いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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吉松育美事件の不可解

2014年01月11日 15時25分26秒 | 社会全般
ゴシップ系のネタですが、偶然目にした事件だったので、ちょっと取り上げてみる。

>http://b.hatena.ne.jp/entry/www.hoshusokuhou.com/archives/35577029.html


裁判所の対応が「?」な事件かな、と思って、少し見たんだが。そうすると、次のような展開だった模様。



・12/11 ブログで告白、刑事告発+民事訴訟提起
>http://blogos.com/article/76077/


・12/16 特派員協会で会見
>http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/menscyzo_20131217_157001


・12/25 昭恵夫人と2ショット
>http://ameblo.jp/ikumi-621/entry-11736216598.html



何と、外国特派員協会で会見をやっていたんですと。しかも、首相夫人、日本のファーストレディに面会して事件の支援をお願いした上に、2ショット写真まで撮ってくれた、とな。


これには驚いたわけですよ。
この吉松さんという人は、一体全体、どんなVIPなんですか、と。


まず、普通に考えて、首相夫人に会うことなんかできない。
余程の旧知の間柄とかでもなければ、民間人なんて相手にされないだろう。公的な行事とかで夫人が訪れると決まっているとかでなければ、どこの馬の骨とも分からない民間人相手に1対1で面会なんかするわけないもの。


特派員協会のゲストスピーカーの選定とか依頼って、どういう日程になってるか知りませんが、事前に決まってなければほぼ無理な日程なのでは。
11日にブログに書いたとして、12日に特派員協会の誰かの目に留まり、13日くらいに会見をお願いすることが決まったとして、16日に会見を行うのは準備期間が短すぎるもの。相手側の予定を尋ねたり、会員の集まる予定とか、そういうのも急に決められるものなんだろうか?


特に、緊急性のあるニュースでもないので、そんなに厳しい日程で会見を開く特別な理由なんて、思い浮かばないもんね。少しくらい後にずれても、何らの問題もないはずだから。12日に大体みんな知るようになったとして、16日会見となれば、これはもう事前にその日に呼ぶことが決まっていたようにしか見えない。


安倍総理のファーストレディとの写真に戻るが、首相夫人には警護ががっちり付いているはずだし、秘書官も付いているだろう、多分。そうすると、誰彼かまわず面会するなんてのは、できるはずがない。彼らの許可(立場上は逆なんだろうけど)が得られなければ、夫人に到達なんかできるはずがない。

では、現在刑事告発していて、よく分からない民事訴訟の当事者がやってきたとして、その人物と首相夫人が面会することの意味が分かりますかね?それは、ある種の「訴訟当事者の一方に加担・肩入れする」ということを示唆するわけだ。

裁判の結果がどうなるかも分からないのに、そんな危ないマネをすると?ヘタをすれば、司法への介入だの不当な干渉だのといった批判を浴びる可能性すらあるのだ。そんな危険を冒してまで、何故首相夫人が一介の民間人に会わねばならないと思うか?


政治的に利用されるのは、主に「不遇な子供」などであって、何らの意図も罪もないような無垢の子供なら、「大統領が味方になろう」「ファーストレディが背中を押すわ」という話にもなろう。それは政治の側が見つけ出してきて、利用するまでだ。しかし、この一件はどう見ても世間のお涙頂戴に便乗した、イメージアップ作戦(通常なら総理の支持率アップを狙ったもの)というものとは全く違う。


では、どういうことが考えられるだろう?
マスコミ利用とか操作は「目立ちやすい」ということで、ここ最近は敬遠される傾向にあった。だから、大手マスコミを利用することはしなかった。
でも、特派員協会に顔が効いて、その上、首相夫人まで担ぎ出せる人物、となると、これはもうアメリカサイドの「外交上の有力者」ということが想定されるだろう。しかも、総理官邸筋が「断り難い」相手である、ということだな。そういう人物からの「お願い」なら聞かざるを得ない、と。

ひょっとすると、取引の交換条件だった可能性も考えられる。普天間移設+靖国参拝関連での、オバマ政権側かアメリカサイドのそれなりの責任者とのとりなし等が必要で、その見返りとして「首相夫人とのクリスマス会談」演出を引き受けた、というようなことかもしれないし。


少なくとも、総理周辺がOKと言わない限りは、勝手に昭恵夫人が面会に応じたということはあり得ないだろう。警護や秘書官の頭越しで「面会してやれ」と決定できるクラスで話が通ってないと、まず無理だ。それならば、全くの無名の訴訟当事者(被告は行政でもないのだ)との面会も可能になるかもしれない。それは平凡な知り合いとかいうレベルではないだろう。外交筋、だ。



そして、追加燃料は、署名サイトだと。


・1/8  署名サイト Change.org開始
change.orgとハリス鈴木>http://www.ashita-lab.jp/special/1541/


例のNHK『日本のジレンマ』に出てた人(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2b82a2292aa11bb685196d1b5daa72e2)ね。思わぬところで結びついたな。
あちら側のお仲間をできるだけ動員しよう、ということなのかもしれません。


ま、よく分からない事件ではあります。
ただ、動員力はかなり高いレベルで可能、ということだけは分かる。背景には、どんなコネが存在するのだろう?
日本のチンケな芸能界云々のレベルではないだろうね。



日本の治安水準~4000対1の「リアル鬼ごっこ」

2014年01月11日 10時51分34秒 | 社会全般
杉本容疑者の逃走劇が世界でも話題になっていたとの由。

>http://www.j-cast.com/2014/01/10193927.html?p=all



 例えば米FOXニュースでは「日本の警察が強姦容疑者を捕まえるための全国的な捜査を開始した」、英BBCでは「20歳の杉本裕太を探すために4000人以上の警察が動員された」と報じられているほか、仏AFP通信、中国・新華社の記事でも「4000人、850台を投入」という部分が強調されている。

さらにテレビ局や通信社で報じられた内容が世界中のニュースサイトに引用され、拡散されていった。

海外のネットユーザーからは、「怖いな」「早く捕まってほしい」という感想のほか、「1人のためにこんなに大勢で動くなんて…警察の面目丸つぶれだな」「ほぼ1日中、4000人のマヌケが動いても見つけられないのかよ」「日本の警察はお笑いだなw」など驚きや呆れの声が上がった。


=======


まあ確かに海外の人たちから見ると、非常に奇異に映るかもしれない。
が、これには、日本独特の事情というものが関係しているだろうと思われる。



①日本は凶悪事件が少ない=「野放しの凶悪犯」は多分少ない

簡単に言えば、日本は安全だ、ということの裏返しである。
例えばアメリカであると銃乱射とか強盗殺人事件とか、白昼でも危険な事件が全国的に見れば日常的に起こっているだろうと思う。なので、「強姦犯人が逃げている」というレベルだと、「何だ、全然大したことないじゃん」という危険度の認識を抱くのが、海外の人たちなのではないか、ということ。

しかし、日本ではそうそう凶悪事件は見かけないし、接する機会は少ないだろうと思われる。なので、「犯人が逃走」しているんだって、というニュースを知るだけでも、十分「危ないわね」と感じてしまうわけだ。



②凶悪事件が少ない故に、捜査員大量投入も可能

前項に関連するが、凶悪な強盗殺人犯だのがそんなにいないので、警官を集中投入可能な条件が揃っている、ということだ。もしも、もっと危険で悪いヤツらがゴロゴロうろついているなら、そっちに捜査員たちの手を取られてしまうから、今回の逃亡犯を追いかけるのに集中できない。でも、急ぎの凶悪事件がなければ、4000人も動員できてしまう、ということになる。



③神奈川県警の威信と面子丸潰れ、という問題

今回の事件の特徴は、地検から犯人の逃亡を許してしまった、という、「警察の落ち度」が関係していたことである。こうした場合、検察サイドからは「警察、何やってんだよ、ウチは全然悪くないよ、神奈川県警が悪いんだからね」ということで、責任のなすりつけが起こり易いだろう、と。

神奈川県警としても、管轄外への逃亡を許してしまった、ということになれば、県警幹部の責任問題にまで発展するかもしれない。県警の面子丸潰れだから。普通に「犯人が見つけられない、逮捕できてない」というような未解決事件と違って、「犯人を取り逃がした」ということになると、警察の大失態として指弾されかねない風潮が、日本の社会全体ないし警察のような機構には存在するだろう、ということだ。


なので、神奈川県警の威信をかけた捜査体制、ということになったはずだろう、と。それが4000人投入ということの意味であろうな、と。一応、全国指名手配を敷いたものの、神奈川県警以外の警察がとっ捕まえる前に、何としても総力を挙げて見つけ出せ、と。


川崎や横浜は都会なので、「かくれんぼしましょ」となれば、隠れる場所はかなりあるからね。たった一人を探し出すといっても、壮大な「かくれんぼ」ないし「リアル鬼ごっこ」なのだから、まあ、大変なんだわ。杉本容疑者が割と「愚か」だったから、この時間で発見できたものの、じっと動かずにどこかに潜伏されてしまうと、簡単には見つけ出せなかったかもしれない。携帯電話を所持してくれて、サンキューです、だった。



ま、そういうわけで、今回の鬼ごっこ(かくれんぼ?)は、日本ならではの事情というものがあった、ということです。海外から見れば、それは不思議ではあるのかもしれませんがね。



天才・羽生善治のチェス棋力

2014年01月10日 13時00分06秒 | 俺のそれ
恐るべき実力。
やはり、天才の天才たる所以か。


>http://takahirosuzuki.com/2013/1230171913


何とグランドマスターに勝利、とな。
将棋で言うなら、タイトルホルダーに勝つ、みたいなものでしょうか。それも、「永世竜王に勝つ」みたいなレベル、ということかな、と。


以前から、羽生さんのチェスが強いというのは有名ではあったものの、世界最高水準にまで到達となれば、これはもうチェスを専門にやっているプロからすると「こいつ何者!?」ということになるわな。


喩えが思い浮かばないけど、剣道の全日本チャンピオンがフェンシングをやったら世界大会で優勝するくらいの実力を持っている、みたいなものか。凄すぎる!



それにしても、敢えてチェスを、というのが凡人には理解し難いわけであるが、チェスと将棋の違いを「ゲームの理解」として捉えているのも、驚く。そういう思考方法と感性が、やはり天才なのであろう。言語で説明が難しい部分でもあるし、どちらか一方だけをマスターしていても感じ取れるものでもないから。


将棋の「詰み」と、チェスの「ポジション」という違いは、多分「獲った駒を任意の場所に置ける」
(2歩や打ち歩詰めの禁手はあるが)という決定的違いによる感覚の相違、なのではないだろうか。


将棋の場合、追加兵力(獲った駒)が好きな時に任意で投入できるのに対して、チェスはできない。現実の戦闘場面であっても、追加兵力を落下傘部隊のように好きなように投入することができないので、チェスの方が現実に即していると言えるかもしれない。


チェスは、言ってみれば「合戦の様子を山の頂上から俯瞰して、作戦指示を出す人」のようなものなのかな、と。そうであれば、隊列や陣形の維持なり、戦線の維持といったことが重要となるのは当然であり、まさしく西洋風の合戦劇を見るかのようだ。「ポジション」とは、そうしたものではないだろうか。


将棋は、忍者部隊だろうと、奇襲攻撃だろうと、待ち伏せだろうと、山岳追撃戦だろうと、兎に角「敵の大将首を獲れ」(討ち取った者勝ち)という特性を表現しているものであり、「詰ませるスピード」の感覚が分かるゲームなのかも。
昔の元の将棋(インド?や中国?で伝わったもの)はどうなのか知らないが、日本独特のゲームとして洗練されたものとなっているように思う。戦闘の表現としては、「日本という地理・風土・実情」に合っている、ということかもしれない。



ま、将棋とチェスの違いは、当方のような凡人には理解しかねるので、分かりません。羽生さんクラスになって初めて「見える世界」というものがあるだろうから、だ。一流の人は、やっぱり不思議だ。



海兵隊の政治力

2014年01月06日 20時08分55秒 | 外交問題
在沖海兵隊は苦境に陥っていた。
普天間基地問題について、具体的成果がなければ、沖縄からの完全撤退という可能性すらあった。13年末までに、何が何でも結果を出さなければならなかったのだ。


海兵隊人脈の総力を挙げて、安倍政権及びその周辺(従米派のエージェントたち)にヤキを入れて回った。何としても移転計画を進めろ、と。もしもできなければ、政治的基盤を破壊してやるぞ、と。
唐突に見えた猪瀬都知事の失脚劇は、ある種の脅しの結果なのかもしれない。現実に「こうやって簡単に血祭りにあげられるんだぞ」、と。見せしめの効果としては、まあ十分だったのではないかな。

安倍政権は、まず自民党沖縄県連や沖縄選出議員たちを全員転ばせた。「逆らえば一族郎党までもどうなるかわからんぞ」とでも暗に臭わされれば、脅しに屈せず耐え抜ける人たちなんて、そうそういるもんじゃない。外堀を埋められて、仲井真沖縄知事の政治的立場は難しくなった。ウンと言わずに済ませる方法は、もう何処にも残っていなかった。


脅しをかける側は、マスコミを黙らせる力がある限り、いかようにも使える手があるのだ。嘉田知事もそう、泉田知事もそう、少々締め上げて脅せば、背に腹は代えられぬということで反対を「覆す」ことなど、難しいことではないのだ。

知事たちが、それまでの主張を掌を返したように引っ込めるのには、理由があるということ。弱味に付け込むのは、そう難しいことではない。官僚のような人種というのは、恐らく他人の足を引っ張ることにかけては超一流だろうと思うので(笑)。特に、従米派の末席に連なってるような連中というのは、陥れ能力に長けたようなヤツしか加わらないだろうからな。


話を戻そう。
海兵隊は焦っていたのだ。米国内の政治力学という点において、海兵隊は沖縄を失うかもしれない、という危機感があった。オバマ大統領は沖縄に海兵隊基地を維持し続けなければならない理由というものがそもそも存在してなかったし、共和党内でも財政政策重視派は大勢いるので、海兵隊削減を推進しようという勢力は少なくなかったはずだ。
しかも、ヘーゲル国防長官は国防総省全体として経費削減を推進することを支持しており、やり玉に挙がったのが在沖海兵隊だったのだ。辺野古移設という無謀な計画が「進展なし」であった場合、海兵隊の抜本的再編が求められて当然という雲行きになりかねない状況だった。『QDR2014』の最終稿の為にも、海兵隊の編成と配置計画というのは、一つの要点であったはずだから。


それ故、目に見える「結果」が求められた。
それが、仲井真知事の「承認宣言」だった、というわけだ。埋め立て申請にOKとしたことで、海兵隊の首の皮が繋がった。

安倍政権にとって、どんな手を使ってもよければ、転ばせることなど容易いことだった。仲井真知事には、裏で脅し、表(安倍総理)からは「あなたの立場を絶対に守る」と言質でも取ったのだろう。批判の矢面に立って一身に「注目を浴びよう」と安倍総理自らが演じてくれたわけだからな。靖国参拝というのは、そういうものであり、タイミングから見て他の理由というのは考え難い。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a05eef63879f28de83872c8cde19f58e


悪者役を知事から安倍総理が引き受けてくれたわけだから、まあ効果は大きかったんじゃないか。マスコミは当然にこれを大きく取り上げ、食いついたわけで。


結果的に、海兵隊が救われ、沖縄に居座り続けることになった、ということだ。
安倍総理はその手下でしかなく、従米派の繋がってる相手というのは、政治的には大したことがないのでは。本物の政治力がある勢力であれば、米国内において優位に立ちこそすれ、削減候補にはならないだろうから。


日本の政権というのが、アメリカの支部以下くらいの扱いでしかない、というのもナンだな。それくらい、とても簡単な相手だ、ということなんだろう。



『新参者~眠りの森』みたよ

2014年01月03日 19時40分00秒 | 俺のそれ
昨夜でしたが、家族で楽しめました。

>http://www.tbs.co.jp/shinzanmono/nemurinomori/


時期設定が、テレビドラマシリーズより以前だった、ということで、日本橋署の所轄配属前だった、と(06年頃)。人形町にやってくる前だったので、加賀の父親は生きており、警視庁一課の刑事という設定。

人形町事件の時に、若い淳平刑事(名前忘れた)と組む所轄捜査員という立場だった加賀、という役回りが、今回では逆転しており
退官間近の刑事に榎本(劇中の刑事名忘れた)、若い方に加賀刑事となっていた。これは、加賀が後年若い刑事である淳平に、自分が教わったことを同じように教えた元となっている、というエピソードを意識したものであろう。その具体的象徴となっていたのが、捜査本部で管理監に対して所轄刑事が言うより本庁捜査一課の刑事が言う方がいい、ということではないかな。



しかし、全く知らなかったのだが、東野圭吾作品にバレエという題材があったのは意外。
それも、加賀刑事に、というのも全くの予想外。キャラ的に興味を抱かなさそう。

殺害手口も、『Xの悲劇』に敬意を表して意識したもの、と。
動機部分の材料には、突発性難聴(?)とな。
売れない画家の魂の絵画には、「踊り子」と。


特に、家族からの評価が高く、とても楽しめました。


はあちゅうに送る「ハーバードで一番」信仰の異常さ

2014年01月02日 19時43分03秒 | 社会全般
あっしには何の恨みもございやせん。
しかも、ただの女こども勢に目くじら立てても、利するところなし。


ただ、しかーし!
非常に引っかかったのが「はあちゅう」の語った、「ハーバードで1番」というものだった。


本当に世界を変えてきたのは、「ハーバードの一番」だったのだろうか?
成績優秀とか試験で一番といった尺度での評価は、どういう意味があったのだろう?


アップルやグーグルやフェイスブックを生み出してきたのは、ハーバードで一番という人たちだったのか、と。


結局、点数主義、テスト主義みたいな評価軸からは抜け出せてない、ということだろうな。
本当の実地重視というか、現場主義・実利主義ということならば、実力そのものの結果を重視し尊重するだろう。学歴もへったくれも関係ねえ、ただただ出された成果を評価して、過去の成果やテストの成績など関係ないはずだろう。


ところが、根底においてはそうではない、ということだな。
実際のところでは、学歴だの経歴だの出自だのというのが、まず先入観としてある、ということであろう。その一端が垣間見えたということに過ぎないのではないか、と。彼女が何を信じているか、どういうものを「信奉し権威として崇めているか」ということが分かった、ということなのではないでしょうか。


非常に残念なビジネス人ではありますな。
時代の象徴たる、ソフトバンクもユニクロもセブンもニトリも、あの楽天ですらも、東大で一番だのという評価軸とは離れた企業経営者としか思えないわけだが。知識偏重ではない、ビジネスこそが大事であるはずの「はあちゅう」さんが、それをベースにできないというのはどういう理由があるのか不思議ではある。



正月の『ニッポンのジレンマ』というNHK番組をみた

2014年01月02日 14時25分56秒 | 社会全般
深夜にやってて最初の方は観てなかったので、全部の議論は分からない。結論から言えば、あまりに残念過ぎる酷い出来栄えだった。


そうなってしまった原因の殆どが、女性論者の選抜ミスだったのではないか。他の男性論者とあまりにベースラインが違い過ぎて議論になっていなかった上に、彼女たちに「日本という国」について語るという意識があまりに稀薄過ぎて、せめてタイトルにある通りに「ニッポン」くらいは議論できるようなレベルが必要だったろう。彼女たちは、その域には達していないとしか思えなかった。


ハリスはまだマシな方で、日本の政治的課題をどう考えるか、ということに意見があったし、簡単に言えば「私のような日米両国籍者のアイデンティティ」という観点からして、うまくマネジメントなりコントロールすれば「日本だってきっとできる」というものだった。まあ、そんなもんだろうな、と。


「はあちゅう」という人は、そもそもこうした議論には全く向いてないとしか思えなかった。普段政治に縁遠い人の代表例として参加しているなら、そういう人が「どのように考えるか、関心を持つには・参加する方法はどうするか」などという意見が出てきてもよいのに、それもない。学者(男性陣)の議論が分からない、故に「自分の半径5m以内」しか考えられない、という立場から、最後まで一歩も出ることなく、唯一主張したい点である「グローバル化称賛」論だけぶっていた。

はあちゅうという人の意見が支離滅裂なのは、「日本はダメ論」を言っておきながら「日本のダメなことを言っても楽しくない」、と一貫性のないことを平気で言うところだ。はあちゅうという人にとって、「日本にいてもダメ、教育もダメ、東大の一番でもハーバードで一番になれない、だから日本では決して世界の一番になれない、英語もそう、だからグローバル化でもっとアメリカ化すべき」ということが、彼女の最も自信に溢れた主張点であった。これだけ日本を腐しておきながら、ワクワク感がない、って、そりゃあ、あんたのような「日本はダメ」論者がそういう空気なり風潮なりを、まき散らすからではないのですかね、と思わずにはいられなかった。
「はあちゅう」にとって、例えばグローバル化とは無縁の時代であった日本人研究者たちに、何故ノーベル賞受賞者が生まれてきたのか、というようなことを全く考えたことがないのだろうな、とは思った。


最悪だったのが、仲暁子とかいう起業家みたいな人だった。彼女は若くして起業し、成功を収めたということらしく、彼女の主張というのは、はっきり言えば「自分の成功体験」だけだった。自分のやった方法を「みんなもやればいいのに」というだけであり、それで日本の問題が解決できると信じているのかもしれない。彼女が最後に述べた点こそが、彼女の意見を端的に表しているだろう。「英語をしゃべること、プログラミングを覚えること、シリコンバレーに行くこと」だった。もしも本当に彼女の言うことを実践したら、日本で誰もゴミ収集をしてくれる人はいなくなるだろう。プログラマーだけでは、社会は支えられないぞ。彼女には、そうした意識は欠片も持ち合わせていないだろう。彼女にとって「自分以外の人々」がどのように暮らしているか、ということの想像力が決定的に欠如しているとしか思えなかった。「社会は、あんたみたいなエリート意識丸出しの人間だけが暮らしているわけではないのだよ」、と言ってあげたいと思ったが、グローバルエリートでもない彼女を責めても仕方がないか。


「インターネット時代の申し子」とも呼ぶべき「仲」や「はあちゅう」にとって、グローバル化の恩恵を受けて成功できた自分たちの存在は、すなわちグローバル化の肯定や賛美になりこそすれ、懐疑的とか適合できない他者を考えるといったことには決してならない、ということだろうなと思った。まさしくグローバル主義者というか、洗脳されてしまった人という印象。彼女たちの根底にあるのは、目先の利益と明日ある現実、そういうものであろうな、と。「日本という国」とか「100年後の日本」といった視点は、一切持ち合わせていないかのようであった。

それも仕方のないことではあるのかもしれない。だって、どうせ考えたって未来のことなんて誰にも分らないのだし、”いつ来るか分からない”100年後の未来なんて考えたって、自分の得になるわけでもなけりゃ、確かめようのない話なのだから。なので、日々を生き抜く為に「今ある目の前の現実」だけに対処してゆこうとする態度は、別に悪いわけでもなく、実際彼女たちはそれで厳しい時期を乗り越えて成功をつかんできたんだ、ということだろうと思うので。


ただ、彼女たちの姿勢に最も苛立つのは、自分たちのようにグローバル化に適合できるよう「お前らも変われ」と、社会に強要していることへの無自覚である。何故彼女たちの要望に合わせて、「社会全体」が変わらねばならないのだろうか。そういう疑問を抱くことが決してない、ということに驚愕するのである。どの道グローバル化は避け難いのだから、「グローバル主義者の住みやすいように社会構造も変えてくれ」ということなのかもしれないが、社会全体で見れば圧倒的少数派でしかない、彼女たちのようなグローバルな仕事(笑)をしているとかネット関連企業とか本格派多国籍企業とか、そういう連中に合わせて政治も社会も変えてくれという要求が傲慢ではないのか、と。そういう自省のようなものが皆無なのであろう。


こういう時、ごく少数の人間の「踏み台になれ」と要求してるも同然だ、という自覚を持つべきではないかと思うのだが、そういう発想には決してならないのがグローバル主義者なのかもしれない。


もう一つの苛立ちは、彼女たちは自分が「単なるフリーライダーに過ぎない」かもしれない、と考えることがない、ということだ。ぼくの目から見れば、彼女たちは先人たちの蓄積なり功績なりの恩恵を「タダで利用している」、まさしくフリーライダーとしか思えない。しかし、彼女たちはそれを「自分の力」であると勘違いしているのである。仲の言葉が、それを象徴していた。端的に言えば、ネットさえあれば、日本である必要がない、ということだ。今なら、自分には”何もなくても”アマゾンやグーグルのサービスを利用すれば、簡単にビジネスもできるし世界相手に商売が展開できるのだから、別に日本じゃなくてもいい、というものだ。これが文化喪失ないし破壊の基本形なのだろうな、と思う。本当に思うけど、グローバル主義者の方々の妄言は聞き飽きたので、日本から出て行って欲しい。楽天も三木谷もそうだが、彼女たちのような連中こそが、日本以外のシリコンバレーだろうとシンガポールだろうと中国だろうとアフリカだろうと、どこでもいいのでさっさと出て行って欲しいなと。日本全体を変革させるのは多大な労力と摩擦があるのだから、手っ取り早く他所へ出て行ってくれ、と心底思うわ。ネットがありさえすればいいんだから、簡単でしょう?


日本のような社会的環境が、タダで手に入るとでも勘違いしているとしか思えない。この快適環境は、簡単には手に入らないのだよ。アマゾンの注文品が僅かな時間で確実に届く、というシステムを維持している根幹は、配送をしている人々だ。英語でもなけりゃ、プログラミングでもねえ、寝ずに夜通し運転して運んでくれる「運ちゃん」たちだ。電力だって、ネット回線だって、これまで「日本という国」全体として投資をしてきた賜物であり、それを支えてきた人々のもたらした恩恵なのだ。誰も電線や回線や基地局工事をできる人がいなけば、それらは手に入らなかったものだ。簡単に「タダで利用できる」「すぐにビジネスができる」と言うが、それは過去の多大な先行投資の結果なんだよ。そろそろ、その投資収益を回収したいが、どうしたらよいか?


勿論、グーグルやアマゾンのサービスは便利だ。それはそれら企業のお蔭だ。けれども、自分たちの今の環境や暮らしというのは、先人の恩恵によるものであり、過去の蓄積に結果なのだ、ということをもっと意識する必要があると思う。日本のように、自分の会社や店が略奪で襲撃されPCなんかも根こそぎ強奪されずに済むのはどうしてか、しょっちゅう停電で電力供給が止まらないのは何故なのか、食べたい時に何でも購入でき、交通機関はほぼ時刻表通り運行し、きちんと水の流れる清潔なトイレが整然と並び、どこかの先進国の大都市みたいに街中にゴミの山ができて悪臭に悩まされずに済むのはどうしてなのか、よく考えてみたらいいと思う。

それは、英語も話せずコードも書けない圧倒的大多数の人々が、社会を支え続けているからだ。社会的安定という点も含めて、それは簡単に手に入るものではない、ということだ。コストもかかるし、教育効果も当然関係する。
彼女たちに是非とも考えてほしいのは、どうして同じアメリカなのにシリコンバレーがあんな風で、片やデトロイトはあそこまで荒廃してしまったのか、ということだ。シリコンバレーになんて新に作らずに、元からある資源を利用すればよかっただけなのでは?だって、ネット環境さえ作れればよかったわけでしょう?


その点、学者系論者たちは、学問的蓄積の恩恵というものに自覚的だろうと思うので、随分と違ったものだった。歴史的とか長期的視点での議論ができていたのは学者だけだった。
特に違いが際立っていたのが、語学に関する議論についてだった。学者側としては、おおまかに言うと「日本語が文化圏・文化的基盤」として重要、というものだった。サブとしての「第二語学」という、旧来型に近いものであろうなと受け取った。そして、少数言語が存続できる世界こそが、望ましい世界像ではないかというものだ。或は、日本語特化ということもある種の戦略かもしれない、とも(あくまで推測になるが、具体的に書けば「権威ある学術誌」はグローバルな英語誌、という先入観を排除すべし、と。日本語の学術誌を世界最高峰とすれば、その情報を読みたい研究者たちは必然的に日本語誌を読まざるを得なくなる、ということ。科研費なんかがインパクトファクター導入で予算配分を決められる、という行政側の誘導策によって「英語崇拝」が加速してしまったのは否めない)。


極端に言うなら、グローバル礼讃の彼女たちなら「方言なんか必要ない、マイナー言語だし標準語さえあればいい」ということで、大阪弁も京都弁も博多弁もみんな消えても問題ない、と。一方で、地域性なり多様性を存続させるには、方言が残るような社会の方が望ましいのではないか、というのが、学者側意見だったわけだ。英語化しろ、と彼女たちがしつこく言うのは、それが彼女たちの成功(成り上がり)を支えた重要なツールが英語だったから、だ。


伝道者として取り込むには、確かに便利だろうね。彼女たちの成功体験を正当化し強力に肯定してくれるもの、それが英語でありグローバル化だから。似非科学だの健康食品だのエコ化粧品だの占いだのといった、何かにハマる女性というのは、熱心な信奉者として取り込み易く、自ら宣伝者となってあちらこちらに広めて回る伝道者となってくれるから。


ということで、論者の選択がもっとどうにかならなかったのかな、と。
残念無念な放送だった。ああ、グローバル主義者の短絡思考が明らかになってよかったか。



ああ、それから、ちょっと追加。


古市くんは、かなり自分を抑えていたのかもしれない。NHK(論壇)で生き延びる術を学んだ、ということだろうな、と。かつての湯浅誠が、どういう処理のされ方をしたかを思えば、それも仕方のないことがないことかもしれない。それは学者系論者の中にもあったかも。長くいるというのは、それなりの意味がある。思想系の人は、意外にも計算ができるタイプの人なんだろうなと思った。それはひとつの戦術ではあるから。否定はしない。

それとは別に、仲暁子さんが語っていた、50年前の日本はお金がなくて貧しいからどうこう、という話ね。あれは、日本人の過去を見下しているか、なめているとしか思えなかった。50年前の日本が世界の中でどれほど貧乏だったか、って?


はっきり言って、なめてる。日本は1968年には恐らく世界第二位の経済大国になっていたはずである。東京オリンピックの64年時点でも、当時のGNPランキングでベスト5には入っていることは確実だろう。現代で言えば間違いなくG7に入っている、というようなものだ。それが「貧乏でお金がなかった」と?

敬意を欠いているのは、こういう無理解かつ歴史的認識の欠如した、全くの成り上がりの人間なのではないか。過去への軽蔑という先入観ゆえに、50年前は日本は貧乏で後進国だった状況からアメリカのお蔭で経済発展してよくなった、みたいな固定観念に毒されているとしか思えない。日本は、既に約50年前から「世界第二位の経済大国」だったんだよ、ボケが。そういうことを理解した上で、現状の日本を語れ。番組に呼ばれるなら、その程度の話を知った上で、国について語れ。そう思うわ。


これほどイヤな思いをする番組というのは、近年稀だ。こんなことなら、録画しておけばよかった。
そうすれば、一言一句漏らさず、叩きのめすことができた(笑)のに。


家入さんは、ちょっと外れてはいたけれど、学者とは違うから、ヘンに学問っぽいとことはないし、他の起業家連中とは違った「地に足のついた話」ということしかしてなかった。政治はよく分からないけど、身近の部分だけ改善しようと行動している、というのは、本物だ。行動しないのは、多分一番ダメ。行動に移す、というのが、最も価値が高い。どうせ世の中変わるわけない、と、なんにもしないのが最低なのだよ、政治とは。そういう点において、実践ということに関しては、家入さんの活動は他の起業家連中とは違い、最も評価できる。やはり、生きる上で辛酸を舐めた苦しさを知ってる人ならではだと思う。中身は、昔よくあった学生寮の典型例みたいなものだったけどな。等身大以上のものを決して言わない、という点において、好感が持てるというのはある。