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福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決~4

2016年09月24日 13時09分56秒 | 法関係
少し長いですが、判決文(p183~184)の引用をします(原文は改行なく一連の文章です。拙ブログの説明の為に、区分を施し先頭に記号を付しています)。沖縄県HPの知事公室のリンクから引用しました。


判決文の後半>http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/documents/hanketsu03.pdf



ア)解によれば、国地方係争処理委員会の決定が被告に有利であろうと不利であろうと被告において本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされたことが認められる。そして、国地方係争処理委員会は前記のとおり地方公共団体のための簡易迅速な救済手続であり、

イ)是正の指示に対しては、その適法性のみを審査するところ、同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提となっており、

ウ)同委員会の決定自体は紛争解決のために意義のあるものではなく、その手続において議論として争点を整理すること、その間に原被告において解決のために協議することにのみ意義があったことは、解関係者は一同認識し、和解成立の前提としていたことである(当裁判所に顕著な事実)。

エ)これによれば、国地方係争処理委員会の決定は和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、元々和解において決定内容には意味がないものとしており、

オ)実際の決定内容も少なくとも是正の指示の効力が維持されるというものに他ならないのであるから、被告は本件指示の取消訴訟を提起すべきであったのであり、それをしないために国が提起することとなった本件訴訟にも解の効力が及び、協議はこれと並行して行うべきものと解するのが相当である。




以下、いくつか述べる。


1)和解当時、多見谷裁判長は国の係争委「勧告拒否」を知っていた

沖縄県は、和解条件の国の指示内容、国地方係争処理委員会の審査結果を知ることはできなかった。この審査結果に対する国の諾否についても同様である。このことは、多見谷裁判長においても同じはずである。

ところが、イ)の『同委員会において本件指示を違法と判断しても、国はこれに従わないことが和解の前提』と述べている通り、係争委の判断がたとえ違法であっても「国はこれに従わない」を予定していた、としている。
またウ)のように、係争委の手続は解決の意義がなく、争点整理と(待つ間の)協議の2点の為にあったとしている。

こうしたイ)及びウ)については、和解の前提条件として、多見谷裁判長を含め和解関係者一同の認識だったと述べる。『当裁判所において顕著』とは、当然の帰結であるというに等しいということである。


2)国地方係争処理委員会の存在意義を無にする指揮

判決文エ)の如く、元々和解において同委員会の決定は意味がないものと裁判長が自ら認識していたことは間違いなく、そのような指揮は許されるものではない。
本来、国と地方自治体の争いを解決するべく制定された、解決手段としてあるはずの同委員会及び制度について、「意味のないものとする」「手続に解決の意義はない」などと裁判所が認定するなど、もってのほかである。

言い方を変えれば、裁判長は「係争委の審査結果には意義がない」ことを自覚していながら、沖縄県に対して

・地方自治法251条の五第1項に基づく提訴を取り下げさせた
・代執行訴訟を和解に至らしめ、係争委に敢えて申請させた


(筆者注 ※※これは詐欺的行為である。「意味も意義もない」係争委への申し出を沖縄県に勧め、現に行われていた(代執行)訴訟上での解決手段を放棄させたのだから。裁判官が「判決で解決するしかないんだ」(係争委には解決できない)と自分で宣言しておきながら、意義のない係争委へ申請するよう唆した、ってことではないか。何らの薬効もない薬を飲むよう勧めておきながら、飲んだ後になってから、「そんなもんは飲んでも無駄なんだよ、意味ない」と言い放ったようなものだ。赦し難し!)


しかも、同委員会が「指示を違法と判断しても、国はこれに従わない」ことを前提条件に置く和解案を提示し、これを和解調書とすることは、裁判所が自ら国に対し違法を助長する行為であり、許されない。
国は、行政主体として、違法を率先して実行することなど元来想定されておらず、行政の基本とするべき法秩序を根底から覆すに等しいもので、看過できない。

いうまでもなく、裁判所も国も、常に法に基づき法に則った行動をとるべき義務を有する。


3)和解の意義を失わせる多見谷裁判長の訴訟指揮は不当

和解の目的とは、互譲により争訟の早期解決を図り、争いを終了させるものである。また、裁判所は、法律上の争いを解決する役割を担っているはずであるが、多見谷裁判長の訴訟指揮はこれに違背しており、不当である。

そもそも、本件訴訟に至ったのは、国が提起した代執行訴訟において、

 ・沖縄県知事のした埋立承認の取消処分が違法であること
 ・故に、これを取り消すべきこと

と主張し、この問題の解決を図ろうと代執行手続を選択していたものである。


国と沖縄県の争いの根本は、この点にあることは明白であって、国の主張は、代執行訴訟でも、係争委の審査、或いは本件訴訟のいずれにおいても、この2点を言うものである。

このことは、和解した代執行訴訟の時点から、多見谷裁判長は認識できたはずであり、本件違法確認訴訟の審理においてもそれを判断していることからして、明らかである。そうであるなら、代執行訴訟において、根本問題たる2点についての、”当裁判所”の判断を示すべきであり、判決による解決ではなく和解をもって争訟の終結を目指したのであれば、和解させた代執行訴訟と同一論点によって本件訴訟で沖縄県の違法を言うのは、不当と言わざるをえない。

すなわち、和解させた代執行訴訟と本件違法確認訴訟の、争いの本質部分において、原告国の主張及び高裁の審理内容には何ら違いがないのであり、これは既に「訴訟上の和解」の意義を失っているものである。

多見谷裁判長が代執行訴訟において和解を用いたのは、決して争訟解決の目的ではなく、本件の如き別の違法確認訴訟を呼び込む為に利用したに過ぎず、裁判所の役割として許されるものではない。


4)多見谷裁判長は本件訴訟に和解の効力が及ぶことを認識

判決文オ)によれば、「本件訴訟にも解の効力が及ぶ」ことを裁判長自らが述べているのであるから、これは当然である。
従って、原告国のした、国土交通大臣の行政不服審査法に基づく審査請求の「裁決」権を消滅させたこと、および代執行手続に伴う国のした勧告及び指示を無効とする結果を生じることは認識しており、和解により確定判決と同一効が及ぶのは当然となろう。

そうすると、国が無効となった指示と同一の指示をすることは、甚だ不当であり、裁判所がこれを認めるべき理由はないはずである。にも関わらず、この点について多見谷裁判長の何らの顧慮もなかったことには重大な落ち度があり、不当の謗りを免れない。


5)まとめ

和解時点において、国のする245条の七に基づく指示(=国の関与)内容を知ることができなかったはずだ。国地方係争処理委員会の審査結果も同様である。被告の沖縄県だけでなく、裁判所も知る立場にはなかったはずである。

にも関わらず、係争委の審査結果が出される以前から、この結果を無視することを前提とし、審査結果について何らの精査もすることなく国の諾否を事前決定しておいたり、たとえ違法の審査結果であろうとも国がこれを無視して行動することを裁判所が認めておくなど、裁判所としてあるまじき行為である。

あたかも最初から新たな訴訟上において、「国の関与」を”当裁判所”で審理することを当然として予定していたことは、現行司法制度上許されない。しかも、その審理内容は、裁判長自らが和解させた訴訟と実質的に同一の争いであるにも関わらず、和解の法的効果を無に帰するに等しい判決をしたのである。


かかる不法行為を放置すれば、法秩序のみならず、司法制度の根幹を揺るがすこととなり、看過できない。

よって原判決は破棄を免れない。



福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決~3

2016年09月19日 18時02分57秒 | 法関係
相手にするだけ時間の無駄な部分が多すぎて、全部に反論を書くのは辛い。意味のない論点をダラダラと並べているだけであり、無意味だ。

本件訴訟での裁判長の暴論は留まるところを知らない。裁判長だから、どんなことを言っても許されると勘違いでもしているのではないかとしか思えない。


論ずるに値しない驚愕の部分がこれである。

本件新施設等は、日米安全保障条約および日米地位協定に基づくもので、憲法41条に違反するとはいえない

日米安保条約と日米地位協定が存在するから、どのような基地であろうと自由に建設できる、とでも言うつもりなのか。


世界中の人々に知ってもらいたい。日本の高裁裁判官がこうした判決を臆面もなく書くという、まるで植民地が如き国が日本という、奴隷国家なのである。


日米安保条約と日米地位協定があっても、日本のどこでも自由気ままに、何らの制限を受けることなく米軍が使用したり、基地を建設できる権限を有する根拠など存在しない。地位協定のどの条項にそうした規定があるのか、言ってみよ。


条約とは別に、国内法がないと国民にそうした制限を課すことなど不可能である。例えば、次の法律がある。


○日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法
(昭和二十七年五月十五日法律第百四十号)

同施行令、施行規則


○日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づき日本国にあるアメリカ合衆国の軍隊の水面の使用に伴う漁船の操業制限等に関する法律
(昭和二十七年七月二十二日法律第二百四十三号)

同施行規則


こうした立法措置がとられたのは、日本政府が意のままに、自由に施設や区域を米軍に提供できないから、である。提供を可能とするべく、国内法を整備したものである。

安保条約や地位協定があるからとて、これを根拠として国民の権利を好き勝手に制限できることが許されているわけではない。法の根拠に基づいて、正当な手続を経た場合にのみ、米軍に施設や区域を提供できる、とされているだけである。ここは、米国でない。日本だ。


埋立予定区域は米軍の完全なる排他的領域でない。日本国政府が勝手気ままに、国民の使用を完全排除できる法的根拠など存在しない。米軍は海域を使用できるかもしれないが、日本国民だって使用可能な範囲だったものである。


日本国政府がH26年度防衛省告示第123号で提供海域として区分した領域を、自衛隊との共同使用を予定していたとしても、国民の一般使用を完全に不可能にする法的根拠はない。


基地建設ができるのは、上記例の特別措置法等で合法的に土地を収用したり、立入制限を実施できた領域だけである。

平成26年の告示後からは防衛省と海上保安庁が告示された区域について、一般人の身体拘束を繰り返し、一般使用を排除した行為の根拠法はない。あるなら、とっくの昔に主張していたことだろう。

本件判決においてですら、多見谷寿郎裁判長をもってしても、挙げることができたのはかろうじて安保条約と地位協定の2つだけであった。防衛省告示第123号の区域について米軍に提供し、その排他的使用を決定できた根拠たる法律名は、国も多見谷寿郎裁判長も未だに示すことができていない、ということだ。日本というのは、こんな程度の国なのである。情けない。


日米地位協定に至っては、単なる行政協定に過ぎず、日本の国会の議決を経た法律でもないのだから、本協定の存在をもって辺野古基地建設を合法とし、事業の根拠法とすることなどできない。だって、法律ではないから、だ。


政府間の行政協定は、言い換えれば政府間合意のようなものでしかなく、例えば中国政府に「日本は1万ドルの開発投資援助をします」とか、韓国政府に「慰安婦問題解決資金として10億ドル拠出します」といった、お約束でしかない。仮に、これら合意が「日本は財政赤字膨張で破綻しそうなので、中止します」となったとて、相手国政府には罰する権限などないわけである。同時に、こうした政府間合意の存在をもって、一般の日本国民に対し「政府間合意の債務10億ドル払え、日本国政府に代わり、国民一人あたり1万円を差し押さえる」などという権利義務が発生するわけでもない。

こんな協定の存在で、何らの国内法制定もなしに日本国民の権利が制限を受けなければならないと、本気で信じているのか?(笑)


いずれにせよ、多見谷寿郎裁判長の判決文というのは、長いばかり長くて、殆どが意味のないことの記述に費やされており、しかも重要部分とか肝心な所は誤りとなっているものでしかないのである。
(まあ、本物の判決文は180ページ級の長さらしいので、しかも日本語の文章の繋がりが不明瞭なので、何を言いたいのか、何を説明しようとしているのかも、理解が極めて困難なものになっているのである。恐るべし)


それから、憲法上の地方自治の権限を言うのであれば、是非とも憲法94条の「財産の管理権」で対抗するべきと考える。
本件訴訟では、これを言うかどうかは不透明なところはあるが、以前のブログ記事でも書いた通りに、財産管理権で対抗することは有効な手段ではないかと思っている。国の原告適格の所での最高裁判例でも、財産権は適格性の点においてポイントになっていたから、である。争訟性を主張するのには、役立つのではないか、と。


これだ(15年11月)>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/00e28f084ca20667f4350615f488dd07


福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決~2

2016年09月19日 13時51分00秒 | 法関係
続きです(午前中にメモ書きを前の記事にしてしまいました、調べものの途中だったのですみません。今は消して元に戻してます)。



3)自庁取消は可能である

そもそも論として、多見谷寿郎裁判長の判決における処分の取消権についての見解は明らかな誤りがあり、採用できない。

昨日の記事で示した沖縄タイムスの要旨によれば、

行政処分に対し、原処分庁が職権で行ういわゆる自庁取り消しが認められる根拠は、法律による行政の原理ないし法治主義に求められる。その要件は原処分が違法であることだ。原処分に要件裁量権が認められる場合には、原処分の裁量権の行使が逸脱・乱用にわたり違法であると認められることを要する。』

と述べている。


行政処分の取消は「裁量権の逸脱・濫用があって違法である」ことを要すると述べているが、この制限は絶対的要件ではないことは明らかだ。

例えば、財務省が取消したものに、「国家公務員宿舎朝霞住宅」がある。当時、建設工事の着工をしたにも関わらず、その後に財務省自身が(大臣の権限により)建設事業を消滅させたものである。
建築確認の認可等は全て整っており、多数の民間事業者との契約関係も完了していたものであるが、建設事業は自庁の取消によって消滅した。

事業に係る許認可等の一連の行政処分には、裁量権の逸脱・濫用などがあったものとは認められず、原処分たる許認可は適法に行われたものだ。朝霞住宅建設事業に係る行政行為が違法であったことの証明など存在せずとも、行政行為は取り消されることがあるのである。これは他のダム建設や埋立事業等公共事業においても、類似の取消は行われてきた。いずれも、事業計画・着手段階において、違法な許認可が実施されたものではなく、適法に手続、処理されていたとしても、自庁の都合や政策変更等によって取り消されることがあるということだ。


本件訴訟の原告たる国土交通大臣はこれまで一度たりとも自庁の行政行為を取り消したことがなかったとでも主張するつもりか?
その全てにおいて、裁量権の逸脱・濫用があったとでも?(笑)


一般に、行政処分は適法かつ妥当なものでなければならないから、いったんされた行政処分も、後にそれが違法又は不当なものであることが明らかになった場合には、法律による行政の原理又は法治主義の要請に基づき、行政行為の適法性や合目的性を回復するため、法律上特別の根拠なくして、処分をした行政庁が自ら職権によりこれを取り消すことができる』(東京高裁H16年9月7日判決)

違法又は不当があれば、職権によりこれを取り消すことができる。これが無制限に行われてよいわけではないのは当然であり、「不当の存在」が証明できれば可能である。沖縄県においては、原処分たる前知事のした承認について瑕疵の有無を第三者委員会等を含めて検討した結果、瑕疵の存在を言うことができたのであるから処分を取り消したのであり、この過程には合理性がある。


4)昭和43年判例の取消制限は国に対し適用できない

原告たる国が幾度も主張しているが、代執行訴訟でも全く同じことを言っていた。授益的処分だから、その取消は制限を受ける、という主張である。
この法理が適用されるのは、あくまで私人たる国民に対してであって、国ではない。勿論、国に対してであっても、承認もその取消も適法に行われなければならない義務を都道府県は負うものであるが、瑕疵の有無の検討過程が一見して明白かつ重大な違法性を有していない以上、承認取消は有効である。

国は、まるで私人であるかの如き論法を用いるが、「国が私人である」などという法理はこの世に存在していない。或いは、「防衛省(乃至地方防衛局)は私人である」といった論理はどこにもないし、論拠たる証拠も存在していない。
国がその根拠を一度も提示したことがないのは、どこにもそのような論理を正当化する証拠は存在しないから、である。埋立承認は、国に埋立権を認めたものに過ぎず、民間事業者等私人に対する処分でない。


取消処分の妥当性について、仮に類推適用できると考えたとしても、公水法は承認及び承認取消について、承認権者たる都道府県知事に判断を委ねており、裁量権が与えられていることは明らか。
行政裁量が一切存在しないなら、審査基準が機械的に決定できるので、国交大臣はその審査基準を公表できるし、基準適合性を所管庁自ら判断できるのであるから、知事の承認手続を経る必要性すらなくなる。
利益・不利益の比較考量をするのは知事であり、裁量権がないということはあり得ない。

加えて、国は承認を取り消されたとしても、事後的救済(是正)手段は残されており、取消制限の判例の適用から除外されたからといって著しい侵害には至らない。事実、防衛省は国交大臣に対し行政不服審査法に基づく審査請求を行い、承認取消の執行停止決定によって工事を続行できていたのであるから、法益侵害など事実上なかったと言える。

原告国の主張も、本判決にも、判例適用の誤りがあり、いずれも失当である。


5)国の本件提訴は和解条件から逸脱し地方自治法上の要件も満たさない

和解条件は、沖縄県が提訴する規定を置いたものであって、国が提訴することを定めてはいない。
国の言う本件「違法確認訴訟」は果たして違法を主張できるかというと、極めて困難である。条文を再掲する。


○第251条の七
 
第二百四十五条の五第一項若しくは第四項の規定による是正の要求又は第二百四十五条の七第一項若しくは第四項の規定による指示を行つた各大臣は、次の各号のいずれかに該当するときは、高等裁判所に対し、当該是正の要求又は指示を受けた普通地方公共団体の不作為(是正の要求又は指示を受けた普通地方公共団体の行政庁が、相当の期間内に是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じなければならないにもかかわらず、これを講じないことをいう。以下この項、次条及び第二百五十二条の十七の四第三項において同じ。)に係る普通地方公共団体の行政庁(当該是正の要求又は指示があつた後に当該行政庁の権限が他の行政庁に承継されたときは、当該他の行政庁)を被告として、訴えをもつて当該普通地方公共団体の不作為の違法の確認を求めることができる。

一  普通地方公共団体の長その他の執行機関が当該是正の要求又は指示に関する第二百五十条の十三第一項の規定による審査の申出をせず(審査の申出後に第二百五十条の十七第一項の規定により当該審査の申出が取り下げられた場合を含む。)、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。

二  普通地方公共団体の長その他の執行機関が当該是正の要求又は指示に関する第二百五十条の十三第一項の規定による審査の申出をした場合において、次に掲げるとき。

イ 委員会が第二百五十条の十四第一項又は第二項の規定による審査の結果又は勧告の内容の通知をした場合において、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関が第二百五十一条の五第一項の規定による当該是正の要求又は指示の取消しを求める訴えの提起をせず(訴えの提起後に当該訴えが取り下げられた場合を含む。ロにおいて同じ。)、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき

ロ 委員会が当該審査の申出をした日から九十日を経過しても第二百五十条の十四第一項又は第二項の規定による審査又は勧告を行わない場合において、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関が第二百五十一条の五第一項の規定による当該是正の要求又は指示の取消しを求める訴えの提起をせず、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。



国が提訴できる要件として、
①地方自治体が是正指示に係る措置を講じる義務を負うこと
②251条の五第1項の是正指示取消訴訟を提起せず、且つ措置も講じないこと(1項2号 イ)
である。


②については、係争委の出した「審査結果に不服がない」とする沖縄県の立場からすると、和解条件たる「関与が違法でない時」にも該当してないので、是正指示取消訴訟の発動には至らない、という合理的理由がある。
では、是正指示に係る措置を講じる義務があることは、どのように立論されるべきか。国が自治体に対し、どのような指示をしても許される、などということはあり得ないわけで、全部国の言いなりにならねばならないとする根拠はない。

あくまで係争委の審査の結果、国の関与が合法妥当なものであって、自治体は指示に従うべきとする判断が示された時、である。この審査結果に不服がある場合には、提訴により解決すべし、という制度設計になっている。にも関わらず、提訴もせず指示に係る措置もしない場合には、不作為の違法を言うことができる。


①の措置義務を負うのは、係争委の審査結果において、「行政庁の行つた国の関与が違法でない」が示された場合である。これがない以上、自治体には国のした指示に係る措置をするべき理由がない。
裁判で、原告・被告のいずれの勝訴も示さず差戻としたら、自分勝手に「原告勝訴だ、原告の債権請求権行使だ、被告は債務を果たさないので違法だ」などと結論付けることなどできまい。ところが、国の主張はこれに類するものである。
係争委の審査結果をうけて、「指示に係る措置をしないので違法」と主張するのはそういうのと同じだということである。


国の本件提訴は、251条の七の提訴要件を満たしているとは言えない。


6)国の違法確認訴訟は機関訴訟として成立するか

原告適格からして、かなり疑わしい。これまでの判例(例えば平成13年7月13日最高裁判決、那覇市情報公開決定取消請求事件)では、かなり制限的であったのであるが、法学の世界では批判もあるので、今回は認めておくこととする。

地方自治法の規定による国の関与についての訴訟は、原則として行政事件訴訟法(及び最高裁規則)により規律される。違法確認訴訟となれば、処分性が問題視されるのである。判例においては、

行政庁の処分とは、所論のごとく行政庁の法令に基づく行為のすべてを意味するものではなく、公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、その行為によつて、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているものをいう』(昭和30年2月24日最一小、民集9巻2号217P)

とされており、沖縄県知事のした承認取消について見れば「直接国民の権利義務を形成」するものではない。

原点に戻れば、原告たる国の「訴えの利益」は自らが放棄したので、提訴の理由がない。これまでにも何度も指摘したが、国交大臣は審査請求に対する裁決を出す義務を有していたにも関わらず、これを消滅させたことは明らかな事実である。
審査庁が裁決を出せば、処分庁たる沖縄県はこれに従う義務を有しており、法的拘束力も当然にあったものである。国は、承認取消が違法な処分であると言うのであるから、大臣が裁決により、これを是正し防衛省を救済できる権利と機会を有していたことは明白であって、これを消滅させることに同意したのは、原告たる国交大臣自身である。

かてて加えて、原告本人が代執行をも消滅させたのであるから、訴えの利益は既に喪失しており、本件提訴の理由がない。


7)本件「国の関与」は違法である

前示各論点からみて、国の本件提訴は何らの理由もないことは明らかであるが、国地方係争処理委員会に代わって、本件「国の関与」が違法であることについて述べる。


地方分権推進委員会の検討を経て以下の文書が作成されたものである。

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/doc/bunken-suishindoc980529bunken.pdf


この文書中、18頁には、関与の判決の効果について書かれている。地方自治法上の国と地方の係争処理に関し、ここから分かる重要な原則がある。

関与が判決により取り消された場合には、関与が遡及的に消滅し、
国は同一の状況下において、同一の地方公共団体に対し、同一の関与をすることができなくなる
のである。


振り返って、本件原告の国交大臣はどのような行為を行ってきたのか。
代執行に係る手続が平成27年10月より取られていたことは公知である。その際、代執行訴訟に至るまでに、地方自治法245条の八第1項の勧告、及び同第2項の指示がなされた。

勧告文書:国水政第55号(?、号数、文書非公表につき不明確で当方の推測である)
指示文書:国水政第56号(?、同、ここではとりあえずこの番号で呼ぶ)

さて、根拠条文は違えど、実質として、同一の指示内容であったことは間違いない。いずれも、知事のした承認取消処分を取り消すよう是正を指示したものだ。

本件訴訟前に発出された文書、国水政第98号、この取消後文書「国水政第102号」と前示「国水政第56号」は同一内容の指示、すなわち同一の関与と見ることができる。


  「245条の八」に基づく国水政第56号(代執行時)


  「245条の七」に基づく国水政第102号(今回)


この2つは、指示の内容が「承認取消処分を取り消せ」と求めているもので、実質的に同一であるということ。


判決により関与が取り消された場合には、同一の関与をすることはできない。本件で見れば、最初の関与たる是正指示文書「国水政第56号」は、代執行訴訟の判決で取り消されたものではないが、「訴訟上の和解」により取り消され遡及的に消滅したのであれば、判決と同等の効果を持つと言える。
(もしも代執行訴訟の和解後でも「国水政第56号」が取り消されず効力を持っているなら、245条の八規定の措置以外の方法によって是正を図ることが困難である、という国の言い分が全くの出鱈目で、245条の七の是正の指示という別の方法が存在したという自己矛盾を国が自ら証明したことになり違法である)


従って、地方自治法上の「関与が取り消された場合には、同一の状況下において、同一の地方公共団体に対し、同一の関与をすることができない」という原則に反することは明らかだ。故に、本件「国の関与」には違法がある。

(どうして同一の関与を認めないかといえば、今回の国のように、何度でも同じ関与を永続できてしまう、ということを防ぐ為である。行政庁が自らこれを停止しない限り、同じ関与を止める手段はないからである。)


多見谷寿郎裁判長の判決文にあったような、米軍の意義がどうの、普天間基地と辺野古新基地の面積比較だの、そういうものは、本件違法確認訴訟の結論には何ら影響を及ぼさない。



まとめ

国の提訴は、

・和解条件から逸脱している
・地方自治法上の提訴要件を満たしてない
・行政事件訴訟法上の違法確認訴訟としても、訴えの利益がない
・そもそも国の是正指示は同一関与禁止原則に反し違法


沖縄県は、

・国地方係争処理委員会の審査結果に従っており違法といえない
・和解条件から251条の五第1項第1号の提訴をしなかったのには合理的理由がある



とりあえず。



他の、多見谷寿郎裁判長の判決文にあった、おかしな部分はいずれ書くことにします。



福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決

2016年09月18日 19時19分47秒 | 法関係
辺野古違法確認訴訟 判決要旨
>http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62573

(膨大な量の文書のまとめ、有難うございました)


あまりに無駄に長く、読むのが苦痛であり、時間を浪費したようなものだった。
代執行訴訟における国の主張を、ほぼ丸々引きうつしたかのような文章であった。全く判決の体をなしていない。国が「言いたかったこと」を全部代弁してくれたような代物に過ぎない。国の訴状を読んだのと何ら違いがない(笑)。

翁長沖縄県知事は、原告の国と裁判で対峙していたはずだが、裁判長が攻撃的に知事に立ち向かってきているかのような内容であり、知事の対決相手が裁判長自身であったことが手に取るように分かる文章だった。
国と裁判長が被告の沖縄県を同時に攻めてくるわけだから、裁判になぞなるわけがない。それが明白になったということで、歴史に汚点を残したことは間違いないだろう。裁判所の歴史上において、長く語られるべき裁判になったということである。


無駄な言い分にいちいち反論するのが徒労であるので、例えば『普天間飛行場の被害を除去するには本件新施設等を建設する以外にはない。言い換えると本件新施設等の建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない。』などという、暴論に反論する意味さえない。
裁判長は、国権の最高決定権者ではない。このような断定は、既に裁判所の領域を超えており、行政府と立法府を併せた決定権を独自に発動しているだけである。


また、高々一裁判官が『北朝鮮が保有する弾道ミサイルのうち、ノドンの射程外となるのはわが国では沖縄などごく一部であり、南西諸島は、わが国の海上輸送交通路に沿う位置にあって、沖縄本島はその中央にある。
これに対し、グアムからは、ソウルまでが約3220キロメートル、台北までが約2760キロメートル、沖縄までおよそ2200キロメートルであること等に照らして、沖縄に地理的優位性が認められるとの国の説明は不合理ではない。
』などという、特定外国名を挙げ、その攻撃兵器について事実確認もないまま推論を積み重ねた挙句、裁判所の管轄外の米軍の運用についてまで検討し妥当性を云々するなど、国の外交・国防上の政策論を逐一判断することなど、到底許されるものではない。
多見谷寿郎裁判長は仮想敵国や侵略の蓋然性等について論評する程の、軍事評論家にでもなったつもりなのか。法廷は、そのようなことを論ずる場ではない。


論点を拡散するのは、国の典型的な手法である。
実際に重要な点をボカす為であり、主張を面倒なものにすり替え、沖縄県側の足元をすくう為である。ウンザリさせて、判決文を読めなくしたいという基本的な手口にすぎない。
それに、沖縄県側も無駄にお付き合いしてしまって、多くを語ろうとすると、些細な間違いなどを突っつかれたりして、国の「ホラ間違ってる、どうだ」と鬼の首を獲ったかのような言い分を食らうことになるのだ。


国の無駄な主張に付き合うべきではない。
「論点ずらし」は暇なバカを大量に抱える側の得意戦術だ。詭弁師どもの、最も好きな方法でもあるのだ。


話を戻して、以下に判決の不当性について書く。



1)和解条件から沖縄県の違法を言うことはできない

同じ裁判長が和解に持ち込んだのだから、その条件を遵守するべきである。
沖縄県が提訴するべきとされた場合は、2つであり、
・審査結果に不服がある場合(地方自治法251条の五1項1号)
・国が勧告に応じた措置を取らない場合(同法251条の五1項4号)
である。
沖縄県は、審査結果に従ったに過ぎない。前者の1号要件に合致してない。


そして何よりも、和解条件は、「係争委が是正の指示を」
・違法であると判断した場合
・違法ではないと判断した場合
の限定がなされているわけである。

係争委の判断はいずれでもなかったことは明白であり、沖縄県が提訴するべき条件には当てはまらない。これは、和解に従っているものである。裁判長が和解条件案を提示したのだから、自分の出した条件に沿って行動している沖縄県と同知事に向かって「違法だ」と、どうやって言うことができるのか。

「是正の指示に従え」とする係争委の結論ではないのだから、そうしているに過ぎない。これは沖縄県の独断によるものでなく、係争委の結論である。そして、和解条件から、沖縄県が提訴する義務を負うことはあり得ないのである。故に、提訴しなかったことを違法の理由とすることはできない。

更に、沖縄県は既に自らが提訴の意志を持って、これを実現していたことは明らかな事実であって、地方自治法251条の五第1項第1号に基づき、本年2月に提訴していたのにも関わらず、これを取り下げさせた人間は、誰あろう多見谷寿郎裁判長ではないか。自分が提訴を取り下げるよう沖縄県に和解させておきながら、係争委の結論を受けて提訴しないのを違法と結論づけることなど、あるまじき行為である。


多見谷寿郎裁判長は、沖縄県が法251条の五第1項第1号に基づき提訴していたのを取り下げさせた上で、現時点で提訴しないので違法などと判決で言うのは言語道断である。法を弄ぶ詭弁に過ぎない。


2)係争委の勧告に法的拘束力はある

多見谷寿郎裁判長の到底許されざる判決が次のものだ。

是正の指示の適法性を判断しても、双方共にそれに従う意思がないのであれば、それを判断しても紛争を解決できない立場だ。また、国や地方公共団体に対し、訴訟によらずに協議により解決するよう求める決定をする権限はない。もちろん国や地方公共団体にそれに従う義務もない。代執行訴訟での和解では、国地方係争処理委員会の決定が、知事に有利であろうと不利であろうと、知事が本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされた。
国地方係争処理委員会の決定は、和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、もともと和解において決定内容には意味がないものとしている
。』


地方自治法をまさしく「根底から覆す」発言の数々である。国地方係争処理委員会の設置の意義を無に帰する発言だ。行政への挑戦を一裁判官が行ったに等しい。

地方自治法において、国の関与の審査をすることは、国と自治体間の争いを解決する手段として、法的根拠をもって制定されているものである。それを、「適法性を判断しても紛争を解決できない立場だ」などと、どこまで司法権を過大評価し己の判決を過信しているのか。行政権への侮辱以外の何物でもない。


係争委の審査により、関与が違法であると判断されれば、勧告が出されることとされている。これが勧告であるのは、国という行政が「違法を承知で、違法状態を継続してやろう」などという考えを持つはずがない、という信頼性に基づいているものだ。
当然に、勧告を無視する場合には、国はそれをもって「違法」を構成するに決まっている。係争委の勧告に従わないのが許容されるのは、係争委の審査が間違っていて本当は違法ではないのに違法と結論されてしまった場合か、勧告を受けてもなおその措置が取れないような特段の事情があるか措置を実施するよりも特別に優先しなければならないような公共の利益があるような場合だ。
そういう考慮すべき特段の事情なり特別に優先しなければならない公共の利益があるのであれば、係争委にその旨回答するか、自治体からの提訴をもって裁判上で立証する等の手続を踏んで、それが正当であると認められれば、係争委の勧告に即した措置を取らないことが許容されるというに過ぎない。

本来的には、係争委の審査結果は尊重されるし、勧告には一定の法的拘束力を有するものである。それを無視したり、従わないでおいて違法状態を継続してやろうなどという考えを持つということ自体が、行政の根幹を揺るがす事態である。


また、多見谷寿郎裁判長曰く、『国地方係争処理委員会の決定が、知事に有利であろうと不利であろうと、知事が本件指示の取消訴訟を提起』ということらしいが、馬脚を現すとはまさにこのこと。
係争委の審査は、「知事に有利、不利」などではない。国の関与の違法性だ。これが妥当なものなのかどうか、それを判断するのであって、知事の問題などではない。
裁判長は最初から別件の訴訟でもって沖縄県を騙しうちして、国側全面勝訴・沖縄県敗訴にしてやろう、という魂胆が丸見えになったということである。

それが、
『国地方係争処理委員会の決定は、和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、もともと和解において決定内容には意味がないものとしている』
という言葉に現れているのだよ。
「元々決定内容には意味がないもの」とした理由は何か分かりますか?
係争委の存在を蔑ろにし、判決文で国を勝たせればよい、との「いよ!待ってましたぁ」感が出たものである。

係争委の審査結果は、国の行政庁にも自治体にも、法的に効果が及ぶのですよ。決して「意味がないもの」などではない。これを、何ら正当な事由もなしに従わない、という場合は「違法」を確定させるんですよ。強硬な執行力は持たない、というだけである。それは国や自治体という行政主体が、違法を前提として行動しないだろう、という信頼があればこそ、だ。

恐らく係争委は、国と那覇支部の邪心を最初から読み取ったが故に、彼らが待ち望んでいた結論ではなしに、違法とも違法でないとも判断を示さなかったのですよ。いずれにも該当しないという結果を出したのは、深い意味があったのですよ。



(つづく)


多見谷寿郎裁判長(福岡高裁那覇支部)が違法確認訴訟で背負う十字架

2016年08月19日 19時44分21秒 | 法関係
辺野古沖の基地建設問題は、オリンピックの陰に隠れて、国民の関心が薄れているのではないかと危惧している。

本日、第二回公判が開催された違法確認訴訟であるが、原告の国が主張するオウム返しの如き論点は、ほぼ全部が無意味であることに変わりは無い。

>http://mainichi.jp/articles/20160806/ddp/001/010/002000c


沖縄県のした承認取消処分が違法である、ということの論理は、国は全く示していない。端的に言えば、「前知事のした承認が有効であるはずだから、これを取り消すのはおかしい」、と言っているに過ぎない。最高裁判例から、不利益の比較衡量を言うしかないのも代執行訴訟の時と同じだが、知事のした承認取消処分が違法であることの根拠足り得ない。


国のした地方自治法245条の七に基づく大臣の指示というのは、「法令受託事務の処理が法令の規定に違反している」ことを指摘できるはずである。
これは、取引業者と既に契約を締結してるからとか、産廃場を現状の場所から移転できないと困るから、などという、事業者の不平不満を言うものではない(笑)。あくまで法定受託事務の処理について、行政法解釈という点から規定違反を正確に指摘できるものである、ということだ。一般的な原則があるなら、通常の事務処理から逸脱して、どこがどのように”規定違反”なのかを、言えるはずということである。
例えば許認可の審査にあたっては市町村長の意見聴取をするべき所、これを実施していない、となれば、その意見聴取しなければならないことを規定した条項なり省庁通知・通達を挙げて説明できる。許認可申請に必要とされる書類が不足しているなら、その書類を規定した施行規則の条文や局長通知等から指摘できる、といったことである。


一国の行政が、事務の法令違反事項について、具体的に説明できないわけがない。
ところが、未だに国はそれを示していない。大臣指示そのものに不備があり、行政の体をなしていない。これができないのは、国には、何らの根拠もないから、である。


さて、本題に戻ろう。
今回の国の提起した違法確認訴訟は、元はと言えば、代執行訴訟で大失敗を犯したのを、同一裁判長(所)たる多見谷寿郎裁判長が、国の勝てる方法をひねり出すべく和解を勧めたものである。
想定では、原告が沖縄県となって、国を訴えるはずだったものだが、予定が狂ったわけだ。けれども、裁判が始まって答弁書提出前から、争点整理を裁判長が自ら示したことから分かる通り、手ぐすね引いて待っていたものと思う。

沖縄県がどのような主張をしようと、国が勝訴の判決文を書くことが高裁裁判官には許されているから、だ。これを誰からも咎められることがないから。


たとえそうであろうと、裁判の歴史上で最悪の汚名を残してもらうことなら不可能ではないだろう。
多見谷寿郎裁判長には届くことがないけれども、拙ブログからいくつか指摘をしておきたいと思う。


1)和解を提示したのは、多見谷寿郎裁判長

国側に対しては、行政不服審査申請と執行停止及び代執行訴訟、沖縄県には県の提起した訴訟について、それぞれ取下げることとした。つまり、国の有していた裁決の権限も代執行の権限も放棄させたのは、多見谷寿郎裁判長である。当然に、この取下げによって生ずる効果については、それぞれの法的な立場において、十分承知した上での和解であったはずである。
これを勧めた裁判長が、その効果を無視することは許されない。

代執行訴訟において、国交大臣のした本件同様の「承認取消処分を取り消すよう」勧告及び指示したことが違法でないなら、当然に代執行訴訟の中で判示べきことだ。国の主張はその基本において、実質的に代執行訴訟の時点と何ら違いなどなく、もし国の主張が明白に合法であるというなら、その合法性を判決上で示せないはずはなかった。これを回避したのは、誰あろう、多見谷寿郎裁判長である。

よって、裁判を停止させ、和解案を双方へ提示して和解へ持ち込んだのは多見谷寿郎裁判長であるから、国交大臣のした「承認取消処分を取り消すよう」指示したことが、今度は合法であると見解を翻すことは信義則違反となり、そのような行為を裁判長自らが行うことは、到底許されない。


2)第一義的解釈権は行政にある

多見谷寿郎裁判長が和解で示した手続は、代執行訴訟において裁判所の判断を放棄したものに等しい。
すなわち、国の主張が正しいのであれば、代執行訴訟において裁判所の判断を示せば事足りた。しかし、敢えて国地方係争処理委員会に審査を委ねる和解条件に同意させたということは、原則として係争処理委の判断を尊重せよ、ということである。


すると、地方自治法の趣旨からして、基本的には国地方係争処理委員会の審査結果が行政としての第一義的解釈となり、これを司法権の介入たる高裁判決によって覆すには、同委の裁量権の逸脱・濫用を裁判所が具体的に立論する必要がある。


よって、多見谷寿郎裁判長が違法確認訴訟において、国側勝訴を言うには、

  ア)国地方係争処理委員会は審査において裁量権の逸脱・濫用があったこと
     (=係争委の審査は認容できない、なので高裁がこれを覆すよ)

  イ)国交大臣の是正指示(「埋立承認取消処分」を取り消せ)が合法で正しいこと

  ウ)沖縄県は、高裁が同意させた和解条件に反しており、尚且つ係争委の判断に従うことが違法であること


この3要件を全て立論できなければならない。


行政の第一義的解釈を破棄するのだから、その根拠を明示しなければならず、ア)は当然である。また、イ)を立証する場合、代執行訴訟の判決で言うべきことであったものを言わなかったことの合理的説明がなければならない。沖縄県に対し、和解に同意させたのは不当となる。最初から国に有利な判決を書くべく、敗訴確定の代執行訴訟から、本件手続きの裁判へと移しただけの行為だからだ。

最後のウ)であるが、沖縄県は「係争委の結論(=協議せよ)に従ったまで」と主張するだけなので、国の是正指示に従わない(不作為)のは違法、すなわち係争委の結論に従うことが違法であることを判決で示せない限り、国の勝訴とはならない。


まあ、本件裁判までの時間は長かったので、裁判長がじっくりと準備している時間はあったはずだし、その顕われが異例の「争点整理」の早々の提示になっていたわけで。


裁判所の歴史を穢すことになるかどうかは、判決の論理性と法理によるだろう。



辺野古沖基地建設に係る埋立承認取消処分を巡る国の訴訟について~2

2016年07月24日 15時16分28秒 | 法関係
学習能力が欠如している、安倍政権と訴訟戦略を支えているはずの法務省訟務局及び各省訟務担当官僚たちは、懲りずに無駄な訴訟を提起してきたようなので、反撃を試みることにする。

彼らのような、法を悪用する立場の存在に、どうしても負けるわけにはいかないのだよ。

まず、訴訟の前段階の国地方係争処理委員会の部分から見てみる。


国地方係争処理委員会の審査>http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/singi/keisou/

審査の結果>http://www.soumu.go.jp/main_content/000425426.pdf

重要部分は、以下である。

当委員会としては、本件是正の指示にまで立ち至った一連の過程は、国と地方のあるべき関係からみて望ましくないものであり、国と沖縄県は、普天間飛行場の返還という共通の目標の実現に向けて真摯に協議し、双方がそれぞれ納得できる結果を導き出す努力をすることが、問題の解決に向けての最善の道であるとの見解に到達した。

国が窮地に陥ったのは、彼らが和解で「罠」を仕掛けて待っていたはずの、「沖縄県に提訴させる」という計画が狂ったことである(笑)。

国=法務省、防衛省、国土交通省、外務省の連合軍(笑)が勢揃いしても、沖縄県知事の埋立承認取消処分を違法であると立論できる方法が、未だ見つかっていない、というのが最大の弱点であった。代執行請求訴訟では、完敗が確定したので、裁判長に和解を勧められ、不承不承従った、というのが和解までの流れだった。

そこで、国が泣きついた先が、最高裁である。国は、最高裁なら「国が勝訴間違いなし」の判決文をきっと書いてくれるだろう、と期待しているということである。過去の代理署名に関する代執行訴訟では最高裁判決で勝利した経験があり、二匹目のどぜう(笑)を狙ったものだったろう。
とにかく、代執行訴訟では大失敗したので、別建ての訴訟ルートを利用することに方針変更したわけだ。
それが、係争委の審査結果からの、沖縄県が国を提訴する、という筋書きだった。しかし、その愚劣な思考は、再度の失敗を呼び込むことになった。


代執行訴訟での和解内容は、以下のようなもので、一部を書き出す。


◇和解の内容(別紙1,p9)

・(国交大臣の)是正の指示に不服があれば指示があった日から1週間以内に当委員会に審査の申出を行う

当委員会が是正の指示を違法でないと判断した場合に、審査申出人(沖縄県)に不服があれば、審査申出人は、審査の結果の通知があった日から1週間以内に地方自治法第251条の5第1項第1号に基づき是正の指示の取消訴訟を提起する

当委員会が是正の指示を違法であると判断した場合に、勧告に定められた期間内に相手方が勧告に応じた措置を取らないときは、審査申出人は、その期間が経過した日から1週間以内に同法第251条の5第1項第4号に基づき是正の指示の取消訴訟を提起する

・審査申出人及び沖縄防衛局長と相手方は、是正の指示の取消訴訟判決確定まで普天間飛行場の返還及び埋立事業に関する円満解決に向けた協議を行う

=======

話を見通し易くする為、県が国を訴える条件というのをまとめると、2つになる。

国(国交大臣)の是正指示が

 a)違法でない(=国が正しい)
   ⇒県は指示に従って「承認取消処分」を取り消せ

 b)違法である(=国が間違い)
   ⇒国は委員会勧告に従って措置をせよ
  (けど、国は措置する気は毛頭ないので、措置しないよ)


いずれの場合にも、沖縄県側が不服と思うはずなのだから、訴訟提起せよ、と。
a)は、国の指示に従いたくないので「是正の指示」の取消訴訟、b)は国が措置をしないという不作為を止めて措置せよ(違法確認訴訟)と。

どちらも原告が県、被告が国となる。この目論見がうまく行かなかったというのが、係争処理委員会の結果だったというわけである。


和解条件からすると、沖縄県が訴える条件には該当してないので、和解を尊重するなら、県側が訴訟提起するというのはあり得ないだろう。係争委もきちんと協議せよ、と言っているわけだし。

しかし、国としては、何が何でも早急に白黒つけたい、ということで、法務官僚諸君がまさに「汚名」挽回の機会とばかりに、国が提訴したというわけである。普通は挽回すべきは名誉らしいが、訟務局あたりになると随分と違うものらしい。次期大統領が何を言い出すか不安なので、強引に既成事実を生み出す為の工事推進を何が何でもやっておくという魂胆でもあるのか?


ここまでの流れは、国が思い描いていた、和解での「次の訴訟プラン」が崩れた、ということである。代執行訴訟での完全崩壊に続いて、又しても失敗、と。

で、和解の沖縄県側が提訴する条件には該当しなかったので、県が提訴しなかったから、仕方なく、国が違法確認訴訟(県が大臣の出した是正指示に従って処分取消を行わない(=不作為)のは違法である)を提起した、というものである。

今回も代執行訴訟で指揮したのと同じ多見谷寿郎裁判長が担当らしい。今度こそ、の目論見でもって待ち構えていたことだろう。だって、和解に至ったというのは、本来的にそういうことですので(笑)。


違法確認訴訟の国側の落ち度について、次の点を指摘しておく。

1)和解条件からの逸脱

和解の文書を読めば分かる通り、訴訟提起は沖縄県が行うものとされている。国は、その根底から誤っている。提訴可能な場合とは、

 ア)国地方係争処理委員会の審査結果が前記a)で、不服の場合
 イ)同係争委の結果がb)で、勧告の措置をとらず国の不作為の場合

である。係争委の結論は、ア)、イ)のいずれでもないので、提訴条件に該当しない。


2)国地方係争処理委員会の結論は、「勧告」ではない

細かいことを言うようだが、地方自治法に定められる「勧告」が出されてない。

○地方自治法 250条の十四
2  委員会は、法定受託事務に関する国の関与について前条第一項の規定による審査の申出があつた場合においては、審査を行い、相手方である国の行政庁の行つた国の関与が違法でないと認めるときは、理由を付してその旨を当該審査の申出をした普通地方公共団体の長その他の執行機関及び当該国の行政庁に通知するとともに、これを公表し、当該国の行政庁の行つた国の関与が違法であると認めるときは、当該国の行政庁に対し、理由を付し、かつ、期間を示して、必要な措置を講ずべきことを勧告するとともに、当該勧告の内容を当該普通地方公共団体の長その他の執行機関に通知し、かつ、これを公表しなければならない。


訟務局のアタマのレベルとは違う。いずれにも加担しないという注意を払って審査結果が出されたものである。これは、言わば「伝達文書」のようなものであって、法的な意味としては拘束力が乏しく、同法250条の十四 第2項にある「勧告」ではない、ということだ。恐らく、悩みに悩み抜いて出された、苦渋の結論だったろうと思う。

そして、勧告ではないから、国が措置をとらない場合という不作為にもなり得ないので、同法251条の五 1項4号の適用は不可能となる。また、1項1号の「結果の通知又は勧告に不服」条件にも該当しない(係争委は、国が正しいので沖縄県の処分を取り消せとは求めておらず、県はこれを不服とせず係争委の見解に従い協議を申し出ている)ので、適用されない。


○地方自治法第251条の五  
第二百五十条の十三第一項又は第二項の規定による審査の申出をした普通地方公共団体の長その他の執行機関は、次の各号のいずれかに該当するときは、高等裁判所に対し、当該審査の申出の相手方となつた国の行政庁(国の関与があつた後又は申請等が行われた後に当該行政庁の権限が他の行政庁に承継されたときは、当該他の行政庁)を被告として、訴えをもつて当該審査の申出に係る違法な国の関与の取消し又は当該審査の申出に係る国の不作為の違法の確認を求めることができる。ただし、違法な国の関与の取消しを求める訴えを提起する場合において、被告とすべき行政庁がないときは、当該訴えは、国を被告として提起しなければならない。
一  第二百五十条の十四第一項から第三項までの規定による委員会の審査の結果又は勧告に不服があるとき。
二  第二百五十条の十八第一項の規定による国の行政庁の措置に不服があるとき。
三  当該審査の申出をした日から九十日を経過しても、委員会が第二百五十条の十四第一項から第三項までの規定による審査又は勧告を行わないとき。
四  国の行政庁が第二百五十条の十八第一項の規定による措置を講じないとき。




4号規定の措置とは、次の条文によるものである。

○地方自治法 第250条の十八
第二百五十条の十四第一項から第三項までの規定による委員会の勧告があつたときは、当該勧告を受けた国の行政庁は、当該勧告に示された期間内に、当該勧告に即して必要な措置を講ずるとともに、その旨を委員会に通知しなければならない。この場合においては、委員会は、当該通知に係る事項を当該勧告に係る審査の申出をした普通地方公共団体の長その他の執行機関に通知し、かつ、これを公表しなければならない。


従って、同法251条の5第1項の規定は、1号も4号も本件では該当していない。


3)国が違法確認訴訟を提起できる条件とは

自治体が訴訟提起せず、指示にも従わないというような場合に、国側から提訴できる。


○地方自治法 第251条の七  
第二百四十五条の五第一項若しくは第四項の規定による是正の要求又は第二百四十五条の七第一項若しくは第四項の規定による指示を行つた各大臣は、次の各号のいずれかに該当するときは、高等裁判所に対し、当該是正の要求又は指示を受けた普通地方公共団体の不作為(是正の要求又は指示を受けた普通地方公共団体の行政庁が、相当の期間内に是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じなければならないにもかかわらず、これを講じないことをいう。以下この項、次条及び第二百五十二条の十七の四第三項において同じ。)に係る普通地方公共団体の行政庁(当該是正の要求又は指示があつた後に当該行政庁の権限が他の行政庁に承継されたときは、当該他の行政庁)を被告として、訴えをもつて当該普通地方公共団体の不作為の違法の確認を求めることができる。

一  普通地方公共団体の長その他の執行機関が当該是正の要求又は指示に関する第二百五十条の十三第一項の規定による審査の申出をせず(審査の申出後に第二百五十条の十七第一項の規定により当該審査の申出が取り下げられた場合を含む。)、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。

二  普通地方公共団体の長その他の執行機関が当該是正の要求又は指示に関する第二百五十条の十三第一項の規定による審査の申出をした場合において、次に掲げるとき。

イ 委員会が第二百五十条の十四第一項又は第二項の規定による審査の結果又は勧告の内容の通知をした場合において、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関が第二百五十一条の五第一項の規定による当該是正の要求又は指示の取消しを求める訴えの提起をせず(訴えの提起後に当該訴えが取り下げられた場合を含む。ロにおいて同じ。)、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。

ロ 委員会が当該審査の申出をした日から九十日を経過しても第二百五十条の十四第一項又は第二項の規定による審査又は勧告を行わない場合において、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関が第二百五十一条の五第一項の規定による当該是正の要求又は指示の取消しを求める訴えの提起をせず、かつ、当該是正の要求に応じた措置又は指示に係る措置を講じないとき。

2  前項の訴えは、次に掲げる期間が経過するまでは、提起することができない。

一  前項第一号の場合は、第二百五十条の十三第四項本文の期間
二  前項第二号イの場合は、第二百五十一条の五第二項第一号、第二号又は第四号に掲げる期間
三  前項第二号ロの場合は、第二百五十一条の五第二項第三号に掲げる期間


(以下略)


国が提訴できる条件とは、本件であれば、

 ウ)国地方係争処理委員会の審査結果で、「国は正しい(=違法がない)」こと
 エ)にも関わらず、自治体が指示の取消訴訟を提起せず、
 オ)指示にも従わないでいること

が全て成立している場合である。


それが、同法251条の七 1項2号のイの規定である。
しかし、本件で見れば、係争委の結果が、国が正当であることなど一度も言っておらず、従って法251条の五 1項(1号及び4号)の沖縄県が訴訟を発動する要件を満たすことができないので(必然的に沖縄県が提訴しないということになる)、本条「2号のイ」規定に基づいて国が不作為につき提訴できる前提を欠いている。
同時に、本件提訴は和解の条件からも、導き出すことができない。


4)国は訴えの利益を自ら放棄した

最もバカバカしいのが、この論点であろう。国は、自らの権限と義務を放棄したのだから、訴えの利益は、自分で既に喪失させたのである。
にも関わらず、今回の提訴というのは、いかなる法益があるのか?


①沖縄防衛局が行政不服審査法に基づく審査請求、執行停止申立て
②国交大臣が請求受理、執行停止決定

この時点で、審査庁たる国交省が「沖縄県の取消処分は違法、よって知事のした埋立承認取消処分を取り消せ」と裁決を出せば、それで答えは出せていたものである。
審査庁は国交省&大臣、処分庁=沖縄県&知事であり、誰がどう見たって、後から出した
「地方自治法245条の七の指示」
よりも、
「国交大臣の裁決」
の方が法的拘束力が確定的であり、処分庁(沖縄県)は従わなければならない。次の裁判へのステップも高裁からということで、本件訴訟のような遠回りの過程は回避できていたはずだ。


にも関わらず、代執行の着手を閣議で決めたわけだ。
③地方自治法245条の八の勧告、是正指示
④大間違いが発覚し、和解


そして、どういうわけか知らないが、①と②を国は放棄した。
法的拘束力が確定しており、大臣から処分庁への命令に等しい「裁決」を自ら棄てたということ。何故?審査庁が持つ、権限と義務を放棄したい、と国が自ら望んだから、ということしか言いようがないですね。


代執行訴訟前の勧告と是正指示は、恐らく残存したままにしながら、新たに「245条の七に基づく指示」を発出、という、迷路のような堂々巡りの行政行為を連発。
裁決なら国交大臣が審査権を行使するはずのところ、これを敢えて国地方係争処理委員会に審査させることを「和解条件」として国が自ら同意。
今度は、国が審査結果に不満だということで、本件提訴となったわけだ。


国のやったことは、最初に行政不服審査での国交大臣の権限を行使せず、代執行訴訟と和解後の指示では、国交大臣権限を前面に出してきて、国の指示が正しいことを争う、と。
けど、和解では裁決の権限を放棄した、と。


このように、大臣なり国の権限として法律上行使が許されるものを、正しく用いることが出来ておらず、自ら放棄を宣言してみたりしている、原告たる国には、どのような守るべき法益があるのか?

本件訴訟で保護されるべき法益が仮にあるなら、最初から国が受理をした審査請求の結果として裁決を出せば済んだことである。審査の時間が足りないなどというのは、理由にならない。現に、代執行訴訟の顛末も、国地方係争処理委員会の結果も、6か月も経過することなく答えが出せている。
そもそも、執行停止決定に国自身が挙げた理由は、「重大な損害を回避するのに緊急を要する」から、ということであったのだから、90日もかからずに裁決結果を出せばそれで済んだこと。その権限を放棄したのは、誰あろう、国自身である。

自ら国が放棄した権限を、何故、裁判所が国の代わりに「権限の保護」をしなければならないのか?愚かにも程がある。

不服審査の請求を受理した以上、審査庁は原則として裁決を出す義務がある。その義務を果たすことなく、司法に肩代わりをさせようというのが、本件裁判の意味である。その前提としての国地方係争処理委員会での審査も、本来なら国交大臣がすべき審査を、沖縄県を通じてさせた挙句に、次なる答えを求めて裁判所に願い出たというのが、これまでの実態である。
国は、自らなすべき義務を果たすことなく、権限も放棄しておきながら、裁判所に「権限の裏付け」を依願しているに等しい。



国の本件訴訟は、訴訟の入口に立つ資格さえない。


辺野古沖基地建設に係る埋立承認取消処分を巡る国の訴訟について(追記あり)

2016年07月22日 12時49分29秒 | 法関係
和解以降の計画通り、国が沖縄県を提訴することになった。

>http://ryukyushimpo.jp/news/entry-321027.html


裁判での論点について述べる前に、まず、個人的感想を書いておきたい。

安倍政権は、平成27年11月に代執行訴訟を提起したが、裁判での敗北が確定的となったことを受けて、和解へと逃げ込むことにしたのである。当初より、代執行訴訟では「100%勝てる」と豪語していたにも関わらず、出鱈目な法の運用を行ったことにより、国自身が出していた、行政不服審査法に基づく審査請求及び執行停止申立てを「国自身の手により取り下げる」結果をもたらし、更に勝訴間違いなしと確信していた代執行訴訟の両方を同時に失ったのである。

本件経緯から明らかに分かることは、国が、自分勝手に一人相撲を取り続けていたというものである。
国が、審査請求と執行停止を行い、代執行訴訟を仕掛け、いずれも「なかったことにしたい」ということで、全部取りやめになってしまったということである。

こうした国の姿勢が示すものは、根本的な法の無知である。法制度を正しく理解し運用する、という基本原則から大きく外れているということである。それが、国の制度濫用や濫訴を生じたものであると言えよう。

国は、行政不服審査法や地方自治法の趣旨、制度の意義などを理解できていないばかりか、本来国自身が正確に運用するべき義務を負っているのに、代執行の手続を正しく行うことすらできなかったということである。

そのような国が、「国の主張は正しい、国の手続きは合法的だ」と言うわけであるが、どこまで信用できるのだろうか?これまで、散々間違いを犯し続けてきた国が、「最初からずっと国の方が正しいのだ」と主張すること自体、信ずるに値しないものとしか思われない。
専門外の素人以下の程度でしか、手続を理解できていなかった国が、今回の訴訟に限っては正確に合法性が理解できるということも解せないわけである。なら、最初から正しく理解できていたであろうはずだから、だ。


国は、恥も外聞もなく、代執行訴訟での失当を判決で指摘されることを回避するべく、和解へと逃げ込んだだけである。しかも、その和解の道筋というのは、本件訴訟で見られる通りに、最終的には「砂川判決や過去の代執行訴訟での判決の場合と同様に、最高裁が国側勝訴に味方してくれる」ということを、期待してのものである。まさしく、法も裁判所も、政治で動かせる、と軽視していることの表れであり、真意は「代執行訴訟での失敗を隠して、別の訴訟の枠組みへと誘導したい」ということでしかない。


国にとって、訴訟そのものは、単に形式的に体裁を整えておけばよいと考えており、それ故、国が「是正指示をする」という意味のない手続を踏んだものである。「代執行訴訟のルート」を国自身の手で潰してしまったので、今度は「別ルート」を開拓すべく、少し後戻り(国交大臣の是正指示→国地方係争処理委の審査)して「形式を満たせば」新たな訴訟を開始でき、最高裁へ持ち込むことさえできれば「今度こそ、最高裁が味方してくれるので必ず勝てる」と胸算用している、ということである。


こうした発想は、法秩序への挑戦であり、国の裁判制度を根底から覆すに等しいものだ。安倍政権の本件争訴の道のりは、将に「法」を踏みにじり、裁判所を蔑ろにするという、言うなれば「法への叛逆」行為である。

それが証拠に、代執行訴訟は「閣議了承」の下、実施されたものであり、行政の日本最高レベルでの意思決定をしたにも関わらず、「誰一人」それが不当ないし失当であることを気付くことができない程度であることを実証したのである。


15年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7b0feab3b9353f848a4a03473e5eff49

閉会中審査の安倍総理の弁を再掲しておこう。

『普天間の返還は一日も早く実現しなければならない。この基本的な考え方の上に立って、移設作業の事業者である沖縄防衛局長は、一刻も早く移設作業を再開するため、迅速な手続きである審査請求を行うとともに、執行停止の申立を行なった。これを受けて国土交通大臣は沖縄県の意見を聴取した上で重大な損害を避けるために、緊急の必要性がある等の判断のもとに行政不服審査法に則り、執行停止の決定を行なったものであります。一方、このようなプロセスの中で政府として改めて検討した結果、翁長知事による埋め立て承認の取り消しは違法であり、著しく法益を害するものであることから、この問題の解決を図るためには、最終的に司法の判断を得ることができる代執行等の手続きに着手することがより適切な手段であると判断され閣議において政府の一致した方針として了解されたものであります。』


閣議了承で政府の一致した方針だったはずの、代執行訴訟が崩壊したということですね(笑)。
どうしても、別の手続きに乗せるよりなかった、と。

挙句の果てには、騙し半分の和解文書を根拠に、ロクに仕事もできない訟務局に再び提訴をお任せした、と。愚か者が集団になると、愚かな決断を繰り返すということの典型例でしょうか。



(時間がないので、とりあえず。後で追加します。)

追記は以下です。


国の訴状を見ることができないので、とりあえず、国の主張と本件訴訟提起について、反論の一例を示しておきたい。


1)国の主張の根本は、「取消処分は違法」という言い切りのみ

ブレずに変わっていないのが、これである。県知事の取消処分以後、そのことだけを主張していた。沖縄防衛局の審査請求でも、代執行訴訟でも、和解後でも、国地方係争処理委員会の審査でも、そして、現在でも、ずうーっと同じである。
そして、審査請求後でも執行停止決定でも、代執行訴訟や係争委審査でも、大臣の是正指示でも、どの時点においても、「違法である」ことの論証が皆無である。

つまり、国の主張点は、中身がない。あるのは、反論することだけ。しかも、無駄に長文を連ねているだけ(無用な官僚の頭数だけは大勢おり、意味も中身もない作文だけは得意)で、国の主張は簡潔にして明瞭ということが一切ないのである。


普通、「知事の処分は違法である。何故なら~これこれこういう理由だから」と簡潔に示すことができるだろう。拙ブログですら、国の代執行訴訟は要件を満たしてないことの理由を、挙げて説明しているのに、だ(笑)。
唯一出された論点は、昭和43年最高裁判例のみ、である。

参考:
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6285ad6c968ae5b68fe319db1ccd4eeb
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f47d48e0f48a0e42a0d3a549597c70f3


この論点でさえ、判例の理解不足と適用不備があり、仮に判例に基づき不利益の比較衡量を行った場合でも「取消処分が違法」であることの立論は不可能である。定塚誠訟務局長(以下その他官僚諸君)は、利益不利益の重大性・程度等の比較さえ満足にできていない。
口で断言するだけなら、どんなことだって言い切れる。「代執行訴訟は100%勝てる」と全く同じである。これに続くのは、「何故なら取消処分は違法だから」ですかね(笑)。それは、訟務局の俺ら基準ではそうだからだ、ということだけですね。恐らく、今回の裁判においても、次の主張は同じであろう。

翁長沖縄県知事のした、埋立承認取消処分は違法だ
→違法だから、大臣が「是正の指示」
→よって「是正の指示」は適法だ=国が正しい(今ココ)


形式的には、是正の指示が適法なもので、何らの理由もなく県知事がその大臣指示に従わないのであれば、国が正しいかのように言うことができるわけだが、実際には「国が正しい(適法である)」ことの証明は、どこにも存在していない。国が、自分自身でそう言っているだけ、である。


和解後に出した、国の是正指示には、違法と国が判断した根拠及び理由が記載されていなかった。単なる、言い切りのみ。通常、理由を附して是正の指示をするべきところ、その論証を国土交通大臣は一度も行っていない。違法と認定するなら、それが説明できないわけがない。何故、違法であることの論証を国自身が実施しないのか?

理由がないから、であろう。説明の根拠を有していないから、ということだ。だって、あるなら、最初から、その旨指摘できるからである。つまり、是正指示の前提となるべき「埋立承認取消処分は違法」の論証を、国は一度もできていないということである。

参考までに、拙ブログにおいて、大臣が是正指示を行った場合には、大臣のした処分違反を違法性の理由として挙げることが可能な場合がある、ということを例示した。

15年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/bf7e5efbaafe1bec40232961a216b126

「論点12」である。あくまで素人考えで書いた是正指示の文書の雛型を書いてみたのであるが、本件の国交大臣指示文書「国水政第98号」は、大差ない出来栄えだったようで、しかも説示すべき理由が記載されていないものだった(笑)。調べていくうちに知ったのであるが、これもあまりに不備だったもんで、撤回文書が出され(国水政第101号)、別に文書が出された(国水政第102号)らしい。ここでも、法に基づく適正な手続や運用が全くなっていない、ということだろう。いわゆる「入口論」で何度も失敗しているのは、霞が関官僚自身であるということだ。お粗末極まりない。

剽窃以下のレベルでは、官僚のお仕事の意味がない。


2)国は「常に正しいことしか言わない」はず

まさか、この原則さえ成り立たない、ということか?(笑)
ペテン師や詐欺師のような口先だけの組織ではないはずであろう?国の主張というのは、常に適法であり正しい、という原則が必須のはずだ。

審査請求、訴訟、係争委審査を通じて、国がどのような主張をしてきたか、それを以下に概略をまとめてみた。


◇国のこれまでの主張

ア)知事の埋立承認取消処分は違法
イ)本件埋立工事が実現できないと、
―1;回復不可能な「重大な損害」を生じる
―2;重大な損害を避けるため「緊急の必要がある」
ウ)イ)の要件を満たすので執行停止を決定(=執行停止は適法)
オ)原則として行政庁は授益的処分の取消ができず、例外的な場合のみ
カ)授益的処分の取消の際は、不利益の比較衡量が不可欠
キ)防衛局は「私人同等」である(故に審査請求ができる)



これらから、いくつかの矛盾点について、指摘しておく。

(a)
徹頭徹尾、国が現在でも主張し続けているのがア)であり、それが正しいなら和解する理由も意味もなく、国(防衛省)が審査請求を取り下げる理由がない
(=どうして和解し、また取り下げたか、その理由を言え)

(b)
イ)-1及び2が正しいなら、執行停止を取消する理由がない
(=執行停止を取消できるなら、その事実そのものが、最初からイ)の要件は成立していなかった(つまり国は嘘を言った)ことの証明となる)

(c)
執行停止期間は、消滅しない。事実、平成27年10月29日より、埋立工事を防衛省が実施していた。和解しようと、沖縄防衛局が申し出を取り下げようと、執行停止決定は効力を発揮し、執行停止決定を取り消すまでは有効だった。
行政不服審査法34条2項[処分庁の上級行政庁である審査庁は、必要があると認めるときは、審査請求人の申立てにより又は職権で、処分の効力、処分の執行又は手続の続行の全部又は一部の停止その他の措置(以下「執行停止」という。)をすることができる。]により、執行停止を職権により維持は可能だった。

ならば、執行停止を取り消す理由がない。
(=どうして、執行停止を取消たのか、理由を言え)

(d)
執行停止により工事再開ができていたことから、国交大臣の行った「執行停止」決定は防衛省にとっての授益的処分であった。すると、国はオ)と主張していたのであるから、原則として執行停止を取り消すことができない。
もし取り消すならカ)の比較衡量により、「執行停止を維持した場合の不利益」と「執行停止の取消した場合の不利益」では、執行停止を維持した場合の不利益が大であるので「取り消した」としか言うことができない。

国は、オ)やカ)を主張していたのであるから、その原則に基づいて行動するよりなく、従って、「執行停止を維持」した場合の不利益が甚大につき、執行停止を取り消すに至った、というのが必然となろう。
申立て者が取り下げたので、執行停止を維持する利益(根拠)がなくなったから、というのは、理由になっていない。
何故なら、執行停止決定事由たるイ)は「国が重大な損害を受ける」からであって、申立ての取り下げで維持する利益を喪失しているなら、国自身に執行停止の理由は元々存在しないということになるからだ。

この不整合を説明できる方法は、恐らく国側にはない。その場しのぎの、言い分を積み上げてきただけだから、である。

(e)
キ)の通りに私人同等なら、沖縄県条例や知事の指示にまずは従うべき。岩礁破砕措置の場合においても、知事の指示には従っていない。都合のよい、国と私人の使い分けに過ぎない。


3)審査庁は裁決を一度も出していない

これも代執行訴訟の時から指摘してきたことだが、審査請求の後に、裁決を出す権限は審査庁にあり、審査結果は行政庁を拘束する。
そもそも、代執行訴訟などをせずとも、審査請求に対する審査を迅速に行い、その結果を出せば済むことである。
大臣指示も見当外れであって、国が最初から主張してきた「知事の処分は違法である」ことの立証を、裁決の中で完璧に行えば、それで事足りていたことであった。

大臣が是正指示など出す必要性などなく、審査庁たる国土交通省が処分庁(沖縄県及び知事)に裁決で示せばよかっただけだ。
これを国がわざわざ回避しており、最初から裁決を出す気など毛頭なかったものと見るしかない。無知によるものか、裁決で示すべき「承認取消処分は違法」の立論が不可能だったので回避したのか、分からないが、国が自らの権限と義務を放棄したのは間違いない。


しかも、代執行訴訟と和解案に関係なく、平成27年3月30日に農林水産大臣の出した執行停止通知書も効力を有するのであり、「沖縄県指令第1381号」は知事権限が停止されたままだった。
代執行訴訟と主務官庁も異なるのに、緊急性があるとして執行停止を決定しておきながら裁決を出すことなく漫然と長期間放置し、審査庁の持つ権限を放棄したことは明らかだ。


質問主意書においても、取り上げられたものである。

>http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b189322.htm


国の答弁は以下の通り(一部引用)。

行政不服審査法による執行停止については、本案である審査請求に係る裁決があるまでの間、審査請求人の権利保全のために行われる暫定的な措置であるため、同法第三十四条第七項において「すみやかに、執行停止をするかどうかを決定しなければならない」とされているところ、本件指示において「海底面の現状を変更する行為」を「停止した旨の報告を、本書受領後七日以内に行うこと」及び「この指示に従わない場合は、許可を取り消すことがある」とされていたことから、農林水産大臣は、本件指示の日から七日後の平成二十七年三月三十日に、本件決定を行ったものである。
 これに対して、同法による審査請求については、同法上、裁決までの期限は定められておらず、現在、農林水産省において、審査請求人及び処分庁の主張等の内容を精査し、本件指示の適法性も含めて審査しているところであることから、裁決の時期及び内容に関する答弁は差し控えたい。



要するに、国は、自ら審査請求できると言うだけ、口で言ってもろくに審査せず、本来なら裁決を出せる権限を有しているにも関わらず、これを漫然と放置した挙句に、代執行訴訟に打ってでるも、法制度を満足に理解しておらず、失敗に終わったということである。

失敗しただけならまだしも、次なる訴訟を求めて、本件提訴を行ったものであり、審査庁の義務(1審判決に相当する過程であろう)を果たさないばかりか、国が期待している国側勝訴判決が出るまでは濫訴も辞さずの姿勢が顕著となったものである。


4)小括

少なくとも、国地方係争処理委員会の通知が、国の主張を取り入れて「国が適法であり、沖縄県が違法である」といった結論を出しているものではないことは明らかであり、その理由について国はよく考えるべきである。

国がやっていることは、国地方係争処理委員会の審査過程を、沖縄県に提訴させる道具として利用しているに過ぎず、和解条件のいずれにも該当しないことが判明するや否や、今度は政府自らが提訴する新たな攻撃材料を探すのに利用した。

和解で示した「是正の指示」は、自らの代執行訴訟の失当をなかったことにして、次の訴訟への道を開く為の方便として用いられた形式的文書であり、このような国の行為を、裁量権の濫用と呼ぶのである。

この期に及んで、国が法を弄ぶのは言語道断である。

国が行ったことは、沖縄県知事のした「埋立承認取消処分」に係る代執行の権限を、県と和解することにより権利放棄したに等しい。
国交大臣が代執行で「埋立承認取消処分」の取消を行うのも、同じく大臣の「是正の指示」で本件処分の取消を行わせるのも、権力行使の形態が異なるだけで、実質は同じである。
代執行訴訟の失敗を糊塗すべく、和解という口車を使って、本件訴訟へと土俵を移し替えただけのものである。本当に国の言い分が正しかったのなら、代執行訴訟で判決を受ければ済んだ話である。それを和解に逃げ込んでおきながら、本件提訴に至ったことは沖縄県を騙したに等しい。
国は代執行訴訟について和解したとしても、地方自治法245条の八第1項に基づく大臣の勧告、同法245条の八第2項に基づく大臣の是正指示がなされた事実は消滅しない。
国は大臣の是正指示に従わなかった沖縄県に対し、代執行訴訟を提起し、これを放棄したものであるから、同内容の是正指示を同法245条の七第1項に基づいて発出したとしても、訴えを取り下げることを確約した同一人である国が、再び同じことを指示してこれについて訴訟提起するというのは、訴えの利益がない。
それならば、最初から和解などせずに、大臣のした是正勧告や指示の合法性について、判決を受ければよかったのだ。敗訴を回避するべく、和解したから無理な話だったわけだが。


結局のところ、国がやっていることは、法の趣旨も制度も無視し、あちこちを乱食いして、順序も手続も滅茶苦茶で、出鱈目を繰り返しているというだけである。



日本国憲法と第9条に関する論点整理~12

2016年06月09日 13時10分39秒 | 法関係
いよいよ本丸の「戦争法」と呼び声の高い、新法を見てみよう。

まず、法律名が長く、法令検索用の略称を知らない(笑)。

国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律

である。
拙ブログとしては、例えば「外国軍隊協力法」(マジメ調)とか「外国軍隊下請法」と呼ぶに相応しいように思える。端的に言えば、軍事会社的な役割を自衛隊がやれ、ということである。以下では便宜的に前者を略称として用いるものとする。


1)『国際平和共同対処事態』とは何か?

本法1条に定義される。

国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの

条件は、

・国際平和と安全を脅かす事態
・加盟国が共同対処活動を行う
・日本が参入する必要があるもの

日本語の意味合いがそのまま外国に説明が通用するかどうかが不明なのであるが、過去のPKO法の検討などでは、「参加」と「協力」は憲法解釈上で異なる、といった議論(政府答弁)があったやに記憶しており、ここでは言葉の選択が分からないので、とりあえず「参入する」としておく。

政府は具体的な答弁を避けているが、どんな事態かと言えば、平たく言えば、「イスラム国みたいな事態」ということである。


安保理決議2178(2014年9月24日)>http://www.unic.or.jp/files/s_res_2178.pdf

長々書かれているが、国際社会の安全と平和を脅かすこと、国際社会が共同して対処するべきこと、「国連憲章7章に基づいて行動して(P4)」と宣言されていること、等が示されている。
政府が「イスラム国問題は、国際平和共同対処事態です」と宣言してしまえば、条件に照らして「明白に違う」ということは難しい。政府の見解は、一見して違法であることが明白でなければ、そうそう簡単に否定できないらしいので。


2)具体的に何を行うのか?

大まかに言うと(3条1項2号及び3号)、

・協力支援活動(物品、役務の提供)
・捜索救助活動(戦闘参加者の捜索、救助)
・船舶検査活動


である。

船舶検査は、以前に他の法律により実施が可能になった部分があった。今回は、本法により更に拡張したのが、上の2つということになる。


3)誰に協力するのか?

『諸外国の軍隊等』(3条1項1号)=「外国の軍隊その他これに類する組織」である

その他類する組織、というのがクセもので、例えば米軍が雇った民間軍事会社の兵隊とか、何処かの国が雇った傭兵部隊や外人部隊とか、CIAの現地活動部隊とか、そういうのも全部含まれるだろう、と思われる。
除外規定にあるのは、PKOの地域にいる国連軍と日米安保条約の発動に関連して活動する米軍、であろう(まだ条文で確認してないが)。


外国軍隊協力法に基づく行動が許される条件というのは、1)に掲げた他に、国連総会か安保理の権威付けが必要となっている。その条件が2つある。

・イの 活動の「決定」「要請」「勧告」「認める」決議の存在
・ロの 平和への脅威か破壊の認識を示す+取組を求める決議の存在


特に問題なのは、ロの条件であり、安保理で不一致を見ることがあるけれども、具体的な軍事行動の中身を決定することをせずに、例えば「シリアでの民間人攻撃は平和への脅威であり、破壊だ、故に、人々の命を守り、国際平和維持の為にも何か手を打とう!」といったような取組を求める決議というのは、割と出やすいのである(過去にも類似の決議はいくつも出された)。
従って、当該国の活動について国連のauthorizeが欠けていてもよい(国際法に基づく正当性が確保されていなくてもよい)、ということになっているわけである。


4)行動の実施手続きはどうなっているか?

①基本計画の閣議決定
②国会報告・承認(各議院7日以内)
③原則2年間は国会承認を必要としない(変更の場合のみ)
④2年超の場合には再度国会承認必要
⑤閉会中は召集後30日以内に延長の承認を得


原則的は、大体14日以内に実施が決定される、ということになる。
問題は、開始後2年間は実施を止める有効な手段がない、ということである。もし内閣が自ら基本計画の変更をしない場合には、国会が打てる手というのが内閣不信任しかない、ということである。衆院解散などがあると、更に停止期日は遅れることとなる。
まさに、「走り出したら止められない」ということである。


5)他の問題点は何か?

悪用可能なのは、次の条文である。

○第十三条 防衛大臣は、前章の規定による措置のみによっては対応措置を十分に実施することができないと認めるときは、関係行政機関の長の協力を得て、物品の譲渡若しくは貸付け又は役務の提供について国以外の者に協力を依頼することができる。

2 政府は、前項の規定により協力を依頼された国以外の者に対し適正な対価を支払うとともに、その者が当該協力により損失を受けた場合には、その損失に関し、必要な財政上の措置を講ずるものとする。



「国以外の者」というのが曖昧で、早い話が、戦争屋、軍事屋さん、ということが十分にある。
現地での物品(武器弾薬、その他物資)調達は、日本での流通系というのと同じというわけにはいかない。運搬手段もそうだし、ヘリの部品だの戦車の車軸だのエンジンパーツだの、どこから調達するか、というのを、そう簡単には防衛省が管理できないだろう。誰がどうやって運ぶのか?
そういう問題も含めて、調達計画は「戦争のプロ」という方々を雇って(まさしく戦争コンサルだな)、実施するという目論見があるだろう、ということ。物品の提供って、外国軍が装備する兵器が日本国内と同条件であるはずもなく、当然軍需会社(製造だけでなく流通販売の仲介業者)に話をつけなければならないだろう。

燃料、食糧調達にしたって、簡単にはいかない。それらの雑務を自衛隊がやれ、ということできる法律なのだ、ということ。そして、その際には、兵器ブローカーらの、戦争屋たちに手数料を払うという、システムに加担することになるのだよ。


6)大義名分と現実は全く違う

協力支援活動は、「武力の行使」でいう武力攻撃以外の部分と共通である。交戦(紛争当事)国と同等の立場になることを意味する。
また、捜索救助活動とは聞こえがいいが、実質的には哨戒、偵察、索敵行為、というのと同じである。
「今、何をしているのですか?」
「はい、戦闘で負傷した将兵を探し出して、救助する予定です」
と答えようとも、現実に行う行為は索敵に他ならないわけである。救助する兵士を探している途上で、偶然敵の部隊を発見し通報しました、って形式的には言うかもしれないが、事実上の戦争行為なのだ。

同じく、船舶検査活動という名の、臨検である。
海上を警戒しておりました、不審な船舶が通過しないか見ていただけです、という大義名分で、現実には紛争当事国(者)の関与する船舶を発見し、物流を止めろということですので。
発表自体は、「凶悪なテロリストが船で化学兵器や核兵器を運んでいた、とんでもない!」って言うけど、そんなことは米軍なら毎日やってることである。けど、米軍側にいる人間は正義、米軍と対立する側にいる人間は「テロリスト」と称して、「敵の兵器は没収する」のだよ。何故なら、軍需産業界のブローカー達への挑戦だからだ。
麻薬抗争と全く同じ。
販路を侵すギャングは、もっと大きなボスが率いるマフィアに潰される、みたいなものだ。縄張りを荒らすような、麻薬売買は許されないのさ。大ボスの許しを得てから密売しろ、と。


7)憲法上、どうなるのか?


3条(第2項及び3項)の行為が具体的にどういうものか、別表の中身を以下に示す。


協力支援活動(別表1)

・補給:給水、給油、食事の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・輸送:人員及び物品の輸送、輸送用資材の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・修理及び整備:修理及び整備、修理及び整備用機器並びに部品及び構成品の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・医療:傷病者に対する医療、衛生機具の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・通信:通信設備の利用、通信機器の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・空港及び港湾業務:航空機の離発着及び船舶の出入港に対する支援、積卸作業並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・基地業務:廃棄物の収集及び処理、給電並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・宿泊:宿泊設備の利用、寝具の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・保管:倉庫における一時保管、保管容器の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・施設の利用:土地又は建物の一時的な利用並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・訓練業務:訓練に必要な指導員の派遣、訓練用器材の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

・建設:建築物の建設、建設機械及び建設資材の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供

 備考 物品の提供には、武器の提供を含まないものとする。



前の記事の例で説明しよう。
(再掲)

例えば、イラク領内に「イスラム軍事攻撃団」がいるとしよう。
これが我が国の存立危機事態であると宣言する。湾岸地域が危なくなれば、それで我が国が倒れてしまう、と。よって、米軍、豪州軍、韓国軍、日本軍(自衛隊などと呼ばず軍でいい。それが安倍自民の悲願なのだから)が有志連合となり、イラクを救いに行くぞ、となる。イラクは救援を頼み、同意した、と(さしずめ米国が桃太郎、日本はキジで、残りが豪韓が犬猿となろうか)。

そこで、米国を中心とする有志連合軍は、安保理に「イラク領内の平和を守り、各国が行動をすることを求める決議」案を提出、これは可決される。具体的にどのような行動を実施するかは、これから決めればよいだけなので、とりあえず「行動しよう」と宣言する為の形づくりの決議さえあればよいからだ。

で、決議があるから、米軍はイラクへ攻め込む。
日本軍は、地域制限がないのでイラクでもOK、安全と平和に資する活動だからOK、という解釈で押し通すわけだ。これはあくまで「我が国の安全と平和の確保の活動」なのであり、有志連合軍に協力するべきだ、と。
イラク領内での戦闘には直接参加しないが、基地や米軍の配備している兵器を守備する為、基地を襲撃しに来る悪の組織たる「イスラム軍事攻撃団」を排除するべく、日本軍が戦う、というストーリーになっているわけだ。そして、基地運営経費や補給物資関係は、日本軍が「自ら負担します」ということが合法的に認められているので、戦費も出すということになるわけである。航空機の整備も勿論全部日本軍がやることになっているのである(国際法上でいう、中立国を超えるもので、戦争への加担と見做されるのと同等である。広く言えば、交戦権で規律される範囲の諸権利が含まれる)。



外国軍隊協力法によれば、イラクの同意があるので、イラクのある領域に、普天間基地みたいなのを、現地に作るということだ。

・即席の空軍基地を建設
・付随する軍事基地を建設
・付随するレーダー基地+通信設備設置
・兵舎建設、管理
・民生部分も担当
・武器、弾薬、燃料調達
・航空機整備全部(機材、部品等)
・イラク人の警備兵を雇用し武器装備一式支給、訓練+賃金支払
・イラク政府に土地の賃借料支払

これらを全部、日本の金を巻き上げて(税金で)やる、自衛隊を使って実現させる、ということに他ならない。
日本が国際社会に協力すべき、という見せかけに基づき、実質は、戦争ビジネスに加担するということだ。通信設備は日本企業のものでもよい、レーダーもいいよ、だけどイラク兵に配給する武器装備一式は米軍方式にしろよ(=米軍需産業への上納金と同じ)、ということだ。

まさに、戦争を長期間遂行しやすいように、ベースを作っているということである。ベースは基礎という面と、基地という面の両方と言えよう。


日本と自衛隊は、戦争ビジネスの歯車にガッチリ組み込まれ、下働き専門要員として差し出すことを実現したのが、この法律である。


従って、

・協力支援活動は、紛争当事者の一方にのみ特別の利益供与にあたる
・「武力の行使」に該当する行為(基地業務、兵站一般、整備業務等)
・基地や保管する外国軍隊の武器防護は、交戦者への敵対行為


これらは、日本が紛争当事国となり、軍事的紛争への介入である。しかも、日本への直接の武力攻撃が発生していないにも関わらず実施される行為であることから、一般にいう個別的自衛権の行使ではない。


憲法上交戦権を有しない日本が、軍事的紛争に際して、自衛(力)の範囲を超えて「武力の行使」を実行することは、憲法9条に違反する。

唯一例外的に認められていると解されるのが、急迫不正の侵害に対する自衛としての「武力の行使」であって、日本が侵害を受けていないのにこれを行うことは許されない。
また、緊急に防衛する必要があって自衛力を行使するのであって、他国領域(周辺地域の限定も何ら存在せず)において、行為の期間が2年にも及ぶ長期となるのは、やむを得ない状況であるとか他の取り得る手段がないということは、殆ど想定できない。


日本が憲法上で例外的に許容される「武力の行使」はあくまで臨時の措置であって、国連が正式な対処や必要な措置を取るまでの間、暫間的に自衛権の行使に至るものである。
年単位以上の長期、ましてや2年以上の更なる延長期間に渡る行為は、例えば正当防衛や緊急避難において想定されているものとは考えられず、軍事的紛争に自ら進んで介入するのと同じで、違法な「武力の行使」である。


いくら大事な友人であるとして、友人宅の庭先に2年とかテントを張って泊り込み、毎日警護してました、襲撃している悪者に猟銃を撃って撃退していました、という行為を、本当に正当防衛とか緊急避難を言えるのか、というようなことである。



捜索救助活動(別表2)は長くなったので、省略。協力支援活動と大差ない。論点もほぼ同じですので。


時間があまりなかったので、とりあえず。



日本国憲法と第9条に関する論点整理~11

2016年06月07日 21時09分18秒 | 法関係
少し間が空きましたが、再開したいと思います。
これからは、昨年の法改正が一体全体どういうものであったのか、という点について、見ることにします。


まず、基本的な部分で分かり易い、自衛隊法の改正から見ることにする。


自衛隊法は、自衛隊の性格を規定する根拠法であり、戦力に該当するかどうかの判断基準の一部をなしているものである。
昨年改正点について、重要部分を旧法と新法の対比で示す。



【旧法】

第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

2  自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一  我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動

3  陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。



【新法】

第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

2  自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一  我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動

3  陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。



分かり難いかもしれませんが、赤字部分が削除されたものである。
変更点はどのような目的によるものか?
簡単に言えば、制限を解除しているものである。その制限とは何か?次の2点である。


 a)侵略に対する防衛力という限定
 
 b)我が国周辺という地域の限定


第一項の変更は、自衛隊が「武力の行使」に該当する行為(例えば武力攻撃)を許される唯一の事態が「侵略」=相手からの攻撃だったものを、侵略がないにも関わらず武力攻撃を可能とする性格の組織へと変えたものだ。
第二項第1号の変更は、活動する地域の制限を除去したものである。


このような制限の解除を必要とする明確な理由について、内閣は何ら具体的説明をすることもなく、それがあることによる弊害なり現実の不都合があるという立論すらないままであった。
この変更は憲法上、問題を生じないのか?
従来からの法解釈論では、到底許されないというのが、法学者や元内閣法制局官僚や裁判官らの批判だった。


本シリーズ10までの整理としては、9条解釈論において、自衛隊が例外的に「武力の行使」が可能なのは、あくまで侵害から自己(自国)を防衛する為ということであった。3条1項はそれを実行可能にする法令である。
これを、直接・間接侵略の限定条件を除外するということは、侵略がないにも関わらず「我が国の防衛」を発動してもよい、ということを意味する。「我が国の防衛」とは、これまで述べてきた通り、自衛力self-defense forceを行使する(=実質的に武力の行使)、ということに他ならないのである。


旧自衛隊法ではできなかったことを今後やろうとするからこそ、法改正を実施したわけである。それは、前述した制限の範囲を超えた部分にあることは明らかである。制限を除外せずとも可能であったなら、そもそも法改正の必要性が生じない。

よって、本質部分はa)とb)にあるのであり、
・「侵略」がないにも関わらず「わが国の防衛」を可能にすること
・「我が国周辺の地域」ではないにも関わらず、活動できるようにすること
である。

しかも、PKO活動では周辺ではない地域にまで派遣されており、その活動ではまだ足りず、もっと別な活動内容を実行したいと考えているようである。


具体例で示そう。
例えば、イラク領内に「イスラム軍事攻撃団」がいるとしよう。
これが我が国の存立危機事態であると宣言する。湾岸地域が危なくなれば、それで我が国が倒れてしまう、と。よって、米軍、豪州軍、韓国軍、日本軍(自衛隊などと呼ばず軍でいい。それが安倍自民の悲願なのだから)が有志連合となり、イラクを救いに行くぞ、となる。イラクは救援を頼み、同意した、と(さしずめ米国が桃太郎、日本はキジで、残りが豪韓が犬猿となろうか)。

そこで、米国を中心とする有志連合軍は、安保理に「イラク領内の平和を守り、各国が行動をすることを求める決議」案を提出、これは可決される。具体的にどのような行動を実施するかは、これから決めればよいだけなので、とりあえず「行動しよう」と宣言する為の形づくりの決議さえあればよいからだ。


で、決議があるから、米軍はイラクへ攻め込む。
日本軍は、地域制限がないのでイラクでもOK、安全と平和に資する活動だからOK、という解釈で押し通すわけだ。これはあくまで「我が国の安全と平和の確保の活動」なのであり、有志連合軍に協力するべきだ、と。
イラク領内での戦闘には直接参加しないが、基地や米軍の配備している兵器を守備する為、基地を襲撃しに来る悪の組織たる「イスラム軍事攻撃団」を排除するべく、日本軍が戦う、というストーリーになっているわけだ。そして、基地運営経費や補給物資関係は、日本軍が「自ら負担します」ということが合法的に認められているので、戦費も出すということになるわけである。航空機の整備も勿論全部日本軍がやることになっているのである(国際法上でいう、中立国を超えるもので、戦争への加担と見做されるのと同等である。広く言えば、交戦権で規律される範囲の諸権利が含まれる)。


これらを可能にする法律群が戦争関連法だったのであり、自衛隊法改正はその一部を担っているものである。これら想定は、全て憲法違反と考えられる行為である。

(※国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律  法律第七十七号(平二七・九・三〇)に関する議論は次回に述べる。この具体例は、その際にも用いる為のものである)




戦力の定義を再掲しよう。
次の①を満たし、同時に②または③も満たすもの、ということだった。

①爆弾テロ防止条約4条にいう『Military forces of a State』に該当するもの
②軍事的紛争の解決乃至介入手段として意図した、或いはそれらを目的とした組織
③自衛力self-defense force(s)の限度を超越するもの



軍事的紛争のウ)(破壊活動を伴う敵対状態)に該当するものが上記例であり、この「介入手段として意図した組織」は戦力と見做さざるを得ず、すなわち憲法9条違反(戦力の不保持違反)となる。自衛隊法改正は、「介入を合法化する為のもの」を目的としているのであるから、違法であると考える。侵略がないのに、「我が国の防衛」=武力の行使(基地業務、整備、補給業務等を当然含む)を可能とすることも同じく、自衛権発動要件(ウェブスター米国務長官の3条件)を満たさず、国連憲章にも反する。


また、「自衛力の限度」であるが、これは害敵手段の効果以外に、地理的範囲は条件として考慮の対象となってきたものであるから、果たして「自衛力」というのが「我が国周辺の地域」を大きく離れて作用するのが当然と言えるのかどうか、という問題が生じる。1万km離れた地点から攻撃してくる敵に対して自衛隊を活動させるのか、或いは周辺地域乃至極東地域ではない遠くの場所で生じた軍事的紛争に対し、日本の自衛力行使が正当と言えるのかどうか、というような問題である。


自衛隊法3条の改正は、

・自衛隊を「戦力」にしてしまう(戦力の定義②に抵触)
・「侵略」の制限除去は、自衛力行使の要件を満たさない
・地域制限の除去は、自衛力の制限を超える可能性大(=戦力)

となり、憲法9条に違反し、違憲立法であると考える。



日本国憲法と第9条に関する論点整理~10

2016年05月27日 19時55分18秒 | 法関係
集団的自衛権について書いてみる。

前回の記事では、刑法上の正当防衛や緊急避難では、自己の防衛のみならず、他人の権利を防衛しても、処罰対象とはならない(ある限度内において)ということを述べた。


これは、自衛権にいう「自国防衛」=個別的自衛権、「他国防衛」=集団的自衛権、という考え方に近いのではないか、ということである。確かに、集団的自衛権の行使を言う側にとっては、他人の権利防衛も合法である場合が認められるべきだということになろう。


日本以外の国では、集団防衛条約に基づく行動とか、国連憲章42条に基づく行動などの場合には、これを違法とはしないことはあり得る。他国の防衛する権利は、法秩序や平和の維持という面において、必要とされる場合は考えられないわけではないということである。ここに反対する意見というのは、かなりの少数派ではないか。


では、日本がこれを実行することはできないのだろうか?


再度、憲法9条の考え方に立ち返ってみよう。
日本のとりうる態度なり行動というのは、どうなるのか。


・原則1:(第1項から)

軍事的紛争(戦争、武力衝突など)に際して(解決手段として)
武力の行使(武力攻撃、その他)はできない


・原則2:(第2項から)

国の交戦権(戦時法規適用の諸権利)がないので、武力の行使はできない、が、
例外的に不正な侵害に対しては保有する自衛力により防衛する、すなわち自己保存としての自衛権の発動は可能(この場合のみ武力の行使が許容される)



以上から、原則2に述べた、但書的な例外によって武力攻撃が可能、これが一般的にいう自衛権の行使であって、違法とはならないとされる状況である(従来の政府見解)。


「武力の行使」の条件面から見ると、実際に行使できるのは、自国へ攻撃を受けた時だけ、ということになる。


では、自国が攻撃を受けてない場面というのは、何なのか?
日本以外の何処かで軍事的紛争がある時、他国を防衛に行く、ということになるのであり、原則1で言う「武力の行使」ができない状態に当てはまってしまう。


軍事的紛争ではないのだ、その場合にのみ他国を防衛するんだ、ということはあり得るが、軍事的紛争でないなら、何から防衛するのかということになる。

これまでPKOやイラク派遣では、「軍事的紛争ではないこと」を立論することによって、海外派遣と活動を正当化してきたわけである。過去における海外活動は、

 ①軍事的紛争ではないこと(停戦合意、非戦闘地域、云々)
 ②「武力の行使」に該当しないこと(一体的運用、云々)

ということを毎回政府側が立論を繰り返してきたことにより、可能としてきたということである。


政府見解の集団的自衛権とは、
『自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利』
とされている。


「日本国は、集団的自衛権を有するか」と問われれば、国際法上の権利を有する立場にある、となろう。
では、「現実に行使可能か」と問われたら、集団的自衛権は行使できない、となろう。理由は、「武力の行使」は憲法により原則禁止されており、唯一例外となる(武力攻撃可能)のが自己防衛行動のみだから、である。


自衛隊の行動が憲法上許されるかどうか、という点は、大きく分けて2つの要件で考えられていたのである。
第一が、参入する対象(種類と場所)、第二が行為の内容、である。
行為の内容が「武力の行使」に該当するものについては、参入対象が軍事的紛争となり(他国より武力攻撃が発生しているから)、当然我が国への武力攻撃が発生する場所というのは自ずと限定的と考えられる。


日本国憲法と第9条に関する論点整理~9

2016年05月26日 12時08分43秒 | 法関係
集団的自衛権の話に行く前に、もう少し「自衛力」と「自衛権」について考えてみたい。


1 自衛隊の位置づけ

昨年の法改正以前までについて、述べる。


 1)「自衛力」として

戦力の定義を再掲すると、

①爆弾テロ防止条約4条にいう『Military forces of a State』に該当するもの
②軍事的紛争の解決乃至介入手段として意図した、或いはそれらを目的とした組織
③自衛力self-defense force(s)の限度を超越するもの

であった。
自衛隊は、①に該当する組織と見做されるが、②については否定的(任務の種類等から)、③は必要最小限度の範囲内にある、というのが政府見解であったのでこれも否定的ということであった(政府見解では、自衛隊はmilitaryではない、と言い続ける可能性はある)。

ただし、過剰な(攻撃的効果を持つ)装備として懸念される面が否めないのであり、本来なら防衛大綱や中期防或いは年度予算等の国会審議において「自衛力」としての節度を厳に点検・確認することを繰り返すべきである。


「その他戦力」について、『war potential』の語感通りに潜在的に戦争能力のあるもの全てという広義の解釈を主張する者もいるが、これは現実的ではない。
具体的に何が起こるかと言えば、民間船舶(武装の艤装を施せば戦力になるから)のみならず、航空機(ヘリ含む)、レーダー(気象レーダーも含まれる)、衛星関連の全て、通信機器関連(スマホやケータイのようなデジタル通信機器などもってのほか)、監視カメラ関連、GPS利用の関連製品や技術、トラックや建設機械類、等々、挙げればキリがない。

これらの生産能力保持が禁じられる、ということになってしまっては、経済活動そのものに支障を来す。原子力施設なんて、真っ先に完全アウトのものである(だからこそ、イランやリビアや北朝鮮などがそうした核施設を問題とされたわけである。自衛隊は憲法違反だ、と大声で叫ぶ人間は、原子力関連施設全てについても同じく憲法違反であると主張すべきである)。

技術の開発や保持に限らず、生産能力(設備)さえも潜在的な戦争遂行能力となるわけであるから(実際、第二次大戦中にはこの能力の優劣が勝敗に直結し、日米間で圧倒的に差があった)、結局はどの程度で線引きをするのか、という定義なり解釈の問題ということになる。


 2)自衛隊の設置が肯定される理由

これまで述べてきたことをまとめると、

・憲法の制定趣旨では、自衛権の保持は認めていたこと
・同じく憲法上、自衛力に限り許容されうること
・平和的生存権や憲法13条からの要請

となる。上2つは帝国議会議事録から、制定当初の趣旨から判明するものであった。第3の点は、登場時期は不明ではあるものの、憲法学の論者の中では知られてきたものであろう。1950年代の政府見解においても、自衛力を肯定し、戦力に至らない必要最小限度の実力は保持できる、とされた。


ベタなドラマなどでもよく描かれる、深夜に物音がするとか不審者の侵入が疑われる時、「長柄の箒を逆さに持つ」「ゴルフのクラブを手にする」「バットを手にする」などのシーンがあるであろう。
箒やゴルフクラブやバットが、まさしく「自衛力」ということである。



2 正当防衛から見た自衛力

自衛権の問題を検討するのに、正当防衛は似ているので、考え方を理解するのに役立つ。


 1)刑法の正当防衛

刑法36条に規定される。

(正当防衛)
第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2  防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。



関連として、緊急避難がある。

(緊急避難)
第三十七条  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2  前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。



正当防衛を簡略的に書けば、

・急迫不正の侵害   に対して
・自己又は他人の権利  の防衛のため
・やむを得ずした行為

は正当化される、というものである。しかし、
・防衛限度を超えた行為  はダメ


これは自衛力の行使と同様であり、自己防衛のため

・急迫
・不正
・やむを得ない限度内

という自衛権の発動条件と同じである。


緊急避難の場合だと、やむを得ずした行為による損害の大きさと、回避した損害との大小が問題となり、限度を超えるとダメ、というのは同じ。


ここで、正当防衛も緊急避難も、自己の防衛に留まらず、他人の防衛を行っても刑法上では同じである、というのが重要である。集団的自衛権の場合とよく似ているということである。


 2)正当防衛の行為に関する日米の違い

正当防衛は、法学上の考え方としては基本的部分において、日米間での大差はないだろう。判例は当然に違うものではあるけれども。

大雑把に示すと次のようになっている(実際には州法により相違ある)。


ア)正当防衛

◎法理論上の根拠:法確証の原理(日米共通)

◎行為

・米:自衛装備  拳銃、自動小銃 OK 
   
・日:自衛装備  拳銃、自動小銃 不可 


法学的に、正当防衛は認められる、としても、どの程度の自衛力が認められているのか、というのは、国内法により違いがある。全ての国が米国と同一ではないことは明らか。「正当防衛」の法学的な理屈が妥当であるということに合意していても、自衛の装備がどの程度まで国内法上合法とするのか、というのは、何らかの決定的基準があるわけではない、ということ。これは、その社会の置かれた政治社会・歴史・慣習等により異なる、ということだ。「正当防衛は認められるんだ、だから、日本も軍用自動小銃を自衛装備として合法とすべきだ」というのは、意見の一つではあるが、「米国で合法なのだから、日本でも合法だ」とは到底言うことができない。

自衛装備としての「拳銃」を社会が認めるかどうかは、その社会の選択による。
日本国内の判断としては、個人の「self-defense」として「銃一般」を許容するのは適当ではない、認めていない、合法化されない、ということだ。日本では、「銃撃」は正当防衛の行為としては「過剰と判断」する社会なのだ、ということ。いかに米国で「銃撃は過剰でなく正当行為だ」と判断するとしても、何らかの絶対基準があるわけではないので、日本国内法体系では正当防衛をいうことはできない。


イ)自衛権

◎法理論上の根拠:自己保存権、慣習国際法など

◎行為

・米:自衛装備  核ミサイル、原子力空母、戦略爆撃機 OK 
   
・日:自衛装備  核ミサイル、原子力空母、戦略爆撃機 不可(元の政府見解では)


必要最小限度の反撃に留まる装備なので、米国では認められてるものが何でもOKというわけではない。正当防衛で見たように、自動小銃が必要最小限度なのかどうか、である。日本では、箒やゴルフクラブ程度というのが社会の理解だろう。自衛隊の装備というのも、強力な兵器使用を無限定に認めるものではなく、その範囲は国内法上の制限が課せられているものと見るべきである。


刑法上において、正当防衛でも緊急避難でも、行為の結果、相手に与える損害が著しく大きい場合には正当化されておらず、「程度を超えた行為」は違法なものとして処罰対象となり得るのである。これは自衛権の行使においても大きな違いはなく、原則として「相当(均衡)性」を満たすことが違法の評価を回避する条件として必要であろう。



日本国憲法と第9条に関する論点整理~8

2016年05月23日 20時46分30秒 | 法関係
これまで、憲法9条について理解するべく、拙ブログとしての定義及び条文解釈を書いてきた。今度は、実際の議論の対象となっている点について、どういう説明ができるかということを考えてみたい。


1 自衛権と憲法前文(平和的生存権)或いは憲法13条

自衛権が日本国憲法下においても認められるべき理由を述べる。

 1)自己保存権または自存権

所謂教科書的説明である。国際法上でも、そのような主張が用いられてきたものである。
国家は、基本的に自己保存権が認められるというのが自然法的発想であって、自衛権は自己保存権に包含されているものだから、いかなる国家でも認められるべき、ということであろう。
実際、国連憲章においても自衛権が認められており、日本が平和条約締結の際にも5条(c)で改めて確認されているものである。


(c) The Allied Powers for their part recognize that Japan as a sovereign nation possesses the inherent right of individual or collective self-defense referred to in Article 51 of the Charter of the United Nations and that Japan may voluntarily enter into collective security arrangements.

連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。



従って、自衛権が存すること、現行憲法下でも保持が認められる理由としては、

・国家の自己保存権(自存権)としての自衛権(慣習国際法上も有)
・国連憲章51条
・日本国憲法制定時の帝国議会での制定趣旨(大臣答弁等)
・サンフランシスコ平和条約5条(c)

が挙げられる(古い順)。
ただ、権利が放棄されず存在する、ということと、これを現実に使えるかどうかという話はまた別となる。使えるとしても、範囲や限度の問題もある。
例えば完全な内陸国で海軍を有しないなら、海戦に関する国際法の諸規則は適用されず、その国にも他国家と同様の権利があるのは明白だが、現実には行使できない。
(集団的自衛権については、別の機会に書く)


 2)憲法前文の平和的生存権と13条の位置づけ

自衛権との関連において、時に乱暴な意見も見受けられたが、法学研究なり法学的議論なりに値するものは、安倍政権及び与党からも、昨年の法改正支持の法学関係者たちからさえも、見られていないようである。


ア)前文の法規範性

有力な説は、裁判規範性はないが法規範性は認められる、とするもの(論者・文献多数)である。最高裁判決文中にも、憲法前文から援用されたものがあり、有名なのは砂川事件判決である。近時においては、例えば田原睦夫最高裁判事による補足意見(H21年9月30日、H24年10月17日、いずれも最判大)でも憲法前文が取り入れられており、法規範性は認められるのが妥当であると考える。


イ)「平和的生存権」を肯定する見解

例えば、政府答弁書中でも述べられていることは明らかである。拙ブログでも取り上げている。

15年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/feda7c19ca58f9dbaea3d61e47d8298b

文中、平成15年7月15日の政府答弁書を引用した(これは当然に閣議決定を経ている)ものである。


他には、平成20年4月17日の名古屋高裁判決がある。イラク派遣が違憲であると判断された判決であり、当時記事に書いていた。

08年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/59e81c56baa9f00d9d3cc4367332ccb0

本判決文中では、次のように判示された。


平和的生存権は,現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして,全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ,単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない

憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し,さらに,人格権を規定する憲法13条をはじめ,憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば,平和的生存権は,憲法上の法的な権利として認められるべきである

平和的生存権は,局面に応じて自由権的,社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ,裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる

憲法9条に違反する国の行為,すなわち戦争の遂行,武力の行使等や,戦争の準備行為等によって,個人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には,平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして,裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ,その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある


平和的生存権は、現代において、平和の基盤がなければ基本的人権が存立しえない、ということを考慮した上で、憲法上認められるべき権利としている(これぞまさしく、存立の危機、である)。

シリアのような戦乱の状況に陥ったことを想定してみれば、いかに基本的人権を守ろうとしても、困難であることが分かるだろう。いつでも爆弾が降ってきて、一般市民であろうと無差別に殺害されてしまう状況下では、基本的人権など無視されているに等しい。
そして、そのような権利侵害から逃れる為に、諸外国へ難民として受け入れを求めるというのは、まさしく「平和的生存権」が侵害された状態だからこそ、基本的人権を擁護すべく安全な環境下へ保護を求める、という意味合いであろう。

また、平和の基盤が侵されるような事態においては、裁判所が救済すべき具体的権利性が認められる、としている(故に、訴訟の対象となり得る、と)。


以上から、

・憲法前文の法規範性を肯定
・政府見解に採用されていること
・名古屋高裁判決

また法学上でも肯定的論説があることなどから、「平和的生存権」について法的権利としてこれを認めるべき、というのが拙ブログの立場である。


 ウ)憲法13条について

前記政府答弁書でも、同名古屋高裁判決でも述べられており、9条や平和的生存権に関連している条項であると考えられる。

では、13条の意味合いとは何か?単に理念的な条文なのか?
先の平和的生存権が権利性を有する、とするのであれば、13条はこれを裁判規範性のあるものとして具体化したもの、と見ることもできよう。が、諸説ある部分なので、決定的な解釈というのは確立されていない。


「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、国政上「最大の尊重」を必要とする、とされるのであるから、平和的生存権の法益を保護すべき義務を国が負うものである、というのが、拙ブログでの見解である。

一般に、国家は自国民だけに留まらず、自領域内の外国人の安全と保護を確保する義務を負うものである。外交上の決まりとして、そうなっている。
すなわち、日本国憲法13条に言う国民の権利を最大限尊重するべく、政策が求められるのであり、「平和と安全」の確保が国家に対する国民(外国人にとっても)の要請である。


生命、自由、幸福追求の権利とは、平和的生存権と重なる権利であり、これを実現するべく政策としての「自衛力」を肯定する根拠と見ることは可能である。
例えば、どこの国の人間か分からない荒くれ暴漢集団が襲ってきたら、国民としてはこれを排除し安全にして欲しい、国民を守って欲しいと願うであろう、ということである。そのような要請できる権利が、13条にはあるのではないか。

発動されるのが、警察力か自衛力かは区別できないが、少なくとも、国民の平和と安全を守るというのは、保護法益として存在し、その根拠とは平和的生存権であり憲法13条にいう権利ではないか。
従って、平和的生存権や13条の権利が、日本の自衛権があることの論拠となるということではなく、「自衛力」の保持を肯定するのではないか、ということである。


自衛力と自衛権は別の文言かつ概念であり、自衛権は国際法から導き出される国家の権利である。日本が保有する(戦力ではない)自衛力は、あくまで国内法に基盤があるforceであり、その根底にあるのは憲法前文や13条である、と見るべき。これを実現する為の「政策」が、自衛力の保持、だからである。国民を保護するべき義務を13条によって負うから、だ。あくまで「国家の義務」なのである。

自衛権は原則として、政策ではない。国民から授権されたものではないし、行使可能な「国家の権利」として認識される。



日本国憲法と第9条に関する論点整理~7

2016年05月22日 18時07分18秒 | 法関係
1の定義に従って、拙ブログの解釈を書いてゆくこととする。


2 憲法9条の解釈

 1)1項について

「国際紛争(非軍事的・軍事的紛争)を解決する手段」としては、

a)国権の発動たる戦争
b)武力による威嚇
c)武力の行使

を放棄する、というのが条項の規定するところである。


a)は前記ア)の「戦争」の定義が順当に当てはまり、所謂「古典的な戦争」像というものであって、これは違法であるし国際平和への犯罪だから放棄すべきものとなる。b)も文言に示された通りで論争余地はほぼないだろう。
残りのc)であるが、帝国議会の議事録から分かる通り、制定趣旨は自衛権は放棄していないけれども、国際紛争の解決手段としての「武力の行使」(武力攻撃+その他)は放棄することになる。
従って、日本が許容される「武力の行使」とは、自衛力の行使の場合のみ、である。

日本の領域以外での、「イ)武力衝突」や「ウ)破壊活動を伴う敵対状態」では、武力の行使は原則として認められない。


 2)2項について

日本は戦力の保持が許されない。ただし、自衛力だけは保有できる。

平たく言えば”戦争の道具”となるものは、持つことが許されないのだから、専ら防御に徹するというものだけが許容されるのである。自衛隊は、専守防衛である限りにおいては、戦力と見做されない。


戦力は定義②から、どのような任務なり機能が意図され目的とされているのか、が問題となる。軍事的紛争に対して、これに介入することを目的としている組織なら、それは戦力と解釈するべき、ということである。

武力衝突を解決しようとか介入しようというのは、例えばシリアやイラク領内で活動するイスラム国勢力を武力攻撃によって排除する、といった事態である。現実に米軍はその任務を遂行している。これに対して、兵站、基地業務、航空機及び兵器整備その他支援をするということになると、「武力の行使」の定義の範疇に含まれる行為となるので、憲法違反となる。


つまり、自衛力以外の「武力の行使」を実行することを意図した組織は、そもそも「戦力」に該当してしまい保持が許されないし、実行しようとする行為が自衛力の行使以外の「武力の行使」に該当するものはやはり憲法違反として許されない。


自衛隊が交戦しても違法性が阻却されるのは、5)の定義③の自衛力行使に伴うものであって、国連憲章(例えば2条4項)にも反しない場合であり、あくまで暫定的に防御するような状況である。いわゆる自衛権の行使、である。

その際、侵害者(国)に対して、自衛隊ばかりではなく、米軍やその他外国軍隊が共同して対処するのは、日本の領域内では許される(日本が援助を要請している場合)。日本の領域内にいる侵害者を攻撃する為に、地方空港を外国軍の戦闘部隊に使用を許可することは自衛権行使に他ならないので許容される。


しかし、ベトナム戦争のような場合、米軍がベトナムを空爆しに行く為に日本の区域(米軍基地含む)を使用するような場合においては、日本への武力攻撃がない状況下では、違法であり、憲法違反かつ国連憲章の自衛権発動要件にも反している。当時の沖縄が日本施政下になかったから可能だったものであり、現在同じことを行えば違憲である。また、米軍への各種支援(例えば航空部品提供や整備)を行うのも、「武力の行使」に該当する可能性があるので、違法となる。


例)「空戦ニ関スル規則」案 44条
Art. 44. It is forbidden to a neutral government to supply a belligerent Power, whether directly or indirectly, with aircraft, component parts thereof or material or ammunition for aircraft.


これから分かることは、直接間接を問わず、航空機とその部品や軍需材料を提供することは許容されない、というのが戦時法規的な考え方である、ということである。



因みに、インド洋での給油活動はどうだったのか、というのを考えてみようとしたが、不明点が多くてできなかった。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-759_2.pdf

p782~783がないので、ここの部分だけ条文が不明である。何故?
何かを隠す必要があったのでしょうか?
インド洋上の給油活動が、国際法上でどういう評価をされるか、というのが問題になるからなのでしょうか?
19条の

『交戦国軍艦は平時に於ける軍需品の通常の搭載量を補充する場合に限り中立の港又は泊地に於いて其の積入を為すことを得
右軍艦は又最近本国港に達する為に必要なる量に限燃料を積入るることを得中立国か供給すへき燃料額を定むるに付軍艦の燃料艙の全容量を補充するを許すの制
(以下不明)』

あたりが関連しているようなのですが、条文が読めないので分かりません。


もし、洋上給油が中立国義務に反しない行為であれば、「武力の行使」の定義からは外れるので、不可能ではないのかもしれない。
紛争当事国(米国とアフガニスタン及びイラク)への関与が、国際法上で中立義務に反しないことや被害国(米国)の協力・援助要請があるなら(武力の行使の定義②、③の適用が外れる)、行為自体が違憲ではないという評価は可能という意味である。


結局、自衛隊が日本の領域外に行き、国際紛争に際して、「武力の行使」に該当する行為を行うことは許されない、ということである。

本来、自衛隊は「自衛力の行使」の場合にのみ、武力攻撃その他の「武力の行使」ができる存在だから、である。自衛力の範囲とは、行使の地理的な限度と害敵効果の甚大性が問題となろう。


前記定義からすると、「戦力」を否定しつつ「自衛力」保有は現行憲法上可能である。平和条約や日米安保条約での記述に矛盾せず、自衛権の否定にもならない。国連加盟と憲章にも反しない。交戦権は例外的に存在できる。
自衛力の行使については制限が課せられており、「武力の行使」該当性からの制限と、「国の交戦権」からの制限が及ぶ。


いずれにせよ、自衛力の保有が肯定できるのは、「通常の軍隊」とは違うものだから、であり、普通の軍隊と同じ権能を有することになってしまえば、それはすなわち「戦力」としかならないので違憲である。
通常の軍隊と同じものにする方法は、やはり憲法改正しかないということになる。


日本国憲法と第9条に関する論点整理~6

2016年05月22日 18時02分47秒 | 法関係
憲法の条文を解釈する前に、文言の意味合いについて、整理してみたい。
あくまで拙ブログでの理解であり、定義であるので、注意されたい(英語を充てているが、これは当方の考えであり、正確かどうかは不明です)。


1 文言の定義 

 1)国際紛争 international disputes

日本国憲法にもあるが、その他条約等にもよく見られる。国際法の世界での定義付けは必ずしも一定ではないようで、論者により若干の相違がある。

拙ブログでの見解としては、多くは国家間の争いであり、国家以外の主体でも国境を越えて争われるが、国境内で生じて(例えば内戦、動乱など)いても、その影響が国境外へ波及するような争いというものである。戦闘行為は必ずしも伴わない。
国際紛争は大別して、軍事的紛争と非軍事的紛争に分けるものとする。非軍事的紛争には、法的紛争の他、金融制裁や経済制裁、資源争奪、貿易や関税の争い、捕鯨、水産資源問題、生物捕獲・採取など、種々のものを含む。


  国際紛争 
    軍事的紛争  military disputes
     (戦争、武力紛争など)

    非軍事的紛争 nonmilitary disputes
     (法的紛争、経済制裁、制裁関税、資源争奪等)


非軍事的紛争はここでは重要ではないので、次項では軍事的紛争について分類する。


 2)軍事的紛争 military disputes

原則として、違法なものである。国連憲章の下では、正当化されない。ただし、違法性が国連総会や安保理で否定されるものか、憲章に基づく軍事行動は認められよう。拙ブログでは、3つに分類した。


ア)戦争 war

戦争とは、「従来より存在してきた、多くは政策的に行われる複数国家間の組織的、継続的な軍隊による闘争状態」とする。侵略や条約を課す目的で行われていたものである。
開戦法規や交戦法規などの国際法が適用される。


イ)武力衝突 armed conflict

武力紛争などとも呼ばれるが、ここでは用語を統一的に使う為、「武力衝突」という日本語を充てている。
領土防衛、復仇等の報復攻撃、内戦(自決権に基づくもの、認定外のものを含む)などがこれにあたる。フォークランド紛争(or戦争)は、当ブログの分類上は武力衝突に該当する。
ジュネーブ諸条約の第3条にある単一領域内のarmed conflictもここに分類される。


ウ)破壊活動を伴う敵対状態 

適当な英語は思い浮かばないので、とりあえず保留。
破壊活動とは、「主に自国領域外において、人的・物的損傷を与える目的で行われる軍事的或いは準軍事的活動及び非合法活動」とする。
具体的には、イスラム国のような活動、米国等の無人機による爆撃、特殊(部隊による)作戦行動、航空機撃墜、軍事目標(核施設等)への空爆・ミサイル攻撃での破壊やコンピューターウイルスによる攻撃、等である。
テロ行為に似ているが、テロ行為は基本的には紛争ではなく犯罪である。以前には、あまり想定されてこなかった紛争形態である。

無人機の爆撃は、軍事的活動であるか、CIAが実行すれば準軍事的活動であり、国際法上は違法である。ビンラディン殺害作戦のようなものもここに含まれる。敵対する紛争当事国或いは紛争当事者の代表者・指導者・要人等を殺害する暗殺(無人機攻撃や空軍の空爆などの攻撃も含む)は、国際法上の戦争や武力衝突ではなく、あくまで非合法活動である。大統領暗殺も同様。
殺害方法の違いがあるだけであり、ピストルで至近距離から銃撃するのも、長距離から狙撃するのも、ビルごと爆破するのも、投下爆弾で爆殺するのも、毒薬を服用させるのも、ナイフで刺すのも同じということ(一般に殺人という犯罪である)。


 3)武力の行使 the use of (armed) force

日本国憲法でも国連憲章でも原則として認められていない。
国連憲章2条4項において、『すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。』とされており、例外を除いては違法と考えられる。

武力による威嚇についての解釈は多くの場合問題とはなっていないので、ここでは武力の行使について検討する。

「武力の行使」というのは、前記「国際紛争」の考え方とは別の系統の語である。
国際紛争は当事国(者)の関係性とそれらが置かれた状態(状況)をいうものであり、「武力の行使」は行為に重点がある。

喩えて言えば、「人質をとって立て籠もり」(事件)は、そのような状況(置かれた状態)をさすが、「強行突入」は行為を言うものである。前者が「国際紛争」に関する語であり、後者が「武力の行使」に該当するものということである。

国際紛争とは、軍事的紛争と非軍事的紛争に大別されると述べた。これと同じように、「武力の行使」についても、次の2つに分類される。


  武力の行使
   ア)武力攻撃    armed attack
   イ)ア以外のもの  others

参考までに、「武力攻撃」の政府(答弁書)見解は、一般に「一国に対する組織的計画的な武力の行使」としており、循環論法的になるので、拙ブログにおいては次のようなものとする。

「武力の行使」とは、
①原則として「侵略の定義に関する決議」で規定される侵略
②軍事的紛争において国際法上軍隊の活動とされるもの又は中立国の権利義務を逸脱するもの
※国際人道法、開戦ニ関スル条約、不戦条約、ハーグ陸戦規則、陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約、海戦ノ場合ニ於ケル中立国ノ権利義務ニ関スル条約、空戦ニ関スル規則(未批准・未発効)などで規律される
③武力攻撃以外の支援(例えばニカラグア事件でのICJ判決)で該当性のあるもの


武力の行使が違法とされない場合とは、国連総会や安全保障理事会において、その行使が認められたもの、となろう。
「武力攻撃」は、「武力の行使」のうち重大性を有するものであり、自衛権の発動要件としても知られてきた。例えば、兵站や武器供与は「武力の行使」に該当するが、武力攻撃ではない。


 4)陸海空軍その他の戦力 
land, sea, and air forces, as well as other war potential


この9条文言の意味に関しては、過去から紛糾してきた面があり、学者の解釈も諸説あったものである。
普通に読めば、一般的な軍備に該当するものは「戦力」であるように思うかもしれないが、政府見解は異なってきた。


具体例として、前述の「空戦ニ関スル規則」案 61条では、次のように定義された。

Art. 61. In the presents rules, the term "military" must be understood as referring to all elements of the armed forces, i.e. land, naval and air forces.

戦力か否かが、あまりよく分からない。軍隊というのが、陸海空軍全部種類をいうものだ、という程度である。


最近のものでは、「爆弾テロ防止条約」での定義として、次のものがある。

"Military forces of a State" means the armed forces of a state which are organized,trained and equipped under its internal law for the primary purpose of national defence or security,and persons acting in support of those armed forces who are under their formal comand,control and responsibility.

「国の軍隊」とは、国の防衛又は安全保障を主たる目的としてその国内法に基づいて組織され、訓練され及び装備された国の軍隊並びにその正式な指揮、管理及び責任の下で当該軍隊を支援する為に行動する者をいう。


これを読めば自衛隊は、外形的には国際法上の「軍隊」として評価を受けるだろう。ただ、これが憲法により禁止される「戦力」かどうか、が問題となる。

そこで、拙ブログにおいては、「陸海空軍その他戦力」を次のように定義する。

以下の条件①の他、②又は③を満たすものを「戦力」という
①爆弾テロ防止条約4条にいう『Military forces of a State』に該当するもの
②軍事的紛争の解決乃至介入手段として意図した、或いはそれらを目的とした組織
③自衛力self-defense force(s)の限度を超越するもの


①は軍隊としての要素で最も標準的かつ基本的なものである。②は何を目的としている組織なのか、ということであり、戦争や武力衝突の際に出動・用いることを(積極的に)意図しているものについては、「戦力」と見做さざるを得ないということである。③は、以前からある「極東」とか「周辺事態」のような解釈で取り沙汰されてきたものであり、地理的空間的限度が想定されよう。それとも、害敵手段の効果の大きさが過大なものは、正当性が認められないだろう、というものである。


これは正当防衛の場合を考えてみると分かるだろう。
自分の家の敷地内に殺人犯が襲ってきたら、自ら拳銃や猟銃で反撃することは想定できよう。しかし、いかに相手が凶悪犯だからとて、対戦車ヘリで爆撃してもいいのか、というようなことである。また、隣家に殺人犯が押し入ったのを助けに行く程度ではなしに、隣町の友人宅敷地に出かけて行ってまで機関銃を撃ちに行くというのは、正当防衛の範囲を超えているのではないですか、ということである。
つまり、拙ブログにおける戦力の考え方は、①+②か①+③が成立していれば、戦力に該当する、というものである。害敵の効果があまりに巨大であれば(例えば核兵器)、これは自衛力の範囲を超越していますね、と判断することになろう、ということである。


自衛力とは、広義にはarmed forcesであって軍隊としての性質を持つものであるが、国際法上の全ての権能を備えたものではないことは、これまでの政府見解でも明らかである。自衛力は、憲法にいう「戦力」には該当しない(否定されない権利)というべきである。


砂川事件での最高裁判決では、9条にいう戦力として、在日米軍は①の要件該当性から外れていることが示されたものである(国内法根拠の組織でないことは明らか、日本の指揮権と管理権の範囲外であること)と言える。自衛隊の合憲性には触れていないものの、『わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る”戦力”』の保持について許されないとしている(強調は筆者による)。
従って、「戦力」とは何か、という定義問題に帰着すると考えられる。


 5)国の交戦権 The right of belligerency of the state

過去の政府(答弁)見解は、「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」を意味するとしている。一般的には、国際法上の交戦法規に規定されてきた権利をさすものと思われるが、憲法制定当時の日本では、軍備が全く想定されていなかったので、軍備がないのだから(国際法上あるとしても)どうせ使えない、という発想だった。ただし戦争は放棄するけれども、自衛は可能であるとの認識の下、国際法上の権利の全てが失われるとは考えていなかった。


従って、そのような制定趣旨を考慮して、拙ブログでは次のように定義してみた。

「国の交戦権」とは、①を満たすもの、但し②以下を除く、とする
①国際法上の国家が有する諸権利で、一般にjus in belloの下規律されたもの
(具体的には「武力の行使」の項②で示した諸条約、その他戦時法規など)
②「侵略の定義に関する決議」第7条の自決権の行使に関するもの
③自衛力の行使に伴うもので、国連憲章に反しないもの


例えば、加害国か不法武装集団が日本に上陸して国民を殺害したり奴隷化したりするなら、これを防御すべき義務が国にはある、ということである。その際、いかに「交戦権を認めない」とする憲法文言があるとて、「国の交戦権」が自衛力の行使たる「武力の行使」までも否定するものとは考えられない、ということである。まさしく急迫不正の侵害に対してこれを排除する為、自衛権の発動は許される。自衛力を行使する国の機関が警察組織であろうと、海上保安庁であろうと、これは法的に許容され得る。


日本国憲法と第9条に関する論点整理~5

2016年05月16日 17時42分38秒 | 法関係
帝国議会の議論が引用部が非常に長くて、読み難いと思いますが、どうか全部お読みいただければ、と思います。
ここまでで、当時の政府答弁から、制定意図がかなり見えてきたのではないかと思います。

法学の重箱の隅を突くような話ではなくて、当時の議員も世論も9条の意味合いというものを、かなりよく検討し議論した結果であることが分かります。また、「芦田修正」として一身に責任を負わされる立場になったかのような芦田均委員長(当時、自由党議員だった)ですが、これも議事録から面白いことが分かりました。


4 9条の文言の変更は「芦田均」の主導ではなかった 

当時の政府提出案は、制定されたものとは違うわけですが、衆議院の「帝国憲法改正案委員会」での審議を経た段階でもなお、文言の変更はなかったのです。その後に、「憲法改正案委員会小委員会」の懇談会で議論が重ねられた結果、制定条文の形が出きてきたのです。



1946年8月1日 衆院 帝国憲法改正案委員小委員会


○芦田委員長 それでは速記をやつて宜しうございます──第二章に參りまして、宣言すると云ふ言葉に付て色々議論をしたのでありますが、若し宣言すると云ふ字を取つて、此の間の修正案の通りで、多數の委員諸君の異議がなければ、是は臨時に私が斯う云ふ案を作つて見たと云ふ程度のことですから、最後の宣言すると云ふ文字を削つて、それで一應の修正とすることに御異議がないでせうか、第二章の九條です

○鈴木(義)委員 讀まなくても分りますが、非常に私は心配するのです、どうも交戰權を先に持つて來て、陸海空軍の戰力を保持せずと云ふのでは、原案の方が宜いやうに思ふのです、其の點に付て十分御考慮下さつたでせうか

○芦田委員長 私は之を保持してはならないと云ふ書き方が……

○鈴木(義)委員 いや其の書き方を變へるのは贊成しますが、順序を變へることです

○芦田委員長 順序を變へるのは其の人の趣味で、例へば演説をする時に、一番大事なことを一番初めに言ふ人もあれば、一番大事なことは最後に言ふ人もある、是は其の人其の人の趣味であつて、偶偶私の趣味が一體交戰權は之を認めないと言ふから、戰爭を抛棄すると云ふ結果が出て來るのだ、戰爭を先づ抛棄すると言つた其の後で、交戰權は之を認めないと言ふことは、どうも順序を得てない、それだから初めに交戰權は認めないと言つて置いて、國際紛爭を解決する爲の戰爭は之を抛棄する、斯う云ふことが原則から出て來る結果なんだから、それで後に書いた方が宜い、斯う云ふ風に私は感じたのです

○鈴木(義)委員 或る國際法學者も、交戰權を前に持つて來る方が、自衞權と云ふものを捨てないと云ふことになるので宜いのだと云ふことを説明して居りました、だから色々利害はあるのですけれども、何か先達て金森國務大臣は、戰爭の方は永久に之を抛棄する……

○芦田委員長 金森君と私の意見は、其の點に於て違ふのです

○鈴木(義)委員 それも分ります、十分御考慮下さつた後で、それで宜いと云ふことであれば私は強ひて反對しませぬ

○犬養委員 是は一寸法制局に伺ひますが、第九條の第一項は今一寸鈴木君が觸れられましたが、是は永久不動、第二項は多少の變動があると云ふ、何か含みがあるやうに、一寸此の間國務大臣の御發言があつたのですが、さう云ふ含みがありますか

○佐藤(達)政府委員 正面からさう云ふ含みがあると云ふことを申上げることは出來ないと思ひますが、唯氣持を分り易く諒解して戴けるやうに、金森國務大臣はああ云ふ言葉を御使ひになつたのだらうと思ひます

○犬養委員 隨て此の順序は無意味でなくて、相當意味がある……

○佐藤(達)政府委員 意味があると云ふことを申したい爲にああ云ふ表現を使はれたと思ひます

○犬養委員 是は一應論議の對象になる

○鈴木(義)委員 それから是は別なことですが、念の爲に此の條文に付て一寸申上げて置きたいのです、「國の主權」と云ふのを「國權」と直しましたね、併し國權を英語に譯すときに變な譯し方をされると却て迷惑する、英語の方では「シュターツゲワルト」に相當する言葉は、無理に使へば「パワー・オブ・ステート」と云ふ言葉もありますけれども、それは適當でない、英語では主權も國權も共に「ソヴァレンティ」です、だから此の通りで宜いと云ふことを御諒承願ひたいと思ひます

○大島(多)委員 あの宣言は取つてしまふと云ふ

○芦田委員長 それを今御相談します、今第一項と第二項とどうしようかと云ふ議論に入つて居つて、其の文句のことをまだ決めて居ないのですが、若しそれを取れば、第一項の一番終ひが「その他の戰力を保持せず」、此處で一寸「又」と云ふ字を入れた方が、何だか日本語としては宜いやうな氣がするのですが「又國の交戰權を否認する」……

○鈴木(義)委員 「保持せず」と云ふ言葉は口語體として一寸どうですか

○芦田委員長 「保持しない」とすると、此處で切らなくてはならぬですね、それで此の前、原委員から、やはり「保持せず」とした方が力強く且つ筒潔に出るのではないかと云ふ御意見が出たのですがね

○鈴木(義)委員 それはさう思ひますが、唯全體が口語になつて居るものですから……

○芦田委員長 「せず」と云ふのは口語ぢやないのですかね

○鈴木(義)委員 口語にも使はれませうね、唯感じがさう出て來ないやうな氣がする

○犬養委員 江藤さん、順序はどうですか

○江藤委員 順序はどうも原文の方が宜いやうな氣がするのですがね

○吉田(安)委員 昨日でしたか、金森國務大臣が一寸言うて居られた永久と云ふこと、第一項と第二項の何ですが、今又法制局の佐藤さんからの御話、さう云つたことを考へますと、大分是は強さに於て第一項と第二項──勿論第二項は何ですが、含みがあるやうに考へられるのですが、さうすれば是はどうでせうか、やはり原文のやうにして置いたら如何でせうか

○芦田委員長 それでは私もう一つ説明しなかつた理由を申上げます、原文の儘に第二項に置いて、さうして文句を變へると、關係筋で誤解を招くのではないか、獨立の條項として置く限りは「これを保持してはならない」、「これを認めない」と云ふ風にしないと、どうも却て修正することが薮蛇になるのだから、そこでどうしても日本は國際平和と云ふことを誠實に今望んで居るのだ、それだから陸海軍は持たないのだ、國の交戰權も認めないのだ、斯う云ふ形容詞を附けて「戰力を保持せず」と言ふことの方が、其の方面の交渉の時には説明がし易いのではないか、此の儘に置いて此の第二項の英文を書換へると云ふことは相當困難ぢやないか、斯う云ふ理由もあつて、それで之を一定の平和機構を熱望すると云ふ機構の中で之を解決して行く、斯う云ふ風に實は考へたのです

○犬養委員 今言はれた國際平和を誠實に希求すると云ふ前文は、順序を變へても入れてはいけないのですか

○芦田委員長 それは併し紛爭解決の手段として永久に之を抛棄すると云ふことも、やはりさうなんですね、それなら初めと……

○犬養委員 私の言ふのは、九條前文が、事態斯くの如くになつては萬已むを得ないと云ふやうな、讀んだ後味があるので、積極的に何か入れたいと云ふのが抑々の私の發言なんです、其の趣旨を御贊同願つて段々文章が變つて來たやうですが、最初に委員長が言はれた文章は非常に良い文章だ、それを第一項に入れて順序は原文通りにしたら、何處か差支へのある所が起りさうでせうか

○芦田委員長 結局私の考へは、第二項をどう云ふ風にして書換へるかと云ふことが一つと、それから日本が國際平和を望むと云ふことを入れたいと云ふことも一つで、其の爲には斯う云ふ風にして原文を第一項と第二項とを變へて、そして戰力の問題、交戰權の問題を形容詞の下に包含させるならば、是はやつて見なければ分らないが、其の方がどうも説明が樂に行くやうに思ふ

○吉田(安)委員 私は委員長の修正案文は最初から非常に贊成です、鈴木委員の御説もありますが、委員長の仰しやることに贊成します、併し金森さんの仰しやつたことに一寸引掛りがありますが、何か將來第二項の方はもう少しどうにかなりはしないかと云ふ氣がするのです

○芦田委員長 併しそれは憲法の書き方で決まるのではなくて、今後の日本の民主化の程度、國際情勢で決まるのだから、私は此處に「永久」とあるから、何かあると云ふやうなことは、形の上の問題としては非常に重要だが、實際問題としてはさう大した變りはないと思ふ

○原(夫)委員 私は草案の原文を非常に尊重し、又委員長の修正案に付ても非常な御苦心だつたことを思つて、一字一句忽せにしないで讀んで大體會得致して居るのですが、色々な本日の御議論の跡を考へて見まして、いつそ是は第九條の冒頭に「國の主權の發動たる戰爭」とある上に、少し文字が欲しいぢやないかと云ふ今犬養君の言はれた趣意から是は出發して居るのですが、そこへ歸つて一應考へて見る所に依りますと、委員長の修正案の「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し」そこまで取つて、さうして前文に續ける、それ位の所ではどうでせうか

○鈴木(義)委員 贊成です

○原(夫)委員 委員長の勞苦を感謝して、贊成はして居つたのですが……

○芦田委員長 さうすると原案通りになるのですね

○鈴木(義)委員 原案の前に「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し」、それから「國の主權の發動たる戰爭」、斯う云ふ風に續けて、やはり一項、二項と云ふことを原案の儘に殘して置いて宜い

○芦田委員長 さうすると二項は變へないと云ふことですか

○鈴木(義)委員 さうです

○芦田委員長 是は人の趣味の問題だが、之を讀んで、陸海空の戰力は之を保持してはならないと云ふと、何だか日本國民全體が他力で押へ付けられるやうな感じを受けるのですね、自分で……

○大島(多)委員 そこの第二項の所を斯う云ふ風に修正したらどうでせうか、「陸海空軍その他の戰力の保持及び國の交戰權はこれを認めない」……

○芦田委員長 だからそれだけを獨立して、さう云ふ風に直すことが果して關係方面と簡單に旨く行くかどうか

○大島(多)委員 いや、そこの所は私が言つたやうにする方が英文に忠實ですよ、そこの所は「ワン・センテンス」になつて居ないのです、私も之を考へまして、是は一文にした方がましだと思ふのですが──是は二つの文章になつて居りますが、それは一文にしても、ちつとも意味が變らないと私は考へます

○芦田委員長 併し欲せずと云ふことは、「ウィル・ネヴァ・ビー・オーソライズド」と云ふ言葉の飜譯としては、是は英文は變りませぬとは言へないんぢやないですか、相當強い言葉ですよ、決して許可はしない、斯う書いてある

○鈴木(義)委員 元來戰爭の問題だから、何か委員長のやうな感じを私共も最初は持つたんですが、考へて見ると、憲法は國家機關に對する命令を規定して居ることが非常に多い、何々を保障する、何々をしてはならない、思想及び良心の自由を侵してはならないと云ふのであつて、國家機關が、將來の政府は陸海空軍を設置してはならないと云ふことを命令して居るんですから、差支へないと思ひます

○芦田委員長 だから初め申上げたやうに、是は趣味の問題だが、我々の趣味では、其の他の戰力は之を保持してはならないと云ふやうな言葉を讀まされることが何だか……

○吉田(安)委員 それは分る、辛い

○芦田委員長 保持せずと云ふならば自分の決心だが、「オーソライズド」と云ふ字を使つた所は外にないでせう、此處に限つて「ネヴァ・ビー・オーソライズド」と斯う書いてある、それが何となく我々には辛いので、そこで保持してはならないと云ふやうな、一種の受動的な形でなく、自發的に之を保持せずと……

○鈴木(義)委員 保持せずとした時は、どう御譯しになるんですか

○芦田委員長 是は餘り良い飜譯でもありませぬけれども、「ナット・メーンテン・ザ・ランド・シー・エンド・エア・フォーシズ」──「ネヴァ・ビー・オーソライズド」と云ふやうなことは書かないで、斯う云ふ風にでもしたら……

○鈴木(義)委員 さう神經過敏に考へなくても宜いと思ふ、「オーソライズド」と云ふことは、要するに……

○芦田委員長 それは法理的にはあなたの仰せられる通りだと思ふ、唯讀んだ時に、此の文句が氣になる人は、私ばかりではなく、相當多いと思ふ

○鈴木(義)委員 私共もさう云ふ感じから、此の修正案を考へて提案した譯ですが、偖て段々思案して行つて手を着けて見ると、又元へ戻つて來て、是しかないと云ふやうな感じがしたものですから……

○芦田委員長 多數が原案で宜いと云ふことなら、是でも宜い

○原(夫)委員 原案の第一項に冠りを付ける、斯う云ふ……

○芦田委員長 唯簡單に之を保持せずと云ふ風に修正する爲には、何か一應の理窟を述べなくてはならない、なぜ斯う變へるか、それにはやはり前文のやうな形容詞を付けて、「日本國民は誠實に平和を希求するが故に戰力を保持せず、交戰權を否認する」斯う云ふことがあつた方が、修正の場合に幾分か樂に行くんではないか

○原(夫)委員 それは總て總合して、成べくさう云ふ風にしたいのは山々なんですが、私などもやはり最初から一項、二項を區別して、交戰權の問題と軍備の問題、此の關係が中々難かしいので、其の精神を探求するのに、同文章の出來上りに非常に苦心したんですが、併しながらそこまで草案で區別がしてあるんですから、戰爭抛棄と云ふことから、やはり第二項も來て居る譯ですから、そこで結局此の兩方を總括した何か文句があれば結構ですけれども、そこまでなくても、第一項の戰爭抛棄の頭に今言つた如く「國際平和を誠實に希求し、國の主權の發動たる」と言へば、國際平和を希念した國民が正義と秩序を基としたのだと言ふことだけでも、ここに冠が掛かると非常に文章の工合も宜し、觀念上からも非常に宜いのぢやないかと思ふ

○吉田(安)委員 私は個人としましては今原さんの仰しやつたことも能く分りますけれども、どうも第二項を見ますと、是が此の儘で憲法として殘ります以上は、將來之を讀む度毎に、國民の誰もが如何にも他力的に情なさを感ずるやうな氣がします、隨て委員長の仰しやる通り、是は積極的に之を保持せず、之を否認すると言つた方が宜いのぢやないかと私は考へます、是は許されない、保持してはならないと云ふことは一種の情なさを感ずる、隨て個人としては私は委員長の修正案に贊成を致します

○林(平)委員 どうも其の日其の日の氣持で色々に變ると思ふのですが、今の第九條は先日滿場一致で修正され、唯宣言と云ふ文字を殘すか殘さないかと云ふことだけが問題となつて殘つて居つた、又引繰返してしまふと……

○犬養委員 此の條文は私が居ない爲に保留されたんです

○芦田委員長 さう云ふことはありませぬ、委員が一人缺席したからと云つて……

○林(平)委員 それで宣言と云ふことだけが殘されたと私は承知して居ります、それから斯う云ふ風に修正しようと云ふ重點は何處にあるかと云ふと、保持してはならないと言へば非常な刺戟を與へる、此の點に重點があつたので、私は委員長案に贊成した譯でありますが、今日もやはり其の心持は變らないので、委員長案に贊成致します、又其の宣言を除くと云ふことにも贊成致します

○原(夫)委員 此の前、宣言と云ふことに主に議論が集中を致したのであつて、法律文章としては惡いのぢやないかと云ふことで、之に重點が置いてあつたけれども、是は宣言だけのことが問題になつた譯ではないんです、文章は全部の釣合等もあるものですから、そこで私は其の時に──今日は犬養委員も出席ではないし、大體私も贊成は致したが、其の次にまで延ばさうと云ふので、實は確定的な贊成意見も私は述べては居ない、出來るだけ二度も三度も發言をしたくないから、其の點詳しいことは申しませぬでした、そこはどつちにした所が、ものを良く作らうと云ふ重大な案件ですから、さう理窟なく……

○芦田委員長 御趣意は能く分りました、それではまだ進歩黨の方でも黨としての一定の意見がおありにならぬやうでありますから、是は後に廻しませう、やはり黨の意見を纏めて述べた方が……

○鈴木(義)委員 後にすると云つても、切りがないことですから、最後の結論が出て來るやうに、此處で一應は決めて置きたいですね、それで私も外の條文ならば蒸返しは決して致しませぬ、是は非常に心配して始終考へて居りまして、佐藤君も御存じだが、議場外に於ても、どうもあれは心配だから能く國務大臣の意見も聞いて呉れ、順序を變へることもどうかと色々話をした位で、此の條文は恐らく關係方面との關係に於ても一番大事な條文になると思ふから、他の事は決して蒸返ししないが、是だけは除外例として蒸返しても宜いと思ふ

○芦田委員長 御説の通り再檢討することにして、今一寸拜見すると必ずしも一つの黨でもまだ意見が一致してないから、やはり黨の意見を纏めて御話を願はないと纏めやうがないと思ふから、後廻しにして……

○鈴木(義)委員 大體論點は此處にある、此の論點を決めて返事することに御願ひしたい

○原(夫)委員 私も鈴木君と同意見だが、此處で英文の話から委員長の含みなど色々考へさせられる、ですから非常に研究になつて喜んで居るのですから、もう此の位な所で一應片付けて戴きたい

○芦田委員長 私も一刻も早く終りたいのですけれども、纏まりますか

○犬養委員 委員長の仰しやつた前掲の目的を達する爲めと云ふことを入れて、一項、二項の仕組は其の儘にして、原委員の言はれたやうに冒頭に日本國民は正義云々と云ふ字を入れたらどうかとも思ふのですが、それで何か差障りが起りますか

○芦田委員長 前項のと云ふのは、實は双方ともに國際平和と云ふことを念願して居ると云ふことを書きたいけれども、重複するやうな嫌ひがあるから、前項の目的を達する爲めと書いたので、詰り兩方共に日本國民の平和的希求の念慮から出て居るのだ、斯う云ふ風に持つて行くに過ぎなかつた

○吉田(安)委員 そこで、正義と秩序を基調とする國際平和を希求して、此の希求の目的を達成する爲め、陸海空軍其の他の戰力は之を保持してはならない、「これを保持せず」、斯うしたら「保持せず」と直しても目的が謳つてあるから、委員長の御苦心が生きる、委員長と意見の違ふ所は、一項と二項は原文の儘で、自發的な精神を生かして……

○廿日出委員 委員長の御心配になつて居る二項の所謂他動的な文句、何だか屬國ででもあるやうに國民に映る卑窟な氣持、之を完全に除きさへすれば、私は此の第九條は解決すべき問題ぢやないかと思ふ、實は新聞に載つた時の文は、是より違つて、「戰力保持は許されない。國の交戰權は認められない」、斯うなつて居ります、そこで誰も皆氣を腐らした、それが今度此の文に現れた時には、「これを保持してはならない。」「これを認めない。」と云ふ程度になつて居る、是は變つて居ると思つた、それを今度「保持せず」又は「保持しない」と、ぴしやつとやつて置けば、非常に心がすつとするのではないかと思ふ、それと同時に今前文のことを氣にして居りましたけれども、本當にあの前文があれだけの内容を含めた前文、さうして最後に「誓ふ」と云うた、あれが宣言だ、其の宣言の後に此の九條が直ぐ來ると見て私は何等差支へないと思つて居ります、長い間私は是で苦しんで居る、皆からも責められた、此の點だけでも直さなければならぬと隨分言はれた、そこでどうか第二項の所は何も加へずに、さつとやつて下されば一番解決するのではないかと思ひます

○芦田委員長 さうすると、今進歩黨の案は「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、それから第二項に於て「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない」

○廿日出委員 それで宜しうございます、私は異論はありませぬ

○鈴木(義)委員 それなら大贊成です

○大島(多)委員 そこの所を英文に直す時にどうでせうか

○鈴木(義)委員 其の程度の飜譯は許されると思ひます

○笠井委員 此の九條の「抛棄」は否認に變へることに決定致したのですか

○芦田委員長 いや、「抛棄」に還つたのです、唯「抛」の字を放すと云ふ字にしようと云ふのです

○笠井委員 此の憲法に付ては、隨分「マッカーサー」の方でも力を入れて居るらしいですから、成べく此の原案に餘程力のある文章を作つて戴きたいと思ふ、認めないとか何とか簡單でなく──左樣に御願ひします

○江藤委員 私も大體今の笠井さんの御意見と同じです、成たけ斯う云ふことは原案を忠實に作るやうにと云ふことで宜いのぢやないかと思ふ、さつきの鈴木さんの御話にもありましたやうに、私等はさう抑へ付けられたと云ふやうな感じを殊更持たないのですけれども……

○芦田委員長 そこは非常に意見がある所でありまして、感情と言ふか、趣味の問題で、勿論是で何でもない人も澤山あるに違ひない、又之を見る度に始終口惜しい氣持のする人もあるのだから、是はもう百人百樣の印象を受けるので、決して其の感情を強ひようと云ふ趣意ではないのですが、併し相當に神經を起す人があるとすれば、神經の起らないやうなものに直すことが出來ないかと云ふ問題に過ぎぬのです

○鈴木(義)委員 どうです、皆さん、折角纏まりかけて來たのだから「保持しない」「認めない」と云ふことで原案通り御贊成願ひたい

○廿日出委員 皆さん贊成でしたら、私は異論はありませぬ

○芦田委員長 さうすると保持しないと直すのですか

○鈴木(義)委員 さうです

○芦田委員長 それではもう一遍讀んで見ませうか、「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。」、斯う云ふことでしたね
 それでは第三章に參ります、第三章は最も修正案が多い所であるのですが、社會黨の修正案の各條を通じての精神は、生活權と云ひますか、生存權と云ひますか、それを國家が保障する條項をはつきりしたい、出來れば之を具體的に擧げたい、斯う云ふ御精神が一つだと思ふのです、そこで一應の私の個人的の意見でありますが、此の詳細な規定を、殊に勤勞者に對する詳細な規定を竝べる代りに、第十二條の「すべて國民は、個人として尊重される」と云ふ所へ、個人として尊重をされ、其の生活權は保障される、と云ふ一句を入れる、それからそれと對應して、第二十三條の「社會の福祉、生活の保障」と云ふ所で、生活の保障と云ふのは社會保障と云ふ方が私は正しいと思ひますから、さう云ふ風に直して、此の十二條乃至二十三條、どちらから見ても生活權の保障を憲法に於て約束して居る、斯う云ふことにして、さうして休息の權利があると云ふやうな條項は、二十五條あたりでも第何項かにして入れて、さう云ふ程度で何とか御考へ願へないか、是は非常に雜駁な意見ですから、尚ほ詳細に檢討して行けば、外に加へる問題も出て來るかも知れませぬが、是は一應の私の考へた點です





ここでの議論は、非常に興味深い。
前日までの議論の過程において、芦田委員長は、9条の1項と2項の位置を変更してみた方が、説明がつきやすいのではないか、ということを考えて、芦田委員長私案としての、修正案を提示していたものである。

これが、いよいよまとまりかけていたのだが、この回で再び戻ることになったのである。


論点としては、金森大臣答弁の2項の将来的な含み、という点が浮上した為であった。政府委員として呼ばれていた内閣法制局の佐藤達夫も、金森答弁を否定してはいない。

これは、憲法制定当初から、2項については未来時点の政府なり国民なりが、国際情勢等により考え方(解釈)の余地を敢えて残すものとして想定されていた、ということである。この小委員会での議論でも、そのことが取り上げられたわけである。


この時、決まりかけていた、芦田委員長提示案は、主に進歩党の面々によりひっくり返されたものと見てよい。
芦田委員長は、自分の提案が通らない様子なので、この回の議論を打ち切りにして、とりあえず後日に回そうと、途中で提案をしている(党に持ち帰って。しかし、犬養委員の発言に端を発して、鈴木(義)や原(夫)らが決めてほしい旨を主張するわけである。


芦田委員長に食い下がったのは、鈴木(義)、犬養、廿日出らであり、最終的な憲法9条文言を導き出したのは、彼らだったわけだ。

芦田委員長は、若干ふてくされた感じで、彼らの言う修正の提案に応じていったことが分かる。時に、芦田は「個人的趣味の問題」であるかのような物言いをしたりもしているのが面白い。で、彼らの提案を拒否したい気分を、どうもね、辛いねという感じになっているわけだ。


吉田(安)は芦田の肩を持つタイプの人で、委員長に賛成を連発している。
多分、GHQの太鼓持ちっぽいのが、最後の方で発言している笠井と江藤で、英文の原案通りでいいんじゃないか、何でこんなに拘るんだ変える必要があるんだ、という感じだった。


芦田修正、と謳われてはいるが、実際には、芦田委員長は苦虫を噛み潰したかのような、仕方なしに受け入れたものとなっていたのだ。その他の委員(特に、進歩党の議員)さんたちが中心的な役割を果たしていたのである。文言の提案の一部は、芦田委員長からなされたものはあったわけだが、自分の案(1項と2項を入れ替える、というもの)が否定されてしまったので、当初政府案に近い形に戻ったことが非常に不満だったのだ。

金森君とは違う、とまで言ってしまったわけで。


※要点:

※4  「芦田修正」は、実際には芦田均委員長が主導したわけではなく、他の委員の意見を不承不承受け入れた結果だった。2項には、将来的に政府答弁の含みが残されていることを、制定意図として知った上で、1項、2項の順序を維持した。