西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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ショパンの手紙:プレイエルのピアノ

2014年09月13日 | 手帳・覚え書き

 ショパンは、サンドと彼女の子供たちとともに滞在したパルマから、友人の J.フォンタナに宛て,次のような手紙を書いています。

「親愛なる友、僕はパルマにいる。(・・・)
「プレイエルをちょっと訪ねてくれてほしい。ピアノがまだ届いていないんだよ。どの経路で発送したのだろうか。(・・・)間もなく手稿が届くとプレイエルに伝えてほしい。(・・・)」

『書簡集1812-1876』監修 持田明子・大野一道 藤原書店 2013 p172


 1838年11月15日、ショパンは友人J.フォンタナ(ポーランドの作曲家。ショパンのパリの留守宅を預かっていた)に宛てたこの手紙の中で、パルマにプレイエルのピアノが届かない、どの経路を取って送られてくるのだろうと心配し、友人に問い合わせてくれるよう依頼しています。当時、ショパンはサンドとその子供達と一緒にスペインのパルマに滞在していました。旅の初めは現地の人たちの無理解や悪天候に苦しめられたものの、パルマに移ってからは、ショパンは「まるで天国のような空気」と「フルーツや様々な木々」に囲まれた素晴らしく幸せな日々の様子を描いています。恵まれた環境の中で、健康が回復したショパンは仕事をしたい、作曲をしたいという切実な思いに拐われたことでしょう。

 この時からおよそ半年後、一家はスペインを後にし船旅でようやくマルセイユに到着。今度はサンドが、そのマルセイユからカミーユ・プレイエルに宛て一通の手紙を認めています。ショパンには内緒にして、グランド・ピアノを一台ノアンに送ってほしいと。


「拝啓
 ショパンとともに5月1日にベリー(ノアン)に帰る予定にしております。彼の部屋に貴社のピアノをおき、彼をびっくりさせ、喜ばせたいと願っております。(・・・)」

  マルセイユ 1839年4月2日 サンドからプエレイエルへの手紙
 『書簡集1812-1876』同上、p178

「距離は70リュー、七日間の旅程です」と詳細を調べて伝え、「信用のおける運送屋さんに4月の中旬に取りに行ってもらうようにする」と書き添えています。こうしたことからも、自身も次々と小説を書き仕事を続けながらも、サンドはショパンのことを目に見えないところで気遣い、彼が仕事に集中できるようにと物心両面で全面的に支えていた様子が伺えます。




画像はスクエア・ピアノです。
スクエア・ピアノは、18世紀半ばから世紀末にかけ、イギリスやフランスで流行ったピアノ。値段が手頃で経済的、またチェンバロに比べ、ダイナミックさと音量の豊かさ、音色が明瞭なことから、当時の人々に好まれたそうです。
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