基礎を作って名を馳せた財務官僚出身の高橋洋一氏によるものです。当然政府内でも彼の業績や理論には高い信頼性があるものと理解しています。

高橋氏がこのpaperの中で、年金についても触れています。申し上げたいことの一つは、年金のバランスシートを取り上げており、「オープン・グループ基準」では01年度末時点において、厚生年金は552兆円、国民年金は73兆円の積立不足となっていると述べていることです。コトリコフを引いて、日本の年金財政は先進各国との比較においても最悪な状況に属し、世代会計の不均衡是正の為には歳出の26%カットか歳入の16%引き上げが必要と示しています。今の年金制度を継続する限り、たとえ昨年の年金改革で物価スライドを取り入れたとしても、世代会計の不均衡は是正されるはずもなく、国の債務が大幅に積みあがった状態で、この他に年金の積立不足を埋めることなど出来ないのです。また、計算に用いられた出生率が1.34ではなく直近の1.29という数値を用いれば、将来債務は結局増大することになるのです。

04年度の年金改革への評価としては、オープン・グループ基準で809兆円から620兆円に減少し多少の効果を見せていますが、依然対GDP比で120%程度の積立不足となっており、米国の0.4%と比較すれば将来持続可能性について疑問を呈しております。

もう一つは、ストック分析上では「社会保険料」と「税」による本質的な違いがないこと、法的性格も税と違いはない、ということを述べていますので、仮に年金保険料が税に置き換わったとしても問題ない、ということだと理解しています。改革案での運用収益についても3.2%(爆、←私の注です。原文には勿論ありませんよ)という高い水準の予定ですので、これが達成されないと更なる保険料増額や給付引き下げが必要とも述べています。
(預託金が消滅して長期金利以下の運用成績しか出せない連中が、何をボケたことを言うのかと思ってしまいますね。それだけ豪語するなら、まず結果を出せと言いたい。3.2%を達成出来もしないのに、それを改革プランに入れた竹中大臣や経済財政諮問会議の民間議員たちは空いた穴を埋めてくれるのか?誰が責任をとるのだ?予定通りならば毎年6.4兆円の運用収入だが、現実には2兆円以下だろう?医療費削減よりもはるかに大幅な損失だぞ?4兆円以上なんだぞ?この数字の意味が判っているのか)

これでは、04年度の改正が年金問題の解決にはなっていないということになるのではありませんか?高橋氏のあくまで個人的見解であり、彼は信頼に足らない人物ということになれば、彼が策定した郵政民営化プランは信頼が出来ないということになり、逆に彼も郵政民営化プランも信頼できるということであるなら、この年金改革への評価もそれなりに信頼出来る、ということになると思います。このような評価を無視して、政策決定を行うことが正しい選択と言えるのでしょうか?


以上述べた論点①~④に対して、反証なり他の理論なりの正確な説明と、諮問会議の正当性を証明できる論拠の明示が必要ですね。


また、何度も申し上げている通り、医療費総額規制が経済学的な正当性を持つということを経済財政諮問会議は証明するべきです。上に挙げた論点の反証もなければ、政策決定は単なる思い込みとか勘に過ぎない、ということが否定出来ませんね。それはまるで圧勝した議席を背景にした、多数派の横暴と何ら見分けがつきませんよ。それで、経済学者と言えるのでしょうか?



年金一元化を再び取り上げる

2005年09月23日 19時03分15秒 | 社会保障問題
今までにも記事に書いてきましたが、年金一元化によって、全て最低保障の基礎的年金とし、財源を保険料ではなく消費税と企業新税(社会保障税)で賄うものとします。これで財源がカバーされるかどうか考えてみましょう。従来の年金保険料は給与から天引きされなくなりますから、手取り給与自体は増額されることになります。

また、消費税への財源移行では高額商品について高い税率を適用し、食糧品や生活必需品は8%程度を目安としてこれ以上税率を上げないことが望ましいと考えています。処理する方は煩雑だ、とか文句を言うかもしれませんが、できるだけ低所得層への影響を小さくすることを考慮した方がいいと思います。

この方式の利点は、
・高齢者も負担に加わるので、世代間格差を減らせる
・高齢者の就業意欲向上に繋がる可能性
・未納問題や未納徴収に係るコストが削減できる
・企業の不正規雇用が減らせる
・共働き世帯と専業主婦世帯の不公平をなくせる
・制度間格差をなくせる

欠点として考えられるのは、
・低所得層への負担
・段階的消費税が面倒
・企業負担は増加するので業績に影響?
・高齢世帯からの不満?が出る可能性


一応、数字で見てみましょう。公務員共済関係(国・地方・私学)の正確なデータがないので詳細は不明なところがありますが、大筋では3年程度前と変わらないと考え、その頃をデータを元に考えました。


現在の保険料収入ですが、国民年金約2.1兆円、厚生年金約20兆円、共済関係約4.2兆円(今はもうちょっと少なくて、4兆円程度かもしれません、私学は総額が小さく2500億円程度で、影響は小さいと思います)で、合計26.3兆円です。給付は基礎年金12.8兆円、国民年金2兆円、厚生年金22.5兆円、共済関係6兆円で、合計43.3兆円です。このうち共済関係は結果的に国庫から支出していることになります(被雇用者が払った保険料を除いて)。


保険料収入約27兆円が新税と消費税へと移行しますから、それぞれを考えてみましょう。まず、雇用主負担ですが、現在は企業が約10兆円、公務員分が2兆円(国庫から払います)ですが、今後給与総額の7~8%程度を社会保障税として雇用主に負担してもらいます。将来的には9%程度を目処に引き上げます。これは現在の制度で厚生年金の料率が最終的に18.3%まで引き上げられるということが決まっているため、それを考慮すれば雇用主負担は9.15%まで上昇することになるからです。大企業は9%の税率とし、中小企業はそれよりも低い税率(7~8%くらい)が望ましいですね。従来、フリーターやパートなどの分は企業が負担を逃れていたので、その給与分も当然負担して頂くことになります。これによって、企業は雇用者を正規・不正規と区別する必要がなくなります。労働者の能力に見合う賃金総額で雇用契約を締結すれば済む、ということになります(医療保険も将来的には同じ制度にして行く必要があります)。


この新税による雇用主負担は公務員分は2兆円強(現在と概ね同じ規模でしょう)、企業は多分2兆円程度の増額になるのではないかと思います。例えば、フリーターやパートの分は年収100万円の人達が400万人いるとしても2800億円の税収となります(個人は負担がなく、雇用主が負担するだけです)。以前には国と地方分に税額を分割した方が地方財源とできると書きましたが、できればそのような形が望ましいでしょうね。企業誘致には、地方税額を減らせば、誘致がしやすくなりますね。今は、とりあえず置いておくとして、企業負担を2兆円程度上積みします。企業貯蓄は増加してきた一方でしたから、ここらで相応の負担をして頂きます。共産党みたいな言い分かもしれませんが、それくらいは当然と思いますね。ここまでで、企業と公務員の雇用主負担分が14兆円となります(将来的には9%近くになるので、もう少し増加するでしょう)。


残り13兆円を消費税で賄うことになりますので、1%で約2兆円(現在は5%で10.5兆円程度です)とすれば、6.5~7%ということになります。つまり、消費税を平均12%程度まで引き上げる必要があります。これも、先に述べたように最低税率の8%という物品と、高級品に高い税率とすることが望ましいと思いますけれども。それでも最低3%は引き上げられます。今まで保険料を払っていた人々は、使えるお金が増えますから平均購買力がそれほど落ちるとも思われません。また、富の集中している金持ちも、今までは厚生年金の最高等級の保険料を払ったとしても限度がありましたが(年間60万円くらいです)、今後は使えば使うだけ税額は多くなります。消費支出の多い人はそれに見合った税金を払うことになります。これも前に書きました。


これらによって、現在と同じ保険料分は負担出来ます。未納もなくなり、不公平感も減らせます。残りは、国が公務員分の追加費用として払う2兆円、国庫負担額2分の1引き上げ予定の3兆円、現在一般会計から繰入してる6.5兆円、積立金取り崩し6.5兆円、運用収益1.2兆円(この他、未納回収費用や独居老人等の高齢生活保護世帯分の負担が無くなり、戦時恩給受給者には支払わないか減額できる、)の合計で19.2兆円となります。国が負担する純増分としては、国庫負担額3兆円分から生活保護と戦時恩給世帯分を引いた差額分となります(恐らく2兆円以下だろうと思います)。現在は約17兆円ですから、保険料負担をなくして、税方式にしたとしても問題なくカバーされるはずです。問題は、積立金に頼りすぎの面があること(17年度取り崩し額は6兆円以上なので多すぎ)、運用収益が少なすぎること(せめて長期金利を上回る水準が必要)、などですね。いずれ、戦時恩給や公務員追加費用は無くせるようになります。


このほか、確定拠出年金を各個人単位で加入してもらい(この制度自体は公的年金としても宜しいですけれども)、自己責任で頑張って頂きます。余裕がある時には増額したり、積極的な運用方針を選んだりできます。

新制度発足時に20歳の人は、公的年金は将来時点の基礎年金だけですが、これは確保されます。無年金者に生活保護費用を支給することと変わりません。未納を続けて払わない人と、払っても貰う額が同じならば不公平なだけです。あとは、自分の努力次第で老後資金を準備してもらう、ということになるでしょう。


では、制度の途中で切り替わった人達はどうするか?仮に厚生年金加入20年で切り替わった人は、20年間に払い込んだ保険料分を計算して最低保障額に上乗せすることになります。それは、どの位かわかりませんが普通は積立で過ぎた場合と似たような水準となるでしょう。20年平均で月2万円、合計480万円の年金保険料を払い込んだ人は、20年間年率2%程度の積立運用で経過し、その後年率2%の20年定期と同じような経過であった場合の最終総額が幾らになるか、とかでしょうか。計算が面倒ですので、正確には分りませんけれども、ざっと900万円程度でしょうかね。これが上乗せされてきます。月5万円で最低15年間(65歳支給開始なら80歳まで)上乗せされますから、基礎的年金6万円にさらに5万円が上乗せされ、その他に自分が掛けた確定拠出年金分が上乗せされます(この金額は加入年数、金額、運用成績に左右されます)。


このように、制度途中で切り替わっても、払込保険料に応じた上乗せ額を配分することで、不公平は是正されます。勿論昔の水準のような年金額には及ばないかもしれませんが、地道に払う努力をした人が報われる仕組みに変わるし、無年金による生活保護世帯の増加を支える為に、他の国民が苦しむよりもましです。公務員は昔に多く貰ってた人達が多かったので、それと比較すれば不利になりますが、自分が払った分はきちんと増えて返ってくるのですから、丸々損することにはなりません。これらの上乗せ額は、基本的に積立金を取り崩して支給することになります。その為、今のうちから多くの積立金を取り崩すのは大きな問題があり、将来的にはインフレ政策によって、満額受給者の給付水準を10%程度、相対的に減少させる必要があります。また積立金の運用収益の大幅な改善が必要でしょうね。積立金の額と受給資格者達の払込保険料総額のバランスによって、上乗せ支給額が決定されるということになるでしょう。つまり、今まで払った人々に全て還元されるような形になる、ということです。払っていない人達は、勿論貰う権利はありませんよ。


企業は福利厚生で他社との差別化を図ればいいんですよ。前にも書きましたが、近隣の会社同士で自社ビル内に保育業務の委託をして、その費用を一部援助するとか、ボランティア休暇、介護休暇や育児休暇を長く取れるようにするとか、個人の生活スタイルに合わせて自由な組み合わせが選べるような福利厚生も可能だと思います。


医療保険は、主に大企業が作る健保組合の保険料率が8.2%に対して、中小企業や破綻寸前の組合が解散したような企業が多く加入する政府管掌保険は9.3%となっていて、給与水準も福利厚生も充実している大企業が負担額が少なくて、給与水準がそれ程高くない政府管掌が負担額が多いのです。介護保険も同様に健保組合が料率が低くなっているのです。このような格差が既に存在するのですから、大企業にはその分負担を求めることは仕方がないでしょう。



お願いだから、年金改革をやってくれ

2005年09月22日 21時18分42秒 | 社会保障問題
何度も申し上げてきましたが、年金改革をしない限り事態は改善しませんよ。それを認められないのは何故ですか?厚生年金の赤字額は尋常ではありませんよ。国庫負担額と積立金取り崩しで何とか賄っていますが、堪えきれないでしょうね。

17年度予算の一般会計からの歳出は年金分が約6兆2700億円で、今後国庫負担額を2分の1に引き上げるとなれば、今と同じ水準の給付総額だとして約9兆4000億円必要になると予想されます。つまりはあと3兆円以上増額が必要ということになります(私ならばどう捻出するか記事を書きました)。


積立金取り崩しが6兆5300億円、国庫から6兆2700億円(国民年金+厚生年金両方で)入れてるから、年金保険料以外の財源としては(運用益を除いて)12兆8000億円も追加していることになります。この他に、公務員共済の事業主負担と追加費用でざっと4兆円(正確には判りませんけれども、過去の実績ではこれくらいです)の国庫からの支出ということになるのです。


年金給付額は、99年度に39.9兆円だったのが、経年的に着実な増加を続けて、03年度には44.8兆円となった。95年度では34兆円くらいだったのが、10兆円分が増加したのだ。一方、医療費は99年度に26.4兆円だったが、03年度でも26.6兆円となっており、伸びはそれほどないのである。95年度でも25兆円程度である。この経過途中で高齢者の自己負担額増額や、保険本人の2割負担から3割負担に変更されたりしたことが、増加が抑制されてた要因の一つかもしれないけれども。

それと、00年度から介護保険がスタートして、その分がまるまる増加した。これは新規市場だということで、営利集団に貪られたと言ってもいい面がある。00年度当初3.2兆円だったのが、03年度には5.2兆円となった。介護保険料として新たな国民負担を求めたのに、株式会社参入を認めたりした結果、利益を抜かれたのだ。営利企業であるから、当然利益を追求するに決まっているだろうけど。


今の喫緊に取り組むべき問題は、年金改革なのですよ、本当に。現状のままでは、保険料と給付の均衡水準となることは期待出来ないでしょうね。保険料率を上げたのに、保険料収入はどんどん低下しているんですから。小泉政権になって、低下を続けているんですよ。これは国民全体の給与が減ったとか、国民年金未払い者が増加したとか、正規雇用を減らしたとか、そういう色々な要因であると思います。少なくとも、厚生年金の事業主負担は減少しているし、保険料総額は減っているんですよ。おまけに、200兆円以上の積立金の運用益は、くだらない「グリーンピアもの」とかを止めても挽回できるはずもなく、預託金(財投へ回される資金だろう)が無くなって利回りが急激に悪化した。普通、長期運用資金として最低でも2%程度の運用を考えるだろう?(普通は30年とか50年という長期運用を考慮するだろうから、もっと高い運用収益が期待できる)。その水準でも運用収益は4兆円になるはずなのですよ。ところが、役人達は揃いも揃って愚かであった為、高い金利の預託金があった時代にはそれに頼り、貸し付けられた特殊法人は赤字を垂れ流しながら、帳簿上では年金資金の運用収益を付け加えてきたのだ。ところが預託金を無くすということになれば、まともに運用など出来ないし、それに対する対策も考えてこなかったのだ。だから、今は1%以下の運用収益しかない(2兆円以下ということ)。これはバカでも可能な水準である。


このようにして見れば、年金制度自体に大いなる欠陥が存在し、社会保障費の半分以上を占める年金をきちんとすることが最も効果的であり、費用効果も最大に決まっているのです。にもかかわらず、改革を進めようとしないのですよ。国民年金の未納率が36%程度ですから、この制度を止めるだけで保険料収入の半分の効果が得られるはずなのですよ。


現状では基礎年金と生活保護(高齢世帯分、一部医療費・介護費を含むと思う)を合わせて約14.5兆円の給付ですが、2400万人分の基礎年金(月6万円)に振り替えるとするなら、必要額は約17.3兆円です(民主党案のような最低保障が8万円ならば、さらに増加して約23兆円です)。差額は2.8兆円ですが、国庫負担率を2分の1に出来る財源(約3兆円)があるなら、消費税増税をしなくとも可能です。民主党案ならば差額が8兆円強ですから、国庫負担率上げ分を除けば、約5兆円強となって、消費税3%(1%で約2兆円の税収)でまかなうことが出来ます。もしも消費税の3%上げが消費に与えるインパクトが大きい場合には、1%づつ上げて行くことも一つの方法です。


何度も言いましたが、企業はリストラや正規雇用抑制によって社会保障負担を逃れることを続けてきたため、社会保険料収入は連続で低下し続けました。そのような環境を改善する為にも、企業には適正な負担を求めることとします。今後年金保険料率が増加し続けるのですから、正規雇用は負担感が大きくなっていく一方なのですよ。このような雇用環境を抜本的に改善していかない限り、企業は出来るだけ正規雇用を逃れようとするのが普通なのです。その解決方法として、年金一元化は有利だと思います。働く女性についても、折角共働きで頑張っても専業主婦との差が小さくて不利な制度なのですから、個人単位での年金制度に組み替えるのが妥当でしょう。こうした不利が減少するなら、女性の就業にもプラスに働くように思います。


まとまりなく、いきなり終了でゴメンナサイ。

つづく・・・。


国民年金が悪者か?

2005年09月02日 20時09分21秒 | 社会保障問題
よく分らないが、国民年金の未納などが問題で、「国民年金が破綻している」とかの議論なのだが、厚生年金の方が重大な感じがするのですけれども、実態がよく分りませんね。制度が複雑ですから。

国民年金特別会計の17年度予算を見ると、保険料収入約2兆1870億円に対して給付費は約2兆420億円で保険料収入よりも少ない。納付率が6割ちょっとなのに、給付費を上回っている。業務に費用はかかるが、一般会計からの繰入で間に合いそうな予感がある。おまけに、障害年金とかが必要なんだよ、というのも、理由として挙げられているが、僅か2800億円が一般会計から繰入られていて、ほぼ同額が福祉年金と特別障害給付金に充てられている。それよりも、業務勘定での業務取扱費+施設整備費+福祉施設費の合計額が約1650億円もかかっていることの方が気になるな。やけに多い。


今後、無年金者などが増加すると生活保護が増加するが、それは国民年金勘定とは関係がない。一般会計からの歳出が増えるだけだろう。実は、国民年金だけの加入者というのは、それ程変わらないんじゃないのか?国民年金には、一般会計から約1兆7020億円、基礎年金勘定から約1兆8760億円と、この他にも積立金より約4540億円の受入があり、合計すると4兆320億円も保険料以外から受入があるのだぞ?これは国民年金加入者の給付に回っているのか、というとよく分らない。基礎年金への拠出が(多分厚生年金との混合加入者とかかな?)3兆8976億円もあるので、入った分はほぼ出ていくからである。基礎年金交付金収入は、ほぼ意味がないとしか思えない。積立金からの入金がなければ、一般会計と基礎年金交付金の合計額よりも、基礎年金への拠出額が多いからだ。つまり国民年金には、保険料以外の収入は給付に全く反映されていない、ということだろうと思う。


国民年金受給者がどれ位存在するか不明だが、月6万円の給付額なら年間で72万円となって、3百万人に給付で2兆1600億円です。国民年金基金の分が特別会計に含まれるかどうかは分りませんけれども、国民年金受給者への給付がこのくらいの規模だということです。


基礎年金勘定を見ると、各拠出金で16兆8690億円くらいの収入があり(国民年金、厚生年金、各共済等からの拠出金だろうと思います)、基礎年金給付が12兆7835億円、基礎年金給付費相当繰入及び交付金が4兆3770億円くらいです。前者は通常の基礎年金という意味だろうと思いますが、後者は各年金への戻し分ということだろうと思います。つまり、国民年金勘定に戻された先の1兆8760億円がこの4兆3770億円に含まれている、ということになります。変でしょ?拠出金として出して、また戻す。変な操作が行われているんですよ。このような面倒で複雑な操作を行えば、制度の穴が判明しにくい、ということになりますね。因みに基礎年金だけ考えると、年間72万円だけならば約1800万人弱の基礎年金ということになると思います。他は無年金者とか恩給生活者、生活保護者などでしょうか。昔は年金制度が義務化されていない時代があったので、そういう人達は受給していないのかもしれないですね。ざっと600万人規模でしょうかね。

実は、H14年度の基礎年金勘定からの国民年金への交付金は、2兆2770億円くらいあったのです。それが、現在の水準では大幅に減額されていて、4千億円くらい減っています。これはオカシイでしょ?普通に考えると、受給者が増加しているので交付金も増えそうな気がしますが、違うんですよ。


厚生年金保険料の納付者が減った(若年者の就業しない人達が多い、リストラなどで失業した人も多い、パートなどに切り替えられた・・・等々)のかもしれないし、フリーターなども増加して厚生年金から外れてる人達がかなりいるんだろうと思う。給料の減少も一因かもしれない。その一方で、高齢化によって厚生年金受給者達は増加していくだけだろうから、そこが一番困っているんじゃないのか?国家公務員共済組合みたいに、払う人間はどんどん減るのに、受給者ばかりが増えていく一方なんだろう。地方公務員共済と一緒になったって、今後人員削減の嵐がやってくるだろうから、いずれ保険料納付者達と受給者達の比率は1対1に近づくのは間違いないだろうけど。


で、厚生年金の方を見ると、意外な事実が発覚しました。厚生保険特別会計の17年度予算を見ると、健康保険(健康勘定)と厚生年金(年金勘定)と別になっていますが、今は年金だけ見ることにします。

保険料収入は約19兆8960億円で、昨年よりも減少しています。保険料率を値上げしたにもかかわらず、です。本来、天引きだから漏れは少ないはずですが、確実に減っているんですよ。オカシイでしょ?確かに受給者は増えるけれど、これでは保険料納付者が減少している、ということになりますよね。料率が上がったのに、総額が減少なのですから。主な他の収入としては、一般会計からが4兆5390億円、基礎年金交付金が1兆9470億円、積立金からが6兆5320億円、運用収益が1兆2290億円、などです。合計は、38兆5920億円です。

歳出はどうなのかというと、保険給付が22兆5350億円、基礎年金拠出金が11兆2830億円、福祉施設費等事業勘定へ4兆3390億円、となっています。まず、保険料収入をはるかに超える給付となっています。国民年金とは大きく違いますね。つまりは、給付水準が大幅に高すぎる、ということです。しかも、H14年度の保険料収入は20兆2034億円あったのです。受給者は増加する一方で、正社員を減らして厚生年金加入を外した結果が、今の財政状況なのです。国民年金に繰入ていた基礎年金交付金を4千億円減額し、厚生年金にその分を上乗せし、国庫負担も増やしましたが、それでも全く追いつかない状況なのです。基礎年金拠出金が国民年金の不足額を補う為に多くされているかもしれませんけれども、保険料と給付額の均衡水準を見れば、明らかにマイナスです。H14年度には大体同じくらいの水準だったのに、です。年金改革によって、状況悪化が明らかです。国民年金は均衡状態に近くなっていますが、実は厚生年金の保険料収入の落ち込みが問題であると思われます。


国民年金の未納問題は確かに大きな問題ですが、厚生年金や共済年金といった部分の「高水準の給付」というのが、保険料収入と給付バランスの乖離を招いているのです。企業側の非正規雇用による労働力の「搾取」とも言える状況も、年金制度の財政状況悪化の遠因となっていることは間違いないでしょう。これを防ぐには、私が提唱している、企業向けの「社会保障税」導入が必要です(社民党は、きっと私の案をぱくったに違いないんですよ)。企業が社会保険料負担を免れる為に雇用にも悪影響となったし、国の制度の根幹を揺るがす、ある種の法の網を逃れるような行為かもしれないですね。制度の弱点をついたのですよ、結局。


それと、忌々しいのが、福祉施設費等事業勘定だ。額がデカイ。しかし、殆どが財投の繰上げ償還だから、仕方がないんだけれど。下らないハコモノとかに、4兆円以上の金をつぎ込んでしまったのか・・・本当にバカだな。運営出来るかどうか見極めて作れよ。


国民年金はむしろ追加するべき費用が全然少ないが、厚生年金はかなりの追加が必要になるので、やっぱり早急な年金改革が必要だ。共済についても、いずれ破綻危機が訪れるだろうな。保険料支払い者がどんどん減るからね。


経団連も経済同友会も年金一元化に賛成なんでしょ?ならば、「年金一元化へ向けて早期に徹底議論するべき」と要望を出したまえ。何の為にシンクタンクに検討させたりしたんだ?


前から何度も言っているように、諮問会議で一言発言すればいいんじゃないか、奥田さん。「年金改革の合同会議を早急に進めるべき」ってね。たとえ一度、強行採決して決めちゃったけれど、今のままの制度ならば歳入部分の改革も出来ないし、年金制度は「不信の象徴」になると思う。


赤字は続くよ、どこまでも~

2005年08月04日 10時27分55秒 | 社会保障問題
こんな赤字年金で私の老後は本当に保障されるのだろうか?信頼に足る材料は何もない。財政均衡を図るとか言っているが、これも本当に均衡できるか疑問だ。結局国民の負担増で均衡させる積もりなんじゃないのか?足りない分を国民から多く集めるだけなら、サルでもできるんだぞ?どこから国庫負担2分の一引き上げ財源を調達するんだ?さっさと年金改革議論を進めて欲しい。


Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 国民年金 16年度赤字額、3倍の1707億円 未納、依然3人に1人

産経新聞の記事より一部抜粋します。


社会保険庁は三日、自営業者やパート労働者が加入する国民年金の平成十六年度収支決算が三年連続で赤字になったと発表した。赤字額は千七百七億円で前年度の五百億円から三倍以上に拡大した。一方、サラリーマンが加入する厚生年金は二千三百五十九億円の黒字に転換したが、実質的には赤字幅が膨らんだ。

ただ、看過できないのは、国民年金保険料の未納率が十六年度末で実に36・4%にも上ることだ。国民や被保険者に痛みを強いる以上、未納率の解消は大前提になる。一方、黒字転換した厚生年金だが、厚生年金基金の代行運用を返上する企業が相次いだことで生じた「臨時収入」五兆三千八百五十四億円がなければ、赤字額は前年度(三千三百七十九億円)を大きく上回っていた。



臨時収入がなければ、厚生年金だって5兆円以上の赤字だ。国民年金の赤字どころ比ではないぞ。高齢者の人口比率が20%程度で、これだ。今後30%以上に向かって年々増える一方で、それで果たして制度が支えきれるのか?こんな制度を信じられない。はっきり言えば取られ損じゃないのか?今の制度が続いて行き、私が65歳くらいになるのがあと25年後で、年金受給権者になった時に本当に払って貰えるのか、信じられない。例え基礎年金も厚生年金も保険料が上がっていくとしても、高齢者の増加分には耐えられないのではないかと思う。


そう思って、民間の年金保険に加入しているが、それでも十分とは言えない。やっぱり、株で大儲け、とかがなければ、老後資金は不安だな。これから子供の教育費も更に増えるだろうし・・・。退職金も期待できないし・・・。弱気・・・



ベンチマークの攻防

2005年06月17日 16時40分19秒 | 社会保障問題
「骨太の方針」を巡って、社会保障費の経済指標管理を明記するかどうかの政府側と与党とのせめぎ合いがあった。諮問会議の民間議員達からは非常に厳しい要求が突きつけられていたのだが、ギリギリのところで踏み止まった。既に万歳した尾辻大臣&厚生労働省が諮問会議&内閣府側に押し切られていたであろうし、尾辻大臣は受容ともとれる発言(市場化テストの呼び名)をしていたので、いよいよかと思いました。しかし、土壇場で「奥の手」が出されました。それがどんな手であったのかは、判りませんが。政治的な公明党の「隠しダマ」?なぜ内閣府側が譲歩したのかも判りません。ですが、とりあえず「経済指標に基づく管理」の文言は避けられました。”タフ・ネゴシエーター”に「祈りの声」が届いたのでしょうか(笑)。


この2つは似たような記事だが微妙に違っており、面白い。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 社会保障費抑制 公明に配慮、再修正 「骨太」最終案 首相、実を取る

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 社会保障給付費 医療費の抑制明確化 骨太最終案、年内に指標策定


諮問会議から「名目GDP成長率」や「高齢化修正GDP」が提案されたのはかなり早い時期であり、谷垣君もキャップ導入を述べていたし(財務省サイドにはきっと強い要望があったはず)、財政審建議と続き、先日の与謝野さんの「ブレーキ発言」があったので、尾辻大臣の退路は断たれていたはずです。自民党の厚生族(今は厚労族か・・・)がどんなに抵抗したとしても、恐らく覆す程の力もなかったであろうと思う。あの日本医師会ですらいよいよ観念して、高齢者単独の健康保険制度創設の具体案を示したくらいですから(以前はあれほど「高齢者の負担増は断固反対、絶対阻止」と表明していたのに。たぶん厚労省や厚生族が何の役にも立たないことに業を煮やしたのだろう)。それに郵政族の方がはるかに強力であるし、もしも厚生族の効力が本当に発揮されているならば、もっと早い段階で「骨太の方針」には具体的な内容が書き込まれていてもよさそうなのです。厚労省も”元気よく”徹底抗戦の構えを見せられたはずでしょう。ところが、諦めの尾辻発言の後、諮問会議で経済指標管理を民間議員達から再度念押しされたにもかかわらず、昨日は書き込まれなかった。


今年2月に>医療費の罠

4月には>社会保障再構築

5月に谷垣君>困らせちゃったかな・・・奥田さん

そして今月>詰んだか?厚労省

つい数日前>今日の諮問会議


郵政法案と都議会選挙を考慮してのこと?高度な政治判断であったと思うので、ちょっとよくわかりません。この決定過程の舞台裏が気になるところです。与謝野さんと事務方達は、公明党&厚労部会議員達や厚労省事務方とどういう折衝をしたのか?でも、判らずともいいです。結果的には、とりあえずベンチマークの記述が避けられた訳ですから。

ただ、今後本格的な制度改革議論を求められる訳ですから、厚労省は死ぬ気で実効性のある抑制プランを策定しなければなりません。その結果は、必ずベンチマークに照らして「判定」される訳であり、実効性に乏しいということになれば、将来制度見直しを迫られることになります。


余談ですが、麻生親分(今後は麻生大臣のことをそう呼ばせて頂きます、イメージが・・・)は意外に面白いのかもしれません。以前と見方が変わりつつあります。流石、統計局管掌の大臣です(笑)。



医療費の問題とか

2005年06月15日 22時45分24秒 | 社会保障問題
極東ブログのコメント欄での医薬品についての、ちょっとした論争を見たので、それについて少し書いてみたいと思います。実情について正確には判らないのですが、知っている範囲で述べてみます。

極東ブログの記事:
米国の話だが保障の薄い医療保険は無意味

まずアメリカの医療制度というのは、日本とはあまり比較にならないと思います。費用対効果で見れば、日本の戦後の平均寿命が延びたことには医療保険制度の恩恵があったと考えるのが自然です。アメリカよりも少ないGDP比でそれが達成された(他の先進諸国に比べてもGDP比医療費は少ないです)のは、日本の医療制度が優れていた面があったと思われます。コメント欄でもご指摘があったように、医療訴訟に関する費用がアメリカではべらぼうに高く、医療者側はそのリスクを避けるために高額な報酬を請求することになり、その対価として患者は満足のいく医療サービスを受けるというものです。日本でも医療訴訟件数が増加し続けておりますが、それでも訴訟件数や支払い賠償額は多くはないでしょう。加入しているメディケア、メディケイドなどの種類によって、予め使える薬剤やカバーされる医療行為の内容が決められており、finalventさんが「保障の薄い保険」ということを記事に書いておられますが、これは余りにカバー範囲が狭すぎて保険で認められる医療行為が実質的にあんまり意味がない(例えて言えば、「胃ガン手術はセカンドステージ進行例以上のみ」となれば、1stステージの初期胃ガンは全額自己負担となってべらぼうに高い医療費を払わねばならない、というようなことかな?)。アメリカにおいては、企業は高騰する医療保険の圧迫を受け、先日のGMの経営悪化・格下げ(所謂「GMショック」でしたね)の遠因となっているとも言われています。それほど医療費の負担が重いということになりますね。


日本における医療制度はベーシックな医療は殆ど医療保険でカバーされ、その対価は高いとも言えません。高額医療費制度があるので、実質的に一定額以上の費用がかかることはありません(特別室のような病室に入ったりしなければ、ですが。患者本人が「全て保険で」と選択すれば病院側はそうしなければなりません)。たとえ退院する時に請求されても、後で加入保険(国保、政府管掌、組合など)に請求すれば戻ってくることになっています。高度先進医療もあって高額な治療も公的に認められておりますが、これは確かに高額となる場合も多いと思います(これが高額医療費制度の範疇に入っているかは、ちょっと判りません)。時々報道などで見られるような特別な心臓移植が必要な場合などで、アメリカに行って手術するということになれば1億円以上は覚悟せねばなりませんが、日本で出来る場合にはそんなに高額とはなりません(数百万単位ではないかと思いますが、これも正確には判りません)。コメント記載で、「日本で保険が利かない治療を受ければ死なずにすむ人達がたくさんいる」というのは、おそらく誤解なのではないのかな、と思います。実際にどういった疾病でそういう実態があるのか、私の知る医師達(友人や同級生などに過ぎませんが)の範囲でもあまり聞いておりません。私は医師でもないので、本当のところは判らないのではありますが。


厚労省の追加承認した抗ガン剤については、既にガン治療に用いられており有効性も確認されてはいますが、現在まで正規の承認を受けていなかったものであり、日本国内で臨床試験を通常の手続き通り行うとするならば、使用できるようになるのが更に数年後(あるいは十年後とかの長い年月がかかるのかも)となってしまい、その間の患者の不利益を考慮してのことと思います。従来は正規の臨床試験を行い薬剤承認を受けますが、例えば、薬剤の承認申請時に効能が「胃ガン」となっておれば保険適用になるのは「胃ガン」のみであり、たとえその後欧米の知見や学会の研究などで「実は肺ガン(肺転移)症例にも効果が高い」と判明したとしても、保険適用にはならないのです。しかも、この薬剤を肺ガンに対して投与する場合には、他の全ての治療費が保険対象外となってしまうのです。そうなると、今まで胃ガン治療を行ってきて、新たに肺転移が見つかり両者に別々の薬を投与するとなると、全額保険外となってしまいます。こうした制度上の問題を解消するために、胃ガン治療については従来通り保険給付を行い、肺ガン治療についての薬剤投与については専門医が学会等の治療指針などに基づいて(およそ臨床試験的に)抗ガン剤投与を行い、その実費のみを保険外費用とする、というものです。薬剤会社が後で「肺ガン」適用への正規申請を行うには、「胃ガン」の効能で適用を受けたのと同じような臨床試験を一から行わなければならないため、製薬会社がその負担を嫌うとか膨大な時間がかかるとか、色々問題があるのですね。効能の保険適用を拡大することは、かなりの負担となるのです(新規申請と変わりません)。ですが、患者はそれまで待てない。欧米での臨床実績があり、日本の学会等でも研究目的で投与され効果が確認されているにもかかわらず、患者がその利益を享受できないことが今までの制度であったのですね。この解消目的が厚労省の決定であったと思います。


ですから、コメント欄に意見を書き込まれた医師の方は、真実を述べていると思いますし、日本の医療制度や水準というのは、世界的に見ても非常に効果的に行われてきたと思ってよいと思います。勿論、一部には医療過誤や様々な問題もあると思いますが、多くの医師達は今ある制度の中で、良心的に全力を尽くしていると思っています。


あと、finalventさんが、「健康診断不要で加入できる保険ってどうなの?」という疑問を表明されておりますが、これは日本の医療保険制度があれば、十分可能だと思います。先に述べたように、高額医療費制度があるので、実質的に第三分野の民間保険というのは差額ベッド代やもろもろ雑費、休業時の多少の収入補償といった意味合いであって、医療費の実費についてごっそり払うということは少ないのですね。年齢ごとの平均的医療費支払い額と疾病率が概ね予想ができれば、保険料率が設定できるということになると思います。「簡保」が似た制度で十分運営できていますし。



医療制度改革8

2005年06月12日 13時28分23秒 | 社会保障問題
現在医療費の抑制策について問題となっているが、厚生労働省の考え方は根本的に間違えている。医療費構造の改革に必要なことを考えていない。診療報酬は、点数の加算によって成り立っているのであり、個々の点数の新設・貼り付けを繰り返してきた。過去のやり方がそのまま何十年以上か続けられてきており、既に医療情勢や時流には合っていないこともすぐに判るのであるが、新たな予算枠獲得→点数新設ということを毎年毎年(というか診療報酬改定のたびに)、馬鹿の一つ覚えみたいに続けてきたのである。点数削除・廃止と新たな点数増加という各項目の金額の大きさで考えるから、正しい医療評価には繋がらないし、点数が多く(予算がとられている)貼り付けられているところに医療投資が多くなるのは当然である。行政側の手法を一切変えようとしないところに大きな問題がある。単に面倒だからである。


また、薬剤費の多さについては厚生労働省も特段の施策を考えてはいないようである。日本の医療費構造として以前から指摘されているのは、他の先進国に比べて薬剤費比率が高いことであり、「薬漬け」と評されていた。医療機関に入る薬価差益解消を考えた結果が医薬分業であり、院外処方の推進であったが、結論的には、この政策が医療費の増加に拍車をかけることとなった。何故ならば、内閣府報告によれば、薬価差益は残されていること、同じ投薬をしたにもかかわらず院外処方の方が実際の医療費が多く患者負担が増大したこと、患者(利用者)サイドには院外処方のメリットはそれ程実感されていないこと、などが見られるからである。


ここ数年で、薬局を中核とする企業がかなり上場を果たしている。この変化は何を意味するのかと言えば、「マツキヨ」に代表されるような小売・物販の変化というのがあるが、他の大きな要因としては保険調剤が十分魅力的であるからである。その為、チェーン化された薬局があちこちに誕生することとなった。個人の弱小薬局は減ったのかもしれないが(規制緩和によってコンビニのドリンク剤販売が自由化されたが、その影響を受けたのは個人の薬局であったらしい)、実質的に調剤薬局は増加し医療費伸び率で言えば調剤部門が著しい。病院の薬剤部分の費用全部と薬局のそれを加えると、大幅な増額となっているはずである。病院側は、以前にあった「薬価差益」分を他の保険点数に転嫁することで分業促進に応じることとなった。これは日本医師会のような圧力団体のロビー活動の結果なのかもしれないが、病院側は薬価差益を失う代わりに他の点数増加で補うことが可能であったということである。これも医療費が増大する要因となった。 つまり、医薬分業によって、単に病院にあった薬剤関連費用を薬局に移転しただけではなく、薬剤関連費用の純増をもたらしたのである。


薬剤の大量購入は、保険で決められた薬価水準を大きく下回る単価の形で薬局の利益となっているのである。薬剤卸売り業者への十分大きな圧力となっており、以前は病院内に蓄積された薬価差益が、一軒一軒の薬局にばら撒かれただけである。例えば、イオングループは独自の薬局会社(イオン・ウェルシア・ストアーズ)を持っているのと、他のドラッグストア企業(ツルハ、スギ薬局等の東証一部上場企業など、計11企業)とのグループ形成を行っており、全国に1878店舗(イオンのHPによる)展開している。これほどのビジネスは、単なる小売ビジネスの変革によるものだけではなく、医薬品部門が収益ビジネスと成りえるからこのような展開を行うのであり、その一部には保険調剤が組み込まれているのである(利益に対する寄与度は不明である)。薬局には薬剤師の存在が義務付けられており、その既得権益に守られている上に、病院は物品販売(トイレットペーパーや化粧品やシャンプーなど・・・)をしないが、薬局にはこうした別な収益源が存在しており、新たに調剤費用の報酬と薬価差益が入る仕組みになっているのである。昔から、医療は営利事業ではない、とか言っていながら、雨後のたけのこみたいに大資本の企業系薬局の増加をもたらし、薬剤関連費用の増加を招いたのである(現状は薬局増加で飽和状態に近づいてきているかもしれないが、イオングループはドラッグストアを強化し、スーパーに次ぐ収益の柱とする、という報道が出ていた)。


詳細は忘れたが、日本では先発薬品が浸透しており、医師が出す処方は高価な先発薬品が多く、ジェネリック薬は非常に少ないということで、この傾向は大きな病院や公的病院に多く見られる、という研究報告が報道されていた。これも、当然の結果と言えるだろう。医師は最初の薬品を覚えるだけで、後から出る類似品についてはいちいち知識習得は困難であろう。新たに登場してくる薬品を憶える方が重要なのであり、これもかなり大変なのである。また製薬会社の営業担当は、影響力の大きな医師のいる「公的病院」や「大きな病院」をくまなく営業して回り、説明会を開いたりするのであろう。こうした営業努力も手伝って、医師達の頭に特定の薬品名がインプットされる。それを何年も書き続けたら、急に来月から「こちらの別な名前の薬」を書けるようになりますよ、となっても変えられるはずがないのである。また大病院の医師達は、薬の保険点数がどれくらいで、患者の自己負担がどれくらいかかるのか、などとは思いやらないこともあるかもしれない。少しでも自己負担金が少なくなるように、などという努力を、そういうところの医師達はしないものである。むしろ、高い点数の薬を好む人達もいるのかもしれない。それは大学病院みたいに診療報酬成績の競争が院内の診療科同士にあれば、点数を見かけ上大きくするために、薬剤単価の高い方が有利だからである。


調剤関連では医療費増加に直結することとなり、医療費抑制のために今後厚生労働省が「ジェネリック薬」利用を促進するかもしれない、という情報・観測が市場に流れたようである。株式はすぐに反応して、沢井薬品や東邦薬品あたりが値を上げたそうです。厚労官僚は本当に使えないね。これも私の記事に書いたことじゃないか(医療制度改革6)。


医療費用の構造的な見直しを行い、前に提唱した標準化医療費のみの支払いであれば、病院経営においては出来るだけ不必要な投薬や無駄な検査を避けることで収益増加が可能となる。従って、「無駄な投薬はしない」ということが、動機として生ずることになるのである。今は、全く逆。多く使えば使うほど儲かる。投薬することが収入を支える構造になっているのである。ヨーロッパのどこか忘れたが、やはり定額制にすることで、抗生物質の使用量が大幅に減少したそうだ。これによって耐性菌を生み出すリスクも軽減されるのである。

こうした診療報酬の大改革を行わない限り、出来高制の弊害が出てしまい、医療費削減には繋がらないだろう。また医療・介護費は元々企業を儲けさせるために存在するのではない。困っている人を助けるためである。


これを書いてたら偶然見つけたので、次の記事を記しておきます。
やっぱり、普通の発想で言えば、誰でも考えそうなこと(医療制度改革4)だと思います。

asahi.com:電子カルテ:オンラインの利点 - ENGLISH


この記事の一部抜粋:

電子カルテ:オンラインの利点
エスター・ランドフイス記者:マーキュリー・ニュース

米国西海岸時間2005年5月24日


 米国保険福祉省マイク・リービット長官は23日、スタンフォード大学で講演し、電子カルテの基準を全米で統一すれば、医療サービスの質の向上、医療過誤の減少、医療費削減につながると述べた。「病院や診療所に行くたびに、これまで何度も記入したのと同じ情報をまた問診表に記入する必要がなくなる日は近い」と同長官は述べた。

 米国の医者はどこにいようと、オンラインで検索すれば担当する患者の処方箋、検診結果、既往症などすべての医療記録を引き出せるようになることを同氏は夢に描いている。ブッシュ政権は、医療費削減のため10年間で電子カルテを導入することの必要性を主張している、と同長官は述べる。1960年代には米国の国内総生産のうち5.12%を占めていた医療費が、今では15.3%以上になっており、医療記録の電子化は「経済的に避けられない」ことだと同長官は言う。



社会保障改革への道3

2005年06月09日 20時06分55秒 | 社会保障問題
社会保障費の最も影響の大きな支出は年金であるということを隠している。最大支出になっているのに、何故、これほどまで昨年の改革案に拘泥するのか。もう一度、一から組み直してもいいじゃないか。あんな、強硬採決で決めた改革案なんて、国民の支持を得ているはずがなかろう。


一元化によって、受給者世代にも当然負担を求めるのであるし、今後高齢者の就業促進という点で見ても、消費税にその財源を求めることは有利に働く。就業動機の一つとして作用するからである。消費支出に活発な高額資産保有層が主要な拠出者となるし、個人の消費支出額は生活力に応じたものになるのであるから、支出が多い人が多く税金を払い、少ししか使えない人はそれなりに払うんじゃない?富の再配分は、消費税率のアップで変わるのではないでしょうか?だって、厚生年金だと等級の一番上になってしまうと、そこから上は一定額しか取られない。ということは、1億円の給料の人も、3千万円の人の給料も同じ年金保険料だが、消費税率に財源を求めるならば使った額の大きさによるから、より好ましいと思うのです。仮に平均税率15%ならば、年間5千万円支出する人は消費税で750万円払う。現在の厚生年金保険料だと定額なので最高等級の30級であっても60万円弱程度、これに健康保険料(+介護保険料)の最高等級39級の約53万円を加えても年間120万円以下(事業主はこれと同額払う)である。このように現在の保険料方式では所得再配分の効果は不十分であって、支払い余力が大きい人ほど年間の消費支出額が大きいのだから、消費税方式の方が望ましいと思うのだが。それとも、高給取りばかりで構成される階級の人々が行政について話し合って決めているから、自分達に不利な決定は出来ないのか?


年金・医療保険の一元化(保険制度を止める案)と税制改革は、単に将来の社会保障費の抑制というためばかりではなく、前から書いているように資産・所得格差があることや労働形態によらない社会保障制度によってセーフティネットを確保するものであり、また徴収もれや無駄な徴収コストを無くすことも目的としているのである(現在1千万円以下の免税事業者は当然なくすことになる)。企業は会社としての責任を税という形で支払い、国民も同じく消費支出の大きさに見合う税負担をしてもらう、ということになります。また、直接税の課税制度についても検討が必要でしょう。税方式であれば、特別な管理組織も沢山必要ないし、事業者への徴収権限も特別な難しい法律がなくとも問題ないですね。企業への新税である社会保障税については法制化が必要ですけれども。現在ある年金関連、健康保険関連、介護保険関連、雇用保険関連・・・等々法律はたくさんありますが、これらをある程度整理できるはずです。シンプルなものに変えていけばよいと思いますが。


社会保障制度改革(年金改革、医療制度改革)を書いてきましたが、それは社会保障費の総額抑制という「大目標」があってのことというよりも、従来の制度の大きな問題点とか現在の社会の風潮から感じ取る「将来(又は現在)の問題」についての解決策を模索する、という視点からであって、至上命題に「総額規制」というのを掲げ、そこから「医療費総額の抑制」という結論を導き出した諮問会議や財政審の議論のやり方に疑問を感じるのです。前にも言いましたが、それならば現在一般会計からの補助金を入れている医療機関の補助金を全てカットして下さい。それで実際に運営させればよいのです。旧厚生省、旧文部省、旧大蔵省が揃ってバカで、それぞれに補助金を入れて無駄な医療設備投資を続けたのだが、これも補助金を一本化し本当に必要な所にだけ投入し、成績の悪い大学などには補助金は必要ないのです。国家試験の合格率の低い大学には、合格率に連動した比例分配にするべきです。又は合格者数に応じた額を補助するべきですね。アメリカの低レベルであった医療を大きく変えたのは、乱立して4百以上あったメディカルスクールを半分以下に縮小させたことだ。供給側の淘汰によって、質の高い医療が確保される。今はそれぞれの省庁の思惑があって、文科省も厚労省も握っている巨額補助金の枠、権益を守ろうとしているのだ。


これは歯科も薬科も同じで、教育システムとして国民の期待に応えられない大学には、国民から預かった貴重な税金を投入するべきではない。もちろん、大学の存続は自由でいいでしょうから、それぞれ自前で運営してもらえばよいのです。優秀な大学だけがお金をもらえる仕組みにすることでいいと思います。それで運営できなくなるなら、仕方がないですね。中小企業は救ってもらえんでしょう?学校法人だって同じだ。自分で何とか努力してもらえば良いのです。