何年かすると、似たような議論が沸き起こるようだ。
以前には、コメントスクラムとか、炎上とか、ネットのマナーだか常識だか、トラックバックはエチケットだとか、忘れたけど、色々とあったな。
で、拙ブログにおいても、idなり、アカウント名を一定期間公表するという「stigmaシステム」を提唱したことがあった。
07年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f907ebbc5ad664d8e008c8a69f2e61a5
(再掲)
主な防御機構として考えるのは、所謂スティグマ(stigma)だ。酷いことを書いた場合に、その人の評判を低下させるというもの。
①まず、ルールを明示しておく
②「はてな」の判定委員会(略して「は判委」?)が発見又は通報があったら審査
③ルールに抵触していると判断されれば、削除するとともにidを公開
④予め「掟破りの一覧」のようなものを設置しておく
⑤誹謗中傷を書き込んだidは、その「掟破りの一覧」に一定期間公開される
⑥すると、書いた人は恥じ入り、周囲の評判は低下する
⑦それを見ていた人たちは、止めようね、と自戒する
みたいな感じかな。どうなんでしょう?
======
個人情報全部を公開せずとも、idとかアカウント名がいわゆる晒し者状態になるので、抑止効果を期待する、というものであった。これに類することが、「何とかリスト」のような形でネット上に公開されているらしいが、判定の主体(要するに審判役)を問題視されたりしていたようだ。違法行為とかでないなら、悪いことをしているものではないなら、試行錯誤の一環と見るべきでは。うまくいかないルールなら、それは多くに受け入れられず廃れることになるだけだろうから。まさしく、市場の選択っぽく、任せてみるのも解決策の一法ではなかろうか。
さて、もう一つの「個人情報さらし」問題というのもあるらしい。ネット上に書かれていた公開情報を、どういう形で利用するか、ということだな。
08年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9b2539f74ae11d14ee25622c6ebf53ca
かつては、炎上ネタに飛びつく人々が、捜索隊だか捜査班だかみたいに手分けして、個人を特定できるあらゆる情報を集めてきて、分析して個人を割り出していた。何かの写真とか、場所を特定できるものとか、そういうあらゆるもの、だ。
直近の問題というのが何なのか、それはよく知らない。が、個人情報は当人が想定もしていないような形で、不当に利用されることは望んではいないわけであり、そういう行為は慎むべき。違法化せよ、とかそういうことになっていくと、まるで「校則」が膨大になってしまうのと同じで、自由を制限された息苦しい領域になってしまう。だから、自発的に、よくないものは自生的ルールの定着によって排除されるべきだと思う。
それにしても、何年かすると同様のネタでネット上で盛り上がる方々が登場してくるというのは、中々面白い。
大昔の「長老」が似たような問題が発生した際に、どのように対処したかの記憶が大切な意味を持っていたのではなかろうか、と思わせてくれる。人間って、似たようなことを繰り返してしまうものなのかもしれない。
以前には、コメントスクラムとか、炎上とか、ネットのマナーだか常識だか、トラックバックはエチケットだとか、忘れたけど、色々とあったな。
で、拙ブログにおいても、idなり、アカウント名を一定期間公表するという「stigmaシステム」を提唱したことがあった。
07年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f907ebbc5ad664d8e008c8a69f2e61a5
(再掲)
主な防御機構として考えるのは、所謂スティグマ(stigma)だ。酷いことを書いた場合に、その人の評判を低下させるというもの。
①まず、ルールを明示しておく
②「はてな」の判定委員会(略して「は判委」?)が発見又は通報があったら審査
③ルールに抵触していると判断されれば、削除するとともにidを公開
④予め「掟破りの一覧」のようなものを設置しておく
⑤誹謗中傷を書き込んだidは、その「掟破りの一覧」に一定期間公開される
⑥すると、書いた人は恥じ入り、周囲の評判は低下する
⑦それを見ていた人たちは、止めようね、と自戒する
みたいな感じかな。どうなんでしょう?
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個人情報全部を公開せずとも、idとかアカウント名がいわゆる晒し者状態になるので、抑止効果を期待する、というものであった。これに類することが、「何とかリスト」のような形でネット上に公開されているらしいが、判定の主体(要するに審判役)を問題視されたりしていたようだ。違法行為とかでないなら、悪いことをしているものではないなら、試行錯誤の一環と見るべきでは。うまくいかないルールなら、それは多くに受け入れられず廃れることになるだけだろうから。まさしく、市場の選択っぽく、任せてみるのも解決策の一法ではなかろうか。
さて、もう一つの「個人情報さらし」問題というのもあるらしい。ネット上に書かれていた公開情報を、どういう形で利用するか、ということだな。
08年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9b2539f74ae11d14ee25622c6ebf53ca
かつては、炎上ネタに飛びつく人々が、捜索隊だか捜査班だかみたいに手分けして、個人を特定できるあらゆる情報を集めてきて、分析して個人を割り出していた。何かの写真とか、場所を特定できるものとか、そういうあらゆるもの、だ。
直近の問題というのが何なのか、それはよく知らない。が、個人情報は当人が想定もしていないような形で、不当に利用されることは望んではいないわけであり、そういう行為は慎むべき。違法化せよ、とかそういうことになっていくと、まるで「校則」が膨大になってしまうのと同じで、自由を制限された息苦しい領域になってしまう。だから、自発的に、よくないものは自生的ルールの定着によって排除されるべきだと思う。
それにしても、何年かすると同様のネタでネット上で盛り上がる方々が登場してくるというのは、中々面白い。
大昔の「長老」が似たような問題が発生した際に、どのように対処したかの記憶が大切な意味を持っていたのではなかろうか、と思わせてくれる。人間って、似たようなことを繰り返してしまうものなのかもしれない。